第46話 異世界人
――そう思っていた。
道は平坦で、馬車の揺れも少ない。
でも。
「…………」
窓の外を見る。
さっきと同じ景色。
少し経って、また見る。
やっぱり同じ。
『……変わらない』
どこまで進んでも、同じような景色ばかりが続いている。
目印になりそうなものもほとんどない。
『今、どの辺なんだろ……』
進んでいるはずなのに、景色が変わらなさすぎて全然実感がない。
何もない。
何も起きない。
何も変わらない。
『……暇』
前回みたいに大変なのも嫌だけど、何もないのがここまで苦になるとは思わなかった。
最初のうちはレイと話したり、持ってきた本を読んだりしていた。
でも、それにも限界がある。
「……まだ?」
「まだですね」
「あとどれくらい?」
「さっきも聞いてました」
「だって景色が変わらないんだもん……」
レイは少しだけ困ったように窓の外を見た。
『レイまで暇そう』
何も変わらない景色に飽きてきた頃、馬車が少し速度を落とした。
「どうしたの?」
窓から外を見ると、少し離れたところを魔獣の群れが歩いていた。
四足で、背中には短い角のようなものが並んでいる。
『あ、魔獣』
でも、こちらに向かってくる様子はない。
「襲ってこないの?」
「刺激しなければ大丈夫です」
護衛の人がそう教えてくれた。
魔獣たちはこちらをちらっと見ただけで、そのままゆっくり遠ざかっていく。
「フリージア。あの魔獣が見えたら、あと少しだ」
「ほんと?」
「あの魔獣は、ガエン国の近くにしかいないからね」
『やっと着くー!』
さっきまでの退屈が一気に吹き飛んだ。
それからしばらく進むと、少しずつ景色にも変化が出てきた。
草が減って、赤茶けた土と岩が目立つようになる。
さらに進むと、今度は細くまっすぐ伸びた木が少しずつ増えていく。
「……竹?」
よく見ると、見覚えのある節のある幹。
『やっぱり竹だ!』
最初はまばらだった竹も、進むにつれてどんどん数を増し、いつの間にか道の両側を覆うほどの竹林になっていた。
風が吹くたび、葉がさらさらと音を立てる。
『なんか一気に雰囲気変わったなぁ』
さっきまで何もない景色に飽きていたのが嘘みたいに、私は窓の外に釘付けになった。
「……あれ?」
遠くには、今まで見えなかった大きな岩山も見えてきた。
「もうすぐガエン国ですよ」
護衛の一人がそう教えてくれる。
「ほんと?!」
一気に身体が前のめりになった。
『そういえば……転移魔法って使わないのかな?』
ふと疑問に思って、お父様に聞いてみる。
「ねぇ、お父様。ガエン国まで転移魔法では行けないの?」
「行けないわけではないよ」
「じゃあ、なんで使わないの?」
「ガエン国は、距離でいえばトーキア国より近いんだ。ただ、国境に転移用の門を作る話がなかなかまとまらなくてね」
「そうなんだ」
「場所の選定や管理の問題もある。向こうにも向こうの事情があるから、簡単には決められないんだよ」
お父様は少し考えるように窓の外へ視線を向けた。
「……そろそろ、もう一度話してみてもいいかもしれないな」
お父様がそんなことを考えているうちに、ようやくガエン国が見えてきた。
岩山に囲まれたその国は、どこか重々しい雰囲気をまとっている。
建物は木造が多く、瓦のような屋根が並び、どことなく江戸時代の町並みに似ていた。
『うわぁ……なんかすごい』
立派で格好いいんだけど、黒や濃い色の建物が多いせいか、ちょっと近寄りがたい。
『悪く言えば……極道っぽい?』
でも、鬼人族の国って聞いて想像していたより、ずっと迫力のある国だった。
門がゆっくりと開き、私たちの馬車を中へ通してくれた。
門を抜けると、その先には城下町が広がっていた。
通りの両側には木造の建物が並び、店先には布や木の看板が掛けられている。
商店も多く、人通りもそれなりにある。
『やっぱり、江戸っぽい……』
前世で見た時代劇の町並みを、もっと大きく、もっと重厚にしたような感じだ。
ただ、歩いている人たちは全然違う。
鬼人族はみんな身体つきががっしりしていて、背も高い。
男の人だけじゃなく、女の人まで肩幅がしっかりしている人が多かった。
『迫力すご……』
別に睨まれているわけでもないのに、通りを歩いているだけで妙な圧がある。
