第39話 入学式
本当にまだ入学式前だった。
すると――
パンパン。
アカネ先生が手を叩いた。
「みなさん、席についてくださいねー」
生徒たちが慌てて自分の席へ戻る。
先生はにこにこと笑いながら言った。
「これから入学式を行います」
教室が少しざわつく。
そういえば今日は入学初日だった。
学校案内や自己紹介で忘れかけていたけれど、まだ入学式が残っていたのだ。
「それと――」
アカネ先生が少し声を弾ませる。
「昨年の優秀賞の発表もありますよ」
その瞬間。
教室中が一気に盛り上がった。
「優秀賞!」
「今年は誰かな!?」
「もう決まってるじゃん!」
「絶対あの人でしょ!」
あちこちで声が上がる。
『優秀賞?』
私は首を傾げた。
するとサスケがすぐに説明してくれる。
「毎年あるんだよ!」
「へぇ」
「成績とか実技とか、色んなのを合わせて一番すごかった人!」
「そんなのがあるんだ」
学園らしいイベントだ。
でも、周囲の反応を見る限り、かなり注目される賞らしい。
「去年は誰なの?」
そう聞くと、サスケが呆れたような顔をした。
「え?」
なぜそんな反応をされるのか分からない。
「知らないの?」
「知らない」
「フリージアちゃん、学園で一番が決まるんだよ? 興味なさすぎじゃない?」
隣を見ると、レイまで小さく頷いている。
『そんなに大事なの?』
するとサスケは、当然のことのように言った。
「去年はロータス殿下だよ」
「……え?」
『ああ』
納得した。
むしろそれ以外を想像できなかった。
「首席卒業だし!」
「学園記録いっぱい持ってるし!」
周囲の生徒たちも盛り上がる。
どうやら本当に伝説らしい。
『お兄様すごいなぁ……』
改めて感心してしまう。
「じゃあ二番は?」
「ダンテ様!」
即答だった。
「生徒副会長だし、成績も実技もすごいんだ!」
周囲の生徒たちも頷いている。
かなり有名らしい。
「三番目がアスター様!」
「えっ」
思わず声が出た。
「アスターお兄様?」
「そう!」
サスケは力強く頷く。
「実技なんて特にすごいんだから!」
「でも授業中怒られてたよ?」
「それはそれ!」
サスケは真顔だった。
どうやら別問題らしい。
「アスター様は実力だけならもっと上だって言う人もいるよ」
「へぇ……」
少し意外だった。
いつも自由人な姿しか見ていないからだ。
するとサスケはさらに続ける。
「それに部門ごとの表彰ならリリィ様もシルヴァン様も毎年呼ばれてるんだ!」
「そうなの?」
「本当に知らないんだね」
周囲の子たちも盛り上がる。
「リリィ様は魔法理論部門!」
「へぇ」
「毎年上位だって聞いた!」
周囲の子たちも頷いている。
かなり有名らしい。
「それでシルヴァン様は土魔法研究部門!」
「研究?」
思わず聞き返した。
「うん!」
サスケは力強く頷く。
「土魔法を使った実験とか、新しい使い方とかを発表するんだよ!」
「そんなことしてるの?」
初耳だった。
「有名だよ!」
別の生徒も会話に入ってくる。
「去年なんて魔力を通した特殊な土で農地を改良する研究だったよね!」
「そうそう!」
「その前は土魔法で建築資材を強化する実験!」
「僕のお父さんがすごいって言ってた!」
どうやらかなり実用的な研究らしい。
『シルヴァンお兄様らしい……』
なんとなく納得する。
派手な魔法で目立つというより、
誰かの役に立つ研究を積み重ねている感じだ。
