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第29話 お祖父様

『帰ってきたー!』


 見慣れた景色に、ほっと息を吐く。


『やっぱり我が家が一番!』


 長旅も楽しかったけれど、帰ってくると安心する。


「ダリアンもランも、お疲れ様!」


 私は二人を振り返った。


「グレンもありがとう!」


「いえ」


「それと……ごめんね。私がわがまま言ったから、トーキア国まで行くことになっちゃって」


 二週間かけて国境まで行って、帰りも同じだけ。

 私が『自分で行く!』なんて言わなければ、みんながこんな長旅をすることもなかった。


 けれどダリアンは、まったく気にした様子もなく笑った。


「そんなこと、気にしなくていいんですよ」


「でも……」


「私たちは、フリージア様がどこへ行こうとお供するのが役目ですから」


 ランも隣で微笑む。


「そうですよ。それに私も楽しかったです」


「ほんと?」


「はい。フリージア様のおかげで、美味しいものもたくさん食べられましたし」


「それは確かに」


 ダリアンまで頷いた。


「そこ?」


 思わず笑ってしまう。


「それに――」


 ダリアンが少しだけ優しい顔をした。


「どんな場所であっても、フリージア様が行かれるのなら、私たちはついていきますよ」


「……うん!」


 なんだか嬉しくなった。


『じゃあ、次にどこか行きたくなっても大丈夫だね!』


「ただし」


「?」


「勝手に行くのは禁止です」


「……分かってます!」


 先に釘を刺されてしまった。


ようやく屋敷へ戻り、みんな揃ってソファへ腰を下ろした。


「はぁ〜……」


『やっぱり我が家が一番!』


 長旅も楽しかったけれど、久しぶりの我が家は落ち着く。

 今日はもう何もしない。

 このままゆっくりしよう。


 そう思って、私もソファに身体を預けた――その時。


「…………あっ!」


 勢いよく身体を起こす。


『忘れてた!』


「私、お祖父様に聞きたいことがあったの! ちょっと行ってくる!」


「え、フリージア様――」


 ダリアンの声が聞こえたけれど、その続きを聞く前に部屋を飛び出した。


 廊下を走り、そのままお祖父様の執務室へ向かう。


『魔力のいらない魔法陣!』


 あれについて絶対聞かなきゃ!


 そして執務室へたどり着くなり――。


「お祖父様!」


 バンッ!


