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第14話 まだまだできない。

 ――数日後。


 アイリオン先生との魔術の訓練だ。


 今日はお兄様たちの姿がない。


 皆、学校にいるからだ。


 先生は私の顔を見るなり、静かに口を開いた。


「今日は二人で行います。前回の続きです」


 短い言葉。


 余計なことは言わない人だ。


 私は小さく頷いて、先生の前に立った。


 レッスンの内容は前回と同じ、魔力の安定化だった。


 身体の中に満ちている魔力を、ゆっくりと外へ引き出す。


 それだけのことのはずなのに、どうしても上手くいかない。


 魔力が多すぎるのだ。


 少し意識を向けるだけで、どっと溢れ出そうになる。


 まるで蛇口を少し開けたつもりが、栓ごと抜けてしまうような感覚だった。


『……全部出せば早いんじゃないか』


 そう思った瞬間だった。


 身体の奥から、魔力が一気に噴き出した。


 制御が、外れた。


 ドン、と衝撃が走る。


 視界が白く弾け、次の瞬間には床に膝をついていた。


 頬に熱い痛みを感じる。


 ――擦り傷だ。


 大きく息を吐いて顔を上げると、先生が床に描かれた魔法陣の縁に手をついていた。手の甲に、細い傷が走っている。魔法陣を強化しようとした時についたのだろう。


 先生は私の様子を確認してから、静かに立ち上がった。


 そして、何も言わずに私の頬へ手を伸ばす。


 ひんやりとした指先が触れた瞬間、かすかな光が走り、痛みが消えた。


 先生は自分の手の傷には目もくれない。




「……先生の手も」




「問題ありません」


 短く遮られた。


 先生はそのまま私の前に膝をつき、静かに言った。




「フリージア。今、何をしましたか」


 責める口調ではない。ただ、まっすぐに問いかけてくる。




「……全部、出そうとしました」




「そうです」


 先生は小さく頷いた。


「今あなたが持っている魔力を、すべて一度に放出しようとした。違いますか」




「……はい」




「それは間違いです」


 先生の声は穏やかだった。けれど、言葉には迷いがない。


「魔力とは、身体が支えられる量にしか制御できません。どれだけ膨大な力を持っていても、器が追いつかなければ暴走する。今がそうでした」




 私は唇を結んだ。




「全部を出そうとしてはいけない。自分の身体が今日扱えるサイズだけを、少しずつ放出する。それを繰り返すことで、少しずつ器が広がっていきます」




「……急いだら、ダメなんでしゅね」


 


「急いでも力は育ちません。身体が壊れるだけです」


 


 先生は立ち上がりながら、ふと私の耳元へ視線を移した。


「そのイヤーカフ」


 


 私は思わず耳に触れる。お兄様たちからもらった、四色の宝石がついたイヤーカフだ。


「ご兄姉から?」




「はいっ!」


 私は思わず笑顔になった。先生の顔をぐいっと見上げながら、耳元を少し傾ける。


「きれいでしょ? おにいしゃまたちにもらったんでしゅ!」


 自慢したくて仕方ない、という顔をしていたと思う。




 先生はそんな私をしばらく見てから、静かに続けた。


「……そうですか」


 


「それには保護魔法が込められています。今回、擦り傷で済んだのはそのおかげです」




 私はぱちりと瞬きをした。


「え……そうなんでしゅか?」




「私の結界魔法も機能しています。ただ――正直に言えば、あなたの魔力がここまでのものだとは想定していませんでした。私より少し多い程度だろうと、見ていたので」


先生は視線をそっと逸らした。


「……いや、何でもありません」




少し間があった。


「お兄様方は、あなたが魔法の練習を始めることを知っていた。だから渡したのでしょう」




あの時、何も言わずに渡してくれたイヤーカフ。ただの贈り物じゃなかったんだ。




 先生は私の表情を見て、何かを言うわけでもなく、ただ静かに次の指示を出した。


「もう一度、やりましょう。今度は少しだけ」


 その声は、やっぱり淡々としている。




 でも、私はもう知っていた。


 先生が厳しいことを言うのは、全部私のためだ。


 私は小さく頷いて、もう一度、魔力に意識を向けた。




 それから何度も繰り返した。




 小さな魔力を、身体が扱えるだけの量に絞って、ゆっくりと外へ出す。また引き戻す。また出す。


 単純な作業だった。でも、繰り返すたびに少しずつ手応えが変わっていく気がした。




 しばらくして、先生が静かに言った。


「休憩にしましょう」




 私は床に座り込んで、大きく息を吐いた。




「……だいぶ安定してきています」


 先生の声は相変わらず淡々としていたけれど、それが褒め言葉だと分かった。




「ありがとぅございます」




「これは安定するまで続けます。焦らなくていい」




 私は頷きながら、ふと先生の耳元に目が止まった。


 片方だけ、イヤーカフがある。


 もう片方には、何もない。




「……しぇんしぇ」




「何ですか」




私はそっと先生の耳元を指さした。


 


「それ片方にしかないんでしゅね。誰かにあげたんでしゅか?」




 先生は少し間を置いた。




「大切な人に――」




 そこで、言葉が止まった。




「……いや」




 先生は静かに言い直した。




「大切な人、なんていないのに……無くしました。きっと、旅の途中で」




 淡々とした声だった。




 でも先生自身が、自分の言葉に少し驚いているように見えた。


 目が、わずかに揺れていた。


 私は何も言えなかった。


 


(先生に、大切な人が?)