「シルヴァン様って優しいからね」
女子生徒がぽつりと言った。
「研究発表の時も、難しい内容を誰でも分かるように説明してくれるんだって」
「それ聞いたことある!」
「質問にも全部答えてくれるらしいよ!」
周囲から次々と話が出てくる。
どうやら人気の理由は顔だけではないらしい。
『さすがお兄様』
どうやら兄姉たちは揃って有名人らしい。
『うちの家族すごいな……』
改めて思う。
私だけ普通な気がしてきた。
そして。
サスケはここぞとばかりに胸を張った。
「それと!」
ビシッと自分を指差す。
「ぼくのにぃちゃんも呼ばれたことある!」
「えっ、本当に?」
「本当だよ!」
どやぁ。
ものすごく誇らしげだった。
「中等部の兄ちゃんは魔法研究部門!」
「すごい!」
「高等部の兄ちゃんも去年、特別賞もらったんだから!」
ますます胸を張る。
もはや鼻が高くなりそうな勢いだ。
その様子が可愛くて、思わず笑ってしまった。
「サスケ、お兄ちゃんたちのこと好きなんだね」
「もちろん!」
迷いのない返事だった。
その顔は少しだけ、私がお兄様たちの話をするときに似ていた。
だから私はくすりと笑う。
きっとサスケにとっても、お兄さんたちは自慢なのだろう。
その時だった。
後ろの席の女子がぽつりと呟いた。
「でも今年はアスター様も候補だったんだよね」
「えっ、本当!?」
「実技だけならトップクラスだったって聞いた」
その言葉に私は少し驚いた。
『アスターお兄様も?』
怒られているところしか見ていない気がする。
するとサスケが真顔で言った。
「授業態度で減点されたんじゃない?」
「あー……」
なぜか全員が納得した。
私も納得した。
そしてアカネ先生は苦笑しながら言う。
「はいはい、その話は講堂で聞きましょうね」
生徒たちが慌てて立ち上がる。
「それでは移動します」
こうして私たちは、入学式が行われる大講堂へ向かうことになったのだった。
大講堂は全てが綺麗だった。伝統的な感じの有名な大聖堂のような雰囲気をもっている
大講堂へ足を踏み入れた瞬間――
『わぁ……』
思わず声が漏れる。
そこは今まで見たどの建物とも違っていた。
高く高く伸びる天井。
巨大な白い柱。
壁には美しい彫刻が施され、魔法の灯りが柔らかく空間を照らしている。
どこか神聖な空気すら感じた。
まるで前世で写真で見た有名な大聖堂のようだった。
伝統と歴史を積み重ねてきたことが一目で分かる。
中央には真紅の絨毯が真っ直ぐ伸び、その先には豪華な演壇が設けられていた。
さらに天井近くには巨大なステンドグラス。
七色の光が差し込み、講堂全体を幻想的に染め上げている。
「すごい……」
周囲からも感嘆の声が上がる。
サスケも目を輝かせていた。
「僕も初めて見た時びっくりした!」
「これはびっくりするよね……」
思わず頷く。
初等部の校舎も立派だった。
だがここは別格だ。
この学園がどれほど格式高い場所なのかを嫌でも感じさせられる。
講堂には既に多くの生徒たちが集まっていた。
初等部。
中等部。
高等部。
それぞれ指定された席へ向かっている。
上級生たちは慣れた様子で歩いていたが、新入生たちは私たちと同じようにきょろきょろしていた。
すると――
「おい」
後ろから声が飛んできた。
「邪魔だ」
『え?』
振り返る。
そこには高等部の男子生徒たちが立っていた。
「早く歩けよ」
少し苛立ったような顔をしている。
