やっちまった
顔を上げた、その瞬間。
――バンッ!
勢いよくドアが開いた。
「アイリオン、あの伝言はなんだ!」
お父様が苛立ったまま入ってくる。その後ろには第一騎士団隊長も続いていた。
「“来い”の一言でオレを呼びつけられるやつなんて――」
そのまま文句を言いながら、こちらへ歩いてくる。
「いねぇだろうが、ほんと――」
言いかけて。
ふと、パパの視線が私の手元に落ちた。
足も、言葉も止まる。
私の手の中には、小さな光。
――次の瞬間。
「……っ!?……三歳で……。」
後ろにいた第一騎士団隊長が息をのんだ。
「フリージア……!」
ぱっと表情を輝かせて、パパがこちらに駆け寄ってきた。
「すごいじゃないか! もう魔法を出せるのか!?」
目をキラキラさせて、完全に上機嫌だ。
「まだ3歳だぞ!? これは――天才じゃないか!」
ぐいっと顔を覗き込まれて、思わず少しのけぞる。
その勢いで手元の魔法は消える。
「やっぱりうちの子はすごいな! さすが――」
「……エル」
静かな声が、それを遮った。
アイリオン先生だ。
「少し、落ち着け」
先ほどまでの興奮は消えて、落ち着いた表情に戻っている。
「……なんだ? 何か問題でもあるのか?」
お父様は不思議そうに首をかしげる。
先生は一瞬だけ私を見て、それからゆっくりと言葉を選ぶように口を開いた。
「まず――この年齢で、魔法を維持できている時点で極めて異例だ。」
「通常、魔法の訓練は早くても七歳から始まる。」
「魔力鑑定も、学園へ入る前の六歳で行われる。」
「それ以前に魔法が発現することは、ごく稀にある。だが……フリージアはそれより幼い」
先生は一度言葉を切る。
部屋が静まり返る。
その言葉に、お父様の表情がわずかに変わる。
「……確かに。」
そして――
「だが、問題はそこではない」
空気が、ぴんと張り詰める。
周囲にいた兄妹たちも、誰も口を開かない。
ただ、じっとこちらを見ている。
先生はもう一度、私に視線を向けた。
「先ほどフリージアが出した魔法だが――」
ほんのわずか、間を置いて。
「……一属性ではなかった」
「じゃあ、三属性ぐらいか!」
少し嬉しそうに、パパが言う。
アイリオン先生は、静かに首を横に振った。
「……全属性だ」
数秒の沈黙が落ちる。
お父様の表情が、ゆっくりと変わっていく。
喜びから真顔へ。
眉が寄り、次の瞬間にはわずかに上がり――そしてまた沈む。
理解が追いつかず、思考がぐるぐると巡っているのが分かる。
その様子を見て、先生は静かに告げた。
「……一度、自分の目で見てみろ」
私は先生の言われた通り、お父様の前で同じことをした。
数分後。
お父様の顔から笑顔が消え、真剣な表情でこちらを見ている。
ゆっくりと近づいてきて、私の前に膝をついた。
そして、優しく語りかけるように言う。
「フリージア。この歳で魔法を出せるなんて、とてもすごいことだ。私はとても誇らしいし、嬉しいよ」
少しだけ言葉を区切る。
「ただな……この歳でできることも、全属性を持つことも、とても珍しいことなんだ」
そのまま、私の目をまっすぐ見て。
「だから、今ここにいる者以外の前では、絶対に魔法を使わないと約束してくれ」
私は小さく頷く。
この場の空気に圧倒され、少し声を震わせながら答えた。
「はい、お父しゃま。約束しゅるね。」
お父様は安心したように微笑み、ゆっくりと立ち上がる。
そしてアイリオン先生と少し離れた場所で、小声で話し始めた。
「ここまで安定して魔法を扱える例は、私は聞いたことも、見たこともない。」
先生の真剣な声が聞こえる。
「……それに、気づいているか。」
「フリージアは、一度も詠唱していない。」
その言葉に、お父様の表情がわずかに変わった。
「……確かに。」
「言われてみれば、一度も詠唱していないな。」
ふと周りへ目を向けると、お兄様たちもこちらを見つめながら、小声で何かを話していた。
「……初めて見た。」
「お祖父様よりすごいんじゃ……。」
……気になる。
私はそっと近づき、小さな声で聞いた。
「ロータスお兄しゃま……私、とてもいけないことをしてしまいましたか? お兄しゃまたちに……嫌われるようなこと、しましたか?」
その言葉に気づいたロータスお兄様は、すぐに私を抱き上げてくれた。
とても優しい笑顔で。
「フリージア。」
