第15話 ん〜美味しい
「こんにちはっ、料理長!」
元気よく声をかけると、大きな体の料理長がこちらを振り向き、にっこりと笑った。
「こんにちは。フリージア様」
「本日は何をやられますか? 食材でしたら何でもございますよ」
料理長は腕を広げて、棚いっぱいに並んだ食材を示してくれた。
私は目を輝かせながら、ゆっくりと見回した。
(さて、何を作ろうか)
棚を端から眺めていく。
お肉、野菜、果物。種類は豊富だ。
ひとつひとつ手に取りながら確認していく。
「これは……鶏肉? かな」
ふっくらとした白い肉だ。鶏に似ている。
『こっちはにんにくだよね。うん、匂いがする』
隣に並んでいた黄色い果実を持ち上げると、爽やかな酸っぱい香りがした。
『レモンっぽいのもある。いちごみたいなのも……』
小さくて赤い実。
少し潰してみると、甘い汁が出た。
『決まった!』
チキンステーキのガーリックバターレモンソース。
それと、いちごに似た実を煮詰めてジャムにして、パンケーキの上にかける。
「料理長、焼き菓子用の道具はありますか? あと、ミルバとブレッパの粉も」
「もちろんでございます!」
料理長が嬉しそうに準備してくれた。
私はコッケルの肉を広げる。
「まず、お肉にソルタを振って……その前に」
フォークを手に取り、肉の表面にぶすぶすと穴を開け始めた。
「え、フリージア様……?」
ランが少し引いた声を上げる。
「大丈夫でしゅ。こうすると味が入りやすくなるんです」
「ほう……」
料理長は真剣な顔で見ている。
穴を開け終えたら、ソルタを振って少し置く。
「それからフライパンをよく熱して……」
私は小さな手でにんにくを切りながら、料理長に指示を出す。
「ミルバを入れるのは、お肉を焼いたあとでよろしいのですか?」
「うん。最初は油だけで焼いて、焼き色がついてからミルバを入れるの。そうしたら焦げにくいし、いい匂いになるから」
「なるほど……」
料理長は私の話を聞きながら、コッケルを焼き始めた。
――ジュウゥッ。
厨房にいい音が響く。
しばらくすると、香ばしい匂いが漂い始めた。
『あ。そうだ』
「あの……料理長?」
「はい?」
「黒い液体で、しょっぱいやつってありますか?」
料理長が首を傾げる。
「黒い液体……でございますか?」
「うん。こういう、ちょっと黒っぽくて、しょっぱくて……いい匂いするやつ」
「はて……」
料理長は少し考えてから、棚の奥をごそごそと探し始めた。
「もしかすると……こちらでしょうか」
取り出したのは、小さな瓶に入った黒褐色の液体だった。
蓋を開けてもらう。
ふわっと鼻に届いた香りに、私は目を見開いた。
『……これ!』
「これでしゅ!」
「こちらは、発酵させた豆から作る調味料だそうです。ちょうど先日、殿下がヒューマ族からいただいたものでございます」
「ヒューマ族から?」
「はい。あちらでは使われているそうですが、この辺りではほとんど出回っておりませんので」
『…………。』
『醤油だ。』
『絶対、醤油だ!』
思わず小さくガッツポーズをする。
『ヒューマ族……醤油があるの?』
一瞬、頭の隅に何かが引っかかった。
でも今は料理!