「さっさとしろ」
『あっ……』
どうやら通路の真ん中で立ち止まっていたらしい。
慌てて謝ろうとした、その時だった。
男子生徒の顔が固まる。
「……え?その髪色……」
視線が私の顔に向く。
そして。
「フリージア……?」
『あれ?』
男子生徒の顔色が変わった。
「え、ちょっ」
さっきまでの勢いが消える。
「今のなし!」
慌てて両手を振る。
「ごめんごめんごめん!」
必死だった。
「気にしないで!」
『えぇ……』
男子生徒は頭を抱えた。
「やばい……」
青ざめている。
隣の生徒が
「アスターに殺されるぞ……」
私は
「え?」
ぶつかった生徒が
「いや違う!」
即座に否定した。
「違わないけど違う!」
意味が分からない。
男子生徒はさらに慌てる。
「本当に気にしないで!」
「う、うん?」
「頼むから!」
なぜか懇願された。
その様子に周囲の高等部生たちまで苦笑している。
また違う生徒が
「お前……」
「終わったな」
「アスターの妹だぞ」
「知らなかったんだって!」
男子生徒は涙目だった。
「アスターごめん!」
本人がいないのに謝っている。
『なんでお兄様なの?』
意味が分からない。
するとレイが小さく呟いた。
「たぶん有名なんでしょう」
「何が?」
「妹に近づく者への対応が」
「……」
聞かなかったことにした。
とりあえず私は首を横に振る。
「大丈夫です。私も立ち止まってたし」
「本当に!?」
「うん」
男子生徒は目に見えて安堵した。
まるで命拾いしたような顔である。
そして私たちは慌てて講堂の奥へ向かった。
これ以上通路を塞ぐわけにはいかない。
サスケも小走りでついてくる。
「アスター様ってやっぱり怖いんだね」
「そうなの?」
「有名だよ?」
当然のように言われた。
私は首を傾げる。
アスターお兄様は優しいと思うのだけれど。
そんなことを考えながら、私たちはようやく初等部の席へと辿り着いたのだった。
そして壇上には、学園の紋章が大きく掲げられている。
その荘厳な光景に、自然と背筋が伸びた。
そんな私の隣で、レイも珍しく講堂を見上げていた。
「綺麗ですね」
「うん」
素直にそう思う。
そう思った時――
講堂のざわめきが少しずつ静まり始めた。
どうやら入学式が始まるらしい。
ざわめいていた講堂が、ゆっくりと静かになっていく。
そして壇上へ一人の人物が歩み出た。
その姿を見た瞬間――
『えっ』
私は思わず目を丸くした。
校長先生だった。
だが、その姿は私の想像と違っていた。
『鬼神族……!?』
頭には立派な角。
鍛え上げられた大きな体躯。
圧倒的な存在感。
私は勝手に、校長先生はエルフ族のような知的で細身の人物だと思っていたのだ。
だから驚いてしまった。
けれど――
校長先生が話し始めた瞬間、その印象は変わる。
「新入生諸君、入学おめでとう」
講堂中によく通る声。
威厳がある。
それなのに不思議と怖くない。
むしろ優しさを感じる声だった。
講堂に集まった生徒たちは静かに耳を傾けている。
「この学園には様々な種族が集う」
鬼神族。
エルフ族。
セラフィム族。
フューマ族。
ドラゴニュート。
その他にも多くの種族たち。
「育った環境も違えば価値観も違うじゃろう」
校長先生は穏やかに語る。
「時にはぶつかることもある」
誰も声を出さない。
皆が真剣に聞いていた。
「じゃが、それを恐れる必要はない」
