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第16話 訓練

そして数日後。

 お散歩へ行こうと、ダリアンとランと一緒に廊下を歩いていた。


 すると――。

「せぇいっ!」


「もっと腰を入れろ!」


「はいっ!」

 遠くの方から、威勢のいい声が聞こえてきた。


『ん?』

 私は足を止めて、声のする方へ顔を向ける。

「ダリアン、この声って護衛隊で合ってる?」


ダリアンに聞くと、今日は護衛隊の合同練習の日だという。第一部隊から第三部隊まで、全部隊が揃う珍しい日らしい。

「第三部隊は普段は外回りや狩りを担当しておりますので、屋敷ではあまり見かけないのですよ」


剣と剣がぶつかるような音まで聞こえてきた。


『……ちょっと見たい。』

私は遠くから聞こえてくる声へ耳を澄ませながら言った。

「ダリアン、私、今日はそこに行ってみたい」


すると、ダリアンの顔がぴくっと引きつる。

「えっ、行くんですか?」


「今日は、確か……オヤジが……いたような……」

最後のほうは、ごにょごにょと小さな声になっていた。


隣でランも眉をひそめて、あからさまに嫌な顔をしている。

(あれ、ランも?)


「ランも?」


「……第二隊長が、参加しておりますので」

 ランがぽつりと言った。


 第二隊長。ランのお父さんだ。

 ランのお父さんはランと双子の妹のリンをとても溺愛していると聞いたことがある。娘を見つけたら大騒ぎになるのが目に見えているのだろう。

 二人そろって難しい顔をしている。

(……なんかたのしい)


「いこっ」


「お嬢様っ」


「フリージア様っ」

 二人の声が重なった。


 私はもう歩き出していた。


 廊下を進みながら、私は振り返った。


「こっち?」


「……はい」


 ダリアンが重い声で答える。


「こっちでいい?」


「……そちらで合っております」


 また重い。


 二人の足音がやけに遅い。引きずるような、観念したような足取りだ。

(なんでそんなに嫌そうなの。たのしいのに)


 私はくるりと前を向いて、また歩き出した。


「こっちー?」


「はい……」


「こっちー?」


「……はい」

 何度か繰り返しながら廊下を抜け、外へ出て、石畳の道を進んでいくと、やがて広い訓練場が見えてきた。

 掛け声が近くなる。足音が、剣の音が、はっきり聞こえてくる。

 私は足を止めて、目を丸くした。


(広い。人が多い)

 後ろでは、ダリアンとランが並んで立ち尽くしていた。二人とも、どこか遠い目をしている。

 訓練場の奥には、少し高くなった台が設けられていた。


 そこに、見覚えのある背中がある。

『……お父様?』

 お父様は台の上で腕を組み、真剣な表情で訓練の様子を見ていた。


「お父様も来てたの?」

 隣のダリアンに聞くと、少し驚いた顔をする。

「殿下は……本日は視察でいらっしゃるようですね。合同訓練の際には、ご当主様が直々に確認されることもございますので」


「へぇー」


 お父様の隣には、見知らぬ大人たちが何人か並んでいた。

 みんな難しい顔をして、訓練を眺めている。


『何のお話してるんだろ?』

 気になった私は、とことこと台の方へ歩いていく。


「フリージア様、そちらは――」


「お嬢様、お待ちください」

 後ろからダリアンとランが慌てて追いかけてくる。

 でも、もう遅い。


「おとうしゃまー!」

 私の声に、お父様が振り返った。

 さっきまでの難しい顔が、一瞬で緩む。


「……フリージア。どうしてここに?」


「おしゃんぽ!」


「散歩?」


「うん! そしたら、おっきい声が聞こえたから見にきたの!」

 お父様は私の後ろへ視線を向ける。

 追いついてきたダリアンとランが、揃って申し訳なさそうに頭を下げた。

「申し訳ございません。お嬢様がどうしても見たいと……」


「おとうしゃま!」

 私はすぐにお父様の服を掴んだ。


「わたしが来たかったの!」


「……そうか」

 お父様は小さく息を吐いた。

 怒られるかと思ったけれど、その口元は少し笑っている。

「仕方ないな。だが、ここから勝手に動くなよ」


「うん!おとうしゃまもみてたの?」


「視察だ」


「ししゃつ」


「ちゃんと練習できているか、確認しに来た」


(へえ、お父様がそういうことをするんだ)


 私はお父様の隣に並んで、訓練場を眺めた。

 さっきまでよく見えなかった訓練場が、一気に見渡せた。

「わぁ……!」

 何十人もの騎士たちが剣を構え、魔法を放ち、あちこちで激しい音が響いている。


『すごーい!』


 興奮しているとお父様の隣にいた、腕を組んだ大柄なリンドールが静かにこちらを見ていた。

「ダリアン」

 低く、短い一声だった。

 ダリアンの背筋がぴんと伸びる。


「来たのであれば、参加しなさい」


「……しかし、フリージア様が——」


「旦那様もいる。私もいる。大丈夫だ」

 有無を言わさない口調だった。

 ダリアンはちらりと私を見た。私は「いってらっしゃい」と言うように小さく手を振った。


(大丈夫だよ)

