第26話 いざ遠征へ!
一日目は野宿になった。
日が傾き始めると、一行は開けた場所で足を止めた。
護衛の人たちはすぐに野営の準備を始め、簡易テントが次々と建てられていく。
その周囲では、何人かの兵士が手分けして結界魔法を張っていた。
『おお……本当に野宿だ』
お父様も護衛の人たちと何か話しているし、ランも忙しそうに動いている。
『私も何かしようかな』
そう思って、アイテムボックスを開いた。
「まずは……これ!」
ぽん。
料理長から借りてきたフライパン。
続けて鍋。
包丁にまな板、食器類。
「あとは食材も――」
野菜にお肉、魚。
料理長に分けてもらったものを次々と取り出していく。
「…………フリージア様?」
「ん?」
ランが妙な顔をしていた。
「それ……生ものですよね?」
「うん」
「持ってきたのですか?」
「うん。だって入ったよ?」
「入った……」
ランが困ったようにダリアンを見る。
いつの間にか、お父様までこちらを見ていた。
「フリー。それはいつ入れたんだ?」
「出発する前だよ」
「……傷んでいないのか?」
「?」
『なんで?』
「してないよ。ほら」
私はお肉を持ち上げて見せた。
出発前に入れた時と何も変わっていない。
「…………」
「…………」
なんでみんな黙るんだろう。
「確かに、アイテムボックスへ生ものを入れてはいけないという決まりはありませんが……」
ダリアンが肉を確認しながら首を傾げる。
「そもそも、入れようと考える者がほとんどいません。容量にも限りがありますし、腐ると思われていますから」
「でも腐ってないよ?」
「……そのようですね」
お父様が何か考えるように私のアイテムボックスを見た。
『まあ、いっか』
「あ、まだあるよ」
「まだ?」
ぽん。
今度は、ふかふかの布団を出す。
もう一つ。
さらにもう一つ。
「…………」
「レイの分と、ランの分と……お父様もいる?」
「フリー」
「なに?」
「そのアイテムボックス、どれくらい入るんだ?」
「えーっと……」
私は視線を逸らした。
『無限とは言えない』
「いっぱい?」
「いっぱい……」
お父様が額を押さえた。
「リリィたちのアイテムボックスとは、明らかに容量が違うな」
「ちょっとだけ大きいのかも」
「ちょっと、ね……」
疑われてる。
「でも便利だよ! ほんとは家も入れてこようと思ったんだけど」
「…………家?」
お父様の顔が止まった。
ダリアンまで固まっている。
「うん。家を丸ごと入れたら、野宿でもいつも通り寝られるかなって」
「フリージア様……」
「でも、さすがにやめたよ?」
『私、ちゃんと我慢したのに』
なぜか誰も褒めてくれない。
「……フリー」
「はい」
「家は入れないでくれ」
「やっぱり?」
「やっぱり、ではない」
お父様は盛大にため息をついた。
「それと、そのアイテムボックスの容量については、今まで以上に人前で見せないように」
「はーい」
「返事が軽い」
「はい!」
今度はちゃんと返事をした。
その横では、レイが取り出した布団を触っている。
「……ふかふか」
「でしょ? レイのもあるよ!」
「ありがとう」
『やっぱり持ってきて正解じゃん』
私が取り出した荷物を眺めながら、お父様は頭を抱えていた。
「……お父様?」
何やら小さな声でぶつぶつ言っている。
「確か……ロータスのアイテムボックスでも、馬車一台分ほどだったはずだ」
「?」
「リリィは……旅行鞄一つ分くらいだったか……」
お父様はそこで一度黙り、ゆっくり私を見る。
「…………」
「なに?」
「今、フリーは家を入れようとしたと言ったか?」
「うん」
「…………」
再び頭を抱えた。
「いや、聞き間違いだな」
「言ったよ?」
「……そうか」
お父様は遠い目をした。
「いや……フリーだからあり得るのか? そもそも家が入ると思ったから入れようとしたわけで……いや、待て。入るのか? 本当に?」
「たぶん?」
「たぶん……」
またぶつぶつと呟き始める。
「それに生ものを入れるとは……ずいぶん大胆なことを……」
「だって、お肉もお魚も持ってきたかったから」
「普通は腐ると思って入れないんだよ」
「でも腐ってないよ?」
「そこが一番おかしいんだ」
「?」
お父様が私を見る。
私も見返す。
「…………」
「…………」
やがてお父様は大きく息を吐いた。
