第19話 米!
レイが屋敷に来て、数日が経った。
まだ慣れないことも多いみたいだけど、レイはほとんど私と一緒に過ごしている。
ダリアンの下で護衛見習いとして訓練をして、それ以外の時間は私と一緒に勉強。
そんなある日。
私は朝から、あることで頭がいっぱいだった。
『……そろそろ、いいよね』
お披露目会の日、ナナトからもらったもの。
――お米。
大事に取っておいたけど、もう我慢できない。
「レイ! 厨房いこ!」
「厨房?」
「うん! きょうは、おいしいもの作るの!」
私はレイの手を引いて、厨房へ向かった。
もちろん、ダリアンとランも一緒だ。
『ふふふ……ついに白いご飯が食べられる!』
足取りが自然と軽くなる。
今日ばかりは勉強も訓練も後回し。
ずっと待ち望んでいた――お米の日だ。
厨房につくなり食糧庫から探し出し
「料理長! 今日はこれ食べる!」
どんっ、と袋を置く。
「こちらですか?」
「うん!」
まずはやっぱり――。
『白いおにぎり』
これだけは外せない。
隣にいたレイが、不思議そうに袋の中を覗き込む。
「これ、美味しいの?」
「おいしいよ!」
「食べたことあるの?」
「…………」
『しまった』
「た、たぶんおいしいの!」
「たぶん?」
「おいしいったら、おいしいの!」
レイが不思議そうに首を傾げる。
『危ない危ない……』
私は誤魔化すように、さっそくお米を洗うことにした。
……とはいえ。
『お米って、どう説明して洗ってもらえばいいんだろ』
前世では当たり前のようにやっていたけど、いざ説明するとなると難しい。
『まあ、ホコリとかもついてそうだし……』
「料理長、まずこれ、お水で何回か洗ってくだしゃい」
「洗うのですか?」
「うん。やさしくまぜまぜして、お水が白くなったら捨てて、またお水入れて」
「なるほど……」
料理長が言われた通り、お米を何度か水で洗ってくれる。
最初は真っ白だった水も、何度か繰り返すうちに少しずつ澄んできた。
「そのくらいでいいでしゅ!」
次に、洗ったお米を土鍋によく似た鍋へ移してもらう。
『問題は水の量なんだよね』
計量カップなんてない。
でも――。
『確か、おばあちゃんがやってた方法が……』
「料理長、お米の上にお水を入れて」
「どのくらいでしょう?」
「えっとね……」
私は鍋を覗き込んで、自分の人差し指を立てた。
「お米の上から、指の最初の線くらいまで!」
「……指で測るのですか?」
「そう! たぶん!」
「たぶん……」
料理長が一瞬、不安そうな顔をした。
「だ、大丈夫でしゅ!」
『たしかこれで合ってたはず!』
お米の表面に指先をそっと触れさせ、水が第一関節あたりまでくるように調整してもらう。
「よし! これでちょっと待ちましゅ」
「すぐ火にかけないのですか?」
「うん。お米にお水を吸わせるの」
『たしか三十分くらいだったよね?』
時計なんてないから、大体でいい。
『待ってる間に、おにぎりの具でも作ろっかな』
せっかくのお米だ。
白いご飯だけでも食べたいけど、おにぎりも絶対に食べたい。
私は何か使えそうなものはないかと、厨房を見渡した。
「ん?」
ふと、並べられていた魚に目が止まる。
『これ……鮭に似てる』
赤みがかった身に、見覚えがある。
私は魚を指さして料理長に尋ねた。
「料理長、これなーに?」
「こちらはサルモでございます」
「サルモ……」
『見た目は完全に鮭なんだよね』
「これ、焼いて食べる?」
「はい。塩を振って焼くことが多いですね」
『それもう鮭じゃん!』
「じゃあ、これ焼いて! ソルタも少しふってね」
「かしこまりました」
料理長がサルモにソルタを振り、焼き始める。
しばらくすると、じゅうじゅうという音と一緒に、魚の焼けるいい匂いが漂ってきた。
『あぁー、この匂い……白いご飯ほしくなる』
焼き上がったサルモを少しだけ味見する。
「あふっ……」
熱い。
でも――。
『鮭だ!』
塩気もあるし、これなら絶対おにぎりに合う。
「料理長、骨とって、これ細かくほぐして」
「ほぐすのですか?」
