第5話 図書館
ある朝。
ふと、いつもより早く目が覚めた。
まだ部屋の中は静かで、みんな眠っている。
『……なんだか、部屋にいるのがもったいない。』
落ち着かない気持ちのまま、私はそっとベッドを降りた。
音を立てないように扉を開ける。
その瞬間。
扉を開けた瞬間、空気がふわりと変わる。
ひんやりとした朝の空気と、濃い緑の匂い。森の気配がすぐそこにあった。
胸の奥で、また小さく何かが跳ねた。
やわらかくて、少しひんやりしていて、でもどこか温かい。
屋敷の廊下は、木と白い石でできていて、外の光をそのまま取り込むように作られている。
歩くだけで、なんだか外にいるみたいだった。
そのまま、ゆっくりと外へ出る。
目の前に広がるのは、見渡す限りの緑。
大きな、大きな木。
その根元に広がるように、街があった。
家々は木と一体になっていて、まるで森の一部みたいに溶け込んでいる。
そして、そのあちこちに――
小さな水晶が、ふわりと浮かんでいた。
淡く光っていて、まるで灯りみたいに周囲を照らしている。
……これが、この国の“光”なんだ。
どこかで感じたことのある、不思議な温もり。
森そのものが、生きていて。
その力が、街を動かしている。
そんな感じがした。
しばらくぼーっと見ていたけれど、ふと我に返る。
石畳の道を、ゆっくり進む。
少し進むと、視界の端に高い塔が見えた。
丸い形の、大きな塔。
窓がいくつもあって、本が詰まっているのが遠くからでも分かる。
――図書館だ。
何度も通った場所。
本が好きだった私は、時間があればここに来ていた。
魔法の本。
花の図鑑。
物語。
それに――この世界の種族について書かれた本も、何冊か読んだことがある。
静かな扉を押して、中に入る。
ひんやりとした空気と、紙の匂い。
高い天井まで並ぶ本棚。
見慣れているはずなのに、今日は少しだけ違って見えた。
本が好きで、時間があればここに来ていた。
魔法の本も、何冊か読んだことがある。
でも――あのときまでは、“読むだけ”だった。
私は迷わず、魔法書の並ぶ棚へ向かう。
指先で背表紙をなぞる。
以前は、なんとなく眺めるだけだった。
でも今は違う。
ちゃんと“使うため”に、探している。
「……基礎、制御……安定……」
小さく呟きながら、一冊の本を引き抜いた。
ページをめくる。
――魔力の流れ。
――イメージの固定。
――詠唱による安定化。
書いてあることは、難しくはない。
むしろ――
「……これ、やってること同じ……」
思わず、小さく漏れた。
火を出したとき。
水を出したとき。
私はただ、イメージしていただけ。
でも、それがそのまま“基礎”として書かれている。
……じゃあ。
「……もっと、できる……?」
胸の奥が、少しだけ高鳴る。
ページをめくる手が、自然と速くなる。
そこには、属性ごとの特徴が書かれていた。
火は、強く、速く、広がる。
水は、形を変え、流れ、包む。
風は、見えず、軽く、操る。
土は、支え、固め、形を作る。
光は、癒し、照らし、守る。
闇は、隠し、侵し、歪める。
……全部、知ってる。
でも、“使う”となると話は別だ。
今は本を抱えたまま、近くの席に腰を下ろした。
そして、もう一度ページを見る。
今度は、ただ読むんじゃない。
――できるかどうか、考えながら。
「……火は、もうできた」
「水も……大丈夫」
小さく呟きながら、一つずつ整理していく。
風は、まだ曖昧。
土は、重たい感じが難しい。
光と闇は……なんとなく出せたけど、よく分かってない。
「……じゃあ、次は……」
自然と、指が一つの項目に止まる。
――“制御”
「……これ、かな」
ぽつりと呟く。
ただ出すだけじゃなくて。
ちゃんと、思い通りに動かす。
それができたら――
もっと、すごいことができる気がする。
胸の奥で、わくわくが膨らんでいく。
気づけば私は、さっきよりもずっと前のめりになって、本を読み込んでいた。
ちゃんと、自分のものにするために。
ページをめくる手が、ふと止まった。
「……制御には、精神力と体力が必要……?」
小さく呟いて、そのまま文字を追う。
――精神力。
特に重要なのは、恐怖と向き合うこと。
目の前に魔獣が現れても、怯まず、魔法を維持し続けること。
心が揺れれば、魔法も揺らぐ。
「……なるほど」
思わず、ぽつりと漏れた。
頭に浮かぶのは、あの時の光景。
大きな魔獣。
圧し潰されそうな気配。
……怖かった。
ちゃんと、怖かったはずなのに。
「……でも、私は……何もしてない」
小さく呟く。
戦ったのは、パパたちで。
私はただ、守られていただけ。
だから――
本当の意味で“恐怖に向き合った”わけじゃない。
視線を落として、次の行を読む。
――体力。
長時間の魔法維持、連続使用、戦闘における持久力。
いずれも、身体の強さに依存する。