「フリーのアイテムボックスについては、帰ったら一度きちんと調べよう」
「調べるの?」
「調べる。絶対に」
なぜかものすごく強く言われた。
『便利なんだから、別にいいと思うんだけどなぁ』
その横でダリアンが、まだ地面に並んでいる鍋や食材、それにふかふかの布団を見渡していた。
「……殿下」
「なんだ」
「私も一つ、よろしいでしょうか」
「言ってくれ」
「これだけ入るのでしたら、今後の遠征の概念が変わるのでは?」
「…………」
お父様が黙った。
そして、また何やらぶつぶつと呟き始める。
「……確かに、これだけの容量があれば遠征はかなり楽になる。食料も大量に運べるし、腐らないなら保存の問題までなくなる……」
お父様の視線が、私が出したふかふかの布団へ向く。
「それに……家まで入るのなら、野営そのものが必要なくなる可能性も……」
「お父様?」
「…………いや、待て」
お父様がハッとしたように顔を上げた。
「娘を遠征に連れていく親がいるか!」
「?」
突然、自分で自分に突っ込んだ。
「何を考えてるんだ私は……フリーはまだ五歳だぞ」
そして再び頭を抱える。
『お父様、さっきから一人で何してるんだろ?』
ダリアンも何も言わない。
ただ、少しだけ口元が笑っている。
「ダリアン」
「はい」
「今の話は忘れてくれ」
「承知しました」
「……本当に忘れるんだぞ」
「努力します」
「忘れる気ないだろう」
……ちょっと持ってきすぎたかも』
お父様が頭を抱えているのを見て、今さらながら少し後悔した。
便利だからと何でもかんでも入れてきたけれど、どうやら私のアイテムボックスは思っていた以上に普通じゃなかったらしい。
『まあ……出しちゃったものは仕方ないよね』
もう遅い。
私は考えるのをやめて、地面に並べた鍋や食材へ目を向けた。
「よし、ご飯作ろう!」
そもそも、こんなに料理道具や食材を持ってきたのには理由がある。
出発前、私はダリアンに遠征中の食事について聞いていた。
「旅の途中って、何食べるの?」
「途中にいくつか小さな村がありますので、そこでは食事を取れますよ。ただ、村に着くまで数日野宿が続くこともあります」
「その時は?」
「ブレッパと干し肉ですね」
「…………それだけ?」
「基本的には」
『数日も!?』
「あとは季節にもよりますが、この時期なら道中に実っているグレップやマゴーを採って食べることもあります」
グレップは前世でいうブドウに少し似た実で、マゴーはマンゴーによく似た甘い果実だ。
美味しい。
美味しいけど――。
『ブレッパと干し肉と果物で数日は嫌だ』
せっかく料理長と一緒にいろいろ作るようになって、最近は食事がかなり充実してきたのに。
旅に出た途端、昔の食生活に逆戻りなんて絶対に嫌だった。
だから出発前、料理長に頼んで鍋やフライパンを借り、食材も少し――
……いや。
『少しのつもりだったんだけどな』
アイテムボックスに入るからと、あれもこれも詰め込んでしまった。
結果、さっきの騒ぎである。
『でも、持ってきたものは使わなきゃもったいない!』
「今日は私が作る!」
「フリージア様がですか?」
ランが目を丸くする。
「うん! みんなの分!」
そう言ってから、周りを見渡した。
お父様、レイ、ラン、ダリアン、グレン。
それから第一隊の護衛たち。
「…………」
『あれ?』
もう一度人数を数える。
『けっこういるな……』
五歳児が一人で作る量じゃない気がしてきた。
「……ラン、手伝って」
「もちろんです」
ランがくすっと笑った。
「俺も手伝いましょうか?」
グレンまで袖をまくる。
「料理できるの?」
「遠征が多いですからね。焼くくらいなら」
『それ、料理できるって言うのかな……』
とりあえず人手は確保できた。
私はアイテムボックスから、さらに食材を取り出した。
「まずは――」
まずは、持ってきた大きな肉の塊を取り出した。
「グレン、これ薄く切れる?」
「これをですか?」
「うん。できるだけ薄く!」
「やってみます」
グレンに包丁を渡すと、迷いなく肉に刃を入れた。
すっ、すっ、と一定の厚さで肉が切り分けられていく。
「おお……!」
思わず手元を覗き込んだ。
『剣捌きだけじゃなくて、包丁捌きまで上手い!』
「グレン、上手!」
「これくらいなら。遠征では自分でやることもありますからね」