「うん! あとでお米の中に入れるの!」
「お米の中に……?」
料理長がまた不思議そうな顔をする。
『ふふふ。』
『おにぎりを知らないな』
なんだかちょっと楽しくなってきた。
「できてからのお楽しみ!」
あとは火にかけて炊くだけ。
『……炊くだけなんだけど』
私は鍋を見つめた。
『火加減って、どうだったっけ……』
前世の記憶を必死に掘り起こす。
『たしか最初は強火で……沸騰したら弱火!』
「料理長、最初は強い火でお願いしましゅ!」
「かしこまりました」
鍋に蓋をして、火にかけてもらう。
鍋に蓋をして、火にかけてもらう。
『で、この時間も無駄にはしない!』
さっき厨房を見回した時に、キュウリによく似た野菜を見つけていた。
「料理長、これなに?」
「そちらはキュルでございます」
一口かじってみる。
ぽりっ。
『うん。ほとんどキュウリだ』
「これも使う!」
キュルをまな板の上に置き、近くにあった棒を手に取る。
ごんっ。
「フリージア様!?」
「大丈夫! こうやって少し叩くの」
ごん、ごんっ。
表面に割れ目が入ったところで、料理長に食べやすい大きさに切ってもらう。
「ここにソルタを振って、少し揉んで」
「はい」
『あとは、ごま油みたいなのがあれば……』
棚を探していると、小さな瓶が目に入った。
「これってなに?」
「香樹の樹液から作られた香油でございます。香ばしい香りがしますので、料理に使うこともございます」
蓋を開けて匂いを嗅いでみる。
『これ、ごま油に似てる!』
「これも少し入れて」
香油を垂らし、全体をよく混ぜ合わせる。
「これで少し置いておけば完成!」
「……これだけでございますか?」
「うん。すぐ食べてもいいけど、少し置いた方が味が馴染んで美味しいよ」
料理長が不思議そうに器を覗き込む。
「これは、何という料理なのでしょう?」
「漬物!」
「ツケモノ……?」
やっぱり知らないらしい。
「野菜を塩とかに漬けておくの。こうすると味もつくし、そのまま置いておくより少し長く食べられるよ」
「野菜を長く……」
料理長の目が変わった。
「それは保存にも使えるということでしょうか?」
「うん! でも、これはすぐ食べるやつだから、そんなに長くは無理だよ」
「なるほど……」
料理長は興味深そうに、キュルの漬物をじっと見つめていた。
『これなら白いご飯にも合うはず!』
あとは、お米が炊けるのを待つだけだ。
しばらくすると――。
ぐつぐつ、ぐつぐつ。
蓋の隙間から白い湯気が立ち上り始めた。
「わっ、きた! 弱くして!」
「はい!」
料理長がすぐに火を弱める。
「ここからは、弱い火でゆっくりでしゅ」
『たしか十分くらいだったかな……』
途中で中を見たくなるけど――。
『そうだ。ご飯炊いてる途中って、蓋開けちゃダメなんだよね』
「料理長、蓋は開けちゃダメだからね!」
「中を確認しなくてよろしいのですか?」
「ダメ! ぜったいダメ!」
「は、はい」
料理長が伸ばしかけた手を引っ込めた。
弱火のまましばらく待つ。
やがて、ぐつぐつという音が小さくなってきた。
『そろそろかな……』
「じゃあ、火を消してくだしゃい」
火を消してもらう。
「これで完成ですか?」
「まだ!」
「まだなのですか?」
「このまま待つの。むらしましゅ!」
『たしかこれも十分くらい』
蓋をしたまま、じっと待つ。
ダリアンが鍋の周りをうろうろし始めた。
「お嬢様、まだですか?」
「まだ!」
「もういいんじゃないですか?」
「ダメ!」
「……はい」
しょんぼりするダリアンを無視して、さらに待つ。
そして――。
『もういいよね!』
「料理長、あけて!」
ゆっくりと蓋が持ち上げられる。
ふわぁっ――。
真っ白な湯気が一気に立ち上った。
「わぁ……!」
そこには、つやつやと輝く白いご飯。
『お米だぁぁぁ!』
懐かしい香りが鼻に届いた瞬間、思わず顔がにやけた。
『やっと……やっと白いご飯が食べられる!』
私は木べらに乗ったお米を少し指でつまむと、そのまま口の中へ放り込んだ。
