第48話 新たな出会い
あのとき、お父様の身体を使って話していた“何か”のことが、どうしても頭から離れなかった。
『あれは……誰だったんだろう』
私のことを、この世界で生まれていないと言った。
それに、私の魔力を必要としているとも。
思い出すたびに、胸の奥がざわつく。
お父様は本当に何も覚えていないのか。
あの“何か”は、まだどこかにいるのか。
考えても答えは出ない。
それから、お父様は少しずつ回復していった。
魔力も戻り、普段どおり魔法を使えるようにはなった。
ただ、ひとつだけ以前と違うことがあった。
前よりも、魔力切れを起こすのが早くなっていたのだ。
『やっぱり、完全に元どおりってわけじゃないんだ……』
それでも数日、お父様のそばで過ごしたけれど、あの夜のような異変が起こることはなかった。
お父様自身も、
「もう大丈夫だ」
お父様が何度もそう言うので、それから数日後、私は学園へ戻ることにした。
学園へ戻る前、お父様を包んでいたあの黒いもやのことや、レミという存在のことを考えながら、私はラムネと城の庭をぶらぶら歩いていた。
「ラムネ、しばらくまた会えなくなるねー」
ぷるぷるした身体を撫でていると、不意にラムネが妙な動きをした。
「……ん?」
身体を縦にぐーっと伸ばし、そのまま左右にゆらゆらと揺れ始める。
「なに? どうしたの?」
何かを訴えているように見える。
するとラムネは、ぴょんっと跳ねた。
少し進んでは振り返り、またぴょんっと進む。
『……ついてこいってこと?』
「私についてきてほしいの?」
ラムネの上に『○』が浮かんだ。
「やっぱり」
ダリアンと一緒にその後を追っていくと、ラムネが向かったのは城の裏手だった。
その先には森が広がっている。
城の敷地と森の境目には結界が張られていて、許可なく出入りすることはできない。
ラムネはその手前で止まると、森の中へ向かってぴょんぴょん跳ねた。
「……あっち?」
『○』
目を凝らす。
最初は何も見えなかった。
「何があるの……?」
さらにじっと見つめていると――。
「……あ」
木々の隙間で、ふさふさした何かがわずかに動いた。
『魔獣?』
でも、それきり動かない。
距離はそこまで遠くない。結界のすぐ向こう側だ。
よく見ると、そのふさふさした毛の辺りに赤いものが付いている。
『……血?』
怪我をしているのかもしれない。
「ダリアン、確かめに行きたい」
「駄目です」
即答だった。
「でも、怪我してるかもしれないよ?」
「だからこそです。弱っているように見せているだけかもしれませんし、他の魔獣が近くにいる可能性もあります。フリージア様を森へ出すことはできません」
「うーん……」
それは分かる。
でも、このまま放っておくのも気になる。
私は足元のラムネを見る。
「じゃあ、ラムネにまず確認してもらうのは?」
「ラムネを?」
「うん。危なそうだったら、すぐ戻ってきてもらうから」
ダリアンはしばらく森とラムネを交互に見た。
「……うーん」
「お願い!」
「……分かりました。とりあえず、ラムネに任せてみましょう」
「やった!」
私はラムネの前にしゃがみ込む。
「ラムネ。あそこにいるのが危険じゃないか、確かめてきてほしいんだけど……いい?」
『○』
「危なかったら絶対すぐ戻ってきてね?」
もう一度『○』が浮かぶ。
ダリアンが結界へ手をかざした。
人が通れるほど開く必要はない。
ラムネ一匹が通れるくらいの、小さな隙間だけを結界に開ける。
「行っておいで」
ラムネは一度ぷるんっと身体を揺らすと、その小さな出口から森へ飛び出していった。
ラムネは結界の外へ出ると、少し進んだところでぴたりと止まった。
そして――。
「え?」
突然、ぽんっと身体がいくつにも分かれた。
分裂したラムネたちは、そのままそれぞれ違う方向へぴょんぴょんと散っていく。
「ちょ、ラムネ!?」
何をしているのか分からず見守っていると、しばらくして散らばっていたラムネたちが次々と戻ってきた。
そして同じ場所へ集まると――再び一つになる。
『……またラムネの進化を発見してしまった』
そんなことまでできるようになってたの?
