第27話 トーキア国
『ついに来たんだ……!』
再び馬車に乗り込み、大きな門の下をくぐる。
ガラガラと馬車に揺られながら、私は窓の外を眺めていた。
最初に見えたのは家々だった。
「……あれ?」
なんだろう。
少し、見覚えがある。
瓦屋根によく似た屋根。
だけど完全な昔の日本家屋というわけではなく、どこかモダンな造りが混ざっている。
木造の建物の隣には、石や煉瓦を使った建物もある。
和風なのに、この世界の街並みにちゃんと馴染んでいた。
『なんか……懐かしい』
さらに進むと、店が増えてきた。
食べ物屋、服屋、雑貨屋。
通りの両側にたくさんの店が並んでいる。
私は何気なく、一軒の店先に出ている看板を読んだ。
『……そば屋』
「…………」
次。
『天ぷら』
「…………え?」
さらにその隣。
『ラーメン』
その向こうには――。
『定食屋……メガネ屋……』
「…………」
私は馬車の窓に張り付いた。
『ちょっと待って』
もちろん、看板に書かれている文字そのものは日本語じゃない。
この世界の文字だ。
私は《全言語理解》があるから、意味が分かるだけ。
でも――。
『そば? 天ぷら? ラーメン!?』
名前だけじゃない。
店先をよく見れば、本当に見覚えのある料理が並んでいる。
『すごい! 異世界にも同じものってあるんだ!』
考えてみれば、お米だってあった。
醤油に似たものだって見つけたし、食材だって前世と似ているものはたくさんある。
『そりゃあ、似た料理があってもおかしくないよね』
私はあっさり納得した。
――名前まで同じなのは、ちょっと出来すぎている気もするけど。
『まあ、いっか!』
そんなことより。
『ラーメン食べたい!』
久しぶりに見た懐かしい料理の名前に、私の頭はすっかり食べ物でいっぱいになっていた。
私は窓から顔を離すと、すぐにお父様を振り返った。
「お父様!」
「ん?」
「私、あのラーメン食べたい! お腹空きました!」
私が店を指さすと、お父様は窓の外を確認した。
「ラーメン?」
「うん! あれ!」
「……フリー、ラーメンを知っているのか?」
「…………」
『あ』
しまった。
「でも、いい匂いするよ!」
私は窓の外を指さした。
「あのお店から、すっごくいい匂いする! 絶対おいしいよ!」
「匂いで決めたのか?」
「うん! お腹空いた!」
嘘ではない。
店の方から漂ってくる香ばしい匂いに、さっきからお腹が刺激されっぱなしだ。
『この匂い……絶対ラーメンだよ!』
もう口の中が完全にラーメンを待っている。
お父様はそんな私を見て、少し呆れたように笑った。
「まったく……この国に着いて最初に言うことがそれか」
「だって、お腹空いたんだもん!」
「分かった、分かった。ちょうど昼時だしな」
「やった!」
思わず両手を上げる。
『ラーメン! 五年ぶりのラーメン!』
その時の私は、どうしてこの世界にラーメンなんてものがあるのか――そんなことは、これっぽっちも気にしていなかった。
ただただ、久しぶりのラーメンに夢中だった。
私は置かれていた割り箸を手に取り、何の迷いもなくパキッと割った。
麺を持ち上げて――。
「いただきます!」
ずずずっ。
『~~~~っ! おいしい!』
口いっぱいに広がる濃厚なスープの味。
『これこれ! この世の幸せぇ……』
夢中で食べ進めていると、ふと視線を感じた。
「……?」
お父様が私を見ている。
その隣では、レイがまだ割っていない一本の割り箸を手にして、不思議そうに眺めていた。
「……これ、どうやって使うの?」
「え?」
レイは割り箸をひっくり返したり、先端を眺めたりしている。
『あ』
そこでようやく気づいた。
レイは箸なんて見たことがない。
するとレイは私の手元を見て、もう一度自分の割り箸を見る。
「……割るの?」
パキッ。
私の真似をして二本にすると、今度は持ち方をじっと観察し始めた。
「こう……?」
ぎこちなく箸を動かし、麺を挟む。
一度するりと落ちたけれど、二度目にはもう掴めていた。
『相変わらず覚えるの早っ』
そこで、お父様が口を開いた。
「……フリー」
「ん?」
「ラーメンは初めてだよな?」
「うん!」
「では、なぜフリーは最初からそれを割って使ったんだ?」
「…………」
箸を持ったまま固まる。
『やってしまった』
「それに、随分と慣れた食べ方をしているようだが」
「…………」
『ラーメンに夢中で何も考えてなかった!』
目の前では湯気を立てるラーメン。