 それ以上、聞けなかった。




 休憩が終わると、練習が再開した。


 また同じことを繰り返す。小さく出して、引き戻して、また出す。


 正直に言えば、少し飽きてきた。


 先生はそれに気づいたのか、ふと口を開いた。


「最後に一つ、やってみますか」




「なんでしゅか?」




「魔法です」




 その一言に、私は思わず目を見開いた。


(やっていいの⁉︎)


 胸の奥がぱっと明るくなる。先生の顔をじっと見上げると、先生は相変わらず表情ひとつ変えない。でも、拒む様子もない。




「あなたが出しやすいと思うものは?」




 私はうーんと少し考えた。


「……みじゅ、かなぁ」




「根拠は?」




「んー……なんとなく、いちばんイメージしやしゅい気がして」




 先生は小さく頷いた。


「では、やってみましょう」




 先生は静かに立ち上がり、私の前に立った。


 そして詠唱を唱え始める。


 短く、でも整った言葉の流れ。


 次の瞬間、先生の手の前に小さな水の球がふわりと浮かんだ。


 透き通っていて、きれいだった。


 思わず見入ってしまう。




「やってみなさい。詠唱はこう――」




 先生が言いかけた、その前に。


 私はさっき先生がやったのを頭の中で思い描いた。


 透き通った、丸い水。あのくらいの大きさで。


 ――出て。


 ふわり、と。


 手の前に、小さな水の球が浮かんだ。


 先生が静止した。




 しばらく沈黙があった。




「……そうでした」


 先生は小さく息を吐いた。


「貴方は詠唱なしでできるんでした」




「あの、なんかしゅみません」




「いえ」


 先生は表情を変えないまま、でも少し間を置いてから言った。


「一つ聞いていいですか。それは、どうやって出しているのですか」


 


「えっと……」


 私は少し考えた。




「んー……イメージしただけでしゅ。しぇんしぇがやったのを見て、そのまま頭の中でギュッてして……出した感じ?」




「……ギュッてして、出した」




「はい! しぇんしぇもできると思いましゅよ」




 私は少し前のめりになった。


「頭と心で、こーゆー形になれーってのを感じながら出しゅだけでしゅ! なんか、こう……ぎゅーってなってぽんってなる感じ!」




 先生はしばらく私を見ていた。


 何も言わない。




(あれ、伝わってない?)


 何を考えているのかは分からない。




 そもそも前世で魔法なんて使ったことがないから、うまく説明できる言葉を持っていない。「アニメみたいに」とも言えないし、困った。




 でも、先生の目はいつもより少しだけ柔らかかった気がした。


 それだけで、なんとなく伝わったのかな、と思うことにした。




 やがて先生が「今日はここまでにしましょう」と静かに告げた。


 先生に深く頭を下げた。




「ありがとうございましたっ」




「お疲れ様でした」




 短い返事と共に、先生は手を軽くかざした。ふわりと風が通り抜けるような感覚がして、次の瞬間には先生の姿が消えていた。




 いつもの帰り方だ。


 その場に残された私は、しばらくぼんやりとしていた。




「……あの魔法、やっぱりすごいなぁ」




 声に出すつもりはなかったのに、口からこぼれていた。


 すると、横からランが静かに口を開いた。




「アイリオン先生の魔法の起動の仕方は、とても珍しいんです。詠唱は二言ほど、手をかざすだけで発動させてしまう。あれだけ短くできる方はほとんどいません」




「へえ……」




「生徒に教える一般的な術式とは別の組み方をされていて、なかなか真似できるものではありません。ただ、もし習得できれば、起動がとても速く、扱いやすくなると言われています」




 私はふと思い出した。




「あれ? この前フジもやってたよね?」




 ランは少し微笑んだ。




「はい。フジも同じやり方です。ただ、フジ殿の詠唱は少し長めで……先生のはそれをさらに短く、ご自身のやり方に組み替えていらっしゃるんです。だからなかなか真似できないんですよ」




「お嬢様、フジは長くお仕えしているので忘れていらっしゃるかもしれませんが……元々はこちらの護衛隊長だったんですよ」




「えっ」




「とても優れた方です。フジ殿に剣でも魔法でも、正面から勝てる方はここにはいないかと」




 私はぽかんとした。




(あのフジが⁉)




 いつも穏やかで、にこにこしていて、お菓子を持ってきてくれるフジが。




 ……でも、確かに。




 たまにお父様に向ける眼差しが、ふっと鋭くなる瞬間がある。そういう時のフジには、誰も逆らえない空気があった。




 あれは、そういうことだったのか。




 ランの話が落ち着いたところで、ダリアンが私の方を向いた。




「お嬢様、今日はよく頑張られましたね」




「本当に。先週より随分と安定していましたよ」


 ランも続ける。




 二人に褒められると、なんだか急に恥ずかしくなった。




「……べつに、そんなに」




 顔が少し熱い気がする。




 ダリアンが穏やかに聞いてきた。




「ご夕食まで少し時間がございますが、何をなさいますか?」




 「じゃあ今日のご飯作ろうかな!」




 ダリアンはぱっと顔を輝かせた。




(今回もおいしいやつ作ってやる)




「では、厨房に行きましょう」




 ダリアンはもう嬉しそうについてくる。


 私はもう廊下を歩き出していた。


 厨房の扉を開けると、いつもの熱気と食材の香りが出迎えてくれた。

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