でもよく見ると、店先で普通に買い物をしていたり、子どもと手をつないで歩いていたりする。
『見た目は怖いけど、普通なんだよね』
私は窓に張りつきながら、初めて見るガエン国の城下町を夢中で眺めていた。
よく見ると、店先に並んでいるものは魚が多かった。
干した魚に、大きな切り身。見たことのない貝まで並んでいる。
『……なんで?』
私は窓の外を見回す。
どこを見ても岩山ばかりだ。
『海なんてどこにも見えないんだけど……』
けれど、その疑問は馬車を降りた瞬間に少しだけ解けた。
「……あ」
風が頬をなでる。
その中に、はっきりと覚えのある匂いが混じっていた。
『潮の匂いだ』
海は見えない。
それでも、この匂いは間違えない。
『絶対、近くに海がある』
それでも、この匂いは間違えない。
『絶対、近くに海がある』
私はどこにあるんだろうと、きょろきょろ周りを見回した。
そのとき――。
「フリージアちゃーん!」
聞き覚えのある声が飛んできた。
「ん?」
声のしたほうを見ると、城のほうからこちらへ駆けてくるカグラの姿が見えた。
「カグラー!」
私も嬉しくなって、大きく手を振る。
カグラもぶんぶんと手を振り返してくる。
私はそのまま、カグラのほうへ駆け寄った。
「フリーちゃん、いらっしゃい!」
「お邪魔します!」
「あっ、レイもいらっしゃい!」
「うん。ありがとう」
ひとしきり挨拶をすると、私はすぐにお父様のほうを振り返った。
「お父様〜! こちらカグラちゃん! 私のお友達よ!」
お父様もこちらへ近づいてくる。
「君がカグラか。フリージアが学園で世話になっているようで、いつもありがとう」
「い、いえ! そんな……!」
「今日はレイの保護者代わりでもあるからね。レイのことも、いつもありがとう」
カグラは少し照れたように頬を赤くした。
「そんなことないです。いつも私のほうが、二人に助けてもらってます」
そんな話をしていると、少し遅れてサネカゲさんがこちらへやってきた。
「カグラ、走るな」
「だって、フリーちゃんが来たんだもん!」
サネカゲさんは小さく息をついてから、お父様へ向き直った。
「遅れてしまい、申し訳ありません。わざわざお越しいただかなくても、こちらから出向きましたのに」
「いや。今日は私も商売人として来ているからな。そんなことをさせるわけにはいかない」
サネカゲさんが少し苦笑する。
「そういうところ、本当に真面目ですよね」
お父様もわずかに笑った。
「それはお互い様だろう」
「では、長旅でお疲れでしょう。まずは少しお休みください。ご案内します」
サネカゲさんに案内され、私たちは城の中へ入った。
通された部屋を見て、思わず足が止まる。
『わぁ……』
トーキア国もどこか懐かしい雰囲気があったけど、こっちはもっと日本の旅館っぽい。
木の香りがする落ち着いた部屋に、低い机。
飾りも派手すぎず、どこかほっとする。
『この感じ……癒される〜』
長い移動で少し疲れていた身体から、力が抜けていくのが分かった。
『これ……温泉もあるかな?』
部屋を見回しながら、そんなことを考える。
『入りたいなぁ、温泉』
畳のような床にごろんと寝転がっていると、しばらくして今回私たちの案内役をしてくれる人が部屋へ入ってきた。
「長旅でお疲れでしょう。こちら、ちょっとした甘いものをご用意しました。お茶と一緒にお召し上がりください」
「わぁ!」
机の上に、小さな甘味と湯気の立つお茶が並べられる。
「それから、もしよろしければ、先にお身体を流してきてはいかがでしょうか」
「身体を?」
私が首をかしげると、お父様が思い出したように言った。
「そういえば、ここは温泉があったな」
「温泉!」
思わず身体を起こす。
「なんだか不思議と疲れが取れるんだよな、あのお湯は」
「はい。こちらの温泉には、身体を癒す効果がございます。ぜひお入りになってください」
『やっぱり温泉あるんだ!』
心の中で一気にテンションが上がる。
「それと、サネカゲ様から、本日の商談はせず明日にしましょうと。今日はゆっくりお過ごしくださいとのことです」
「そうか。ありがたい」
「お食事も、本日はお部屋へお持ちいたします」
「…………」
私は部屋を見回した。
