第37話 注目の的
そして――入学の日がやってきた。
朝から城の中は、いつもより少し慌ただしい。
私も早くから起こされて、制服に着替え、髪を整えてもらった。
『ついに今日なんだ……』
昨日までは準備でいっぱいいっぱいだったのに、いざ当日になると急に実感が湧いてくる。
今日から私は、レイと一緒に学園へ通う。
私たちは王城の庭園へ集まっていた。
学園へ向かうためだ。
そこにはお兄様たちの姿もある。
長兄のロータスお兄様は、すでに学園を卒業している。
しかも首席卒業。
その実績を評価され、王国最高峰の機関である魔法省で働いていた。
今日は卒業生代表として挨拶を行うため学園へ向かうらしい。
……とはいえ。
「ロータス、そんなに早く行かなくてもいいんじゃないか?」
アスターお兄様が呆れたように言う。
「集合時間なら俺も知ってるぞ」
そう言いながら私の隣へ来る。
「だからフリーの案内は俺がする。任せろ」
当然のように私の手を取ろうとした。
すると、その横からシルヴァンお兄様が口を挟む。
「いえ、アスターお兄様は高等部ですよね。フリーと塔が違います」
「だから僕が――」
しかし最後まで言わせてもらえなかった。
「何言ってるの?」
今度はリリィお姉様だ。
「私とシルヴァンは真逆の塔でしょ。残念だけど一番遠いわ」
その言葉を聞いて、ロータスお兄様がふっと口元を緩めた。
「僕は時間に余裕がある」
「アスター、リリィ、シルヴァン。君たちは着いたらすぐ忙しいだろう?」
三人とも黙った。
どうやら図星らしい。
どこか余裕たっぷりに言いながら、腕を組む
「つまり、フリーを案内できるのは私だ」
そして勝ち誇ったように微笑んだ。
その笑顔は完全に勝者のものだった。
アスターお兄様が悔しそうに顔をしかめる
私はそんなお兄様たちの視線を受けながら――
「でも、レイがいるから大丈夫よ」
そう言って、そっと隣に立つレイの手を握った。
一瞬、庭園が静まり返る。
レイは驚いたように目を瞬かせたが、やがて少しだけ頬を赤く染めた。
「……はい」
小さく返事をしながら、握られた手をそっと握り返す。
その様子を見たお兄様たちの目がさらに鋭くなったのは、言うまでもなかった。
とはいえ、相手はまだ子供だ。
手を繋ぐなと言うには無理がある。
ましてやフリージアから握ったのだから、文句のつけようもない。
だが――。
「……レイ」
アスターお兄様がにこやかに微笑む。
笑顔なのに、なぜか怖い。
「はい」
「ずいぶん仲が良いようだな」
「そうですね」
レイは素直に頷いた。
その瞬間。
アスターお兄様のこめかみに青筋が浮かんだ。
リリィお姉様は「あらあら」と言いながらも面白そうに眺めている。
どうやらレイは、自分が何を言ったのか分かっていないらしい。
けれど、それが余計にお兄様たちの警戒心を刺激していた。
私はそんなことには全く気づかず、すでに気持ちは学園のほうへ向いていた。
「早く行きましょう!」
待ちきれずに声を上げてから、ふと思い出してランのほうを振り返る。
「あっ、そうだ! ラン、ラムネのことよろしくね!」
「かしこまりました。いってらっしゃいませフリージア様」
私はその足元にいるラムネにも目を向けた。
「ラムネ、行ってくるね! お留守番よろしく!」
するとラムネは、こちらの言葉が分かっているのかいないのか、ぷるんと体を揺らした。
なんとなく、バイバイと手を振っているようにも見える。
「ふふっ。じゃあ、行ってきます!」
私は元気よく声を上げ、期待に胸を弾ませながら学園へと向かうのだった。
フジの転移魔法で学園前に到着すると、目の前には大きな門がそびえていた。
その迫力に少し圧倒されながら、私たちは学園の正門をくぐる。