その言葉に、私は自然と顔を上げた。
すると――
校長先生と目が合った。
『あれ?』
私は思わず瞬きをする。
講堂には何百人もの生徒がいる。
だから気のせいだと思った。
けれど。
校長先生は視線を逸らさなかった。
まるで私を見つけたように。
静かにこちらを見つめている。
『……?』
不思議だった。
怖くはない。
むしろどこか懐かしいような、安心するような感覚。
校長先生はゆっくりと口を開いた。
「今後、いろんな試練があるかもしれん」
その言葉が真っ直ぐ胸に届く。
周囲の生徒へ向けた言葉のはずなのに。
なぜか私へ語りかけられているような気がした。
「思うようにいかぬこともあるじゃろう」
私は黙って校長先生を見つめる。
「時には自分の無力さに悩み」
「時には理不尽な出来事に傷つくこともある」
前世の記憶が脳裏をよぎった。
知らず知らずのうちに、私は手を握りしめていた。
校長先生はそんな私を見透かすように穏やかな表情を浮かべる。
「じゃが」
優しい声だった。
「その全てが無意味ではない」
不思議と目が離せない。
「苦しみも」
「悲しみも」
「迷いも」
「いつかお主を支える力になる」
まるで未来を知っているかのような言葉だった。
講堂全体は静まり返っている。
なのに今は校長先生と私しかいないような錯覚を覚える。
「ここは学ぶ場じゃ」
校長先生は続ける。
「失敗してもよい」
「転んでもよい」
「立ち止まってもよい」
その声は責めることを知らない。
ただ優しく背中を押してくれる。
「一人で抱え込まなくてよいのじゃ」
その瞬間。
校長先生の視線がほんの少しだけ柔らかくなった気がした。
「困ったことがあれば仲間を頼るのじゃ」
私は思わず隣を見る。
レイはニコリと微笑んだ
校長先生はようやく私から視線を外した。
そして講堂全体を見渡す。
「皆の成長を楽しみにしておる」
先ほどまでの特別な空気が嘘のように消えていく。
「新入生諸君――入学おめでとう」
大きな拍手が巻き起こった。
パチパチパチパチ――。
私は拍手の中で壇上を見つめる。
校長先生は変わらず穏やかに微笑んでいた。
けれど。
『……今の』
気のせいではなかった気がする。
ほんの少しだけ。
本当にほんの少しだけ。
校長先生が私にだけ言葉を届けてくれたような気がしたのだった。
次に来賓席からロータスお兄様が立ち上がった。
その瞬間だった。
「きゃああああああ!!」
「ロータス様ぁぁぁ!!」
「素敵ぃぃぃ!!」
講堂中に黄色い歓声が響き渡る。
『うわぁっ!?』
あまりの大音量に私は思わず両手で耳を塞いだ。
隣のレイも少し顔をしかめている。
「すごいですね……」
「う、うん……」
これまでのお兄様たちへの歓声も十分すごかった。
でもこれは別格だった。
全生徒がいるからまるで嵐みたいだ。
そんな中、ふと高等部の席が目に入る。
『あれ?』
私は左側の高等部席へ視線を向けた。
アスターお兄様も。
リリィお姉様も。
あの大歓声の中で平然としている。
さらに反対側。
右側の中等部席を見る。
そこにはシルヴァンお兄様の姿があった。
やはり何事もないような顔をしている。
『なんで?』
なんで平気なんだろう。
その時だった。
アスターお兄様と目が合った。
ほんの一瞬。
アスターお兄様は私を見ると、
自分の耳を軽く指差した。
『?』
意味が分からない。
首を傾げる。
すると今度は耳の周囲を指でなぞるような仕草をした。