落ち着いた和風の部屋。
お茶と甘いもの。
温泉。
そして部屋で食事。
『おぉ……なんてこった』
『これ、完全に旅館じゃん!』
そんなことを思いながら、私はさっそく甘味に手を伸ばした。
見た目は、大福みたいに丸くて白い。
『これ絶対、大福っぽいやつだ』
ひと口食べてみる。
「……ん?」
思っていた味と全然違う。
外側はしゃきっとした不思議な食感で、中からは甘い汁がじゅわっと広がった。
『なにこれ?』
「あのー、これって何ですか?」
「そちらは、この辺りで採れるミカジュでございます」
「ミカジュ……」
聞いたことのない名前だ。
もう一口食べてみる。
しゃきしゃきした外側に、甘くてジューシーな中身。
『食べたことない味。でも、おいしい!』
甘味とお茶を楽しんだあと、私は待ちに待った温泉へ行くことにした。
今回はランと二人で入る。
案内された先には、岩に囲まれた露天風呂が広がっていた。
「わぁ……」
湯気の向こうに岩山が見えて、風情もばっちりだ。
『想像してた温泉そのまんま!』
身体を流してから、ゆっくりとお湯に浸かる。
「はぁ〜……」
じんわりと身体が温まっていく。
『気持ちいい〜』
しばらく浸かっていると、お湯の表面がほんのり光っていることに気づいた。
「……ラン。このお湯、光ってない?」
「そうですね。こちらのお湯は魔力を帯びているそうですから、その影響かと」
「へぇ〜」
私は光るお湯をじっと見る。
『魔力入りかよ!』
『なんか硫黄とか、そういうの想像してたじゃん』
思わず小さく笑ってしまう。
『やっぱりここ、異世界なんだなぁ』
……それにしても。
『じー……』
隣にいるランへ、つい視線が向く。
『ラン……そんなに大きかったんだ』
いつもメイド服を着ていると全然分からないのに、脱ぐと想像以上だった。
『女の私でもちょっとうらやましいわ……』
そんなことを考えながら、私はもう一度肩までお湯に沈む。
長旅の疲れが、じわじわと身体から抜けていくようだった。
長旅の疲れが、じわじわと身体から抜けていくようだった。
温泉を出て、ランと一緒に部屋へ戻る途中――。
「……ん?」
ふと、少し離れた場所に灯りのついた離れが見えた。
周りの建物とは少し距離があり、ぽつんと建っている。
『あそこだけ、まだ明るい』
なんとなく気になって足を止める。
「ラン、あの建物って何だろう?」
私が指さすと、ランもそちらへ視線を向けた。
離れの窓からは、淡い光が静かに漏れていた。
「確か、あちらはこの国の長老様のお住まいだったかと思われます」
「えっ、あそこにいるの?」
私は思わず離れのほうを振り返った。
『ほんとに実在するんだ……』
魔獣と一緒に暮らしているという長老。
『明日、会えないかな……』
そんなことを考えながら部屋へ戻り、その日はゆっくり過ごした。
――そして、その夜。
私は不思議な夢を見た。
前世の記憶……のようだった。
でも、私が生きていた時代じゃない。
少し昔。
たぶん昭和くらいだろうか。
小さな女の子が、テレビに映るアイドルを見ながら楽しそうに笑っていた。
それだけの夢だった。
なのに、妙に印象に残った。
『なんでこんな夢……?』
目が覚めても、しばらく不思議な感覚が残っていた。
朝になり、支度を済ませると、今日はサネカゲ様との商談だ。
私はお父様たちと一緒に話し合いの場へ向かった。
でも、商談は思っていたよりずっとスムーズに進んだ。
「前回のドライヤーの件で、こちらもかなり助かっていますから」
どうやら、以前売り出したドライヤーの評判がかなり良かったらしい。
その実績もあって、ライトンについても話は早かった。
『ドライヤー、ちゃんと役に立ってたんだ』
思ったより早く商談が終わったので、そのあとはカグラに城下町を案内してもらうことになった。
「こっちこっち!」
カグラに連れられて歩く城下町は、昨日馬車から見たときよりずっと活気があった。
店から聞こえる威勢のいい声。
通りを行き交う鬼人族の人たち。
木造の建物や並んだ看板。
『なんか懐かしいんだよなぁ……』
前世で実際にこんな場所に住んでいたわけじゃないのに、なぜか落ち着く。
しばらく城下町を歩いていると、また魚を並べた店が目に入った。
「ねぇ、カグラ」