そして――。
門をくぐった、その瞬間。
「きゃああああっ!!」
周囲から大歓声が上がった。
『うわっ!?』
思わず肩を震わせる。
突然の歓声に驚いて、私は反射的にロータスお兄様の手をぎゅっと握った。
「ロータス様よ!!」
「本物だわ……!」
「アスター様もいる!」
「リリィ様、美しすぎる……!」
あちこちから黄色い声が飛び交う。
美男美女で有名な私たち家族は、学園ではアイドルのような存在らしい。
特に首席卒業を果たしたロータスお兄様の人気は圧倒的だ。
ロータスお兄様は、そんな周囲の歓声など慣れたものらしい。
特に気にした様子もなく、スタスタと前を歩いていく。
背筋は真っ直ぐ伸び、自然体なのにどこか人を惹きつける存在感があった。
「ロータス様ー!」
「今日も素敵です!」
黄色い声が飛ぶが、ロータスお兄様は軽く微笑むだけだ。
その余裕ある姿に、さらに歓声が大きくなる。
さすが学園伝説の首席卒業生である。
一方、アスターお兄様はというと――
騒がしい周囲に向かって、
『うるせぇなぁ』
と言いたげな顔をしていた。
しかし無視するわけでもなく、
「はいはい」
という感じで片手をひらひら振っている。
その仕草がまた格好良く見えるらしく、
「アスター様こっち向いた!」
「きゃー!!」
などと歓声が上がっていた。
本人はまったく分かっていないようだけれど。
そしてリリィお姉様。
いつも美しい人だが、今日は特に美しく見えた。
優雅な所作。
完璧な姿勢。
柔らかな微笑みを浮かべながら、生徒たちへ気品たっぷりに手を振っている。
まるで物語に登場する姫君そのものだった。
「リリィ様……!」
「素敵……!」
「綺麗……」
女子生徒たちはもちろん、男子生徒たちまで見惚れている。
リリィお姉様は慣れた様子で微笑み続けていた。
だが、聞こえてくる声はそれだけではなかった。
「シルヴァン様もいらっしゃる!」
「今日も可愛い……!」
「分かる!」
「綺麗なのに可愛いの反則よね!」
「笑った顔が好き……!」
女子生徒たちがきゃあきゃあと盛り上がる。
シルヴァンお兄様は整った顔立ちに加え、中性的な美しさを持っている。
そのため、格好いいというより可愛いという声の方が多いらしい。
本人はその評価があまり嬉しくないようで、
「……可愛いではなく格好いいだと思うんですが」
ぼそりと呟いた。
しかしその言葉を聞いた女子生徒たちは、
「今の聞いた!?」
「可愛い!!」
「もう本当に可愛い!!」
さらに盛り上がってしまう。
シルヴァンお兄様は静かに目を閉じた。
諦めたらしい。
その隣ではアスターお兄様が大笑いしている。
「ははは! 残念だったなシルヴァン!」
「アスターお兄様は少し黙っていてください」
シルヴァンの冷たい視線がアスターに飛ぶ。
けれど周囲からは、
「兄弟喧嘩も尊い……」
「仲良し……」
などという声まで聞こえてきた。
『うん、この人たち完全にアイドルだ……』
私はそう結論づけた。
そんな歓声の中を歩いていると、不意に周囲の視線が変わった。
「あれ……?」
「隣にいる子……」
「もしかして……」
生徒たちの視線が、一斉にこちらへ向く。
どうやら今さらになって、ロータスお兄様と手を繋いでいる私に気づいたらしい。
ざわり、と空気が揺れた。
「フリージア様……?」
「王家の末姫様よ!」
「えっ、本物!?」
驚きの声が次々と上がる。
それもそのはずだ。
私は以前、お披露目会には参加している。
けれど、それはもう随分前の話だ。
それ以来、城の外へ出ることはほとんどなかった。
だから同世代の生徒たちにとって、私を見るのは今日が初めてだったのだ。
皆、まるで信じられないものを見るような顔をしている。
「綺麗……」
