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第47話 お父様。

中等部に上がる前の年

私は呼び止められた。

「フリー」


 振り返る。

 そこに立っていたのはアイリオン先生だった。

 いつもと変わらない姿。


 ……のはずなのに。


 先生の表情はどこか険しい。

 その金色の瞳には焦りが滲んでいた。


「すぐに私と来なさい」


 有無を言わせない声だった。


「え……?」


 私はレイたちを見る。

 レイもサスケも、先生の様子が普通ではないことに気付いたらしい。

 誰も口を開かなかった。


「フリーちゃん……」


 カグラが心配そうに呟く。


「すぐ戻る」


 アイリオン先生はそれだけ言うと、踵を返した。

 私は慌ててその後を追う。

 先生は早足だった。

 普段の穏やかな歩き方ではない。

 私は小走りになりながら尋ねる。


「先生……どうかなさいましたか?」


「いつもと雰囲気が違います」


 先生は少しだけ前を向いたまま答えた。


「……エルが危ない」


 その一言だけだった。

 胸が大きく脈打つ。


『エル……?』


 その呼び方をする人は限られている。

 お父様だ。

 頭の中が真っ白になる。


『お父様に何かあったのですか?』


 嫌な予感だけが膨らんでいく。

 やがて先生の部屋へ着いた。

 扉が開く。

 そこには、すでにロータスお兄様が立っていた。

 いつも冷静なロータスお兄様が、珍しく焦った表情をしている。


「フリー、急げ」


 短くそう言うと、私の手を強く握る。


「ロータスお兄様、お父様は──」


「向こうで話す」


 その瞬間。

 足元に青白い魔法陣が広がった。

 ロータスお兄様が転移魔法を発動する。

 眩い光が私たちを包み込み、景色がゆっくりと歪み始めた。


その瞬間。

 足元に青白い魔法陣が広がった。


 ロータスお兄様が転移魔法を発動する。

 眩い光が私たちを包み込み、景色がゆっくりと歪み始めた。


 そして次の瞬間には、アイリオン先生の部屋に着いていた。


 そのままロータスお兄様に手を引かれ、お父様の部屋へ向かう。


 廊下を歩きながら、ロータスお兄様が少しずつ状況を話してくれた。


「父上は、ここ最近増えていた魔獣の視察に出ていたんだ」


「視察だけの予定だったんだけど、途中でランクAの魔獣に遭遇して、そのまま討伐になった」


「う、うん」


「討伐の途中、父上が何かを思い出したような顔をして、突然一人で封印の森の方へ走っていったらしい」


「一人で……?」


「ああ。残った者たちが魔獣を倒して、すぐ追いかけた。でも見つけた時には、父上は胸に大きな傷を負って倒れていた」


「……」


「ただ、その傷自体は浅かった。すぐに治る程度だったらしい」


 ロータスお兄様がそこで言葉を切る。


「でも……それだけじゃない」


 そう言い終わるのとほぼ同時に、お父様の部屋の扉が開いた。


 中へ入った瞬間、空気がおかしいと分かった。


 重い。

 息がしづらい。


 そして――。


「お父様……!」


 ベッドの上で、お父様が苦しそうにもがいていた。

 その身体を包み込むように、異様な黒いもやがまとわりついている。

 胸の傷なんて、もう目に入らなかった。


『なに……これ……』


「お兄様……これは、いったい……」


「どうした?」


「あの黒いもやは……なんですか?」


「……黒いもや?」


 ロータスお兄様が、お父様の身体へ視線を向ける。

「そんなもの、何も見えないが」

 その言葉に、胸の奥がざわついた。


『見えないの? あんなに気持ち悪い黒いのが……』


 ロータスお兄様は少し苦しそうな顔をして、私を見る。


「何のことを言っているのかは分からない。でも……すまない。もしかしたら、フリージアなら何かできるんじゃないかと思って、知らせることにしたんだ」


「本当は、フリージアに心配をかけたくなかった」

 ロータスお兄様の声が少し低くなる。

「でも、これ以上……僕たちには何もできなくて」


 その時、横からザルヴァニア様がすっと近づいてきた。

「フリージア」


「師匠……」


「エルは、おそらく呪いをかけられている」


「呪い……?」


「ああ。私も解こうと試みた。だが、どうしても解けなかった」

 ザルヴァニア様は、お父様を一度見たあと、静かに私へ視線を戻す。

「お前には、出会った頃から何か不思議なものを感じていた」

「だから無理を言って、ここへ呼んでもらった。すまない」


「そんな……師匠が謝らないでください!」


 私は首を振る。


「私はお父様の娘です。家族です!」


「家族のためなら、何だってします!」

 少し怖かったけれど、私はゆっくりとお父様へ近づいた。


 黒いもやの中へ入り、お父様の前に立つ。


「お父様」


 何かに苦しんでいるようで、額にはひどい汗が滲んでいた。


 私は静かに鑑定を使う。


『お父様のステータス……』


 表示されたのは、見慣れたお父様の情報。


 でも――。


「……?」


 その下に、見たことのない表示が重なっていた。


 文字のほとんどは読めない。

 名前なのか、状態なのか、それすら分からない。


 ただ一つだけ分かった。


