第20話 レイの成長
そして翌日からは、またいつもの日々に戻った。
朝は訓練場へ行って体を動かし、そのあとは勉強。
もちろん、レイも一緒だ。
レイはほとんど記憶がないため、最初は文字や数字など、本当に基本的なところから勉強を始めていた。
だから最初のうちは、私の方がずっと先を進んでいた。
「レイ、これは?」
「……三?」
「正解!」
「じゃあこれは?」
「五」
「正解!」
なんだか先生になったみたいで楽しい。
『ふふん。私の方がお姉さんだからね!』
年齢はほとんど変わらないけど、そんなことは気にしない。
ところが――。
数日後。
「これは?」
「十二」
「……これは?」
「二十七」
「じゃ、じゃあこれは?」
「四十三」
「…………」
答えるのが早い。
しかも間違えない。
『あれ?』
さらに文字を教えれば、一度見ただけでほとんど覚えてしまう。
昨日まで読めなかったはずの本を、今日は一人で読んでいる。
『……あれれ?』
そして、さらに数ヶ月が経つ頃には――。
「フリー、そこ違う」
「え?」
レイが私の書いた答えを指さした。
「ここの魔力式、三段目がズレてます」
「……ほんとだ」
「あと、この古代文字は“循環”ではなく“共鳴”ですね」
「…………」
保護者がアイリオン先生だからか、言い方が似ている。
それからもレイの勢いは止まらなかった。
教えれば覚える。
一度覚えたことはほとんど忘れない。
分からないことがあれば自分で本を探して、勝手に先へ進んでいく。
気づけば、私が一つ覚えている間に、レイは二つ、三つと覚えていた。
『もしかして、とんでもなく頭いい?』
この時の私はまだ知らなかった。
教える側と教わる側が、ほとんど逆転してしまうことを。
目の前ではレイが、私が数日かけて理解した魔法理論をあっさり読み解いていた。
「何かムカつく……」
ぷーっと頬を膨らませる。
前世では、自分はそれなりに何でもできる方だと思っていた。
けれど、この世界の魔法学は別だ。
魔力の流れ。
属性理論。
魔法陣の構成。
どれも初めて触れる知識ばかりで、私は完全な初心者だった。
机に突っ伏しながら魔法学の本を睨みつける。
そんな私を見て、レイは少しだけ口元を緩めた。
どこか小馬鹿にしたような笑みだ。
「今、笑ったでしょ」
「笑ってません」
「絶対笑った」
「気のせいです」
私が抗議すると、レイは肩を震わせながら視線を逸らした。
やっぱり笑っている。
そんな毎日を過ごしているうちに、レイの知識はどんどん増えていった。
勉強に、訓練に、魔法の練習。
慌ただしくも穏やかな日々が続いていた。
そして、数か月が経った頃――。
私たちがそんな毎日を過ごしている間、封印の森の調査へ向かっていたサルヴァニアが、ようやく屋敷へ戻ってきた。
帰還の知らせを受け、お父様たちはすぐに集まった。
部屋には、お父様とお母様、アイリオン先生。そしてエルドとブロムの姿もある。
扉が固く閉ざされると、サルヴァニアが静かに口を開いた。
「……やはり、状況はよくない」
その一言で、全員の表情が引き締まった。
「封印の森周辺に生息する魔獣の数が増えている。それだけではない。以前と比べ、明らかに高レベルの個体が多い」
「やはりか……」
お父様が低く呟く。
「それと、上位魔人を確認した」
部屋の空気が変わった。
「間違いないのか?」
「ああ。気づかれぬよう距離を取って確認した。間違いない」
サルヴァニアは一度言葉を切った。
「その隙に、封印まで行ってきた」
全員の視線が集まる。
「……どうだった?」
「弱まっている」
しん、と部屋が静まり返った。
「以前確認した時より、明らかにな」
「今すぐ解ける可能性は?」
「それはない。だが、このまま弱まり続ければ……いずれは分からん」
誰もすぐには口を開かなかった。
やがて、お父様が立ち上がる。
「各国へ知らせる」
「封印のこともか?」
「いや。まずは魔獣の増加と高レベル化だけだ。各国の王には警戒を強めてもらう」