そこへ、いつも遠征中の食事を担当している兵士が二人やってきた。
「フリージア様、我々もお手伝いします」
「ほんと? じゃあお願い!」
二人には大きな鍋を任せることにした。
「まず、この干し肉を全部入れて」
「干し肉を……煮るのですか?」
二人が顔を見合わせた。
「うん!」
「いつもはそのまま食べますが……」
「煮ると美味しいよ。いい出汁が出るの!」
「だし?」
『あ、そこからか』
「えっと……お肉の美味しい味が、スープに出るの」
「なるほど……」
まだ半信半疑みたいだけど、二人は言われた通り鍋に干し肉を入れてくれた。
「次はお野菜! いっぱい入れていいよ」
切った野菜も次々と鍋へ。
あとは塩や香辛料で味を整えて、ぐつぐつ煮込む。
「たまに味見してね。干し肉から塩気が出るから、最初から塩を入れすぎない方がいいよ」
「分かりました」
「なるほど……これは遠征でもできそうだな」
二人が真剣な顔で鍋を覗き込んでいる。
『なんか料理長に教えてる時みたい』
その間にも、グレンが切ってくれた肉はどんどん焼いていく。
じゅうぅぅ――。
「そして、これ!」
私はアイテムボックスから瓶を取り出した。
「それは?」
「秘伝のタレ!」
醤油とニンニク、それからハチミツを混ぜて作ってきたものだ。
『混ぜただけだけど、秘伝ってことにしておこう』
焼けた肉にタレを回しかける。
ジュワッ――!
一気に香ばしい匂いが広がった。
「……これは」
料理担当の二人が同時にこちらを向いた。
「いい匂いだろ?」
なぜかグレンが得意そうにしている。
「グレンが作ったんじゃないでしょ」
「肉を切ったのは俺ですよ」
「切っただけ!」
「大事な仕事です」
『まあ、綺麗に切ってくれたけど』
「フリージア様、このタレはどうやって作るのですか?」
料理担当の一人が早速食いついてきた。
「それは秘伝だから秘密です!」
「本当に秘伝なのですか?」
「…………秘伝です」
『材料三つだけだけど』
最後はブレッパ。
卵とミルクを混ぜたものに浸して、いつものフレンチトーストと同じように焼く。
ただし今回は甘くしない。
「こんな使い方もできるのか……」
料理担当の二人は、今度はブレッパをじっと見ている。
『二人ともめちゃくちゃ覚える気だ』
でも、それならちょうどいい。
この二人が覚えてくれれば、次の野宿から私が全部作らなくても済む。
『よし。明日からお願いしよう』
料理が完成すると、それぞれの器によそって、みんなで食事をすることになった。
少し離れたところでは、お父様がまだ難しい顔をしている。
「……生ものが傷まないとなると、保存まで……いや、しかし容量が……」
まだ考えてる。
『私のせいなんだけどね』
「お父様ー! ご飯できたよ!」
「ん? ああ……もうそんな時間か」
ようやく考えるのをやめてこちらへ来たお父様は、目の前に並んだ料理を見て足を止めた。
「…………これは?」
「今日のご飯!」
「いや、それは分かるんだが……」
お父様は料理を一つずつ見ていく。
甘辛いタレを絡めた焼きたてのお肉。
野菜と干し肉をたっぷり入れた温かいスープ。
そして、卵とミルクを染み込ませて焼いたブレッパ。
「干し肉とブレッパは?」
「そこにあるよ?」
「……どこに?」
「このスープに干し肉。こっちがブレッパ」
私が指さすと、お父様が目を瞬かせた。
「これが?」
「うん! 今日は私が作ったの」
胸を張ってから、ちらっとランたちを見る。
「……ほとんどランたちだけどね」
グレンが肉を切ってくれて、料理担当の二人もかなり手伝ってくれた。
私はほとんど指示を出していただけだった気もする。
「まあまあ、とりあえず食べよ!」
私はお父様の背中を押した。
「いっぱい考えると疲れるでしょ? 食べて元気出そー!」
「……誰のことでこんなに考えていると思ってるんだ」
「…………」
『私です』
もちろん分かっている。
「だから元気出して?」
「まったく……」
お父様は呆れたように笑って、ようやく腰を下ろした。
「いただこうか」
「うん!」
みんなもそれぞれ料理を手に取り、食べ始める。
最初にお父様が口にしたのは、秘伝のタレを絡めたお肉だった。
「…………」
『どう?』
じっと見ていると、お父様がもう一口食べた。
「……美味しいな」