「なぁに?」
「昨日から思ってたんだけど、ここって魚が多いよね。海、近いの?」
「うん、すぐ近くよ」
「えっ? でも全然見えないよ?」
私が辺りを見回すと、カグラはくすっと笑った。
「海は、あの岩山の向こうにあるの」
「岩山の向こう?」
「そう。山の下に通路があってね。そこを抜けると、すぐ海なの」
「トンネルみたいなもの?」
「とんねる?」
「あっ、ううん。なんでもない」
カグラは気にせず、そのまま話を続ける。
「魚はそこから毎日運ばれてくるの。だから、この辺りは魚のお店が多いのよ」
「へぇ〜!」
『やっぱり海あったんだ!』
昨日感じた潮の匂いは、やっぱり気のせいじゃなかったらしい。
『岩山を抜けたらすぐ海かぁ……ちょっと見てみたいな』
しばらく歩いたところで、私は昨夜見た離れを思い出した。
「ねぇ、カグラ」
「なぁに?」
「長老様って……本当に千三百歳くらいなの?」
「うん!」
カグラは当たり前のように頷いた。
「おおお婆様は、今年で千三百二十三歳よ」
「千三百二十三……」
『ほんとなんだ……』
「でもね、最近ちょっと食べる量が減ってきたの」
カグラの声が少しだけ小さくなる。
「少し痩せてきたし……お父様が、もう寿命はとっくに超えてるから、もしかしたらって言ってた」
「……そっか」
「でも私は、まだまだ大丈夫だと思う!」
カグラはすぐに笑顔に戻った。
「おおお婆様、いつも優しいの。それに私におやつもくれるし、異国のお話をいっぱいしてくれるのよ。すっごく面白いんだから!」
「そうなんだ」
大好きなんだろうな。
話しているカグラの顔を見れば、それだけで分かる。
その笑顔が、とても可愛かった。
私は少し迷ってから、恐る恐る聞いてみる。
「ねぇ、カグラ」
「ん?」
「私も……おおお婆様にご挨拶してもいいかな?」
「え?」
「カグラがそんなに大好きなおおお婆様なら、私も会ってみたいなぁって」
「うーん……」
カグラは少しだけ考えた。
そして――。
「いいよ!」
「ほんと?」
「うん! 大丈夫! 私が案内してあげる!」
「やった!」
こうして私は、カグラに連れられて長老様のもとへ向かうことになった。
カグラは、おおお婆様の部屋の前で足を止めた。
「お婆様ー! カグラです。入ってもいいですかー? 今日はカグラのお友達を紹介に来ましたー!」
すると、少し間を置いて引き戸がゆっくりと開いた。
「……え?」
開けたのは、人ではなかった。
ふさふさの毛に覆われた、一匹の魔獣だった。
その瞬間、レイがすっと私の前に出て身構える。
「レイ、大丈夫!」
「びっくりした? ごめんね」
カグラは慣れた様子で、その魔獣の頭を撫でた。
『ちょっと鑑定……』
――――――――――
【名称】ルフィル
【ランク】A
【名前】ルル
【特性】俊敏・気配察知・魔力感知
【状態】契約済
――――――――――
『……契約済?』
「この子、ルフィルっていう魔獣のルルなの。お婆様が若い頃から、ずっと一緒にいるのよ。大丈夫。襲ったりしないから」
そう言われても、レイはすぐには警戒を解かず、ルルの様子をじっと見ていた。
けれどルルは気にした様子もなく、カグラに甘えるように身体をすり寄せた。
『本当に魔獣なんだ……』
見た目は少し大きな猫みたいで、山猫に近い感じだ。
『……かわいいかも』
私たちも中へ入ろうとした、そのとき。
「……ん?」
ルルが、じーっと私を見ている。
『な、なんでそんな見るの?』
しかも、私が一歩進めばついてきて、止まれば隣で止まる。
「珍しい……」
カグラも少し驚いたようにルルを見る。
「ルルが初めて会った人に、こんなに懐くなんて」
「そうなの?」
「うん。やっぱりフリーちゃんってすごいね」
「いや、私何もしてないけど……」
『なんでだろう』
ルルにぴったりくっつかれたまま、カグラと一緒に奥の部屋へ進む。
そこには、ひとりのお婆様が静かに座っていた。
鬼人族にしては少し小柄で、長い年月を感じさせる穏やかな顔をしている。
――その人と目が合った瞬間。
「……」
胸の奥が、妙にざわついた。
『この人……』
理由は分からない。
でも、なぜかすぐに分かった。
『異世界人だ』
そしてたぶん――。
向こうも、私を見た瞬間に同じことを感じた。