お父様は少し考え、続けた。
「上位魔人と封印については、まだ伏せる。確証が足りない状態で広めれば、余計な混乱を招く」
誰からも異論は出なかった。
その日、各種族の国を治める王たちへ、一つの知らせが送られた。
――各地で増え始めた、高レベルの魔獣への警戒。
しかし、その裏で何が起き始めていたのか。
大人たちの話など知る由もなく、私はいつも通りの日々を過ごしていた。
そして、サルヴァニアが帰ってきて数日後。
魔法訓練が再開された。
今回から、レイも一緒に訓練に参加することになった。
レイを教えるのは、アイリオン先生だ。
レイの属性は水と氷。
アイリオン先生と同じ属性を持っている。
ただ――氷属性は、この世界でもかなり珍しいらしい。
水属性を持っているからといって、氷まで扱えるわけではない。
氷の適性を持って生まれる者自体が少なく、アイリオン先生ほど自在に扱える人となると、さらに限られるという。
そんな珍しい氷属性を、レイも持っていた。
しかも、水より氷の方が得意らしい。
『そこまで先生と一緒なんだ』
最近では、氷で小さな動物や花を作っては、よく私に見せてくれる。
まだ魔力の扱い方をちゃんと習っていないのに、形もかなり綺麗だ。
『やっぱりレイ、氷の才能あるんだろうなぁ』
今は私が最初に教わった時と同じように、アイリオン先生から魔力のコントロールを教えてもらっている。
「もう少し抑えろ」
「……はい」
アイリオン先生に言われ、レイが真剣な顔で魔力を調整している。
そんな二人を横目に見ていると、サルヴァニアが私の前に立った。
「では、始めるぞ」
「はい!」
「まずは闇魔法についてだ。闇属性を持つ者は少ないが、基本的な魔力の扱い方は他の属性と変わらん」
サルヴァニアが片手を前に出した。
「私の魔力をよく見ていろ」
「うん」
次の瞬間――。
サルヴァニアの身体を、黒紫色の魔力がゆっくりと覆い始めた。
『……これが闇の魔力』
初めて見る。
光を吸い込むような暗い色なのに、不思議と怖い感じはしなかった。
「まず、闇の魔力を身体に纏わせる」
黒紫色の魔力が、サルヴァニアの身体を薄く包んでいく。
「そして、それを腹の中心へ集める」
纏っていた闇がゆっくりと動き、一点へと集まっていった。
『なるほど……』
実際に見せてもらったおかげで、ものすごくイメージしやすい。
『体の周りに広げて……お腹の真ん中に集める』
私は目を閉じた。
自分の中にある闇の魔力を探して、それを身体の外へ――。
ふわっ。
黒紫色の魔力が、私の身体を包んだ。
「……!」
サルヴァニアの目がわずかに見開かれる。
『それを……真ん中に』
今見た通りに、魔力を動かす。
身体を覆っていた闇がゆっくりと集まり、腹の中心へと収束していった。
「できた!」
「…………」
「サルヴァニア先生?」
返事がない。
顔を上げると、サルヴァニアがじっと私を見ていた。
「……話には聞いていたが」
「?」
「本当に詠唱せずにやるとはな」
さらに私の腹部へ集まった魔力を見る。
「それに、一度見ただけで……」
サルヴァニアが小さく息を吐いた。
「アイリオンが言っていた意味が、ようやく分かった」
『……またその反応』
アイリオン先生に初めて魔法を教わった時と、ほとんど同じ顔をしていた。
それから、サルヴァニアとの闇魔法の訓練が続いた。
最初こそ見よう見まねだったけれど、教わるたびに少しずつ感覚を掴んでいく
そしてしばらく経つ頃には、闇魔法も安定して使えるようになっていた。
すると、不思議なことに――。
闇魔法を扱えるようになってから、他の属性まで以前よりずっと扱いやすくなった。
『なんだろ。全部が繋がった感じがする』
どの属性も、使いたいと思えばすぐに魔力を切り替えられる。
出したい時に、出したい魔法を出せる。
以前みたいに魔力がうまくまとまらなかったり、別の属性が混ざりそうになったりすることもなくなった。
ただ――威力だけは別だった。
小さく出したつもりが、
ボンッ!