『これ……お父様じゃない』


 何か別のものが、確かにお父様の中にいる。


 私は黒いもやが特に濃く見える胸のあたりへ、そっと手を置いた。

 必死に意識を集中させる。


 すると――。


『……ある』


 胸の奥深くに、トゲトゲとした黒い何かを感じた。


 試しに闇魔法で包み込んでみる。


 でも――。


『違う……これ、闇だけじゃない』


 闇魔法に似ているのに、何か別のものが混ざっている。

 うまく掴めない。


 その時。


 黒いトゲのさらに奥で、一瞬だけ何かが光った。


『今、光った?』


 もっと確かめようと意識を向けた瞬間――。


「イッ……!」


 トゲに弾かれたような痛みが手に走り、思わず離した。


「フリージア! 大丈夫か?」


「はい、大丈夫です」


 私は自分の手を見つめたあと、すぐザルヴァニア様を見る。


「あ、あの、師匠。手伝ってください」


「何をすればいい?」


「お父様の胸……心臓の辺りを、闇魔法の結界で覆ってください」


「分かった」


 部屋の空気がさらに張り詰める。


 ザルヴァニア様がすぐに闇魔法を展開し、お父様の胸の辺りを覆った。


 私はもう一度、確かめるように胸へ手を置く。


『……さっきより見やすい』


 師匠の闇魔法が黒いトゲを押さえてくれているのか、先ほどより奥がはっきり感じ取れる。


『やっぱり……ある』


 黒いものの奥に、微かな光。


 私はその光を逃さないように集中した。


『この光と……同じ感じに……』


 少しずつ波長を合わせるように、光魔法を流していく。


 そして、その上からザルヴァニア様の闇魔法を重ねてもらった。


 光と闇。


 二つの魔法がお父様の胸元で重なっていく。


 しばらくして、私はゆっくりと手を離した。


「…………」


 息を止めるようにして、お父様の様子を見る。

 しばらくすると、お父様の荒かった呼吸が少しずつ落ち着いてきた。


 それを見たザルヴァニア様が、はっとしたように私を見る。


「成功したのか!?」


 私は周りを見回してから、ゆっくりと首を横に振った。


「……ごめんなさい。私も解けませんでした」


「……そうか」


「ただ、胸のところに結界を留めただけです」


 私はお父様の胸元を見る。


「呪い……みたいなものは、まだそのままあります」


「でも今は、動けないようにしました」


「動けない?」


「はい。お父様の中を攻撃できないように、光と闇で閉じ込めています」


 ザルヴァニア様はしばらく黙って、お父様の胸元を見つめた。


「……なるほど。解いたのではなく、封じたのか」


「はい」


 完全に治せたわけじゃない。

 でも少なくとも今は――お父様を苦しめることはできない。


「閉じ込めるなんて……思いつかなかった」


 ザルヴァニア様が、驚いたように呟いた。


 それだけでも効果はあったらしい。

 さっきまでお父様を包んでいた黒いもやは、もう見えなくなっていた。


 すると、ロータスお兄様が真っ先に私の前へ来る。


「フリージア……お前にこんなことを頼んですまなかった。本来なら、僕がやるべきだった」


「気にしないで」


 私は小さく首を振った。


「私は、お父様が無事ならそれでいいの」


 お母様も近づいてきて、優しく私の額にキスをする。




 フリージア、ありがとう。今日はもう休んでいいわ」


 そう言って、お母様はお父様の隣に腰掛けた。


「うん……」


 私は部屋を出ようと、一歩踏み出した。


 その瞬間――。


 ガクッ。


「……え?」


 突然、力が抜けた。

 そのまま私は、膝から崩れ落ちた。

  次に目を覚ましたときには、窓の外はすっかり暗くなっていた。


「……ん」


 城の中も静まり返っている。


 ベッドの横に置かれていた水を飲み、ゆっくりと身体を起こした。


 窓の外には月が浮かび、淡い光が静かに差し込んでいる。

『私、あの時倒れたんだ……。』

『みんな、もう寝てるのかな……』


 もう一度横になってみたものの、なかなか眠れない。


 どうしても、お父様のことが気になった。


『ちょっとだけ……様子見に行こう』


 私はベッドを降りると、静かな城内を歩いてお父様の部屋へ向かった。


 扉をそっと開ける。


 部屋の中は暗く、お父様の穏やかな寝息だけが聞こえていた。


『よかった……』


 私は静かにベッドの横へ座り、お父様の手を握った。


 温かい。


 そのまま頭を、お父様の腰のあたりにそっと預ける。


『お父様……』


 温もりを感じているだけで、少し安心できた。


 ――そのとき。


「……っ!」


 握っていた手が、突然ぎゅっと握り返してきた。


 驚いて顔を上げる。


「お父様?」


 でも、お父様は目を閉じたままだ。


『寝ぼけてる……?』


 そう思ったのも束の間。


「いた……」


 握る力が、どんどん強くなっていく。


「お、お父様……痛いよ」


 手元を見る。


 離してくれる気配はない。


 もう一度、お父様の顔を見ると――。


「……!」


 いつの間にか、上半身を起こしていた。


 目は、閉じたまま。


 ぞくりと背筋が冷える。


 心臓が激しく鳴り始めた。


「お父様……?」