 ダリアンは一度だけ深く頭を下げて、渋々といった足取りで訓練場へ降りていった。

 背中がどこか不満そうだった。


ふと横を見ると、ランが困った顔をしていた。

 その前に立っているのは、がっしりとした体格の男。第二隊長のプロテアだ。

「ちゃんとご飯は食べているか?」


「……はい」


「最近なぜ会いに来ない。忙しいのか?」


「お仕事がございますので……」


「フリージア様のお世話はきちんとできているか?」


「できております」


「リンも来ないな。リンは元気か?」


「元気です」


「今日は一緒に食事をしよう。久しぶりだろう」


「……お仕事が」


「終わったあとでいい」


 ランの表情が、じわじわと疲弊していくのがわかった。


(あれは……ちょっと引く)


 プロテア隊長は怖い顔をしているわけでも、怒っているわけでもない。むしろ目が優しい。

 でも、止まらない。

 ランはちらりとこちらを見た。助けを求めるような目だった。

(……ごめん、これは助けられない)


 私はそっと視線を訓練場に戻した。

 訓練場の方から、一人の男がこちらへ向かってくるのが見えた。

 リンドール隊長のような大柄さはない。でも、動きが静かで、無駄がない。鍛えられた体に、日に焼けた肌。そして左の頬に、大きな傷跡。

 男はお父様に一礼してから、私の方へ視線を向けた。

「初めまして、お嬢様」

 膝をついて、目線を合わせてくれた。

「第三部隊隊長、ソレルと申します」

  声は低いが、穏やかだった。傷跡のある顔は怖そうに見えるのに、目が笑っている。

 その目を見た瞬間、どこかで見たことがある気がした。

(……この目、知ってる)

 じっと見つめていたら、ソレルが少し首を傾けた。

「……お嬢様?」

 私はそっとお父様の後ろを見た。


 いつも通り、静かに控えているフジがいた。

 視線をソレルに戻す。

(……目元が、そっくりだ)


「……フジ?」

 ソレルの目が、わずかに丸くなった。


「フジをご存知で?」


「うん。おとうしゃまのしつじ」


「……はい。私の父です」

 お父様の後ろからフジが一歩進み出て、ソレルに向かって静かに頭を下げた。

「ご挨拶が遅れました。息子がお世話になっております」

 ソレルも同じように頭を下げる。

 二人が並ぶと、目元がますますそっくりだった。

(親子だ……)

 私はそれを見比べて、なんだか嬉しくなった。

  お父様がふと私を見下ろした。

「フリージアは、よく見ている」

 目が細くて、声が優しかった。

(……お父様、顔がゆるんでる)

 私はそっとお父様の後ろに控えているフジを見た。

「ねえ、フジ。きいていい?」


 フジが静かにこちらを向いた。

「なんでございましょう」


「フジって、むかし第一隊長だったの?」

 フジの目が、わずかに動いた。


「……どこでそのような話を」

 

「んー、わすれた!」


 フジは小さく息をついた。


「……そんな時期もございました」


「つよかった?」


「そうですね。弱くはなかったかと」


「いまの隊長たちよりも?」


 空気が、変わった。

 リンドール隊長、プロテア隊長、ソレル隊長、の三人が、揃って「それを聞いてはいけません」という顔をした。

 フジはゆっくりと三人を見渡して、それから口元に薄い笑みを浮かべた。

「ほっほっ。こやつらとは比べられましては、お嬢様、めっそうもございません」

 言葉は丁寧だった。

 でも、声の奥に何かが滲んでいた。

 リンドール隊長が慌てたように口を開いた。

「お嬢様、フジ殿はそれはそれは凄いお方でして……私どもでは到底歯が立ちません」

 ソレルとプロテアが、深く、力強く頷いた。

(……フジ、すごい人だったんだ)

 私はフジを見上げた。

 フジはいつも通りの顔で、静かにお父様の後ろに控えていた。

  お父様が耳元でこっそり教えてくれた。

「リンドール、プロテア、ソレルの三人は、フジの直属の部下だった」


「えっ」


「フジが第一隊長だった頃に、直々に鍛えられた。それはそれは厳しかったらしい」


(あの三人が……フジに鍛えられた)


「いまでも頭が上がらないんだ」


 お父様の声は淡々としていたけれど、どこか楽しそうだった。


(だから、あの顔をしてたんだ)

 三人が揃って深く頷いていた理由が、ようやくわかった気がした。

 フジはいつも静かで、穏やかで、お茶を運んでくる。

 でも、あの三人の隊長たちを育てた人なのだ。


(……フジ、すごい)

 私はこっそりフジを見た。

 フジはちょうど私の視線に気づいて、静かに目を細めた。


「なんでございましょう」


「なんでもないでしゅ」


 私は前を向いた。

 訓練場では、隊員たちが掛け声とともに剣を振っていた。

 一、二、三。

 リズムがある。体全体を使って、大きく、力強く。

(……なんか、楽しそう)