「わっ!」
思ったより大きくなることは、まだたまにある。
『……そこはまだ練習だな』
それでも、魔法そのものはずっと扱いやすくなった。
全部の属性を一通り覚えたことで、ようやく自分の中の魔力の動きが分かってきた気がする。
やっと全部、自分の魔法になってきた気がする』
そして、レイもすごい勢いで上達していた。
まだ魔法そのものに大きな威力はないけれど、魔力はかなり安定している。
水も氷も、出したい時にきちんと出せるようになっていた。
「もう一度」
「はい」
アイリオン先生が水を出せば、レイも同じように水を出す。
先生がそれを凍らせれば、レイも隣で真似をして凍らせる。
二人並んで同じことをしている姿を見ていると――。
『……やっぱり似てるなぁ』
ふと、アイリオン先生の顔を見る。
いつもとほとんど変わらない表情。
でも、なんとなくいつもより目元が優しい。
レイが上手くできるたびに、ほんの少しだけ目を細めているように見えた。
『先生、レイが上手くなるの嬉しいのかな』
なんだか、レイの成長を自分のことのように喜んでいるように見えた。
本人に言ったら、きっと「別に」とか言いそうだけど。
私は二人を見比べながら、こっそり笑った。
そんなふうに、レイも少しずつこの屋敷での暮らしに馴染んでいった。
レイがこの屋敷で暮らし始めてから、ブロムたちがちょくちょく訪ねてくるようになった。
『やっぱり、レイのことが心配なんだろうな』
長い間一緒にいたみたいだし、離れて暮らすようになった今でも気になるのだろう。
レイもブロムたちが来ると、いつもより少し嬉しそうにしていた。
――けれど、彼らが屋敷を訪れる理由は、それだけではなかった。
ここ最近起きている魔獣の変化や、各地の様子について、お父様たちと何度も話し合いを重ねていた。
もちろん、そんなことを私は何も知らない。
その日も、ブロムたちが来ていると聞いた私は――。
『ブロムたち来てるの!?』
会いたくなって、そのまま談話室へ向かった。
本当なら、勝手に入ってはいけなかったのかもしれない。
でも、そんなことは考えもしなかった。
「ブロムー!エルドー!」
いつもの調子で扉を開ける。
――その瞬間。
中にいた大人たちの声が、ぴたりと止まった。
『……あれ?タイミング悪かった?』
私が入った途端、会話がぴたりと止まったのが分かった。
『……あれ? タイミング悪かった?』
私が入った途端、会話がぴたりと止まったのが分かった。
でも、お父様たちは嫌な顔をすることもなく、いつも通り迎えてくれた。
ブロムたちもレイの姿を見ると、安心したように表情を緩めている。
『……やっぱり、まずかったかな』
そう思ったけど、もう入ってしまったものは仕方ない。
私はそのままお父様のところまで行って、ぎゅっと抱きついた。
「お父様!」
「どうした、フリージア」
「ブロムたちが来てるって聞いたから、会いにきたの」
それからブロムたちにも挨拶をしていると、ふと机の上に置かれているものが目に入った。
『ん?』
小さな石が、いくつも積まれている。
どれも淡く光を帯びていた。
「これ、魔石だよね?」
「そうじゃよ」
ブロムが一つ摘まみ上げた。
「鉱石を掘っとるとな、たまに魔獣が出てくるんじゃ」
「魔獣が?」
「といっても小物ばかりじゃ。すぐ倒せる」
ブロムはそう言って、魔石を机の上に戻した。
「それで、倒した魔獣から取れた魔石がある程度たまったら、こうして持ってくるんじゃよ」
「なんで?」
「半分くらいは、こっちに分けとるんじゃ」
「へぇー」
『だからこんなにあるんだ』
「その代わり――」
ブロムがにやりと笑った。
「わしらの好きな酒をもらって帰る」
「また酒?」
「それと、最近はあれじゃな」
「あれ?」
「漬物じゃ!」
「えっ」
「あれは酒によう合う! 特にキュルのやつがうまい!」