誰かがぽつりと呟いた。
その声をきっかけに、周囲がさらに静かになる。
薄い金色の髪が陽光を受けて輝く。
ただの金髪ではない。
まるで精霊の祝福を受けているかのように、髪の一本一本が淡く七色の光を反射していた。
歩くたびに虹色の煌めきが揺れ、見る者の視線を自然と引き寄せる。
透き通るような白い肌。
宝石のように澄んだ瞳。
そして幼さを残した愛らしい顔立ち。
その姿は、人というより絵本に登場する妖精や精霊に近かった。
だからこそ、生徒たちは思わず息を呑む。
「綺麗……」
「髪が光ってる……」
「初めて見た……」
「本当に王族にいたんだ……」
誰もが見惚れていた。
男女の区別など関係ない。
まるで幻想そのものが歩いているかのような存在感に、視線を奪われていたのだ。
『な、なんか見られてる……』
居心地が悪くなり、私はロータスお兄様の後ろへ少しだけ隠れた。
すると周囲から、
「可愛い……!」
「今の見た!?」
「隠れた!」
「やばい、可愛すぎる……!」
悲鳴にも似た声が上がる。
『えぇ……』
なぜ歓声が大きくなるのか分からない。
困ってレイの方を見ると、彼は当然のように言った。
「皆さん、フリージア様に見惚れているんですよ」
「そんなわけないでしょ」
「あります」
即答だった。
すると、そのやり取りを見ていた生徒たちの視線が今度はレイへ向く。
「……あれ?」
「隣の子……」
「誰?」
一人が気づいた瞬間、ざわめきが広がった。
「えっ、ちょっと待って」
「すごく格好良くない?」
「誰あの子!?」
「初めて見るんだけど!」
「誰なの!?」
「王族の親族?」
「いや、見たことない!」
「貴族の子かな!?」
生徒たちの興味は一気にレイへ向いた。
そんな中、一人の女子生徒が何かを思い出したように声を上げる。
「あっ!」
「どうしたの?」
「そういえば、アイリオン先生の親戚の子が今年入学するって話があったわよね?」
その言葉に周囲が反応した。
「え?」
「聞いたことある!」
「たしか先生が引き取った子だっけ?」
「じゃあ、あの子じゃない?」
一斉にレイへ視線が集まる。
「確かにあり得るかも……」
「でも、想像と全然違うんだけど」
「わかる」
ひそひそとした声が広がっていく。
さらに別の生徒が首を傾げた。
「あれ……?」
「どうしたの?」
「でも、エルフじゃないよね?」
一瞬、周囲が静かになる。
レイの耳は丸い。
エルフ特有の長い耳ではない。
「あ、本当だ」
「フューマ……?」
「でも、王族と一緒にいるよ?」
「しかもフリージア様の隣……」
「でも、めちゃくちゃ綺麗な顔だよ」
ざわめきはますます大きくなった。
そんな周囲の反応など気にも留めず、レイはいつも通り私の隣に立っている。
むしろ周りを見る私の方へ少し身体を寄せ、
「大丈夫ですか?」
と小さな声で聞いてきた。
「う、うん……」
そのやり取りを見た女子生徒たちから、
「今の見た!?」
「優しい……!」
「かっこいい……!」
「声も素敵……!」
という悲鳴が上がる。
『なんかすごいところに来ちゃったな……』
私は完全に他人事のように、そんなことを考えていた。
まるで人気者を囲むような勢いで人が集まってくる。
このままでは、そのうち人波にもみくちゃにされそうな。
どうやら学園生活は、思っていた以上に大変なものになりそうだった。
そんな中――
前方から一人の青年がこちらへ歩いてきた。
白銀にも見える淡い髪。
背中には薄く輝く翼。
そして整った容姿。
その姿を見た周囲の生徒たちがざわめく。
「生徒会長だ……」
「ダンテ様!」
「今日も格好いい……!」
どうやらかなり有名人らしい。
青年は真っ直ぐこちらへ歩いてくると、ロータスお兄様の前で立ち止まった。