「これ、ちょっと使っていい?」
「もちろんでございます」
その間に、コッケルにもいい焼き色がついていた。
「一回、お肉出してー」
焼き上がったコッケルを皿へ移してもらい、そのままのフライパンにミルバを落とす。
じゅわっと溶けたところへ、私が刻んだにんにくを入れる。
途端に、食欲をそそる香りが広がった。
「わぁ……」
ランが小さく声を漏らす。
「そこにリモネを絞ってー」
爽やかな香りが加わる。
そして最後に――。
「さっきの黒いやつ、ほんのちょっと!」
数滴だけ落としてもらう。
ジュワッと音がして、香ばしい匂いが一気に強くなった。
『うわ、これ絶対おいしい!』
ミルバ。
にんにく。
リモネ。
そして、ほんの少しの醤油。
『完璧な気がする!』
「こんな合わせ方は……初めて見ました」
料理長が感心したように呟く。
「フリージア様、いつもながらすごいですね!」
ダリアンとランは少し離れたところから、固唾を飲んで見ていた。
……というより。
二人とも完全に料理しか見ていない。
『まだ食べちゃダメだからね』
「次はジャムでしゅ!」
「ジャム?」
私はいちごに似た赤い実を手に取った。
「このすっぱいやつをジャムにします」
「ああ、それはスーベリですね」
料理長が教えてくれた。
「スーベリ。酸っぱいからお砂糖とグツグツします」
「グツグツ!?聞いたことがございません」
料理長がまた目を丸くした。
私は鍋を借りて、スーベリと砂糖を入れて火にかけた。
「ちょっと時間がかかるのでその間にパンケーキを作ります!」
「誰か焦げないようにまぜまぜしてください。」
私はさっさと次の材料を並べた。
ブレッパの粉とコッケルのエルグ、ミルティ
「あとはミルバと……お砂糖も少し」
材料を並べながら、ふと手が止まった。
『……あ。』
『ベーキングパウダーないじゃん』
このまま焼いたら、たぶんぺたんこになる。
『んー……どうしよう』
少し考えて、エルグを手に取った。
『そうだ。白身を泡立てればいいんじゃない?』
たしか、ふわふわのパンケーキを作る時にメレンゲを使っていたはず。
「料理長、エルグを黄身と白いところに分けてくだしゃい」
「分けるのですか?」
「うん! 白いほうは、いっぱいまぜまぜして!」
「いっぱい……?」
「こう、ふわふわになるまで!」
料理長は不思議そうにしながらも、エルグを黄身と白身に分けてくれた。
白身をボウルに入れ、泡立て器で混ぜ始める。
シャカシャカ、シャカシャカ――。
「もっと!」
シャカシャカシャカシャカ――。
しばらくすると、透明だった白身が真っ白な泡へと変わっていった。
「おお……」
料理長が手を止め、目を丸くする。
「エルグが……」
「ふわふわになったでしょ!」
『よし、メレンゲできた!』
別のボウルにブレッパの粉と黄身、ミルティ、お砂糖を入れて混ぜる。
「ミルティは少しずつね。とろーってするくらい」
ちょうどいい固さになったところで、泡立てた白身を加える。
「ここからは、いっぱい混ぜたらダメでしゅ」
「先ほどは、あれほど混ぜろとおっしゃっていたのに?」
「これはやさしく! ふわふわがなくなっちゃうから」
「……料理とは難しいものですね」
料理長が妙に真剣な顔で呟いた。
『そこまで難しく考えなくても……』
泡を潰さないように、さっくりと混ぜ合わせる。
「よし! これで焼きましゅ!」
ボウルを傾けると、生地がゆっくりと流れた。
フライパンを弱火にかけて、ミルバを薄く伸ばす。生地をそっと流し込むと、じゅわっといい音がした。
鍋の方からは、スーベリが煮詰まる甘酸っぱい香りが漂ってくる。
調理場がいい匂いで満ちていた。
「表面にプツプツ穴ができたら、ひっくり返しまーしゅ」
フライパンを覗き込んで待つ。
じわじわと端が固まってきて、表面にぽつぽつと小さな穴が開き始めた。
「今でしゅ!」
私はフライ返しを両手で握って、えいっと返した。
――ぐちゃ。
生地が半分折れた。
「あっ」
なんとか形は保っているが、明らかにいびつだ。
ダリアンが「お、お嬢様……」と声を詰まらせている。
まだ上手にできる年齢ではなかった。
見かねた料理長が、静かに横に立った。
「よろしければ、私が」
「……おねがいします」
素直に渡した。
料理長はフライ返しをさらりと持ち、ふわりとひっくり返した。きれいな丸のまま、ぱたりと着地する。
「……そうそう、それでしゅ!」
私は思わず指をさした。
料理長は涼しい顔だった。
「慣れでございます」
両面がきつね色に焼けたところで、料理長が皿にそっと移してくれた。
ふっくらとした丸いパンケーキが、二枚重なって並んでいる。
「ジャムは……」
鍋を覗き込むと、スーベリが深い赤色にとろりと煮詰まっていた。
「ちょうどいいでしゅ!」
木べらで少し掬って確認する。とろりと垂れて、いい感じだ。
「かけまーしゅ」
パンケーキの上に、スーベリジャムをゆっくりとかけていく。
赤いジャムがとろりと広がって、甘酸っぱい香りがふわりと立ち上った。
ふと横を見ると、小さな紺色の実が入った器があった。