そんな気がした。
「おおお婆様! この子がフリーちゃん。それから、こっちがレイ!」
カグラが嬉しそうに紹介してくれる。
私は少し緊張しながら頭を下げた。
「はじめまして。フリージアです」
おおお婆様は私をじっと見つめたあと、やわらかく微笑んだ。
「……こんにちは、フリージアちゃん」
「こんにちは」
隣でレイも静かに頭を下げる。
「レイです。こんにちは」
お婆様はレイにも優しく頷いた。
でも、その視線はすぐにまた私へ戻った。
まるで、何かを確かめるように。
おおお婆様はカグラを見ると、穏やかに声をかけた。
「カグラ。悪いけど、お茶を人数分持ってきてくれるかい? ルルのおやつもお願いね」
「はーい!」
カグラが元気よく返事をする。
すると、お婆様はレイにも目を向けた。
「一人じゃ大変だろう。レイシオン君、悪いけど手伝ってくれないかい?」
「はい」
レイも素直に頷き、カグラと一緒に部屋を出ていった。
引き戸が閉まる。
「…………」
「…………」
急に静かになった。
何を話せばいいのか分からずにいると、お婆様が先に口を開いた。
「久しぶりだね。異世界から来た人に会うのは」
「……え?」
思わず目を見開く。
「あっ……」
「やっぱり、そうかい」
おおお婆様は楽しそうに目を細めた。
「不思議なものでね。異世界から来た者同士だと、なぜか分かるんだよ」
「そうなんですか……?」
「フリージアは、私が初めてなんだね」
「はい」
「私は一度だけ、他にも会ったことがあるよ。もうずいぶん昔の話だけどね」
「他にも?」
「ああ。サネカゲが昔、一緒に旅をした仲間の中に一人いた」
『えっ……サネカゲさんの旅の仲間に?』
思わず聞き返しそうになったけれど、お婆様は私の顔を見て笑った。
「何か聞きたいことがある顔だね」
「えーと……」
何から聞こう。
迷った末、最初に浮かんだことを口にした。
「お婆様は、いつの時代から来たんですか?」
「私かい? 一九七三年だよ」
「一九七三年……」
『昭和だ』
「私はまだ小さな子どもだった。ちょっとした事故に遭ってね。気がついたら、ここにいた」
「そうだったんですね……」
「当時はテレビを見るのが大好きでね。アイドルが出てくると、テレビの前から離れなかったよ」
「……え?」
胸がざわついた。
『テレビ……アイドル……』
昨夜見た夢が頭をよぎる。
昭和くらいの時代。
テレビに映るアイドルを見ながら、楽しそうにしていた小さな女の子。
『もしかして……あの夢……』
「フリージアは?」
「え?」
「どの時代から来たんだい?」
夢のことを聞こうか迷ったけれど、まずは質問に答えることにした。
「私は二〇二六年です」
「ずいぶん先だね」
「はい。それで……別れた彼氏に殺されました」
自分でもなんとも言えない気持ちになって、苦笑いする。
「まあ……それはまた、残酷な最期だったね」
「ですね……」
おおお婆様は私の顔をじっと見つめた。
「それにしても、綺麗な顔に生まれ変わったねぇ」
「えっ」
「少し羨ましいよ。私は鬼人族だったからね。最初はこの肌の色にも、角にも慣れなくてね」
おおお婆様は昔を思い出すように笑った。
「鏡を見るたびに『誰だい、これは』って思ったもんだよ」
「ふふっ」
思わず笑ってしまう。
そうして少し緊張がほぐれたところで、私はずっと気になっていたことを思い切って尋ねた。
「あの!」
「ん?」
「ルルとは、どうして一緒にいるんですか?」
「ルル?」
「魔獣と一緒に暮らしてるって聞いて……もしかして、契約みたいなものをしてるんですか?」
「ああ。ルルとは契約してるよ」
「えっ!」
思わず身を乗り出した。
「どうやってやるんですか?!」
「ほほほ。慌てるんじゃないよ」
「だ、だって!」
「まず一つ聞こう。フリージアは精霊が見えるかい?」
「精霊?」
「一瞬でもいい。姿を見たことは?」
「はい、あります」
おおお婆様がゆっくり頷いた。
「なら、大丈夫だ」
「……何がですか?」
「昔はね。今よりずっとたくさんの精霊が、この世界に姿を現していたんだよ」
「昔……?」
「千年以上前の話さ」
私は黙って耳を傾けた。