「でしょ!」
その一言を聞いて、私は満足して自分のお肉にかぶりついた。
『うん、おいしい!』
さっきまで頭を抱えていたお父様も、食べている間くらいは悩むのをやめてくれたみたいだった。
『まあ、アイテムボックスのことは……帰ってから考えよう!』
私も一緒に考えなきゃいけない気がするけど。
今はご飯の方が大事だ。
その日の夜は、アイテムボックスから持ってきた布団をテントの中に敷き、ゆっくり休むことになった。
「ふかふか……」
隣の布団に入ったレイが、小さく呟く。
「でしょ?」
やっぱり持ってきて正解だった。
慣れない野宿だけど、いつもの布団があるだけでずいぶん違う。
私も布団に潜り込み、目を閉じる。
――でも。
『寝袋もあったらいいよね』
いきなり頭に浮かんだ。
布団は気持ちいいけれど、普通のアイテムボックスにはこんなに入らない。
持ち運ぶなら、丸められる寝袋の方がずっと便利だ。
『あと、コンロ!』
今日だって火を起こすのは護衛の人たちにやってもらった。
火の魔石を使えば、簡単に火をつけられるものが作れるんじゃないだろうか。
『ライターみたいなのでもいいなぁ』
小さな火だけ出せるなら、もっと簡単に作れそう。
それから簡易ベッド。
『折り畳めるようにしたら持ち運べるよね』
一つ思いつくと、次から次へと出てくる。
『あ、でも……一番どうにかしたいのは馬車かも』
今日一日乗っていただけでも、お尻は痛いし、ずっと揺れているし、思っていたより疲れた。
『もっと揺れなくできないのかな?』
座るところを柔らかくして、振動も減らして――。
『いっそのこと、電車とかあったらいいのに』
そこまで考えて、さすがに無理かと小さく笑う。
でも、魔石がある。
火も、水も、風も、雷も。
組み合わせれば、前世にあったものとは違っても、似たようなものは作れるかもしれない。
『……帰ったらガルドに相談してみよ』
また作るものが増えそうだ。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか眠っていた。
◇◇◇
それからも、私たちは国境を目指して旅を続けた。
野宿の日は、私が持ってきた食材を使ってみんなで料理をした。
最初こそ私があれこれ指示していたけれど、料理担当の二人は覚えるのが早く、数日もすると干し肉のスープくらいなら私が何も言わなくても作れるようになっていた。
それどころか、
「今日はマゴーを少し入れてみたのですが」
「えっ、スープに!?」
「少量なら甘みが出るかと思いまして」
『……アレンジし始めてる』
料理長といい、この二人といい、この世界の料理人は意外と研究熱心なのかもしれない。
もちろん、私が持ってきた食材も毎日のように使った。
お肉も魚も野菜も、アイテムボックスから取り出せば入れた時のまま。
そのたびにお父様が微妙な顔をするのは、なるべく見ないことにした。
おかげで、野宿が続いても食事だけはかなり豪華だった。
『これなら二週間くらい余裕かも!』
――出発前より、明らかに旅を甘く見始めていた。
旅は順調に進み、国境まであと少しというところまでやってきた。
国境が近づくと、私たちは再び森の中へ入った。
この森を抜ければ、もう国境はすぐそこらしい。
「ここからは少し気をつけてください」
ダリアンが馬車の近くまで来て言った。
「この辺りには、少々厄介な魔獣がいます」
「強いの?」
「いえ。強さはそれほどでもありません。ただ、何でも盗んでいくんですよ」
「盗む?」
「ええ。特に食べ物ですね。非常にすばしっこいので、気づいた時にはなくなっていることもあります」
『へぇ、猿みたい』
そう思っていたら、本当に猿によく似た魔獣だった。
少し進んだところで、木の上から何匹もの小さな影がこちらを覗いているのが見えた。
「いた!」
「フリージア様、刺激しないでください」
「はーい」
別に襲ってくるわけでもない。
私は珍しい魔獣を見るような気持ちで眺めていた。
――最初は。
「あっ!」
一匹がものすごい速さで馬車の近くまで降りてきたかと思うと、兵士が持っていた袋を奪って木の上へ逃げていった。
「やられたな」
「中身は?」
「昨日フリージア様からいただいた菓子です」
「あー……」
『まあ、一個くらいなら』
ところが。
ガサッ!