「お久しぶりです、ロータス様」
柔らかな笑みを浮かべながら頭を下げる。
声をかけてきたのは、セラフィム族のダンテだった。
ダンテはアスターお兄様と同い年で、現在の生徒会長を務めているらしい。
学業、魔法、人格。
その全てにおいて優秀で、生徒たちからの信頼も厚いと聞いている。
「久しぶりだな、ダンテ」
ロータスお兄様も自然な笑みを浮かべた。
その横で、リリィお姉様は優雅に微笑み、シルヴァンお兄様も礼儀正しく会釈する。
だが――
「……」
アスターお兄様だけが露骨に顔をしかめた。
『あれ?』
なんだか機嫌が悪い。
ダンテも気づいているらしく、苦笑を浮かべる。
「相変わらずですね、アスター」
「誰のせいだと思ってる」
即答だった。
「はは……」
ダンテが困ったように笑う。
周囲の生徒たちは慣れているのか、
「また始まった」
「生徒会長とアスター様だ」
などと囁いている。
首を傾げていると、シルヴァンお兄様が小声で教えてくれた。
「出会った頃から相性が悪いんだよ」
「そうなの?」
「うん」
シルヴァンお兄様は頷いた。
「ダンテ様は優等生ですから」
「?」
「アスターお兄様が一番苦手なタイプです」
なるほど。
少し分かった気がする。
ダンテは誰に対しても丁寧で、成績も優秀で、生徒会長まで務めている。
まさに絵に描いたような優等生だ。
一方アスターお兄様は――
「フリー、行くぞ」
面倒臭そうに頭を掻いている。
自由人である。
水と油かもしれない。
「アスター、私は何もしていないと思うのですが」
「そこが気に入らねぇんだよ」
「理不尽ですね」
「知ってる」
全く反省していない。
ダンテはアスターお兄様から視線を外し、今度はロータスお兄様へ向き直った。
「本日は卒業生代表として来られたのですね」
「ああ。生徒会長のお前も忙しいだろう」
「ええ。ですが、前生徒会長を迎えないわけにはいきませんので」
そう言ってダンテは微笑む。
どこか品があり、育ちの良さを感じさせる笑みだった。
そして視線が私へ向く。
「こちらがフリージア様ですね」
ダンテは優しく目を細めた。
「初めまして。お噂はかねがね」
『お噂……?』
何を聞いているんだろう。
少し不安になる。
するとダンテは、穏やかな笑みを浮かべたまま続けた。
「王家の宝石姫、と」
『誰それ!?』
思わず心の中で叫ぶ。
隣では、アスターお兄様が吹き出した。
「ぶっ……!」
「アスター」
ロータスお兄様の冷たい声が飛ぶ。
「悪い悪い。宝石姫って……どんな噂だよ」
そう言いながらも、全然悪いと思っていない顔だった。
「悪い噂ではありませんよ。宝石のように輝く髪と、とても美しい姫君だと噂されていました」
ダンテは楽しそうに笑った。
そして今度は、私の隣へ視線を移す。
「そちらがアイリオン先生のご親戚ですね」
レイへ向けられた言葉に、周囲の生徒たちが再びざわついた。
「やっぱり!」
「本当にそうだったんだ!」
「アイリオン先生の親戚だったのね!」
レイは落ち着いた様子で一礼する。
「レイシオンです」
短い自己紹介。
だが、その態度にダンテの目がわずかに細められた。
生徒会長らしい観察眼なのだろう。
「なるほど」
小さく呟いたダンテは、どこか興味深そうにレイを見つめた。
その視線は決して失礼なものではない。
むしろ純粋な好奇心に近かった。
「アイリオン先生が気に掛けている理由が少し分かった気がします」
そう言って微笑む。
レイは相変わらず無表情だった。
「そうですか」
短い返事。
それだけなのに、なぜか周囲の女子生徒たちがざわつく。
「今の見た?」
「生徒会長と普通に話してる……」
「すごい落ち着いてる……」
ひそひそ声が聞こえてくる。