「……これは、無理だな」
思わず苦笑する。
今の体では、すぐ疲れる。
少し走っただけでも息が上がるくらいだ。
「……成長、必要ってことか」
ぽつりと呟く。
魔力はある
それは分かってる。
でも――
「……安定させるのは、まだまだ時間がかかる」
本を見つめながら、小さく息を吐いた。
焦っても仕方ない。
できることと、できないこと。
ちゃんと分け
――
「……少しずつ、だね」
「いや、待てよ。やり方の下に詠唱呪文が全部に書いてある」
私、詠唱してないんだよね。
きっと、このこともアイリオン先生と話すことになる。
『今は、それまで考えないでおこう。』
私は頭を切り替え、もう一冊の本を手に取った。
表紙には――『魔石』と書かれている。
『この前、お父様は剣に付けるって言ってたな。』
つまり、魔石は武具にも利用できるということだ。
国の街灯には光の魔石。
暖房には火の魔石。
生活のあちこちで魔石は使われている。
本によると、魔石の威力は倒した魔獣の強さに比例するらしい。
強い魔獣ほど、高品質な魔石が採れる。
ただし、魔石は約二十年で亀裂が入り、使えなくなる。
武具に使う場合は、使用者が魔力を流し込んで力を引き出す。
しかし、小さな魔石に大量の魔力を込めても、それ以上の威力は出ない。
逆に、高品質な魔石でも、注ぐ魔力が弱ければ本来の力を発揮できない。
『つまり……。』
『質の高い魔石に、質の高い魔力を込めて初めて、最大限の性能を引き出せるってことか。』
魔石の仕組みは分かった。
でも、私が気になったのは使い方だった。
『この国の使い方って……なんだか物足りない。』
お風呂を沸かす時は、火の魔石を水に入れて温める。
シャワーはなく、桶でお湯を汲んで頭を流す。
髪を乾かす時も、風魔法が使える人に頼んでいる。
『……この魔石を組み合わせれば、ドライヤーくらい作れそうだけど。』
今の使い方は、一つの魔石を単体で使うことばかり。
『組み合わせたり、工夫したりすれば、もっと便利なものが作れそうなのに。』
そんなことを考えながら、一通り目を通し、私はそっと本を閉じた。
「……ふぅ」
小さく息をつく。
頭の中で、さっき読んだことを整理していた、そのとき。
「フリージア様」
ビクッと、身体が固まる。
……この声、知ってる。
――見つかった。
ゆっくりと振り向くと、そこにいたのは私の護衛――ダリアンだった。
第一隊隊長の三男。
隊長の息子というだけあって規律には厳しく、任務にも真面目。
……なのだけど。
「また、一人で動かれて……」
ため息混じりにそう言うと、すぐに顔を上げた。
「いいですか!ちゃんとオレのことを待っててください!」
「オレがいればどこに行っても構いませんが、一人ではダメです!!」
「言っておきますが、フリージア様とオレも、隊長に怒られるんですよ!」
……また、怒られてしまった。
「ごめんなさい。だって、目が早く覚めてしまって……」
「朝食までまだ時間あるなって……」
「ダリアンを呼ぶのも、悪いし……」
言葉を続けるたびに、ダリアンの視線がじわじわと鋭くなる。
……怒ってる。
その圧に負けて、私は小さく肩をすくめた。
「……ごめんなさい。もう次からは、ないようにしゅるわ」
ダリアンは、まだ何か言いたげに口を動かしている。
……と思ったら、ぼそぼそと小さな声で呟いた。
「本当に……オヤジを怒らせたら怖いんですよ……」
「生きた心地がしないんだから……」
ふっと遠くを見るような目になる。
第一隊長はダリアンの父なのだ。
そのまま、何かを思い出したのか――みるみる顔が青ざめていった。
……あ。
その様子を見て、私も思い出してしまう。
隊長に怒られたときのこと。私もたびたび一人で出歩いて怒られていた。
背筋が凍るような圧。
逃げ場のない視線。
「……」
「……」
一瞬、空気が重くなる。
そして。
二人そろって、しゅん、と肩を落とした。
ダリアンは小さく息を吐くと、軽く首を振って気持ちを切り替えた。
「さあ、フリージア様。その本を片づけて、朝食へ向かいましょう。」
ダリアンが私の手元にあった本へ手を伸ばす。
「皆様がお揃いになりますよ。」
「あれ? フリージア様がこんな難しい本をご覧になるなんて珍しいですね。いつもは植物の本や物語ばかりですのに。」
「えっと〜……。」
一瞬焦る。
「魔石の色が気になってね。」
「いろんな大きさや色があって、きれいだったのー。」
我ながら、すごく適当なごまかしだった。
「ああ、確かに魔石はきれいですよね。」
納得してくれたようで、私は心の中でほっと胸をなで下ろす。
「うん。」
ダリアンは私が手にしていた魔道書を受け取り、元の場所へ丁寧に戻してくれた。
私は少しだけ名残惜しそうに本棚を見つめる。
『また、読みに来よう。』
そう心に決めて、ダリアンと一緒に図書館を後にした。