『耳?』
さらによく見る。
耳元に薄い光が揺らめいていた。
『あっ』
結界魔法だ。
耳の周囲だけを覆っている。
その瞬間、以前リリィお姉様に言われた言葉を思い出した。
『フリー、まずは小さくてもいいから結界魔法を習得しなさい』
あの時は意味が分からなかった。
でも今なら分かる。
『こういう時にも使うんだ……!』
私が気付いたのを確認すると、
アスターお兄様は満足そうに鼻で笑った。
そして何事もなかったかのように前を向く。
私は隣のレイを見る。
レイも気付いたらしく、小さく頷いた。
そして二人でそっと魔力を動かす。
耳の周囲だけ。
本当に小さな結界。
まだ未熟だけれど、なんとか形になった。
アスターお兄様はわざわざ教えるつもりはなかったのだろう。
でも困っているのを見て、気付くヒントだけくれた。
いかにもアスターお兄様らしい。
次の瞬間。
「ロータス様ぁぁぁ!!」
さらに大きくなった歓声が少し遠く感じる。
『おおっ』
思わず感心した。
さっきよりずっと楽だ。
レイも小さく息を吐く。
「成功しましたね」
「うん」
二人でこっそり頷き合う。
一方その頃――
「ロータス様ー!!」
「かっこいいー!!」
「結婚してくださーい!!」
「手振ってくださいー!!」
サスケは完全に周囲の生徒たちと同じ側だった。
身を乗り出しながら目を輝かせている。
結界どころではないらしい。
そんな歓声がさらに大きくなろうとした時――
ロータスお兄様が演壇へ向かう途中で立ち止まった。
そして静かに片手を上げる。
ただそれだけ。
言葉はない。
けれど。
講堂中の生徒たちは、その意味を理解していた。
歓声が少しずつ小さくなる。
まるで、
――静粛に。
そう語りかけられたかのように。
数秒後。
先ほどまで嵐のようだった講堂は、不思議なくらい静まり返っていた。
その中心で、ロータスお兄様は穏やかに微笑んだ。
そして演壇に立つと、静かな声で口を開いた。
「来賓席からロータスお兄様が立ち上がる。
先ほどまで歓声を上げていた生徒たちも、今は静かだった。
誰もがその姿を見つめている。
ロータスお兄様は演壇へ向かうと、一度だけ会場を見渡した。
「新入生諸君、入学おめでとう――」
静かな声だった。
けれど不思議と講堂の隅々まで届く。
そのまま淡々と挨拶を続ける。
決して派手な言葉ではない。
熱く語るわけでもない。
だが、生徒たちは誰一人として視線を逸らさなかった。
まるで一言も聞き逃すまいとするように。
高等部の生徒たちですら真剣な顔で耳を傾けている。
校長先生とは違う。
同じ学園で学び、首席で卒業した先輩。
だからこそ、その言葉には別の重みがあるのかもしれない。
やがて挨拶が終わる。
ロータスお兄様が一礼した瞬間――
大講堂は大きな拍手に包まれた。
パチパチパチパチ――
歓声ではない。
尊敬と憧れが混ざったような拍手だった。
ロータスお兄様は静かに席へ戻る。
そして司会の先生が前へ出た。
「それでは続きまして、昨年度優秀賞の発表を行います」
その言葉に講堂が再びざわめき始めた。
「きた!」
「楽しみ!」
「誰だろうね!」
『さっきサスケが言ってたやつだ』
私は少し身を乗り出した。
サスケも期待した顔をしている。
「昨年度総合優秀賞――」
講堂が静まり返る。
「高等部三年、ダンテ・ ルミエール」
大きな拍手が巻き起こった。
パチパチパチパチ!