お父様は私。
レイも私。
二人とも見ている。
「……冷めちゃうから、食べよ?」
お父様はまだ私を見ている。
レイまで箸を持ったまま、じっと私の手元を見ていた。
「もう! お父様! レイ!」
私は箸を握ったまま二人を見る。
「こんな美味しいものを目の前にして、私を見てても仕方ないですよ!」
「いや、しかし――」
「こういうことは本をたくさん読んでれば書いてありました!」
「……箸の使い方までか?」
「ありました!」
たぶん。
『いや、絶対どこかにはある!』
この国に箸があるんだから、使い方が載っている本だってきっとある。
「だから食べよ! ほら、レイも!」
「う、うん」
レイは私の持ち方をもう一度確認すると、器用に箸を動かした。
するりと逃げた麺をもう一度挟み直し、今度はちゃんと持ち上げる。
「できた」
「そうそう! それです!」
レイが私の真似をして麺を口に入れる。
「……おいしい」
「でしょー!」
『そうでしょ、そうでしょ!』
なぜか私が作ったわけでもないのに、ものすごく嬉しい。
お父様はまだ少し納得していない顔をしていたけれど、やがて諦めたように割り箸を手に取った。
「フリーは確かに本ばかり読んでいるが……箸の持ち方まで本で覚えるものなのか……?」
ぶつぶつ言いながらも、ようやく自分のラーメンを食べ始めた。「……本でなぁ……」
と、ときどき私を見ながらぶつぶつ言っていたけれど――。
『気にしない、気にしない!』
今は五年ぶりのラーメンを堪能する方が大事だ。
最後の一口までしっかり味わって、スープも名残惜しく眺める。
『あぁ……幸せだった』
五年ぶりのラーメン。
まさか異世界で食べられるとは思わなかった。
「ごちそうさまでした!」
大満足で店を出る。
「さて」
お父様が私を見る。
「今度こそ、本来の目的を果たしに行こうか」
「はい!」
『そうだった!』
ラーメンの衝撃ですっかり頭から抜けていたけれど、私たちは観光に来たわけじゃない。
魔力を持たない人でも使えるドライヤー。
それをナナトに見てもらうために、二週間もかけてここまで来たのだ。
『いざ、ナナトのもとへ!』
再び馬車に乗り込み、トーキア国の街を進んでいく。
窓の外には、まだまだ気になるお店がいっぱいあった。
『……帰りに天ぷら食べられないかな』
「フリー」
「な、なに?」
「今度はどの店を見ていた?」
「……天ぷら」
「まずはナナトだ」
「はーい……」
名残惜しく店から目を離す。
こうしてようやく、私たちはナナトの待つ場所へと向かった。
◇◇◇
到着すると、ナナトは笑顔で私たちを出迎えてくれた。
「ナナト! 来たよー!」
お父様がいつもの調子で片手を上げる。
「ごめんね。急に時間を作ってもらって」
「いえいえ、大丈夫ですよ。まさか本当にこちらまで来られるとは思いませんでしたけど」
「フリージアがどうしても自分で来るって聞かなくてね」
「ははっ、なるほど。それでわざわざ二週間かけて国境まで?」
「そういうこと」
「相変わらず娘には甘いですね」
「否定はしないよ」
ナナトが楽しそうに笑った。
『やっぱり仲いいなぁ』
敬語は使っているけれど、二人の会話には堅苦しさがない。
昔からよく知っているからなのか、ナナトもお父様には遠慮なく言う。
私も二人の挨拶が終わるのを待ってから、姿勢を正した。
「お久しぶりです、ナナト様。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
「フリージアちゃん、久しぶり。ずいぶん丁寧な挨拶ができるようになったね」
「ありがとうございます」
『ふふん。ちゃんと練習したからね!』
あんなに嫌だった作法の勉強だけど、こういう時には役に立つ。
「それから、こちらはレイシオンです。今回持ってきた魔道具を一緒に作った、共同開発者でもあります」
「レイシオンと申します。よろしくお願いいたします」
レイも綺麗に頭を下げた。
「君がレイシオン君か。話は聞いているよ。よろしくね」
それからナナトは、自分の家族も紹介してくれた。
奥様と、二人の息子、それから娘。
そして、私より三つ年上だという次男イチキの番になった。
「よろしくお願いします」
「うん、よろしくね!」
私が笑って返すと、なぜかイチキは黙って私を見つめた。
その頬が、ほんのり赤くなる。
すると隣にいた長男イチタが、イチキの肩にそっと顔を寄せた。
「……すげー可愛いな」