「当時は、精霊を見ることができる者も今よりずっと多かった。ただし、見えるからといって誰でも契約できるわけじゃない」
「はい」
「ところがある時を境に、精霊たちは忽然と姿を見せなくなった」
「……え?」
「正確には、いなくなったわけではない。そこにいるのに、私たちから見えにくくなったんだよ」
『精霊が……見えにくくなった?』
「原因は?」
「分からない。当時もずいぶん調べられたそうだけど、結局は分からなかった」
おおお婆様は少し寂しそうに目を細めた。
「それから千年以上経った。今じゃ、そんな話を知っている者もほとんどいないだろうね」
「……」
私は、ルピカのことを思い出していた。
そして――あの七色の石。
『まさか……関係ある?』
けれど、まだ何も分からない。
「それでね」
おおお婆様が話を続ける。
「精霊と契約しやすい者は、不思議と魔獣とも契約しやすいんだよ」
「えっ?」
「魔力の性質が関係しているんだろうね」
「じゃ、じゃあ……魔獣との契約って、どうやるんですか?」
「簡単だよ」
「簡単?」
「ああ。お互いの魔力を流し合うんだ」
「魔力を……?」
「互いに心を許していれば、それほど難しいことじゃない。相手を受け入れて、自分の魔力を渡す。向こうも同じように返してくれる」
「それだけ?」
「それだけさ」
「……」
『そんな簡単なの?』
「もっとも、今では魔獣とそんなことをしようとする人自体、ほとんどいなくなったけどね」
「じゃあ……私にもできますか?」
「ああ。できるよ」
「ほんとですか?!」
「特にフリージアならね」
「……特に?」
おおお婆様は少し笑った。
「異世界から来た者だからさ」
「えっ!? 異世界人ならできるんですか?」
「必ず、というわけじゃないよ。ただ――私たちは、この世界で生まれた者とは少し違う魔力を持っている」
「違う魔力……」
「私もそうだった。そして、以前会った異世界人もそうだった」
おおお婆様は私のそばに座っているルルへ目を向けた。
「魔獣はね、その少し変わった魔力に惹かれることがあるんだよ」
「……」
私はゆっくりと、自分の隣を見る。
さっきからずっと、ルルは私のそばを離れない。
『もしかして……だから?』
ルルと目が合う。
するとルルは、何でもないように私の腕へ顔をすり寄せてきた。
まだ聞きたいことはあったけれど、そのとき廊下のほうから足音が聞こえてきた。
「持ってきたよー!」
引き戸が開き、カグラとレイが戻ってくる。
カグラはお茶の載った盆を持ちながら、こちらを見た。
「何か話してたぁー?」
「うん、ありがとう」
おおお婆様は何でもないように微笑む。
「何話してたのー?」
「ん? フリージアちゃんが、べっぴんだって褒めてたんじゃ」
「べっぴん?」
レイが少し首をかしげた。
「綺麗って意味だよ」
「そうなんだ」
『うまく誤魔化したなぁ……』
私はおおお婆様をちらっと見る。
すると、おおお婆様は何も知らない顔でお茶を受け取っていた。
カグラは学園での出来事を、楽しそうに次々とお婆様へ話していた。
「それでね、フリーちゃんが――」
「ほうほう」
おおお婆様は何度も頷きながら、嬉しそうに耳を傾けている。
レイも時々短く言葉を挟みながら、穏やかな時間が流れていった。
やがて帰る時間になり、カグラとレイが先に立ち上がって出口へ向かう。
私もそのあとを追おうとしたとき――。
「フリージア」
「はい?」
呼び止められて振り返る。
おおお婆様は、さっきまでと変わらない優しい笑顔で私を見ていた。
「これから先、大変なこともあるかもしれん」
「……」
「でも、自分の人生を楽しむんじゃよ」
その声は、とても穏やかだった。
「私もな、ここへ来たばかりの頃は不安ばかりじゃった。でも、最愛の夫に出会えた」
おおお婆様は少し懐かしそうに目を細める。
「それが、私の救いじゃった」
そして、もう一度私を見て微笑んだ。
「だからフリージアも、楽しみなさい。せっかくもらった人生なんじゃから」
「……はい」
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「ありがとうございます」
おおお婆様は何も言わず、ただ優しく笑っていた。
その笑顔が、なぜかずっと心に残った。