「やっぱり!」
「ダンテ様だ!」
「すごい!」
あちこちから歓声が上がる。
ダンテは席から立ち上がると、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
そして軽く拳を上げ――
ようとした瞬間。
「――そして」
先生が続けた。
ダンテの動きが止まる。
講堂も静かになった。
「同じく昨年度総合優秀賞」
一瞬の沈黙。
そして。
「高等部三年、アスター・フェリア」
講堂が爆発した。
「えぇぇぇぇぇぇ!?」
「同率!?」
「またか!!」
「アスター様ぁぁぁ!!」
あちこちから悲鳴のような歓声が上がる。
ダンテは拳を上げたまま固まっていた。
「……」
数秒後。
ゆっくりと隣を見る。
その視線の先では――
アスターお兄様が椅子にもたれながらあくびをしていた。
「ふぁ……」
やる気がない。
びっくりするくらいやる気がない。
先生が額に手を当てる。
「アスター君」
「はい?」
「立ちなさい」
「えー」
講堂中から笑いが起きた。
渋々立ち上がるアスターお兄様。
だが立った瞬間、女子生徒たちの歓声がさらに大きくなる。
「きゃあああ!」
「アスター様!」
「かっこいい!」
本人は面倒そうな顔をしている。
隣のダンテが苦笑した。
「また同率ですね」
「そうだな」
「今年こそ私が勝ったと思ったのですが」
「オレは別にどっちでもいい」
その返事に会場がどっと笑う。
ダンテは額を押さえた。
「そういうところですよ」
「何がだ」
本当に分かっていない顔だった。
すると後ろの席の高等部生が小声で言った。
「また授業態度で減点されたらしいぞ」
「それでも同率なのかよ……」
「化け物だろ」
周囲がざわつく。
『アスターお兄様すごいんだ……』
改めてそう思った。
その時。
アスターお兄様の視線がこちらへ向いた。
そして。
ニヤッ。
悪戯っぽく笑う。
『あ』
嫌な予感がした。
ものすごく嫌な予感がした。
隣でレイが呟く。
「なんか企んでる顔だ……」
私も同じことを思った。
アスターお兄様がニヤリと笑った。
何かを思いついた顔だ。
そしてゆっくりと手を上げる。
講堂のあちこちからざわめきが起こる。
「やばい」
「また何かするぞ」
「止めろ誰か」
高等部生たちは慣れているらしい。
ダンテでさえ少し警戒した表情を浮かべていた。
その時だった。
来賓席に座るロータスお兄様が、ふと視線を上げた。
ただそれだけ。
声は出さない。
表情も変わらない。
穏やかな笑みのまま。
ただ真っ直ぐアスターお兄様を見る。
アスターお兄様の動きが止まった。
講堂の誰も気付かないほどの一瞬。
けれど兄弟だから分かる。
二人は確かに視線を交わした。
ロータスお兄様は何も言わない。
ただ静かに見ている。
まるで、
『今日はフリーの入学式だぞ』
と。
まるで、
『余計なことはしないよな?』
と。
語りかけるように。
アスターお兄様はしばらくその視線を受け止めていた。
そして――
「……ちっ」
小さく舌打ちした。
上げかけていた手を下ろす。
つまらなそうに天井を見上げた。
ダンテが横目で見る。
「何をするつもりだったんです?」
「別に」
「絶対嘘ですね」
「さあな」
だが結局、アスターお兄様は何もしなかった。
司会の先生がまた名前を読み上げる。
「ダンテ様ー!!」
「うおおおおお!!」
「アスター様だ!!」
「やっぱり!!」
「きゃああああ!!」
今度は爆発したような歓声が講堂を揺らした。
ダンテへの歓声が憧れなら、
アスターお兄様への歓声は熱狂だった。
男子生徒たちまで立ち上がりそうな勢いで盛り上がっている。
「去年の魔導大会見たか!?」
「見た見た!」
アスターお兄様は面倒そうに頭を掻きながら立ち上がった。
だがその口元には薄く笑みが浮かんでいる。
そして二人は並んで演壇へ向かった。
穏やかな光のようなダンテ。
燃え上がる炎のようなアスター。