隣でエルドも大きく頷いた。
「料理長が最近作っとる、少し辛いやつもええぞ」
『……料理長、もうアレンジしてる』
まさか私が適当に作った即席の漬物が、ドワーフたちの酒のつまみとして定着しているとは。
『気に入ってくれたなら、まあいっか』
しかも、いつの間にかブロムたちが持って帰るほど浸透している。
『なんか……ちょっと嬉しい』
自分の知っているものが、この世界でも当たり前になっていくのは不思議な感じがした。
そんなことを考えながら、私はもう一度、机の上に積まれた魔石へ目を向けた。
小さいものばかりだけど、よく見ると色も形も少しずつ違う。
淡く光っているものもあれば、透き通っているものもある。
『……これ、ちょっと欲しいな』
何に使うかはまだ決めてない。
でも、なんとなく気になる。
私は机の上に並んだ魔石をじっと見つめた。
赤っぽいもの、青いもの、緑色に光るもの。
私はちらっとお父様を見上げた。
私はお父様の服の袖を、ちょんちょんと引っ張った。
「お父様」
「どうした?」
私は机の上の魔石を指さして、少しだけ上目遣いで見上げる。
「この魔石……少しもらってもいい?」
「欲しいのか?」
「うん。ちょっとだけ」
お父様は私と魔石を交互に見ると、すぐに頷いた。
「構わない。好きなものを持っていきなさい」
「ほんと!?」
「ああ」
「やった!」
私はさっそく机に近づいて、魔石を一つずつ眺める。
『どれにしようかなぁ』
色や大きさを見比べながら、気になったものをいくつか選んだ。
「これと……これと、これ!」
「それだけでよいのか?」
「うん! これだけでいい!」
私はもらった魔石を大事に両手で包んだ。
『ふふふ……』
頭の中では、もう別のことを考えていた。
『これ、使えるかも』
そう思ったら、じっとしていられなくなった。
エルドたちに挨拶をし、私はもらった魔石を手に談話室をあとにした。
歩きながら、手のひらの魔石をころころと転がす。
『これで、何か作れないかなぁ』
魔石は武器にも使われているし、明かりや水を出すような生活用の魔道具にも使われている。
『だったら、他のものだって作れるはず』
私はこれまで見てきた魔道具を思い返した。
でも、ふと気づく。
『そういえば……魔石って、いつも一個しか使ってないような』
火なら火。
水なら水。
風なら風。
少なくとも、私が今まで見た魔道具は、一つの属性だけを使ったものばかりだった。
『じゃあ、二つ組み合わせたらどうなるんだろ?』
手の中にある火と風の魔石を見比べる。
火で温めて、風でそれを送り出す。
『……あ』
頭の中に、前世で毎日のように使っていたものが浮かんだ。
『ドライヤー作れるんじゃない!?』
今はお風呂から上がると、いつもランが風魔法で髪を乾かしてくれている。
長い髪もあっという間に乾くから、すごく助かっていた。
『でも、風だけだからちょっと時間かかるんだよね』
火の魔石で空気を温めて、風の魔石で送り出せば――。
『温かい風が出る!』
それならランに毎回お願いしなくても、自分で髪を乾かせる。
『ドライヤーだ! これ絶対作れる!』
そう考えたら、もうじっとしていられなかった。
私はくるっと振り返り、後ろを歩いていたダリアンを見上げた。
「ダリアン!」
「はい?」
「工房に行きたい!」
「工房……でございますか?」
「うん!」
突然のお願いに、ダリアンは少し不思議そうな顔をした。
「構いませんが……急にどうされたのです?」
「ちょっと行きたくなったの!」
「……そうですか」
まだ納得していない顔をしている。
「このお屋敷に工房ある?」
「ございますよ。武具や魔道具の製作、修理などを行っております」
「そこ行きたい!」
「分かりました。では、ご案内いたします」
「やった!」
私は手の中の魔石をぎゅっと握った。