今回の遠征も、思っていた以上にたくさんの収穫があった。
魔獣と契約できるという話。
異世界から来た人が、私以外にもいたこと。
そして、異世界人はこの世界の人とは少し違う魔力を持っているらしいこと。
『まだまだ知らないことばっかりだなぁ』
でも――。
『ふふ……』
今回の収穫は、それだけじゃない。
『お魚!』
私は帰る前に、お父様へお願いして、買えるだけ魚を買ってもらった。
「フリージア……こんなに買って、どうやって持って帰るつもりだ?」
山のように並んだ魚を見て、お父様がものすごく心配そうな顔をしている。
「大丈夫!」
「何が大丈夫なんだ……」
「実はね、ポカヒエを大きな箱型にもしてもらってたの!」
「箱型?」
「うん! これに入れて冷やしたまま持って帰れば大丈夫でしょ?」
私は用意していた大きな箱を見せる。
「なるほど……」
お父様は少し安心したようだった。
――まあ。
今回は、ほんの少しだけ魚をポカヒエの箱に入れて持ち帰ることにした。
「レイ、これ凍らせてもらっていい?」
「うん」
レイに頼んで、魚を一匹ずつ氷でしっかり凍らせてもらう。
『これならもっと安心だよね』
凍らせた魚をポカヒエの箱に詰めて、冷たい状態を保ったまま運ぶ。
残りの九割以上は、私のアイテムボックスへ。
さすがにガエン国から城までは距離がある。
『ポカヒエだけで本当に最後まで大丈夫かは、まだ分からないもんね』
だから今回は、凍らせた魚を少量だけ箱で持ち帰って、どのくらい状態を保てるのか試してみることにした。
残りは全部、私のアイテムボックスへ。
『これでちゃんと持ち帰れたら、次から魚ももっと運べるかも』
思わぬところで、ポカヒエの長距離実験までできることになった。
ガエン国では本当に充実した時間を過ごせた。
帰る日、カグラには、
「また学園でね!」
と手を振って別れを告げた。
「うん! またね、フリーちゃん!」
そして私たちは、再びあの長くて退屈な道のりを通って城へ戻った。
到着してまず確認したのは、もちろん魚の状態だ。
「どうかな……」
ポカヒエの箱を開けてみる。
「……おぉ!」
中の魚は、出発したときとほとんど変わらずカチカチに凍ったままだった。
『成功してる!』
レイに凍らせてもらった魚も、しっかり冷えた状態を保っている。
「すごい……ちゃんと持って帰れた!」
傷んだ様子もない魚を見て、料理長も目を丸くした。
「これはすごいですね。これだけの距離を運んできて、この状態ですか」
「うん!」
「これなら遠い土地の食材も、今までよりずっと扱いやすくなりますね」
『やっぱりポカヒエ、使える!』
私は満足して頷いた。
そして、そのあと。
誰にも見られないように、こっそり食料用の冷凍庫へ向かった。
『よいしょっと』
アイテムボックスから出した魚を、次から次へと並べていく。
ガエン国で買ってきた、いろんな種類の魚。
『これだけあれば、しばらく魚料理いっぱい食べられる!』
全部入れ終えると、そのまま何食わぬ顔で料理長のところへ戻った。
「そうだ料理長。お魚たくさん持って帰ってきたから、冷凍庫に入れておいたよー」
「ありがとうございます、フリージア様」
料理長は嬉しそうに頭を下げた。
――そのときは。
その後、冷凍庫を確認しに行った料理長が、棚いっぱいに並んだ大量の魚を見て腰を抜かしかけたことを――。
私は知る由もなかった。
ガルドにも、今回のことをちゃんと報告した。
「ライトン、すっごく評判よかったよ! 無事に話もまとまった!」
「おお、そうかそうか!」
ガルドは嬉しそうに笑う。
「それとね、ポカヒエの箱もちゃんと使えたの!」
「箱のほうもか?」
「うん! レイに魚を凍らせてもらって、そのまま入れて持って帰ってきたんだけど、全然傷んでなかったの!」
「ほぉ!」
「これ、大収穫だよ! これなら遠いところの食材も運べる!」
「ガハハ! そりゃええのぉ!」
ガルドもかなり嬉しそうだった。
これまで距離のせいで運べなかった食材も、これからは少しずつ扱えるようになるかもしれない。
『またできること増えた!』
みんなへの報告も終わり、ようやく自分の部屋へ戻る。
そして――。
部屋には、私とラムネだけになった。
「…………」
私はラムネを見る。