「あっつ!」
思った以上に熱かった。
「フリージア様!?」
「ほふっ、ほふっ……」
口をぱたぱたさせながら、それでも吐き出さずに噛みしめる。
噛むたびに広がる、ほんのりとした甘み。
柔らかくて、もちっとした食感。
『これ! この味!』
何年ぶりだろう。
『お米だぁ……!』
熱さなんて忘れて、口の中に広がる懐かしい味をじっくりと噛みしめた。
思わず頬が緩む。
「……おいしい」
やっと食べられた。
ずっと探していた、前世では当たり前だった味。
『やっぱり私、お米大好き!』
その様子を見ていた料理長も、気になったのか炊きたてのお米を少し摘んだ。
「では、私も……」
そのまま口へ運ぶ。
「あつっ……!」
料理長も慌てて口を動かした。
「熱いでしょ?」
「ほふっ……ほふ……」
しばらく噛んでいた料理長の表情が、ふっと変わった。
「……これは」
もう一度、今度は少し冷ましてから口に入れる。
「何も味付けをしていないのに、噛むと甘みが出てきますね」
「そうなの!」
思わず嬉しくなって大きく頷く。
「それに、このもちっとした食感……。あの硬い粒が、こんなふうになるとは」
料理長は感心したように鍋の中を覗き込んだ。
「ですが……これは、このまま食べるものなのですか? 美味しいのですが、味がないと言えばないような……」
「違うの!」
私はぶんぶんと首を振った。
「これはブレッパと同じ! ほかのお料理と一緒に食べると、もっと美味しいの!」
「ブレッパと……」
「そう! お肉とかお魚とか、味の濃いお料理と一緒に食べるの。おかずと食べるとすっごく合うんだから!」
料理長が納得したように頷く。
「なるほど。ブレッパの代わりになる主食、ということですか」
「そう、それ!」
『さすが料理長、話が早い!』
それに――今日はちゃんと、このご飯に合うものも用意してある。
私はさっき作っておいたキュルの漬物と、ほぐしたサルモへ目を向けた。
『ふふふ。ここからが本番だよ』
私はさっそく手を水で濡らし、ソルタを少し手のひらに広げて馴染ませた。
「まず、ご飯を手にのせて……」
ほかほかのご飯を手のひらにのせる。
「あつっ……」
まだ少し熱い。
『でも、これくらいなら我慢!』
ご飯の真ん中を少しくぼませて、さっきほぐしておいたサルモをのせる。
「これを包むようにして……にぎる!」
サルモが隠れるようにご飯を包み、両手で形を整えていく。
きゅっ、きゅっ。
『うーん、やりづらい……』
五歳の小さな手では、思ったように形が整わない。
横からご飯がはみ出しそうになって、慌てて押さえる。
「こっち……あっ、崩れる!」
なんとか両手を使って、ぎゅっ、ぎゅっとまとめていく。
出来上がったのは、三角とは言い難い、少しいびつなおにぎり。
しかも、かなり小さい。
「……できた!」
でも、ちゃんと形にはなっている。
『初めてなら上出来!』
私は出来上がったおにぎりを両手で持つと、大きく口を開けた。
「あーん!」
ぱくっ。
小さいから、私の口でも結構な量が入った。
ほかほかのご飯が口いっぱいに広がる。
そこへ、サルモの塩気。
「ん~~っ!」
『これこれこれ!』
思わず頬を押さえた。
塩のきいたサルモと、ほんのり甘いご飯。
『おにぎりだぁぁ!』
懐かしすぎて、噛むたびに幸せになっていく。
私は夢中でもう一口、大きく頬張った。
「ん~~! おいしい!」
もぐもぐと頬を動かしていると、なんだか視線を感じる。
『ん?』
顔を上げると、料理長とダリアンがじーっと私の手元を見つめていた。
二人とも、ものすごく羨ましそうな顔をしている。
「……食べたいの?」
そう聞くと、ダリアンが勢いよく頷いた。
「もちろんです!」
そしてすぐさま料理長を見る。
「料理長、早く! 同じものを作ってください!」
「えっ、私がですか?」
「今の見てましたよね!? 早くお願いします!」
「見てはおりましたが……」
料理長は困ったように私の小さなおにぎりを見る。
「フリージア様、作り方は先ほどのでよろしいのですよね?」