「これ……ブルーベリー?」
思わず口から出た。
「ブルバでございます」
料理長が答えた。
一粒つまんで口に入れてみる。
(……完全に同じだ)
甘くて、少し酸っぱくて、あの味だ。
「これも上にちらします!」
パンケーキの上に、ブルバをぱらぱらと散らした。
赤いジャムと紺色の実が並んで、見た目もきれいになった。
皿の上に並んだパンケーキを眺めて、私は満足げに頷いた。
「ガーリックリモネミルバのコッケル焼きと、スーベリジャムのパンケーキ!」
『うん。今日のご飯も完璧!』
「できましたー!」
ぱちぱちと手を叩く。
その声を聞いた瞬間――。
「待ってました!」
真っ先にやってきたのはダリアンだった。
「……ダリアン、ずっと待ってたの?」
「もちろんです」
即答だった。
その後ろからランも近づいてくる。
ただし、その視線は明らかにパンケーキへ向いていた。
『ランはやっぱりそっちだよね』
「でも、この後ご飯だからね。ぜんぶ食べちゃダメでしゅよ」
「分かっております」
「はい」
二人とも返事だけはいい。
「料理長、味見する分だけ切ってー」
「かしこまりました」
まず、コッケルを小さく切り分けてもらう。
ダリアンは受け取るなり、一口で頬張った。
「…………!」
目が一気に見開かれる。
「うまっ!」
にんにくの香りにミルバのコク。
そこへリモネの酸味が加わって、ほんの少し入れた黒い調味料の香ばしさもちゃんと残っている。
「これ、すげぇうまいです! 肉なのにさっぱりしてて……でも味が濃くて!」
『ふふん』
ダリアンはやっぱり肉料理への反応が一番いい。
一方、ランは――。
「…………」
パンケーキを一口食べたまま固まっていた。
「ラン?」
「……おいしいです」
目がとろんとしている。
「スーベリって……こんなに美味しかったんですね……」
もう一口。
「甘い……でも少し酸っぱくて……ブルバも……」
頬に手を当てて、完全にとろけている。
『出た。ランの甘いもの食べた時の顔』
ランはほっとしたように、もう一口食べた。
料理長もそれぞれを味見して、何度も頷いている。
「スーベリは酸味が強いため、そのまま食べるくらいしかしておりませんでしたが……砂糖と煮るだけで、これほど変わるとは」
「ブルバでもできるよー。ほかのくだものでも、たぶんできる!」
「他の果実でも……」
料理長の目が変わった。
『また料理長の研究が始まりそう』
『まぁいっか。今日も大成功!』
「では、私は戻りましゅ。テーブルで待ってますね」
私はにっこりと笑って、調理場をあとにした。
廊下に出た瞬間、香りが追いかけてきた。
ガリクバターのこうばしい匂いと、スーベリジャムの甘酸っぱい香りが混ざり合って、廊下の奥まで漂っている。
遠くの方から「何この匂い……」という声が聞こえた気がした。
お腹が鳴りそうだ。自分で作っておいて。
隣を歩くランは、もうすっかり落ち着いた顔をしていた。
「お嬢様、あのパンケーキは……今日のデザートでございますか?」
「そうなりましゅね」
「……そうですか」
ランの声は平静だった。
でも歩くたびに、足元がほんの少しだけ弾んでいた。
スキップ、とまではいかない。でも明らかに、いつもより足取りが軽い。
(待ち遠しいんだ)
私はそっと笑った。
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食堂に入ると、今日はお爺様も席についていた。
私の姿に気づいたお爺様が、にこにこしながら手を振った。
「フリーよ、今日は何をしておったんじゃ?」
私は席に着きながら、今日のことを話した。
先生との練習のこと、それからご飯を作ったこと。
庭園のことは……黙っておいた。
なんとなく、まだ言わなくていい気がした。
お爺様はずっとウンウンと頷きながら聞いていた。目が細くなって、ずっとにこにこしている。
話し終わったところで、扉の向こうから料理長が現れた。
大きな皿を両手に持って、堂々と入ってくる。
「本日のお料理でございます」
テーブルに皿が並ぶと、香りがふわりと広がった。
お爺様がふと顔を上げた。
「おお……これがフリーの作ったものか」
目を細めて、嬉しそうに皿を見ている。
お爺様はゆっくりとナイフを入れた。切り口からじゅわりとバターの香りが立ち上る。
一口食べて、少し間があった。
「……うまいな」
お爺様が目を細めた。
お父様も続けて口に運んで、静かに頷いた。
お母様は口元に手を当てて、目を丸くしている。
ご飯が美味しいって言ってもらえると、なんだか胸のあたりがじんわりする。
前世では誰かのために作ることなんてほとんどなかった。
でも、みんなが喜んでくれるのは、やっぱりいいものだ。
それからまた、厨房の方からいい匂いが漂ってくることが増えた。
ミルバの香り、何かを煮込む香り、焼き菓子のような甘い匂い。
どれも、前とは少し違う。
『料理長、頑張ってるんだ』
私はそっと微笑んだ。
そんなふうに、またいつもの日々が過ぎていった。