『そうだ』
ずっと頭の中に残っていたこと。
魔獣との契約。
おおお婆様が教えてくれた方法なら、もしかしたら私にもできる。
「ラムネ」
ラムネが、ぷるんっとこちらを向く。
「私と……魔獣契約してくれますか?」
少し緊張しながら尋ねる。
すると、ラムネの上に『○』が浮かんだ。
「……ほんと?」
もう一度、ぷるん。
「じゃあ……やってみるね」
私は一度ゆっくり息を吐いてから、ラムネに手を触れた。
目を閉じる。
ほんの少しだけ、自分の魔力を流してみる。
『ゆっくり……』
すると――。
「……!」
ラムネのほうからも、ほんのわずかに魔力が返ってきた。
小さくて、柔らかい魔力。
私の魔力とラムネの魔力が触れ合い、重なる。
その瞬間、閉じた瞼の向こうが少し明るくなった。
「……」
光がゆっくりと弱まり、私は目を開ける。
『たぶん……できた』
見た目は何も変わっていない。
ラムネも、いつも通りぷるぷるしている。
でも――。
『なんか……前より分かる気がする』
言葉が聞こえるわけじゃない。
なのに、ラムネが今どんな気持ちなのか、なんとなく伝わってくる。
「ラムネ」
改めてじっと見てみる。
「……ん?」
『またちょっと大きくなってない?』
「ラムネ、大きくなった?」
ラムネが、こくん。
「やっぱり!」
私は少し身を乗り出す。
「まだ大きくなるの?」
するとラムネは、今度は身体を横にゆらゆら揺らした。
「……分かんない?」
ぷるん。
「そっか」
私は思わず笑う。
『やっぱり……前より分かる』
言葉じゃないのに。
なんとなく。
ちゃんと。
ラムネの気持ちが、前より近く感じられるようになっていた。
魔獣契約のことは、まだ誰にも話さないことにした。
おおお婆様は言っていた。
今では、このことを知っている人はほとんどいないと。
『だったら、わざわざ広めないほうがいいよね』
それに――。
『そういえば、おおお婆様……サネカゲ様の旅の仲間にも異世界人がいたって言ってたな』
誰だろう。
『お父様? アイリオン先生?』
そこまで考えて、首をかしげる。
『でも、異世界人同士ならなんとなく分かるって言ってたよね』
ということは、今まで会った人の中にはいない……?
私がまだ会えていない、サネカゲ様の旅に関わる人物。
『……セブン様?』
でも、セブン様はもう亡くなっている。
確かめようにも、会うことはできない。
「うーん……」
考えながら、ふとトーキア国のことを思い出す。
ラーメン。
蕎麦。
眼鏡。
「…………」
『あれ?』
私はぴたりと固まった。
『よく考えたら……あれ、思いっきり日本のものじゃん!』
『いくら似た食材があったからって……ラーメンとか蕎麦とか、名前まで同じっておかしいよね』
「…………」
『なんで今まで気づかなかったの!?』
頭を抱えたくなる。
『私って、なんてバカなんだろ……』
転生したことや自分のことで精いっぱいで、目の前にあるものを深く考えていなかった。
『もしかして……私よりずっと前にも、異世界から来た人が何人もいた?』
そう思った瞬間、今まで何気なく見てきたものが、急に違って見え始めた。
そう思った瞬間、今まで何気なく見てきたものが、急に違って見え始めた。
『セブン様のこと、もっと知りたい』
何か記録は残っていないだろうか。
『トーキア国に行く機会、ないかな……』
それから時間があるときに、自分なりに調べられるだけ調べてみた。
けれど、分かったのはお父様たちと旅をした仲間の一人だったということくらいで、それ以上の手がかりは見つからなかった。
『やっぱり、トーキア国に行けば何か残ってるかも』
昔の記録や、当時を知る人の話。
何かひとつくらいはあるかもしれない。
『その日までに、私なりにもう少し調べておこう』
そう思っていたのに――。
やがて長期休みも終わり、私は学園へ戻った。
学園での生活そのものは、何も変わらなかった。
授業を受けて、魔法を学んで、友達と笑って過ごす。
そんな毎日は楽しくて、気づけばセブン様のことを調べるのも少しずつ後回しになっていた。
平凡で、穏やかで、楽しい日々。
ずっとこんな日が続くような気さえしていた。
――でも。
あの事件をきっかけに、少しずつ何かが動き始めていた。




