第二章 いたずらな蓄音機 ⑤
「これが蓄音機だよ」
これまた広々とした一室に入ると、そこには古びた蓄音機があった。金色のラッパは磨かれていて綺麗だし、ダークブラウンの重厚な箱部分にあしらわれた蔦模様が華やかだ。
そして、針の部分は黒い澱みが漂っていた。
「うん、これは間違いなく精霊の仕業だね」
「やっぱり! 実は、少し前に外商から買い取った物なんだよ。まさか、精霊憑きとはな」
「それじゃ、サクッとやっちゃおうか」
エドワードがそう言うと、クリスは蓄音機から離れたところにあるソファに座った。どうやら何度も、この場面に出くわしたことがあるらしい。
俺も彼に倣って、クリスの隣に座る。近寄りすぎると、“あちら側”に迷い込みかねない。
以前と同じように、エドワードは両の手をパチンと打った。そして、言葉ではない音が紡がれる。
頭に鈍い痛みが走る。耐えられないほどではないけれど、確かな不快感。
と、その時。クリスの体がぐらりと揺れ、そのままソファへともたれかかった。そちらへ視線を移すと、彼は目を瞑りだらりとしている。気を失っているようだ。
俺は様子を伝えようと慌ててエドワードの方を見たが、彼はちらりとこちらを一瞥するだけで、そのまま両手を開いた。
彼の目の前で空間が裂け、丸い暗闇が生まれる。その奥は、光をすべて飲み込んでしまったかのような深淵だ。
次いで蓄音機を右手に指で二回、とんとんと叩く。澱みが宙へと吸い出され、黒い塊になる。以前見たものよりも大きい。
エドワードがそこに手を翳すと、あの言葉にならない音を再び紡ぐ。
鈍い頭痛を感じてからすぐに、精霊は姿を現した。
どうやらあの澱みの球体は、精霊の大きさに比例するらしい。俺は、まるで木製の機械仕掛けの人形のような、そしてやや不気味な容姿をした存在を見て思った。
「いたずらをしていたのは君だったんだね、グレムリン」
「やだなぁ、旦那。出来心じゃないですか。別にほら、不幸を招いたりはしてないでしょう?」
グレムリンがヘヘッと笑うたびに、その体からカタカタと音が鳴る。本当に、人形にしか見えない。
「元いた場所へ帰ろう。僕は君を還しに来たんだよ」
「あたしゃ、帰るつもりはありませんよ。もう五十年はこの機械に住んどるんだ。こっちが故郷みたいなもんさ」
「なら、いたずらはもうしないかい?」
「そりゃないぜ旦那、あたしにとっちゃ、いたずらはライフワークなんです」
グレムリンが誇らしげに鼻を鳴らすと、エドワードはニコリと微笑んだ。その表情に、グレムリンは口を半開きにして、ぽけっとした顔をする。
なるほど、エドワードの美貌は精霊にも効くらしい。
エドワードはグレムリンをひょいと持ち上げると、深淵の前へと連れて行く。子供ほどの大きさのグレムリンは、されるがままだ。
「そっか。なら、帰ってもらおうかな」
「え、ちょ、ちょっと旦那……?」
「達者で暮らすんだよ」
グレムリンの動揺を無視して、エドワードはグレムリンをぽいっと空間へ放り込んだ。そして手早く柏手を打ち、空間を塞ぐ。
鮮やかな手腕である。俺は思わず、心の中で拍手した。
「そうだ、エド、クリスさんが!」
空間を閉じたエドワードが軽く息を吐いた時、俺は言おうとしていたことを思い出して声を掛けた。
エドワードがくるりと俺を見て、微笑みながら近付いてくる。
「大丈夫、いつものことだから」
「いつものこと?」
「そう。普通の人は、儀式に耐えられなくて気絶してしまうらしいんだ。君は視える人だから、耐えられるみたいだけど。でも、まったく何もないわけではないだろう?」
「たしかに、少し頭痛がします。耐えられないほどじゃないけど、不快な感じの……」
「それは、いつ?」
「手を叩いて、エドが何かを言っている時です。クリスさんは、その時に倒れました。あとは、黒い塊を精霊の形にする時にも」
俺の言葉に、エドワードは少し考えた後、小さく頷く。そして、俺の隣にゆっくりと腰かけ、ふぅと溜息を吐いた。
「あれは少し特殊な言葉なんだ。簡単に言えば、神の言葉って感じかな。“あちら側”にいる神々が話す時に使う、共通語のようなものだよ。神の言葉は、人間には強すぎるのかもしれないね」
「……神様って、やっぱりいるんですね」
「いるよ。正確には、僕たち人間が神と呼んでいる、精霊たちの王のような存在だけどね。悠大くんは見たこと無い?」
「それっぽい人なら、一度だけ。でも、日本語を話してました」
「人間に話す時は、こちらが分かる言葉で話してくれるからね。神の言葉は、主に“あちら側”にいる時に使われているんだよ」
エドワードの言葉に、たしかにと納得する。人間は神の言葉を理解できないのだから、それで話しかけられても困ってしまう。
神というのは、思ったよりも親切なようだ。
「エドは、神の言葉を話せるんですか?」
「うん、少し。……僕の実家は、少し特殊な家柄でね。日本式に言えば、神主の一族って感じかな。神様に祈り、言葉を届けるから、神の言葉を使うんだよ」
「ああ、祝詞みたいな?」
「かなり近いね。祝詞は日本語で神へ言葉を伝えるためのものだけれど、僕の場合は、それを神々の言葉で行うんだ。神としてはどちらでも良いんだろうけど、“あちら側”の空間に干渉するには、神の言葉でないと駄目みたいで」
「なるほど、英語も日本語も、こちら側の言葉ですもんね」
「そういうこと」
俺は、エドワードが作り出した深淵を思い出す。“あちら側”への干渉とは、あの“あちら側”への入り口のことを言っているのだろう。あれが扉なのだとしたら、向こうから鍵を開けてもらうことになる。こちら側の言葉では、届かないということか。
そう納得すると同時に、エドワードがどうしてこの不思議な儀式を行えるのかも理解した。彼の家柄がもともと神主の一族なら、たしかに儀式めいたこともできるのだろう。
そして俺は、一緒に暮らしていれば当たり前に話に出てきそうな話さえ、知らないのだと気が付いた。
雇い主と従業員。どこまで踏み込んで良いのか、ずっと手探りだった。
けれど、エドワードは俺のことを友人だと言った。俺だってそう思っている。
それならば、もう少し彼について聞いてみても良いのかもしれない。だって、友人とはそういうものだろう。彼が話したくないことを聞きたいわけではない。でも、尋ねるくらいは、したって構わないはずなのだ。
俺は隣に座るエドワードの横顔を眺めながら、小さく頷いた。