 勢いよく扉を開け、そのまま中へ入った。


「おっ?」


 机に向かっていたお祖父様が、驚いた顔でこちらを見る。


「…………」


「…………」


『あ、やべっ』


 ノックしてない。


 しかも勢いよく入ってしまった。


 私はそーっと一歩後ろへ下がり、何事もなかったかのように扉を閉めようとする。


「……いや、もう入っておるから。やり直そうとするな」


 扉を閉めきる寸前、お祖父様に止められた。


「…………はい」


 私は扉から手を離し、少し申し訳なさそうに中へ入る。


「ごめんなさい……」


「まったく」


 そう言いながらも、お祖父様は怒っている様子はなく、むしろ少しおかしそうに笑っていた。


「それで、どうしたフリージア。お主の方からわしのところへ来るとは珍しいの」


「あっ、そうなの!」


 私はすぐに顔を上げた。


「お祖父様に聞きたいことがあるの!」

「あのね、トーキア国に行ってきたの!」


「うむ、知っておるぞ」


「それでね、すっごく大きな滑り台があってね!」


「滑り台?」


「そう! ものすごーく高くて長いやつ! その近くに、上まで行ける転移の魔法陣があったの!」


「ああ……」


 お祖父様が何か思い出したように頷く。


「あれ、お祖父様が作ったって聞いた!」


「ああ、作ったぞ」


「やっぱり!」


 私は机に両手をついて、ぐっと身を乗り出した。


「あれ、魔力がなくても使えるんでしょ!?」


「使えるぞ」


「なんで!?」


「なんでと言われてものぉ……」


 お祖父様は髭を撫でながら、少し考える。


「転移させる距離がごく短いからの。普通の転移魔法陣とは少々違う組み方をしておる」


「それ!」


「ん?」


「その組み方! なんで私に教えてくれなかったの!?」


「…………」


 お祖父様がきょとんとする。


「なぜ教える必要があるんじゃ?」


「だって! それが分かれば、魔力がない人でも使える魔道具がもっと簡単に作れるかもしれないじゃん!」


「…………魔道具?」


「そう!」


 お祖父様はしばらく私を見つめ――。

「……お主、また何か作っておるのか?」


「んー……まだ作ってない!」


「まだ?」


「作るかも?」


「…………」


 お祖父様が何とも言えない顔をした。


「それより! なんであの魔法陣、魔力がいらないの!?」


「ん?」


「どうして!? どうやって作ったの!?」


 机に身を乗り出して詰め寄る。


「お、おう……ちょっと待て、フリージア」


「だって、あれが分かれば――」


「すまんの」


「?」


 お祖父様があっさり言った。


「あれ、わしにもできんのじゃ」


「…………」


「…………」


「え?」


「だから、わしにも作れん」


「作ったのお祖父様でしょ!?」


「そうなんじゃがのぉ」


 お祖父様は困ったように頭を掻いた。


「あの時の思いつきで作ったものでな。次の日に、もう一つ作ってみようと思って試したんじゃが……まったくできんかった」


「なんで!?」


「寝たら忘れた」


「…………」


『寝たら忘れた!?』


「実はあの時、酒を飲んでおってのぉ」


「お酒!?」


「子供たちがあの長い階段を登っとるのを見てな。『毎回あそこまで登るのは大変じゃのぉ』と思って」


 お祖父様は当時を思い出すように笑った。


「それで酔った勢いで、適当に魔法陣を書いてみたんじゃ」


「適当に!?」


「うむ。何も考えずにな」


「…………」


『嘘でしょ……』


 いろんな国の人が見に来るほどの魔法陣だよ?


 誰も解読できなかったんだよ?