「っ!」
「お前、完全に見惚れてんじゃん」
「ち、違う!」
「顔赤いぞ」
長男は楽しそうにニヤニヤしている。
「まだまだガキだなー」
「兄さんだってそんなに変わらないだろ!」
「少なくとも見惚れて固まったりはしないね」
「うるさい!」
二人とも小声で話していたので、私はまったく聞いていなかった。
『兄弟で何話してるんだろ?』
でも――。
レイには聞こえていたらしい。
「…………」
すっ。
レイが私の少し前に出た。
「?」
ちょうど次男から私が見えにくくなる位置だ。
イチキが少し横へずれる。
レイも横へずれる。
もう一度、反対へ。
レイも、すっ。
「…………」
「…………」
『何してるの、この二人?』
長男だけはその様子に気づいたらしく、今度はレイを見てニヤッと笑っていた。
「さて、立ち話もなんですし、まずは中へどうぞ」
ナナトに促され、私たちは談話室へ案内された。
広めの談話室に入り、それぞれソファへ腰を下ろす。
飲み物が用意されるのを待っている間も、私は早く本題に入りたくてうずうずしていた。
『せっかくここまで持ってきたんだもん。早く見てもらいたい!』
全員が席についたところで、私は待ちきれずにアイテムボックスへ手を入れた。
「では、さっそくなんですけど――」
取り出した魔道具を、テーブルの上に置く。
「これを見てください!」
「フリージア、そんなに焦らなくても大丈夫だよ」
「いや、早くやりたいです」
私はじーっとお父様を見つめた。
『ここまで来たんだから、早く見せたい!』
「…………分かったよ」
私の視線に負けたのか、お父様が小さく笑って引き下がる。
「では、さっそく説明しますね」
私は満足してナナトたちへ向き直ると、何事もなかったように淡々と説明を始めた。
「これは、髪を乾かすための魔道具です」
「髪を?」
ナナトが不思議そうに手に取る。
「はい。今までは風魔法を使える人に乾かしてもらったり、布で拭いて自然に乾くのを待ったりしますよね」
「そうだね」
「でも、これは誰でも使えます」
「誰でも?」
「はい。今回持ってきたものは、使う人の魔力を必要としません」
ナナトの表情が変わった。
「……魔力がなくても?」
「使えます」
私は頷いて、仕組みを説明していく。
「中には三種類の魔石が入っています。火の魔石で温かさを作って、風の魔石でそれを外へ送ります。そして、それらを動かすために雷の魔石を使っています」
もちろん、実際に形にしたのはガルドの力が大きい。
レイの意見もたくさん入っている。
「ですから、これは私一人で作ったものではありません。私とレイ、それからガルドの三人で共同開発した魔道具です」
「…………」
ふと顔を上げると、ナナト一家が私を見ていた。
「?」
『なんだろ?』
「フリージアちゃん……本当に五歳だよね?」
ナナトが確認するようにお父様を見る。
「一応ね」
「一応ってなんですか!」
お父様が笑っている。
「いや……さっきラーメンの話をしていた時とは、ずいぶん雰囲気が違うなと思って」
「それとこれは別です!」
『ラーメンはラーメン! これは商談!』
すると、それまで黙って聞いていたナナトの奥様が、テーブルの上のドライヤーへ身を乗り出した。
「フリージアちゃん」
「はい?」
「今、髪を乾かせると言ったわよね?」
「はい」
「魔力がまったくなくても?」
「はい!」
「……ちょっと使わせてもらってもいいかしら?」
「もちろんです!」
奥様の食いつきがすごい。
「あなた、これが本当ならすごいわよ」
ナナトが少し驚いたように妻を見る。
「そんなに?」
「そんなに、じゃないわ」
奥様は即答した。
「毎日髪を乾かすのがどれだけ大変だと思ってるの?」
「……すみません」
『あ、ナナト様が怒られた』
「特に髪の長い女性なら欲しがると思うわ。それに、魔力がなくても使えるんでしょう?」
「はい。この国の人たちにも使ってもらえるように、それを作りたかったんです」
「…………」
奥様はもう一度ドライヤーを見る。
そして――。
「これ、いつから買えるの?」
『おお!』
まだ売る話すらしていないのに。
『一人目のお客さん、見つけた!』
「あの買う前に、まず一度試してみませんか?」
「試せるの?」
「もちろんです! 実際に使った方が分かりやすいですから」
そう言うと、奥様はすぐに頷いた。
「じゃあ、やってみるわ」
『行動が早い!』
言われた通り、奥様は髪の半分ほどを水で濡らして戻ってきた。