ダンテと私たちのやり取りを見ていたアスターお兄様が、露骨に顔をしかめた。
「おい、ダンテ」
「何でしょう?」
「これ以上、フリーとレイに話しかけるな。変なことに巻き込むなよ」
「人聞きが悪いですね」
「お前の場合は信用ならねぇ」
「心外です」
全く心外そうには見えない。
ロータスお兄様は、そんな二人を見て小さくため息をついた。
「学園に着いた途端に騒ぎを起こすな」
「起こしてねーよ」
アスターお兄様が即答する。
でも、なんとなくだけど――本当に仲が悪いわけじゃない気がする。
ロータスお兄様はダンテ様に「また後ほど」と声をかけ、その場を離れた。
その後、中央広場でアスターお兄様たちと別れ、私はロータスお兄様に連れられて、レイと一緒に初等部の校舎へ向かった。
「何かあったらすぐ呼ぶんだぞ」
歩きながらロータスお兄様が言う。
「うん」
「困ったことがあっても呼べ」
「うん」
「誰かに嫌がらせをされたら――」
「それはないと思うよ?」
思わず苦笑する。
だがロータスお兄様は真剣な顔のままだった。
「念のためだ」
どうやら本気で心配しているらしい。
隣のレイも当然のように頷いていた。
そんな話をしているうちに、初等科の教室棟へ到着した。
すると――
「ロータス様だ!」
「本物!?」
「きゃあぁっ!」
初等部の子供たちまで騒ぎ始めた。
どうやらロータスお兄様の人気は高等部だけではないらしい。
校舎の窓から顔を出す子。
廊下から覗く子。
先生に注意されている子までいる。
「すごい……」
思わず呟く。
ロータスお兄様は苦笑しながらも、慣れた様子で軽く手を振った。
それだけで歓声が上がる。
まるで王子様だ。
いや、本当に王子様なのだけれど。
初等科の子供たちの歓声を受けながら、ロータスお兄様は私たちの教室の前まで来てくれた。
そして、そのまま教室へ顔を出す。
「失礼します」
低く落ち着いた声が響く。
すると担任らしき女性が振り返った。
フューマ族の女性教師だ。
栗色の髪を一つにまとめ、優しそうな雰囲気をしている。
「はい――」
返事をしかけた先生が固まった。
目をぱちぱちと瞬かせる。
「ろ、ロータス君……!?」
明らかに動揺していた。
ロータスお兄様はいつもの穏やかな笑みを浮かべる。
「本日より妹のフリージアがお世話になります」
そう言って綺麗な所作で一礼した。
先生の頬がみるみる赤くなる。
「い、いえ! こちらこそ光栄です!」
声が少し裏返っていた。
「フリージアさんのことは責任を持ってお預かりいたします!」
「ありがとうございます」
にこり、と微笑む。
その瞬間――
先生が胸を押さえた。
『あっ』
なんだか見覚えのある反応だった。
周囲の女子生徒たちも似たような顔をしている。
どうやら先生も例外ではなかったらしい。
「す、素敵……」
小さく呟く声が聞こえた。
もちろんロータスお兄様には聞こえていない。
いや、聞こえていても慣れ過ぎて反応しないのかもしれない。
先生は必死に平静を装っていたが、耳まで真っ赤になっていた。
そんな様子を見ていた私は、
『先生まで……』
と思わず苦笑した。
どうやらロータスお兄様の魅力は、生徒だけではなく先生にまで効果があるらしい。
隣を見ると、レイが小さく呟く。
「さすがロータス様ですね」
「ね……」
私も思わず頷いてしまった。
そしてロータスお兄様は最後に私の頭を優しく撫でた。
「フリー、楽しんでおいで」
「うん!」
するとロータスお兄様は満足そうに微笑み、今度はレイへ視線を向けた。
「レイ」
「はい」
「フリーを頼んだぞ」
その一言に、レイの表情が少しだけ引き締まる。
「お任せください」
真っ直ぐな返事だった。
ロータスお兄様はそれを聞いて頷く。