 それを――。


『酔っ払って適当に作ったの!?』


「確か、その後はいろんな奴が調べに来ておったな」


「そう! 誰も解読できなかったって聞いた!」


「そうじゃった、そうじゃった」


 お祖父様は楽しそうに笑う。


「アイリオンも見ておったはずじゃぞ」


「アイリオン先生も!?」


「あやつも随分調べておったが、結局できんかったはずじゃ」


 そして豪快に笑った。


「ガハハ! アイリオンができんのなら無理じゃ!」


「むぅ……」


 せっかくいい方法を見つけたと思ったのに。

 私はお祖父様に詰め寄ったまま、頬をぷくっと膨らませた。


「そんな顔をするでない」


 むにっ。


「むっ!?」


 目の前にあったお祖父様の大きな手が、そのまま私の両頬を片手で挟んだ。

 頬がむぎゅっと押され、口まで尖る。


「むぅぅ……」


 その時――。


 コンコン。

 ようやく執務室の扉がノックされた。


「入れ」


「失礼します」

 入ってきたのはダリアンだった。


「すみません、国王陛下。フリージア様が――」


 私は頬をむにっとされたまま、ダリアンの方へ顔を向けた。


「…………」


「…………」


「おう、来たな」

 お祖父様は私の頬を挟んだまま、何でもないようにダリアンへ声をかける。

 そして今度は、私を見てニヤッとした。


「フリージア」


「む?」


「お主、一人でここまで来たな?」


『………ヤバ』


「しかも、長旅で疲れておる護衛のことも考えずに」


 むにっとしていた手が離れたと思った次の瞬間――。


 ぺちん。


「いたっ」

 軽く額を弾かれた。


「むぅ……」


 魔法陣のこともあるし、デコピンまでされたし。

 私はまだ不満そうに頬を膨らませる。


「とにかく、できんものはできん! 諦めろ!」


「むぅぅ……」


「ガハハ! 終わりじゃ、終わり!」


 結局、作った本人にも分からないらしい。

 私は納得できないまま、ダリアンと一緒に執務室を出ることになった。

 そして扉を出る間際――。


「フリージアよ」


「なに!」


「トーキア国はどうじゃった?」


 私はまだ少しむくれたまま振り返った。


「楽しかった!」


「そうか! それはよかった!」


  お祖父様は、魔法陣の話をしていた時よりも嬉しそうに笑った


「もっと楽しめ!」


「分かった!」


 バタン。

 扉が閉まった。

 トーキア国から帰ってきてからというもの、私とレイは大忙しだった。


 遠征に出ていた間、当然ながら勉強はほとんどできていない。

 出発前に始まった貴族の作法も、その間はお休みしていた。


 その分が――見事に帰ってきてから待っていた。


「フリージア様、レイシオン様、次はこちらを」


「はい……」


「はい」


 勉強をして。


「お二人とも、背筋を伸ばしてください」


「はい……」


「はい」


 貴族の作法を習って。


 さらに魔法の訓練。


 しかも、こっちは今までより少し厳しくなった。


 理由はもちろん――遠征中のあれだ。


『お菓子取られて暴走したやつ……』


 先生の前で一度暴走して以来、ちゃんと制御できているつもりだった。

 けれど今回、また感情に引っ張られて魔力を溢れさせてしまった。


 そのため帰ってからは、感情が大きく動いても魔力を抑えられるように、少しきつめの訓練をすることになった。


 もちろんレイまで同じ訓練に付き合っている。


「レイは暴走してないのに、ごめんね……」


「大丈夫。一緒にやった方が僕も練習になるから」


 そんな毎日が続いて、厨房へ行く時間もすっかり減っていた。

 もっとも、最近は私が何かしなくても料理長たちが美味しいものを作ってくれる。

 昔に比べれば、料理はかなり良くなった。


『わざわざ私が行かなくても美味しいもの出てくるしね』


 ただ、そんな忙しい日々の中でも、ひっそりと一つだけ育てていたものがある。

 トーキア国で買ってきたぶどうから作った酵母だ。

 毎日少しずつ様子を見ながら育てて、ようやくいい感じになってきた。


『あとは作る時間があれば……』


 そう思っていたところ――。


 ちょうど先生たちの予定が重なり、珍しく勉強も魔法の訓練もお休みになった。


「休みだー!」


 私は両手を上げる。


 隣ではレイも、少し嬉しそうにしていた。


「レイ!」


「うん?」


「厨房行こ!」


「……休むんじゃないの?」


「今日は作りたいものがあるの!」


「また?」


「ふふふ。今回はすごいよ!」


 私は大事に育てていた酵母を抱える。


「硬いブレッパを、ふわっふわにする!」


「……できるの?」


「たぶん!」


「たぶんなんだ」


「やってみれば分かる!」


 久しぶりに、私とレイは二人で厨房へ向かった。


「料理長ー!」


「はい。今日はどうされました?」


「ブレッパをふわふわにします!」


「……ブレッパを?」


「うん!」


 この世界のブレッパは、とにかく硬い。

 旅の途中では卵液に浸して柔らかくしたけれど、私が食べたいのは最初からふわふわしたものだ。


「これを使えば、たぶんできると思うの」


 私は数日かけて育てた酵母種を見せた。


「これは……?」


「ぶどうから作ったの。これをブレッパの生地に混ぜると、膨らむはず!」


「生地が膨らむ……」


 料理長の目が一気に興味深そうなものに変わった。


「面白そうですね。ぜひやってみましょう!」


「うん!」


 小麦粉に酵母種を加え、水や塩を入れて捏ねていく。

 そして、しばらく寝かせる。

 時間が経って様子を見に戻ると――。


「フリージア様!」


「おぉ!」


 生地が膨らんでいた。


「本当に大きくなっています!」


「成功してる!」


 料理長も嬉しそうに生地を眺めている。