「…………」


「お父様……」


 反応がない。

 数秒の沈黙。

 やがて、目を閉じたまま――お父様の口が動いた。


「……お前か」


「え……?」


「こやつの呪いを封じたのは」


 低い声。


 お父様の声なのに――違う。


「魔力の波長を感じる……」


『……お父様じゃない』


 全身に鳥肌が立った。


「おと――」


「お前……どこから来た」


「……!」


「この世界で生まれた者ではないだろう」


 息が止まる。


『なんで……』


「まあいい」


 お父様の口元が、わずかに歪んだ。


「必ず見つける」


 握られた手に、さらに力がこもる。


「お前は――俺の復活に必要だ」


「……っ」


「その魔力さえあれば……」


 突然、お父様の目が見開かれた。


 けれど、その瞳は私を見ているようで――見ていない。


「くそ……よく見えん」


 苛立った声が漏れる。


「だが……魔力の波長は見える」


 怖い。


 逃げたい。


 それでも――。


 私は握られた手を、逆に強く握り返した。


「……あなたには渡さない」


「……」


「私も……お父様も、絶対に渡さない!」


「ふん……」


 低い笑い声が漏れる。


「待っていろ」


「……っ!」


 私はお父様の手を両手で握り、自分の魔力を一気に流し込んだ。


「お父様を返して!」


 光が一瞬、二人の手の間から溢れる。


「――!」


 次の瞬間。


 お父様の身体から力が抜け、そのまま――どん、とベッドへ倒れ込んだ。


「お父様!」


 私はすぐに顔を覗き込む。


 目は閉じている。


 呼吸は――している。


「……よかった」


 でも。


 さっきの言葉だけが、頭から離れなかった。


『俺の復活に必要……?』


 震える手を胸元でぎゅっと握る。


『……あれ、誰なの?』

「お父様……お父様……」


 静かだった。


 私はお父様の手を握りしめたまま、もう一度その身体にうずくまる。


 すると――。


「……?」


 頭に、そっと触れる感触がした。


 私は慌てて身体を起こし、お父様の顔を見る。


 お父様は目を開けていた。


 そして、いつものような優しい目で私を見ている。


「フリージア。どうした? そんな不安そうな顔をして」


「お父様……!」


「大丈夫だ。ちゃんとここにいる」


 その言葉を聞いた瞬間、張りつめていたものが一気に緩んだ。


「お父様、大丈夫ですか?! 身体、どこかおかしくないですか?」


「ああ。今のところはな」


「先ほどの……ことは……」


 聞くのが怖くて、声が小さくなる。

 お父様は少しだけ表情を曇らせたあと、優しい声で言った。


「フリージア、すまん。お前にまた助けられたな」


「……」


「ミレも助けてくれた」


 私が何か言おうとした、そのとき――。


 バンッ!

 勢いよく扉が開いた。


「エル!」


「……っ!」


 私は反射的に身構える。

 けれど、飛び込んできたのはアイリオン先生だった。


「無事か!」


 先生はお父様の姿を確認したあと、すぐに私へ視線を向ける。


「フリージア? どうしてここにいるんです。何があった?」


「えっと……」


「窓の隙間から光が漏れているのが見えました。それで来てみたんですが……」


 私は少ししどろもどろになりながらも、さっき起きたことをゆっくり話した。

 

 お父様も黙って聞いていたが、やがて低い声で口を開いた。

「私も……うっすらとは分かっていた」


「分かっていた?」


「ああ。自分の意思とは関係なく、誰かがフリージアと話しているような感覚があった」


 お父様は握っていた私の手に、少しだけ力を込める。


「だが、身体を動かすことも、言葉を止めることもできなかった」


「……」


「すまなかった。反抗できなかった」


「お父様が謝ることじゃないよ……」


 私は首を振った。

 でも、胸の奥にはまだ、あの声が残っていた。


『お前は俺の復活に必要だ』


 あれが誰だったのか。

 何をしようとしているのか。

 まだ、何も分からなかった。

 


「お父様」


「ん?」


「さっき……『ミレが助けてくれた』って言いましたよね?」


 お父様の表情が、ほんの少しだけ止まった。


「ミレって……誰なんですか?」


「…………」


 お父様は何も答えず、ゆっくりとアイリオン先生を見る。


「……?」


 視線を向けられたアイリオン先生が眉を寄せた。


「なんだ?」


 お父様は少し間を置いてから、何でもないことのように言った。


「そんなこと、言ってないぞ」


「えっ?」


「気のせいじゃないか?」


「でも、確かに……」


「フリージア」


 お父様は優しい声で私の言葉を遮った。


「お前も疲れているだろう。もう休みなさい」


「でも……」


「私は大丈夫だ」


 そう言って、私の頭をそっと撫でる。


「フリージアのおかげで、ずいぶん楽になった」


「……」


「続きはまた明日話そう」


 穏やかな笑顔。

 いつものお父様だった。

 でも――。








 


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