「ではまた後で。」
そう言い残し、ようやく教室を後にした。
その後ろ姿が見えなくなるまで、先生も生徒たちも見送っていた。
『本当にすごい人だな、お兄様は……』
そう思いながら、私はレイと共に初めての教室へ足を踏み入れた。
教室へ入ると、生徒たちの視線が一斉にこちらへ向いた
さっきまで賑やかだった教室が、一瞬だけ静かになる。
「みなさん、席についてください」
パン、とアカネ先生が手を叩いた。
その一言だけで教室が落ち着く。
「では、改めて自己紹介をしましょう」
アカネ先生は教壇の前に立ち、優しく微笑んだ。
「まずは私からですね」
そう言って軽く胸に手を当てる。
「私は担任のアカネです。アカネ先生と呼んでください」
教室から「はーい」と元気な返事が返って
アカネ先生が説明を続けている横で、不意に声をかけられる。
「ねえねえ」
振り向くと、隣の席の男の子が身を乗り出していた。
黒髪に丸い耳
フューマ族だ。
「よろしく!」
人懐っこい笑顔を向けてくる。
「僕はサスケ!」
「フリージアです」
「知ってる!」
即答だった。
サスケは楽しそうに笑うと、小声で話し始めた。
「アカネ先生すごいでしょ?」
「うん?」
「フューマ族なのに先生なんだよ!」
言われて前を見る。
アカネ先生は黒板へ文字を書きながら準備をしていた。
確かにフューマ族だ。
耳も普通だし、特別な特徴は見当たらない。
「先生、魔法が使えるの?」
「使えるよ!」
サスケは誇らしそうに胸を張った。
「しかもすごく上手なんだ!」
「へぇ」
「教えるのも上手だから先生になれたんだって!」
なるほど。
確かに先生になるには魔法だけでは駄目だろう。
知識も必要だし、人に教える技術も必要だ。
「今年の新入生でフューマ族は十人くらいしかいないんだ」
「そんなに少ないの?」
「うん」
サスケは頷く。
「フューマ族って元々魔力が弱いから」
この世界では珍しくない話だった。
種族によって魔力量には差がある。
エルフ族やセラフィム族は魔力が高く、フューマ族は低い。
だから魔法学園へ入学できる者も少ないらしい。
「でもアカネ先生は違うんだ」
サスケの目がきらきら輝く。
「先生、フューマ族の英雄なんだよ!」
「英雄?」
「うん!」
サスケは大きく頷いた。
「先生のおかげでフューマ族でも魔法を学べるって証明されたんだ!」
その声には尊敬が滲んでいた。
「フューマ族の子ならみんな知ってると思う」
前を見る。
アカネ先生はそんなことを気にした様子もなく、生徒たちへ優しく声を掛けていた。
偉業を成し遂げた人というより、ごく普通の先生に見える。
だけど――
『きっとすごい努力をしたんだろうな』
そう思った。
魔力が少ないと言われる種族で、魔法学園の教師になる。
それがどれほど大変なことなのか、少しだけ分かる気がした。
すると隣のレイがぽつりと呟く。
「尊敬できる方ですね」
「うん!」
サスケは素直に頷いた。
「それでは、新入生の皆さん」
その時、アカネ先生が教壇の前へ立った。
教室中の視線が先生へ集まる。
「まずは自己紹介をしましょう」
にこりと優しく微笑む。
「新しいお友達が増えましたからね。みんな仲良くなれるように、自分のことを知ってもらいましょう」
生徒たちが頷く。
するとアカネ先生の視線がこちらへ向いた。
「せっかくですので――」
その言葉に嫌な予感がした。
「まずはフリージアさんとレイシオンくんからお願いできますか?」
『やっぱりぃぃぃ!』
心の中で叫ぶ。
教室中の視線が一斉にこちらへ向いた。
さっきよりもずっと注目されている気がする。
当然だ。
王族の私と、入学前から噂になっていたレイ。
みんな気になっているに決まっている。