「あっ!」
今度は別の兵士の袋。
さらに少し進むと――。
「またです!」
三つ目。
「…………」
『それ、私が持ってきたお菓子なんだけど』
みんなで食べようと思って、料理長に頼んでたくさん用意してもらったものだ。
それを次から次へと持っていく。
「フリージア?」
隣のレイが私を見る。
「……なに?」
「怒ってる?」
「怒ってない」
ガサッ!
また一匹。
「あっ!」
今度はランが持っていた袋をひったくった。
しかも。
「あ、それ……!」
私があとで食べようと思っていた、一番好きなお菓子。
「…………」
『い!い!加減に!しろー!』
ブワッ――!
「っ!?」
突然、辺り一面が真っ白になった。
「うわっ!」
「なんだ!?」
「目が……!」
昼間の森が、一瞬で何も見えなくなるほどの光に包まれる。
木の上にいた魔獣たちも驚いたらしい。
キーッ! キーッ!
あちこちから鳴き声が上がり、枝が激しく揺れる音がした。
光が収まった頃には、一匹残らず森の奥へ逃げていた。
「…………」
「…………」
しーん、と辺りが静まり返る。
『……あれ?』
私自身、何が起きたのか分からなかった。
ただ――。
お父様と目が合った。
「…………」
「…………」
『お父様?』
お父様の顔が一瞬だけ引きつる。
けれど次の瞬間。
「……驚かせてすまない」
お父様が何事もなかったかのように片手を下ろした。
「魔獣を追い払うために、少し強めに光魔法を使った」
「殿下だったのですか」
「ああ」
兵士たちが納得したように頷いている。
『…………』
私はお父様を見る。
お父様も私を見る。
そして誰にも気づかれないよう、ほんの少しだけ眉を寄せた。
『……もしかして、私?』
お父様の目が、そうだ、と言っている気がした。
『やっちゃった……』
魔獣にお菓子を盗まれたくらいで。
森一帯を照らすほどの光魔法をぶっ放してしまったらしい。
『…………』
私はそっと馬車の中へ引っ込んだ。
「フリージア?」
「レイ、何も聞かないで」
「……うん」
『またお父様の悩み増やしちゃった……』
先生の前で魔力を暴走させて以来、こんなことはなかった。
ちゃんと制御できるようになったと思っていたのに。
私は少し俯いて、お父様のそばへ寄った。
「……お父様、ごめんなさい」
「ん?」
「さっきの……私だよね」
「ああ」
「制御できなかった……」
あれだけ練習したのに。
怒っただけで、あんなふうに魔力を漏らしてしまった。
「ごめんなさい……」
もう一度謝ると、お父様は少し屈んで私と目線を合わせた。
「大丈夫だ」
「でも……」
「フリーはまだ五歳だよ」
お父様の手が、ぽんっと私の頭に乗った。
「お菓子を取られて怒るなんて、まだまだ可愛いな、フリーは」
「……むぅ」
「それも一個や二個じゃなかったからね。大事なお菓子をあれだけ取られたら、怒りたくもなるか」
「お父様、からかってるでしょ」
「少しだけ」
「もう!」
お父様がくすくすと笑う。
私は頬を膨らませながら、その顔を見上げた。
『……でも、怒ってないんだ』
たぶん、お父様は分かっている。
私が自分で失敗したと思って、落ち込んでいることを。
だからわざと、こんなふうにからかってくれているんだ。
『落ち込むなってことだよね』
「ただし」
「……はい」
「次は、お菓子を取られても森中を光らせないように」
「…………はい」
「返事が小さいな」
「はいっ!」
「よし」
また頭を撫でられた。
『次は絶対、ちゃんと制御しよう』
……それと。
『お菓子は全部アイテムボックスに入れておこう』
反省はした。
それにしても、お菓子を取られたくらいであんなに腹を立てるなんて。