対照的な二人へ向けて、講堂中から盛大な拍手と歓声が送られていた。
校長先生はそんな二人の胸元へ、優秀賞のメダルを一つずつ授ける。
金色のメダルが光を受けて輝いた。
学園最高峰の称号に相応しい二人だった。
「続いて準優秀賞です」
講堂の空気が再び引き締まる。
「高等部ニ年、リリィ・フェリア」
大きな拍手。
リリィお姉様は優雅に立ち上がり、美しい礼をした。
その姿にあちこちから歓声が上がる。
「そして――」
「高等部二年、シルヴァン・フェリア」
再び大きな拍手。
シルヴァンお兄様は少し照れたように立ち上がった。
爽やかな笑顔に女子生徒たちから悲鳴が上がる。
「きゃあああ!」
「シルヴァン様ー!」
シルヴァンお兄様は恥ずかしそうに頭を下げていた。
「続いて第三位――」
先生が次の名前を読み上げる。
講堂が静かになる。
「高等部三年、ユズハ・タカハシャ」
その瞬間――
「よっしゃあああ!!」
隣でサスケが立ち上がりそうな勢いで拳を握った。
『サスケ!?』
「ユズハ様だ!!」
目がきらきらしている。
「やっぱりユズハ様だった!」
周囲のフューマ族の生徒たちも嬉しそうだった。
どうやらかなり有名らしい。
「そんなにすごい人なの?」
私が聞くと、サスケは待ってましたと言わんばかりに振り返った。
「すごいなんてもんじゃないよ!」
力説が始まる。
「フューマ族で総合三位だよ!?」
「う、うん」
「魔力だってエルフ族やセラフィム族より少ないのに!」
「へぇ」
「しかも実技も成績もトップクラス!」
どんどん熱が入っていく。
「フューマ族の憧れなんだから!」
胸を張る。
その顔はアカネ先生の話をしていた時よりさらに誇らしげだった。
「兄ちゃんもユズハ様すごいって言ってた!」
「そうなんだ」
「うん!」
サスケは何度も頷く。
どうやら本当に尊敬しているらしい。
そんな中、前方の席から一人の少女が立ち上がった。
長い黒髪。
凛とした瞳。
派手な装飾などないのに、不思議と目を引く。
堂々とした立ち姿だった。
ユズハは周囲から送られる拍手を受けながら、まっすぐ前を向いている。
その姿には自信があった。
努力で掴み取った自信。
そんな風に見えた。
そして――
ユズハが何気なく視線を横へ向ける。
その先にはアスターお兄様がいた。
次の瞬間。
ユズハはニッと笑った。
まるで、
『やったぜ』
と言わんばかりに。
自慢げで。
少し挑発的で。
勝気な笑顔だった。
その顔を見たアスターお兄様は――
「ふっ」
小さく鼻で笑う。
それだけ。
それだけなのに。
『あれ?』
私は違和感を覚えた。
いつものアスターお兄様なら、
「調子乗るな」
とか。
「まだまだだな」
とか。
何かしら言いそうなのに。
今日は違う。
ただ鼻で笑っただけだった。
しかもどこか楽しそうだ。
ユズハもそれを見て満足したように前を向く。
二人の間にだけ通じる何かがあるような気がした。
『……』
私はアスターお兄様を見る。
そして。
なんとなく気付いてしまった。
あのお兄様。
ユズハを見る時だけ少し違う。
本人は絶対認めないだろうけど。
たぶん。
本当にたぶんだけど――
『好きなんだ』
そう思った瞬間、今までの二人の空気感が妙に納得できたのだった。
すると先生はさらに続けた。
「研究・発展部門特別優秀賞」
私は首を傾げる。
『研究部門?』
隣のサスケがぴくっと反応した。
「高等部2年――」
サスケがそわそわし始める。
「ケンゴ・ターナ」
「やったぁぁぁ!!」
突然サスケが飛び上がった。
講堂中の視線が集まる。
『サスケ!?』
慌てる私とは対照的に、サスケは満面の笑みだった。
当の本人はそんなこと気にしていない。
「兄ちゃんだ!」
指を壇上へ向ける。
そこでは少し照れた様子の少年が立ち上がっていた。
黒髪。
どことなくサスケに似ている。
そして耳はフューマ族特有の丸い耳。
「にいちゃーーん!」