私が驚いていると、ラムネがくるっとこちらを向いた。
『○』
「何もいないみたいだね」
「そのようですね」
ダリアンも周囲を見渡しながら頷いた。
「それにしても……ラムネの新たな発見ですね」
「ね。私も知らなかった」
ラムネはそのまま、倒れているふさふさした魔獣へ近づいていく。
そして――。
ちょん。
身体の先で、そっと触れた。
魔獣の身体がぴくっと動く。
「生きてる!」
でも、それだけだった。
逃げる様子も、襲いかかってくる様子もない。
「ダリアン、行っていい?」
「いえ。まず僕が行きます」
「えー」
「駄目です」
今度は有無を言わせない声だった。
「……分かった」
ダリアンは結界を抜けると、周囲を警戒しながらゆっくり魔獣へ近づいていった。
ラムネの横まで来るとしゃがみ込み、倒れている魔獣の様子を確認する。
しばらくして――ダリアンの表情が変わった。
「フリージア様」
「なに?」
ダリアンは魔獣を見たまま、少し驚いたように言った。
「これは……」
「フリージア様……これは、ネフィルガです」
「ネフィルガ?」
「はい。伝承にしか残っていない、伝説級の神獣です。……たぶんですが」
「たぶん!?」
私はもう一度、倒れている魔獣を見る。
「そっちに行っちゃ駄目なら、こっちに連れてきて!」
「えっ!?」
ダリアンが思いきり振り返った。
「そんな、僕だって怖いですよ! 伝説ですよ!?」
「でも怪我してるし……」
「いや、だからこそ――」
どうしようかと二人でおろおろしていると。
「……あ」
ラムネが、倒れている魔獣の上に覆いかぶさった。
そのまま――。
「えっ?」
「……え?」
ずるん。
魔獣の身体がラムネの中へ消えた。
「!!!!」
「ラムネぇ!?」
『食べた!?』
思わず叫んだ、その直後。
「……違う?」
よく見ると、ラムネの透明な身体の中に、さっきの魔獣がそのまま包まれている。
『包んでる……?』
しかも明らかに重そうだ。
ラムネは身体を大きく膨らませたまま、ぴょん……ぴょん……とゆっくりこちらへ向かってくる。
「が、頑張れラムネ!」
いつもの軽快な跳ね方とはまるで違う。
結界のところまで戻ってくると、ラムネは倒れている魔獣を傷つけないようにするかのように、身体をゆっくり広げた。
ぬぺ〜……。
そんな感じで、地面へそっと滑らせるように魔獣を外へ出した。
「……そんなこともできるの?」
『今日だけでラムネの新機能、何個見つかるの……?』
改めて近くで見ると、やっぱり虎に近い。
ただ、毛が長くてふさふさしているせいか、普通の虎よりずっと大きく見えた。
毛並みは泥や土で薄汚れていて、本来の色もよく分からない。
それより気になるのは――。
「血……」
身体のあちこちから血が滲んでいる。
傷も一つや二つじゃない。
爪で裂かれたようなものもあれば、深く抉られたような傷まである。
ダリアンも慎重に観察しながら眉をひそめた。
「……本当にネフィルガなのか? ただのタイガーかもしれませんね」
「分からないの?」
「僕も実物を見たことなんてありませんから」
「そっか……伝説だもんね」
「それにしても――」
ダリアンの表情が険しくなる。
「こいつにこれだけの重傷を負わせるなんて、一体何と戦ったんだ……」
「ねぇ、近くに行っていい?」
「うーん……」
ダリアンは倒れている魔獣とラムネを交互に見る。
「ラムネが触っても反応しなかったですし……今のところ襲ってくる様子もありませんから、大丈夫だとは思いますが――」
そう言いかけて、すぐに首を振った。
「待ってください。城の中へ入れるのはまだ駄目です」
「じゃあ?」
「まず、この場に結界を張ります」
ダリアンが魔力を流すと、倒れている魔獣を中心に、私たちとの間を囲うように結界が展開された。
万が一突然暴れ出しても、すぐに城の中へ飛び込めないようにするためらしい。
それを確認してから、ダリアンが私を見る。