 気づいたら、足元に落ちていた枝を拾っていた。

 ちょうどいい長さだ。

 私はそれを両手で握って、訓練場の方を見た。

 一、二、三。

 見よう見まねで、振ってみた。


 ぶん。


 ぶん、ぶん。


 なんか違う気がするけど、楽しい。


(体力、これでつくかな)


 ぶん、ぶん、ぶん。


 夢中になっていたら、なんとなく視線を感じた。

 顔を上げると、お父様がこちらを見ていた。

 いつもの無表情ではない。目がとろけている。


(……また、あの顔してる)

 不思議に思って周りを見渡すと、お父様だけではなかった。

 リンドール隊長も、プロテア隊長も、ソレル隊長も、視察に来ていた大人たちも。

 訓練場の隊員たちまで、いつの間にか動きを止めて、こちらを見ている。

 全員の顔が、同じだった。

 目が細くて、口元が緩んで、「かわいい」と書いてあるような顔。


(……え、なに、なんで全員そんな顔してるの)

 私は枝を握ったまま固まった。

じわじわと、顔が熱くなってきた。


(……み、みんなに見られてた)

 枝をぎゅっと握ったまま、うつむいた。

 耳まで熱い。


(もうっ)


 私はそっと枝を足元に置いて、お父様の後ろに回り込んだ。


 背中に隠れるように立つと、お父様の手がそっと頭に乗ってきた。

 撫でている。

(……撫でなくていいです)

 でも、振り払えなかった。

 訓練場の方からくすくすと笑い声が聞こえてきて、私はますます顔を埋めた。

「んー!もうかえる!」

 私は宣言した。

 お父様が少し残念そうな顔をした。

 私はランの手を引っ張って歩き出した。訓練場の方にいるダリアンに向かって声をかける。


「ダリアン、いくよ!」


「……はい、ただいま」

 ダリアンが少し疲れた顔で駆けてきた。

 私は少しプンプンしながら訓練場をあとにした。

ダリアンが少し疲れた顔で駆けてきた。

 私は少しプンプンしながら、訓練場をあとにした。


 ――だが、次の日の朝。

 目が覚めたら、やっぱり昨日の訓練のことを考えていた。

『……昨日のことは昨日のこと!』

 それよりも、今の私には大きな問題がある。


 アイリオン先生との魔法の練習は、月に数回のペースで続いている。

 最初の頃に比べれば、魔力の扱いはずいぶん落ち着いてきた。

 暴走することも減ったし、先生の指示通りに動かせることも増えてきた。


 でも――。

『体力がない……』

 

 これが一番の問題だった。


 練習が終わるたびに、どっと疲れが押し寄せてくる。

 少し長く魔力を使えば眠くなって、気づけばお昼寝。


『これじゃ、魔法の持続力も上がらないよねぇ……』


 やっぱり体力だ。


『体力つけなきゃ!』


 そう決めた私は、ダリアンとランを連れて、また訓練場へ向かった。

 昨日のことなんて、もう気にしない。

 訓練場では、毎日違う部隊が順番に訓練をしていた。

 最初は、邪魔にならないところから見ているだけ。

 でも、昨日みたいに枝を拾って真似をしていたら、ソレル隊長が隣にやってきた。


「お嬢様、もう少し足を開いた方がよろしいですよ」


「こう?」


「はい。もう少しだけ」


 次の日も行くと、今度はリンドール隊長が、


「背筋を伸ばしてください」


 と教えてくれた。


 その次の日も。


 また、その次の日も。


 気づけば、毎日のように訓練場へ通うようになっていた。

 そして、しばらく経ったある日。

 いつものように訓練場へ行くと、プロテア隊長が何かを持って待っていた。


「お嬢様、こちらを」


「……ちいしゃい剣?」


「お嬢様の手に合わせて作らせました」


「わたしの?」


「はい」


 受け取ってみる。

 私でも握れる小さな柄には、かわいらしい花の模様まで彫られていた。


『作ってくれたんだ……』


 胸がじんわりと温かくなる。

「ありがとう!」


 それからさらに日が経つと、私専用のダミー魔獣まで用意されるようになった。

 大人たちが使うものよりずっと小さくて、目がくりっとしていて、なんとなく愛嬌まである。

 さらには、私の腕の長さに合わせた小さな弓まで届いた。


『……みんな、作りすぎじゃない?』

 でも――嬉しかった。


 そうして、いつの間にか私の毎日のリズムも変わっていった。

 月に数回、アイリオン先生との魔法の授業。

 朝は訓練場へ行って、剣を振ったり、ダミー魔獣に向かって弓を引いたり、身体を動かしたり。

 たまに厨房へ行って、新しい料理を考える。

 知らない食材を試したり、前世で食べたものを必死に思い出したり。

 気づけば、以前のようにただお散歩をして過ごす時間は、ずいぶん少なくなっていた。

(体力、ついてきたかも)

 魔法の授業でも、少しだけ長く集中できるようになった気がする。


 アイリオン先生は何も言わなかったけれど、練習の終わりに「前より安定している」と一言だけ言った。

 それだけで十分だった。

 そして、その当たり前の日々はあっという間に過ぎていった。


 

 

   ――それから、二年が経った。

 今年は、いよいよ私のお披露目会がある年だ。


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