少し照れたような顔で立ち上がる。
周囲から拍手が送られる中、ケンゴは胸に手を当てて一礼した。
その姿は堂々としていた。
サスケもどやぁ。
ものすごく得意げだった。
「兄ちゃん、土壌改良の研究で表彰されたんだ!」
「土壌改良?」
「うん!」
嬉しそうに頷く。
「魔力の少ないフューマ族でも使える農業魔法の研究なんだ!」
私は少し驚いた。
派手な魔法じゃない。
けれど、たくさんの人の役に立つ研究だ。
壇上ではケンゴが緊張した様子で頭を下げている。
その姿を見ていたアカネ先生が、小さく微笑んだ。
同じフューマ族だからだろうか。
どこか誇らしそうだった。
「すごいね」
私がそう言うと、
「でしょ!」
サスケはさらに胸を張った。
「ぼくの兄ちゃんなんだから!」
その顔はまるで自分が表彰されたかのようだった。
私は思わず笑ってしまう。
家族を誇りに思う気持ちは、きっと私も同じだから。
こうして入学式は無事に終了した。
生徒たちはそれぞれ席を立ち、学年ごとに講堂を後にしていく。
私たち初等部もアカネ先生の後ろについて歩き始めた。
「皆さん、押さないでくださいねー」
アカネ先生がのんびりと声をかける。
だが生徒たちの興奮はまだ冷めていなかった。
「見た!?」
「アスター様かっこよかった!」
「ダンテ様もすごかったよ!」
「いや、絶対アスター様だろ!」
「生徒会長の方が素敵だったもん!」
あちこちで議論が始まっている。
まるでお祭りの後みたいだ。
私の前を歩くサスケも興奮したまま振り返った。
「すごかったな!」
「うん」
「ダンテ様もアスター様も!」
サスケは目を輝かせる。
「でもやっぱりユズハ先輩もすごいよな!」
どうやらまだ自慢したいらしい。
「フューマ族で三位だぞ!」
「うん、すごかった」
「だろ!?」
なぜかサスケが胸を張る。
本人でもないのに。
その様子が少し面白くて思わず笑ってしまった。
隣ではレイも小さく口元を緩めている。
そんな話をしながら廊下を歩いていると――
「フリージアちゃん!」
「レイくん!」
後ろから声が飛んできた。
振り返るとクラスメイトたちが駆け寄ってくる。
「王族ってすごいね!」
「アスター様のお兄さんなんでしょ!?」
「ダンテ様と知り合いなの!?」
「ロータス様って家ではどんな感じ!?」
『また始まった……』
私は思わず遠い目をした。
入学してまだ半日も経っていない。
なのに質問攻めはこれで何度目だろう。
レイが小さく笑う。
「人気者ですね」
「代わってほしい……」
「嫌です」
即答だった。
そんなやり取りをしているうちに、私たちは再び教室へ戻ってきたのだった。
「それでは本日の予定は全て終了です」
アカネ先生がにこりと笑った。
「明日から本格的に授業が始まりますので、今日はしっかり休んでくださいね」
「はーい!」
教室から元気な返事が返る。
その後、寮生活の注意事項や門限の説明を受け、私たちは解散となった。
「フリージア様!」
教室を出ようとしたところでサスケが駆け寄ってくる。
「明日もよろしくな!」
「うん、よろしく」
「レイも!」
「よろしくお願いします」
サスケは満足そうに笑うと、友達のところへ走っていった。
その背中を見送りながら、私は小さく息を吐く。
『疲れたぁ……』
入学式。
学校案内。
優秀賞発表。
クラスメイトからの質問攻め。
一日で色々ありすぎた。
「お疲れですか?」
隣からレイが聞いてくる。
「うん……」
「まだ寮までありますよ」
「聞きたくなかった……」
レイが少し笑った。
最近こういう表情を見せるようになった気がする。
昔はもっと無表情だったのに。
そんなことを考えながら校舎を出る。
夕方の学園は昼間とは違う顔を見せていた。
赤く染まる石造りの校舎。
長く伸びる影。
寮へ向かう生徒たちの楽しそうな声。
『本当に学校に入学したんだなぁ』
今さら実感が湧いてくる。