『私もまだまだ子供だなぁ……』
前世では、こんなことであそこまで怒ったりしなかったはずなのに。
五歳の身体になったせいなのか、それともこの世界で過ごしているうちに、本当に子供っぽくなってきたのか。
『……まあ、今は五歳なんだからいいのかな』
そう思うことにした。
でも、魔力の暴走は別だ。
『そこはちゃんと気をつけよう』
私はもう一度、心の中で自分に言い聞かせた。
そんなこともありながら、旅は続き――。
ようやく私たちは国境門へたどり着いた。
「ついたぁー!」
馬車の窓から見える大きな門に、思わず声が出る。
『長かった……!』
約二週間。
途中で村に泊まったり、野宿をしたり、魔獣にお菓子を盗まれたり。
いろいろあったけれど、ようやくここまで来た。
国境門は想像していたよりずっと大きく、門の前には何人もの兵士が立っていた。
荷物を積んだ馬車や旅人の姿もあり、順番に手続きをしている。
「ここから先がヒューマ族の国?」
「門を越えればそうなります」
ダリアンの答えに、私は思わず身を乗り出した。
『ついに初めての外国!』
私たちの馬車が止まると、国境を守る兵士が近づいてきた。
第一隊長が馬を降り、あらかじめ用意していた書類を差し出す。
「フェアルーン国の者だ。ヒューマ国への入国と、国境門からの転移許可は事前に取ってある」
「確認いたします」
兵士は書類を受け取ると、記載された内容と印章を一つずつ確認していく。
私は馬車の中から、その様子をじっと眺めていた。
『普通に入るだけじゃないんだ』
そこで、さっきの言葉を思い出す。
『……てか、国の名前あったんだ!』
今までずっと、エルフの国とかヒューマ族の国とか、そんな呼び方しかしていなかった。
私たちが暮らしているのは、エルフ族が治めるフェアルーン国。
そして今回向かうのは、ヒューマ族が治めるトーキア国というらしい。
『五年も住んでて初めて知った……』
まあ、今まで国外に出ることなんてなかったし、誰かに聞いたこともなかったから仕方ない。
ちなみに、エルフ族の国がフェアルーン国だけというわけではない。
エルフ族が治める国はいくつかあり、ヒューマ族も同じように複数の国を持っている。
そして国を越える以上、たとえ王族でも勝手に通ることはできない。
まして今回は、この国境門にある転移魔法を使う。
事前にナナトへ連絡を入れ、入国だけでなく転移の許可まで取ってもらっていた。
しばらくすると、兵士が書類を返した。
「確認できました。ナナト様からも許可が下りております」
『やった!』
「転移門までご案内いたします」
その言葉に、私はレイを見る。
「レイ、もうすぐだよ!」
「うん」
いつも通り落ち着いているけれど、レイも少しだけ楽しそうに見える。
門をくぐった先には、いくつかの建物が並んでいた。
その中の一つが、正式な許可を受けた者だけが使える転移施設らしい。
『ここからなら、一瞬なんだ……』
二週間かけてようやくたどり着いた国境。
でもここから先は、転移魔法で一気にヒューマ族の国トーキア王国へ。
『なんか急に緊張してきた』
ずっと行きたかった国が、もう目の前まで来ていた。
転移魔法は、本当に一瞬だった。
一瞬だけ身体がふわっと浮くような感覚がして、次に目を開けた時にはもう終わっていた。
「……着いたの?」
「はい。トーキア国ですよ」
ダリアンに言われて辺りを見回す。
でも、目の前にあるのはさっきとよく似た建物の中。
『……全然分かんない』
兵士に案内されて建物を出ると、大きな門が目の前に現れた。
あれがトーキア国の門らしい。
『ついに来たんだ……!』