「うん! 手をお水で濡らして、ソルタをつけて、ご飯の中にサルモを入れて握るだけ!」
「なるほど」
「料理長、私は大きめでお願いします!」
「ダリアン……」
あまりの必死さに、思わず呆れてしまう。
『ほんと食べることになると遠慮ないなぁ』
料理長が私の真似をしておにぎりを作り始めると、ダリアンはその手元を食い入るように見つめていた。
料理長はさすがというべきか、私が作った時とは違い、手際よくおにぎりを握っていった。
形もきれいな三角形だ。
『……私のより全然きれい』
出来上がったおにぎりが皿に並べられると、真っ先に手を伸ばしたのはダリアンだった。
「いただきます!」
大きな口で豪快に頬張る。
もぐもぐと二、三度噛んだところで、目を見開いた。
「うまい!」
「でしょ!」
「サルモの塩気と、この米の相性がすごくいいです! 噛むほど甘くなるし……これはうまい!」
ダリアンはあっという間に一つ食べ終えると、すでに二つ目へ手を伸ばしていた。
「はやっ!」
そんな様子を、レイは今までずっと静かに見ていた。
「レイも食べてみて!」
「うん」
レイはおにぎりを一つ手に取り、小さく一口かじった。
いつものように静かにもぐもぐと噛んでいる。
『どうかな?』
なんとなく気になって、じっと顔を見つめる。
すると、レイの目がほんの少しだけ大きくなった。
「……美味しい」
「ほんと?」
「うん」
もう一口食べてから、レイはおにぎりを見つめた。
「今まで食べたご飯の中で、一番美味しい」
「……!」
その一言に、思わず顔がにやけた。
「でしょー!」
自分が作ったわけでも、自分で育てたお米でもない。
それなのに、なぜかものすごく誇らしい。
『ふふん。お米のすごさが分かったか!』
レイはそんな私を不思議そうに見ながら、また静かにおにぎりを頬張った。
私はそこで、さっき作っておいたキュルの漬物を思い出した。
「あっ、ダリアン! これも一緒に食べてみて!」
「これですか?」
ダリアンが器の中のキュルを覗き込む。
「うん! おにぎり食べて、そのあとにこれ!」
言われるがまま、ダリアンはおにぎりを一口頬張り、続けてキュルの漬物を口に入れた。
ぽりっ。
「……おっ」
もう一口。
ぽりぽり。
「これも、うまいですね!」
「でしょ!」
「さっぱりしてるのに、香油の香りがして……これと合います」
「そうなの! こういうのは一緒に食べると美味しいんだよ」
ダリアンはすっかり気に入ったようで、おにぎり、漬物、おにぎり、漬物と交互に食べ始めた。
「……止まらないですね、これ」
『分かる!』
その横では料理長もキュルを一つ摘まみ、ぽりぽりと噛んでいる。
「なるほど……先ほどは保存方法としても面白いと思いましたが、こうして食事の合間に食べるのもいいですね」
「うん! お肉とか、お魚の料理にも合うと思う!」
料理長は何度も頷きながら、すでに別の野菜でも試せないか考え始めているようだった。
もう一つキュルを摘まみ、ぽりぽりと噛みながら何度も頷いている。
「これは……酒のつまみにもいいかもしれませんね」
「あ、お酒にも合うと思う!」
「それに、他の野菜でも作れそうです。香油だけでなく、香辛料を加えたり、酸味のある果汁を使ってみても……」
料理長の目がだんだん輝いていく。
「少し辛くしてみるのも良さそうですね」
「いいね! いろいろ作ってみて!」
「はい。ぜひ試してみます!」
『料理長、完全に漬物にハマったな』
でも、こうやって私が一つ教えると、料理長はそこからどんどん新しい料理を考えてくれる。
『そのうち私の知らない漬物まで作ってそう』
ちょっと楽しみになってきた。
こうして、念願だったお米をようやく食べることができた。
おにぎりはもちろん、漬物も予想以上に好評。
何より――。
『これからお米が食べられる!』
ナナトに頼めば、また持ってきてもらえるはずだ。
『今度は何作ろうかな。チャーハンもいいし、どんぶりも……あっ、カレーも作りたい!』
夢が一気に広がった。
◇ ◇ ◇