「……こちらへ来ていいですよ」
「ほんと?」
「ただし、僕から離れないでください。絶対に触らないでくださいね」
「分かった!」
「……本当に気をつけてくださいよ」
私は頷いて、ゆっくりとその魔獣へ近づいていった。
近くで見ると、傷は思っていたよりひどかった。
「……痛そう」
毛に隠れて見えにくかったけど、お腹の辺りにも傷がある。
見ているうちに我慢できなくなって、私はそっと手を伸ばした。
「フリージア様、危ない!」
ダリアンの声が飛ぶ。
でも、もう遅かった。
私はそのお腹をそっと撫でていた。
その瞬間――。
「……あ」
何かが、私の手のひらから伝わってきた。
魔力だ。
でも、嫌な感じはしない。
むしろ、とても静かで、優しい魔力。
ほんのわずかだけど、向こうから私の中へ流れ込んでくる。
『……大丈夫』
なぜか、そう思えた。
「もう……すぐそうやって動くんですから……」
ダリアンが頭を抱えるように嘆いている。
「でも、大丈夫だよ」
「何が大丈夫なんですか!」
「この子、怖くない」
「それを今判断しないでください!」
それでも私は、そのまま傷へ手を添えた。
「治してあげる」
「ちょ、ちょっとフリージア様!?」
淡い光が手のひらから広がる。
治癒魔法。
「待ってくださいって!」
ダリアンは止めたいらしいけど、もう魔法は始まっている。
どうすることもできず、結局すぐ隣で身構えた。
いつでも私を引き離せるようにしているらしい。
光が傷を包み、裂けていた皮膚が少しずつ塞がっていく。
血も止まり、目立っていた傷はほとんど消えた。
「よし……」
だけど。
「……動かないね」
傷は治ったのに、その子は目を閉じたままだった。
呼吸はしている。
でも、起きる気配がない。
「だいぶ弱ってるね……」
私が呟くと、ダリアンもようやく構えていた身体から力を抜いた。
「そうですね。傷だけじゃなく、かなり衰弱しているのかもしれません」
私はもう一度、その大きな身体を見つめた。
『一体、何があったんだろう……』
しばらくその姿を見つめていたけれど、やっぱりこのまま置いていく気にはなれなかった。
「ダリアン。私、この子助けたい」
「えっ!?」
ダリアンがぎょっとした顔をする。
「それは危険ですよ! 回復したら襲われるかもしれません。このまま放っておきましょう!」
「でも、このままにしたら他の魔獣に襲われるよ」
「それでも、こっちも危険です!」
「じゃあ、この結界だけでもそのままにしてあげて!」
「結界を?」
「うん! ダリアンの結界なら、それなりの魔獣じゃ簡単に破れないでしょ?」
「それは……まあ」
「ダリアン、強い護衛隊なんだから!」
「いや、それとこれは――」
「この結界があるだけでも全然違うと思うの! ね? お願い!」
「…………」
ダリアンは頭を抱えた。
「わ、分かりました! これだけですよ!」
「やった!」
「それ以上は絶対しないでください!」
「はーい」
「では、もう戻りましょう」
「分かった。ラムネ、戻ろう」
歩き出しかけたところで、ふと気になった。
「ダリアン」
「はい?」
「……このこと、お父様に言うの?」
「えっ」
ダリアンの足が止まる。
「あー……」
「言わないでね!」
「え?」
「だって、伝説級かもしれないんでしょ? そんなこと言ったら城中大騒ぎになるよ!」
ちょっと大袈裟に言ったけど、嘘ではない。
「それは……そうですね」
ダリアンも考え始める。
「もし本当にネフィルガなら、大ごとになりますし……上にも報告が必要でしょうし、魔法省の人間を呼ぶ話になるかもしれません。場合によっては他国にも――」
そこまで言って、ダリアンの顔がどんどん面倒そうになっていく。
「……黙っておきましょうか」
「そうしよ!」
即答した。
『よし』
なんだか、うまく誘導できた気がする。
私は少しだけ満足しながら、ラムネと一緒に城へ戻った。 だけど――。




