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第51話 におう?

談話室に入ると、皆が私たちの前に勢揃いした。


 お父様、お母様、お兄様、お姉様たち。

 アイリオン先生にザルヴァニア、ラン、ダリアン。


 いつもなら何かしら喋っているお兄様たちでさえ、今日は妙に静かだ。


 正確には――。


『みんな、私じゃなくてティグ見てるよね……』


 誰も口を開かない。


「…………」


 私もなんとなく黙っていると。


 ぽわ〜ん。


「……ん?」


 何かが鼻をかすめた。


 土と獣の匂い。


 それから、まだ毛に残っている血の生臭い匂い。


『……くさい』


 私はそっと手を上げた。


「あのー……」


 一斉に視線がこちらへ向く。


「ティグを先に綺麗にしてきてもいいですか?」


 今度は全員の視線がティグへ移った。


「…………」


 そのとき、ちょうど窓から入った風がティグの毛を揺らす。


 ふわ〜……。


「うっ……」


 お父様がわずかに顔をしかめた。


「よ、よかろう。二人で綺麗にしてこい」


「はい!」


『よし!』


 まずは、この尋問みたいな状況から一旦逃れられた。


 ティグを連れてお風呂場へ向かっていると、後ろからダリアンが追いかけてくる。


「フリージア様!」


「ん?」


「昨夜、勝手に出歩いたんですよね!?」


「……あ」


「しかも一人で! あの伝説級かもしれない魔獣に会いに行くなんて!」


「いや、その……」


「僕との約束、守ってくれなかったんですね……」


「えっ」


 ダリアンの肩が見るからに落ちた。


「僕、結界だけ残すって約束したから、それで安心してたのに……」


『あー……ダリアン、本気で凹んでる』


「ダリアン、ごめんね」


「……」


「でも、どうしても気になって」


 私は少しだけティグを見る。


「あのまま放っておけなかったの。それに……なんていうか、呼ばれてるような、声が聞こえたような気がしたんだ」


 ダリアンが顔を上げる。


「声?」


「本当に声が聞こえたわけじゃないよ。でも、行かなきゃって感じがして……」


 ティグがちらりと私を見る。


「契約が繋がっていたからだろうな」


「え?」


「すでに契約していたなら、互いの気配を多少感じてもおかしくない」


「……じゃあ、あれティグだったの?」


「さあな」


「さあなって!」


 横でダリアンが深いため息をついた。


「……二人で何か話してます?」


「うん、ちょっとだけ」


 ダリアンは私とティグを交互に見た。


「ほんとに通じ合ってそうですね……」


 少し呆れたように笑ってから、すぐ真面目な顔に戻る。


「でも、次からは絶対に僕を起こしてください」


「はい……」


「絶対ですよ?」


「はい!」


「……本当に?」


「ほんと!」


すると、今度はランが静かに口を開いた。


「フリージア様」


「……はい」


 声はいつも通り穏やかだった。


 でも――。


「今後、本当にお一人で出歩くのはおやめください」


「……」


「朝、フリージア様がお部屋にいらっしゃらなかったとき、私がどれほど驚いたことか」


 淡々としているのに、逆に怖い。


「それに……」


 ランがじっと私を見る。


「私にまで秘密にしていたなんて、心外です!」


「ご、ごめんなさい……」


 いつもなら優しく笑ってくれるランが、今日は明らかに怒っている。


『ランが怒ってる……』


『これ、結構まずいやつだ』


「ダリアン様にも黙って、私にも黙って、夜中に一人で森へ行くなんて……」


「いや、一人じゃないよ? ラムネも――」


「そういう問題ではありません!」


「はい!」


 反射的に背筋が伸びた。

 横でティグが、少し面白そうにこちらを見ている。


『見ないでよ……』


「次からは必ず、私かダリアン様にお声をかけてください」


「……はい」


「必ず、ですよ?」


「はい……」


 ランはようやく少しだけ表情を緩めた。


「……本当に心配したんですから」


「ごめんね、ラン」


 今度はちゃんと素直に謝る。


 するとランは小さく息を吐いて、いつもの調子に少しだけ戻った。


「分かってくだされば、それでいいです」


『よかった……ちょっと戻った』


 でも、たぶん今日はまだ完全には許されてない。


そんな空気のままお風呂場へ着くと、さっそくティグを綺麗にすることにした。


 とはいえ、ランもダリアンもまだティグを少し警戒している。


「じゃあ、まず私がやるね」


 私はお湯をかけながら、汚れた毛を少しずつ洗っていく。


 泥や乾いた血が落ちていくにつれて、ふわふわした毛並みが少しずつ本来の色を取り戻していった。


「ティグ、二人にも手伝ってもらいたいんだけど、いい?」


「おう、構わんぞ」


 ティグは気持ちよさそうに目を細めた。


「それなら背中の真ん中あたりを、もう少し力強く頼む」


 そしてダリアンを見る。


「赤髪のあやつがいいな。力がありそうだ」


「……ご指名ですか」


 私は思わず笑ってしまう。


「ダリアン、ティグが背中の真ん中あたり、力強く洗ってほしいって」


「僕ですか……」


 少し顔を引きつらせながらも、ダリアンは渋々ティグの背中へ手を伸ばした。


 ごしごし。


「おっ! そこじゃ!」


「そこでいいって!」


「分かりました!」


 さっきまで警戒していたのに、いつの間にか普通に洗っている。


 ランも反対側から丁寧に毛を洗ってくれていた。


「こちらも随分汚れていますね」


「たぶん森をずっと歩いてたから」


 全身を綺麗に洗い流すころには、お湯は何度も濁っていた。


「よし、あとは乾かすだけ!」


 ダリアンとランが少し離れて、それぞれ魔法を使う。


 風魔法に熱を混ぜた、絶妙な温度の風がティグの全身を包んだ。


 ぶわぁっと長い毛が大きく膨らむ。


「わっ!」


 乾くにつれて、ぺたっとしていた毛がどんどんふわふわになっていく。


 そして――。


『……え?』


 乾くにつれて、汚れに隠れていた本来の毛色が、少しずつ姿を現していった。


「……え?」


 思わず手が止まる。


 淡い黄色。


 白に近いほど柔らかな色なのに、光が当たると毛先がほんのり桃色や青、緑に揺れて見える。


『……私の髪と似てる』


 胸元とお腹の毛は少し白っぽく、背中から尻尾にかけては淡い黄色が濃くなっている。


 虎のような縞模様もあるけれど、それも真っ黒ではなく、薄い金色と銀色の間みたいな色だった。


 乾くほど毛はふわふわに膨らみ、さっきまで薄汚れていた姿が嘘みたいに変わっていく。


「……すごい」


 ランも思わず手を止めた。


「綺麗ですね……」


 ティグは当然だと言わんばかりに胸を張る。


「ふん。だから言っただろう。オレはすごいとな」


『いや、それ毛色の話なんだけど』

 

「よし! これなら威厳も増したし、かっこいい!」


 私は満足してティグを見上げた。


「最初からこうだ」


「いや、さっきまでだいぶ野獣臭かったよ」


「……余計なことを言うな」


 私も急いで身支度を整え、少し気持ちを入れ替えて談話室へ戻ることにした。


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