「僕たち兄妹は、何があってもフリージアを嫌うことなんてない。」
「少し驚いただけだよ。」
「フリージアは、僕たちにとって大切な妹なんだから。」
リリィお姉様も、すぐに続く。
「そうよ! フリーは何も気にしなくていいわ!」
「何があっても、私たちがちゃんと守るんだから。」
「困ったことがあれば、私でもいいし、お兄様たちにだって、ちゃんと頼りなさい!」
その横から、シルヴィンお兄様がひょこっと顔を出した。
「ちょっと、リリィ!」
「ぼくだっているよ!」
「ぼくだって、フリーのこと大事なんだからね!」
「あなたは、まだ頼りないわよ。」
「えぇーっ!?」
すると今度は、アスターお兄様が笑いながら口を挟む。
「リリィだって、さっき魔法うまくいってなかったじゃん。」
「なっ……!」
リリィお姉様がキッとアスターお兄様を睨みつける。
「それとこれとは別よ!」
「はいはい。」
いつもの兄妹げんかが始まった。
そのやり取りを見ているうちに、張りつめていた気持ちがふっとほどけていく。
……よかった。
胸の奥にあった不安が、すっと消えていく。
でも――
(魔法の練習……もうできないのかな)
少しだけ、気持ちが沈む。
……いや。
よく考えたら。
(ここにいる人以外に見せなきゃいい、って言ってたよね)
つまり――
(ここなら、いいってこと……?)
ぱっと顔を上げる。
私はお兄様に下ろしてもらい、そのままお父様のところへ駆け寄った。
服の裾を、ちょん、と引っ張る。
少しモジモジしながら、上目遣いで。
「お父しゃま……私、これからも魔法の練習がしたいです。……ダメでしゅか?」
少しだけ間を置いて、続ける。
「アイリオン先生……教えてくれましゅか?」
お父様一瞬困ったような顔をして、アイリオン先生を見る。
二人は短く言葉を交わした。
――そして。
何か決まったのか、パパはゆっくりと振り返る。
少し声を張って、場にいる全員へ告げた。
「――皆に申す」
パパの声が、場に響いた。
「今日ここでフリージアが見せたものは、すべて他言無用とする」
一瞬の間。
「これより――“魔誓契約”を結んでもらう」
空気が、一気に張り詰めた。
「ロータス。お前たちもだ」
静かに、しかし有無を言わせぬ声音。
その場にいた全員が、息を呑む。
パパは手をかざすと、目の前に一枚の魔誓契約が浮かび上がった。
文字が淡く光り、ふっと消えるように魔誓契約へと吸い込まれていく。
……まるで、魔力ごと刻まれているみたいに。
順にサインが終わっていく中で――
そのとき。
アイリオン先生が、何も言わずに私の手を取った。
指先に、ふわりと淡い光が灯る。
気づけば、さっきの傷は跡形もなく消えていた。
「ありがとうございましゆ。」
私がお礼を言うと、先生は静かに頷き、ぽつりと口を開いた。
「先ほどのことだが……。」
「私は皆を指導しながらも、ずっとそなたを見ていた。」
「見ていた、というより……目に入らざるを得なかった、という方が正しい。」
私は首を傾げる。
「……どうしてぇ?」
「それは、お前の髪だ。」
……そういえば。
この世界では、髪や瞳の色に、その人の得意な魔法属性が現れるらしい。
水はブルー系。火はレッド系。光はイエロー系。
風はターコイズ。土はグリーン、まれにブラウン。闇はネイビーやパープル――そんなふうに。
だからこそ、ひと目見れば、ある程度の適性は分かる。
……でも。
私の髪は、どれにも当てはまらない。
光の加減で七色に反射する、不思議な色。
先生は苦笑しながら続けた。
「何の属性なのか気になって、つい観察していた。」
「……その結果が、あの魔法だ。」
『……そりゃ、目立つよね。この髪色じゃね』
見られるわけだ。
お父様はまた私に近づいてきて
「フリージア、魔術の勉強だが、これからはこのアイ……いや、アイリオンが教えてくれる。ロータス達と一緒にな」
お父様は穏やかな声でそう告げた。
優しい笑みだった。
アイリオン先生を見ると、困ったような顔で小さく息を吐く。
どうやら面倒ごとを押しつけられた、とでも言いたげな表情だ。
それでも私は、胸の奥から湧き上がる嬉しさを抑えきれなかった。
勢いのままお父様に抱きつく。
「ありがとう、お父しゃま!」
これで魔術ができる。やっと――その世界に近づける。
お父様は少し驚いたあと、優しく背中に手を回して抱きしめてくれた。