 形を整え、もう一度少し休ませてから焼いていく。

 やがて厨房いっぱいに、香ばしい匂いが広がった。


「できたー!」


 焼き上がったブレッパを取り出す。

 見た目からして、いつものものとは全然違う。

 少し冷ましてから半分に割ってみると、中はふっくら。

 指で押してみれば、ふにっと沈んで、ゆっくり元に戻った。


「ふわふわ!」


『成功だ!』


 私は我慢できずに一口食べる。


「んんーっ!」


 柔らかい。

 ちゃんとふわっとしていて、いつもの硬いブレッパとは全然違う。


『これこれ! これが食べたかったの!』


「レイも食べて!」


 隣でずっと見ていたレイに渡す。


「うん」


 レイが一口食べると、少し目を見開いた。


「……すごく柔らかい」


「でしょ!」


「いつものブレッパと全然違うね」


「ふふん! 成功!」


 料理長にも渡すと、手で割った瞬間から興味津々だ。


「これは……本当に柔らかいですね」


 一口食べて、さらに目を輝かせる。


「食感もまったく違います。これはまた新しい発見ですね!」


「でしょー!」


 すると――。


「……いい匂いがしますね」


「ん?」


 振り返ると、いつの間にかダリアンがそっと近づいてきていた。


『来た』


「ダリアンも食べる?」


「ぜひ」


 即答だった。


 ダリアンにも一つ渡す。


「……美味しいですね」


「ほんと?」


「はい。柔らかくて食べやすいです」


「よし! みんな美味しいなら大成功!」


 そう言ってもう一口食べようとして――。


「あっ! 料理長、あれ持ってきて!」


「あれ?」


「あれ! ほら、黄色くて塗るやつ!」


「……ミルバですか?」


「それ! ミルバ!」


 持ってきてもらったミルバを、まだ温かいブレッパの上にのせる。


 じわぁっと溶けて、中へ染み込んでいく。


『これよ、これ!』


「レイ、これも食べてみて!」


 ミルバをのせたものを渡すと、レイがもう一口。


「……こっちの方が好きかも」


「私も!」


「これは合いますね」


 料理長も頷いている。


 もちろんダリアンも、しっかりミルバをのせて食べていた。


「……さっきより美味しいですね」


「でしょ!」


 私はふわふわのそれを眺める。


「これだけ柔らかいなら、もう普通のブレッパとは違うよね」


 ふわふわのブレッパ……。


「――フレッパ!」


「フレッパ?」


 レイが首を傾げる。


「うん! ふわふわのブレッパだから、フレッパ!」


「なるほど」


「今日からこれはフレッパ!」


 名前も決まったところで、私は酵母菌の作り方を料理長に説明した。


「とりあえず、しばらくは私が作ったこの酵母を使っていいからね。あげる!」


「よろしいのですか?」


「うん! それでいっぱいフレッパ作って!」


「喜んで!」


 料理長は嬉しそうに酵母を受け取った。


「それと、ハニーを入れて甘くしてもいいし、オニオンとかベコンを入れても美味しいと思う!」


「なるほど! それもぜひ試してみたいですね」


「あとは頼んだ!」


「はい! 任せてください!」


「あっ、そうだ! これも!」


 私はトーキア国から持ち帰った味噌も料理長に渡した。


「これ、味噌っていうの。トーキア国でもらってきたんだよ」


「ミソ、ですか」


「うん! とりあえず、いつものスープに溶かして使ってみて。それだけで味噌汁になるから!」


「分かりました。こちらも試してみますね」


「お願い!」


『よし! これでフレッパも味噌汁もお任せできる!』


 そして残っていたフレッパに、ダリアンの手がそっと伸びる。


「ダメ!」


「……」


「ダリアンはもう食べたでしょ。これはランにあげるの!」


「……分かりました」


 私は最後のフレッパをしっかり確保した。


 厨房を出ると、待っていたランのところへ向かう。


「ラン! これ食べて!」


「私にですか?」


「うん! さっきできたばっかりのフレッパ!」


「ありがとうございます」


 ランが一口食べる。


「……! とても柔らかくて、美味しいです」


「でしょ!」


 美味しそうに食べるランを見て、私は満足した。


「あっ、そうだ! これも!」


私は料理長のほうへ振り向くと、もう一つトーキア国から持ち帰ったものを取り出した。


「これは?」


「味噌っていうの! トーキア国でもらってきたんだよ」


「ミソ……」


 料理長が興味深そうに覗き込む。


「向こうで食べたんだけど、すっごく美味しかったの!」


「これは、どのように使うのですか?」


「簡単だよ。とりあえず、いつも作ってるスープにこれを溶かしてみて!」


「スープに溶かすだけですか?」


「うん!」


 野菜やお肉を煮込んだいつものスープなら、それだけでも十分だ。


『出汁は……まあ、そのうち考えよう』


「それだけで味噌汁になるから!」


「ミソシル……」


「そう!」


 料理長は味噌を少し眺めてから、嬉しそうに頷いた。


「分かりました。こちらもいろいろ試してみますね」


「お願い!」


『よし。これで味噌汁もいつでも飲める!』


 フレッパに味噌汁。


 我が家の食卓が、また少しだけ豊かになった。


フレッパ作りも無事に成功し、それからの私は再び勉強と魔法、それに貴族の作法に追われる毎日に戻った。


 料理の方も、今では料理長たちに任せておけば美味しいものが出てくる。


『うん。食生活はかなり良くなった!』


 そんなわけで、厨房へ顔を出すことも以前よりずっと少なくなった。


 そして、入学まであと少し。

 私とレイが忙しく過ごしている間に――。

 別のところでは、とんでもないことが起きていた。

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