「頑張れ」
サスケが小声で応援してくれた。
全然嬉しくない。
緊張する。
隣を見ると、レイは平然としていた。
『なんでそんなに落ち着いてるの……』
私だけが緊張している気がする。
アカネ先生は優しく微笑んだ。
「大丈夫ですよ。難しいことは考えなくていいですから」
そう言われても、みんなが見ている。
教室中の期待の視線が痛い。
私は小さく深呼吸をした。
そして、ゆっくりと立ち上がった。
「えっと……フリージア・フェリアスです」
教室が少しざわめく。
名字を聞いて王族だと再認識したのだろう。
「好きなことは魔法の勉強と本を読むことです」
そこで少し考える。
前世ならゲームと言えたのだけれど、この世界にはない。
「みなさんと仲良くなれたら嬉しいです」
ぺこりと頭を下げる。
一瞬の静寂。
そして――
「かわいい……」
誰かが呟いた。
「お人形さんみたい……」
「声も可愛い……」
「本当に王女様なんだ……」
ひそひそ声が聞こえる。
『恥ずかしい……』
慌てて席に座った。
すると隣のサスケが親指を立てる。
「上手だった!」
「ありがとう……」
全然そんな気がしない。
そして今度はレイが立ち上がった。
一瞬で女子たちの背筋が伸びる。
レイは静かに周囲を見渡した。
「レイシオンです」
それだけだった。
『短っ!?』
私だけじゃなく教室全体がそう思ったらしい。
数秒の沈黙が流れる。
アカネ先生も少し困ったように笑った。
「えっと……好きなものとかは?」
「フリージア様です」
即答だった。
教室が静まり返る。
『え?』
私も固まる。
レイは気づいていない。
本当に気づいていない。
「フリージア様と勉強することが好きです」
真顔だった。
悪気もない。
純粋にそう思っているだけだ。
だからこそタチが悪い。
女子たちが一斉にこちらを見る。
男子たちも見る。
サスケまで見る。
『なんで私を見るの!?』
顔が熱くなる。
アカネ先生は何とか咳払いした。
「仲良しなんですね。勉強が好きなんて素晴らしい!」
「はい」
レイは真面目に頷いた。
その瞬間。
教室中が再びざわめきに包まれたのだった。
みんなの自己紹介が終わった頃――
ちょうど鐘の音が校舎に響いた。
カーン、コーン――
アカネ先生が手を合わせる。
「それでは、この後は学校案内をしますね」
生徒たちが頷く。
「図書館や食堂、保健室などを回ります。もちろんトイレの場所も説明しますから安心してくださいねー」
教室に小さな笑いが起きた。
そして――
「では移動しま――」
アカネ先生が言い終わる前だった。
ドドドドドッ!!
ものすごい勢いで人が動く音がした。
『え?』
気付けば私の机の周りに生徒たちが押し寄せていた。
「フリージア様!」
「お話してもいいですか!?」
「好きな食べ物は何ですか!?」
「王城ってどんなところなんですか!?」
「髪すごく綺麗です!」
「その髪って本当に七色に光るんですか!?」
「触ったら怒られますか!?」
『近い近い近い近い!!』
一気に質問が飛んでくる。
私は完全に固まった。
すると反対側からも歓声が上がる。
「レイくん!」
「本当にアイリオン先生の親戚なの!?」
「剣使えるの!?」
「その髪綺麗!」
「どこの出身!?」
今度はレイも囲まれていた。
だが――
「……」
レイは無表情のまま固まっている。
明らかに処理が追いついていない。
『レイも駄目だこれ』
珍しく困っていた。
そんな中、サスケだけは楽しそうに笑っている。
「すごい人気だね!」
「他人事じゃないよぉ……」
私が助けを求めるようにサスケを見ると、
「僕も聞きたいこといっぱいある!」
と満面の笑みで言った。
『増えたぁ!!』
その時だった。
パンッ!