「これくらいでいいかしら?」
「はい! じゃあ、ここを押してください」
私が簡単に使い方を説明すると、奥様は少し緊張した様子でドライヤーを構えた。
カチッ。
「わっ!」
吹き出した温かい風に、奥様が目を丸くする。
「温かい……!」
「熱すぎないでしょ?」
「ええ。ちょうどいいわ」
最初こそ驚いていた奥様も、すぐに慣れて髪へ風を当て始めた。
さらさらと髪が風になびいていく。
「……あら?」
しばらくすると、奥様が髪に触れた。
「ちょっと待って。もうこんなに乾いてる?」
「はい!」
「まだそんなに時間経ってないわよね?」
普段なら、布で水気を取ってから乾くまでかなり時間がかかる。
けれどドライヤーなら、その半分ほどの時間で髪が乾いていった。
「すごい……」
奥様は何度も自分の髪を触っている。
「しかも私、自分でやってるのよね?」
「そうですよ」
「風魔法を使える人を呼ばなくても?」
「はい!」
「私には魔力がないのに?」
「だから、このドライヤーを持ってきたんです!」
「…………」
奥様の目が輝いた。
『おっ』
これは――。
「あなた!」
「な、なんだ?」
突然呼ばれたナナトが少し驚く。
「これ、絶対買うわ!」
「まだ売る話を――」
「絶対よ!」
「……はい」
『すごい食いつきだ』
奥様はすっかり乾いた髪を嬉しそうに触りながら、今度は私の方を見る。
「フリージアちゃん、これ本当にすごいわ。女性なら絶対欲しがると思う」
「ほんと!?」
「ええ。少なくとも私は、もうこれなしには戻れないわ」
『よしっ!』
まだ一人に試してもらっただけだけど、トーキア国でも十分需要はありそうだ。
私は嬉しくなって、隣のレイと顔を見合わせた。
「それと、奥様」
「なあに?」
「今回こちらは、奥様に差し上げます」
「えっ、いただいていいの?」
「はい! その代わり――」
私はにこっと笑った。
「たくさん宣伝してくれませんか?」
「宣伝?」
「はい。実際に使ってみて良かったことを、お友達とか、いろんな人に教えてほしいんです」
奥様は一瞬きょとんとしたあと、楽しそうに笑った。
「ふふっ。フリージアちゃん、しっかりしてるのね」
「お願いします!」
「もちろんよ。こんな便利なもの、言われなくても話したくなるわ」
『やった!』
「ただ、もう一つ知っておいてほしいことがあります」
私はもう一台のドライヤーを取り出して、二つを並べた。
「魔力を少しでもお持ちの方には、こちらもあります」
「違うものなの?」
「使い方はほとんど同じです。ただ、こちらは自分の魔力を流して使います。その代わり、使っている魔石が少ないので、さっきのものより安く販売できます」
「なるほど」
「魔力を使わない方は、どうしても少し高くなってしまいます」
私はそこもしっかり伝えておく。
「火と風だけではなく、それを動かすための雷の魔石も必要なので、三種類の魔石を使っています。作る手間も増えるので、同じ値段では販売できないんです」
奥様は二つを見比べながら頷いた。
「それは仕方ないわね。材料が多く必要なら、その分高くなるのは当然だもの」
「はい。なので――」
私は二台のドライヤーを指さした。
「両方とも宣伝してほしいです!」
「ふふっ、分かったわ」
「魔力がある方なら安い方で十分ですし、魔力がない方でも、少し高くはなりますがこちらなら使えます」
「つまり、自分に合った方を選べるのね」
「そうです!」
すると、ずっと話を聞いていたナナトが感心したように私を見る。
「……そこまで考えて持ってきたんだね」
「もちろんです!」
胸を張る。
『……お父様に生産コストとか値段のことをちゃんと考えろって言われたからだけどね』
でも、ちゃんと考えたのは私だ。
「それでナナト様」
「うん?」
「トーキア国でも、これ……売れそうですか?」
ナナトは答えるより先に、自分の妻へ視線を向けた。
奥様はプレゼントされたドライヤーをすでに大事そうに抱えている。
「……聞く必要ある?」
「ないですね」
『よしっ!』
その後も販売について一通り説明をして、私の役目はひとまず終了した。
ただ、お父様とナナト様はまだ話すことがあるらしい。
「少し時間がかかるから、フリージアたちは城を見てきたらどうだい?」
「行く!」
ずっと座っているより、そっちの方が楽しそう。
ということで、私とレイはナナト様の子供たちに城を案内してもらうことになった。