アカネ先生が手を叩く。
一瞬で教室が静かになった。
さすがである。
「みなさん」
先生はにっこり笑っていた。
笑っていたのだが――
なぜか少し迫力があった。
「お友達ができて嬉しいのは分かります」
生徒たちが姿勢を正す。
「ですが」
にっこり。
「フリージアさんとレイシオンくんは逃げません」
教室が静まり返る。
「まずは学校案内です」
「はーい……」
しょんぼりした返事が返ってきた。
私は思わずほっと息を吐く。
すると隣でレイも小さく息を吐いた。
どうやら助かったと思ったのは私だけではなかったらしい。
アカネ先生の後ろについて歩き、学校の見学が始まった。
まず案内されたのは初等部だ。
広い運動場。
簡単な実験室。
大きな食堂。
保健室や図書室などもあり、前世の学校とそこまで変わらない印象だった。
『意外と普通だなぁ』
そんなことを思いながら歩く。
その後、私たちは中等部へ向かった。
「ここからは中等部になります」
アカネ先生が説明する。
すると一気に雰囲気が変わった。
運動場は初等部より何倍も広い。
剣術用の訓練場もある。
さらに――
「こちらが魔導訓練場です」
目の前には巨大な施設が広がっていた。
結界らしき光が張られ、中では生徒たちが実際に魔法の訓練をしている。
『すごい……』
思わず見入ってしまう。
その時だった。
訓練場の一角で見覚えのある人物を見つけた。
『あっ』
ペールグリーンの髪。
整った顔立ち。
誰よりも目立つその姿。
シルヴァンお兄様だ。
どうやら訓練中だったらしい。
剣を振っていたシルヴァンお兄様が、ふとこちらへ視線を向けた。
そして私を見つける。
ぱっと表情が明るくなった。
次の瞬間。
にこり、と優しい笑顔を浮かべて手を振ってくれた。
「――!」
その瞬間だった。
「きゃあああああ!!」
「シルヴァン様が笑った!!」
「今こっち見た!?」
「手振った!!」
「尊い!!」
訓練場のあちこちから悲鳴にも似た歓声が上がる。
『うわぁ……』
さすがシルヴァンお兄様である。
だが――
「シルヴァン」
低い声が響いた。
訓練を担当していた教師だった。
シルヴァンお兄様の肩がぴくりと震える。
「訓練中だぞ」
「あ……」
しまった、という顔になる。
「申し訳ありません」
素直に頭を下げた。
その姿に周囲の生徒たちからさらに歓声が上がる。
「謝ってる姿まで素敵……」
「可愛い……」
「真面目……」
教師は軽くため息を吐いた。
「休憩時間なら構わん。だが今は訓練中だ」
「はい」
シルヴァンお兄様は少し恥ずかしそうに笑った。
そしてもう一度だけ私へ小さく手を振る。
今度は控えめだった。
それでも周囲から悲鳴が上がる。
『大変だなぁ……』
私は思わず苦笑する。
けれど叱られた後に素直に謝るシルヴァンお兄様は、なんだか少し可愛かった。
その後も校内の案内は続いた。
中等部の実験棟の前を通りかかった時だった。
『あれ?』
ガラス越しに見覚えのある少年が見えた。
黒髪に金色の瞳。
どこか大人びた雰囲気を持つ少年だった。
『あの子……』
思い出す。
お披露目会で一度だけ挨拶をしたことがある。
ザルヴァニアの息子さんだ。
今は薬品らしきものを前に、真剣な表情で作業していた。
横顔が少しだけ父親に似ている。
『元気そう』
思わずほっとする。
ザルヴァニアは私の闇魔法の師匠だ。
王城に住み込みで生活しながら、長い時間をかけて私に闇魔法を教えてくれた。
厳しいけれど面倒見が良くて、誰よりも魔法に詳しい。
ドラゴニュート特有の鋭い雰囲気も相まって、最初は少し怖かった。
けれど慣れてしまえば頼れる師匠だった。
だからこそ思う。
『私のせいで離れて暮らすことになっちゃったな……』
ザルヴァニアは一度もそんなことを言わなかった。
むしろ師としての役目を誇りに思っているようだった。
それでも少しだけ気になってしまう。
親子で過ごせる時間は減ってしまったはずだから。
その時だった。
少年がふと顔を上げる。
そして窓の外にいる私を見つけた。
「あ……」
驚いたように目を見開く。
私は小さくお辞儀をした。
すると少年は慌てたように背筋を伸ばし、ぎこちなく頭を下げた。
その真面目な仕草に思わず笑ってしまう。
『やっぱり似てる』
不愛想そうに見えるのに、実は律儀なところまで。
まるでザルヴァニアそのものだった。
レイに肩を軽く叩かれ、私ははっと我に返った。
「フリージア様」
「あっ」
気付けばみんなはずっと先へ進んでいる。
「ご、ごめん!」
慌てて小走りで列へ戻った。
サスケがくすくす笑う。
「知り合い?」
「うん。師匠の息子さん」
「へぇー」
興味津々な顔をされたが、それ以上聞かれることはなかった。ちなみに、ザルヴァニア様を「師匠」と呼ぶようになったのは、小さい頃どうしても名前をうまく言えなかったのがきっかけだ。
そして見学はいよいよ最後の場所へ向かう。
高等部だ。




