第二章 いたずらな蓄音機 ④
クリスの実家はコッツウォルズのエリアにあるという。どうせなら観光もということで、二泊三日のお泊まりである。
コッツウォルズ方面へ向かう車の中で、俺は気になっていたことをクリスに尋ねた。
「そういえば、エドがクリスを助けたとか?」
「ああ、学生の話ね。そうだよ。当時、幽霊が出るとかで人が立ち寄らなくなったトイレがあったんだ。で、私はそのトイレに縛られて閉じ込められていたんだけど、そこに王子様が現れたってわけさ」
何があったかは分からないけれど、縛られてトイレに閉じ込めるとは穏やかではない。普通ならトラウマになりそうな話だが、クリスは懐かしそうに話している。エドワードが助けに入ったことで、彼にとって良い思い出に変わったのかもしれない。
「お金持ちでも、いじめはあるんですね」
「いじめというか……まあ、いじめだな」
クリスが何かを言おうとして、言わずに苦笑する。言葉にしたくない何かがあるだろう。
エドワードが、言葉を繋いだ。
「パブリックスクールでは、華奢だったり気弱だったりすると、いじめの対象になることがあるんだ。良家の子息と言っても、思春期真っただ中だからね。それも、誰も彼もがプライドはいっぱし。マウントの取り合いになることは、不思議でもないよ」
言葉は穏やかだが、そこには嫌悪感がよく表れている。きっと彼も、そういう現場を何度も目撃したのだろう。金持ち喧嘩せずという言葉があるけれど、子供のうちはむしろ熾烈な争いがあるのか。俺には分からない世界だ。
「ユウタはどんな学校に通ってたんだ?」
「え、俺ですか? 普通の学校ですけど……」
「悠大くん、イギリス人に、日本の普通の学校が分かると思うかい?」
「あ、そっか」
俺は納得して、ぽつぽつと母校について話し始めた。
小学校も中学校も給食があったのに高校では無くなってしまって悲しかったこと、掃除の時間にホウキでチャンバラをしていたら女子生徒に怒られたこと、靴を投げてお天気占いをしていたらうっかり天井に当たって先生に怒られたこと、成績が良いと両親がご褒美にケーキを買ってくれたこと。
小中学生の頃には妖関係で気味悪がられることもあったが、仲の良い友達が居ないわけではなかった。それに、高校からは少し離れた場所に通っていたので、俺が妖を視えると知らない友人も多い。
なんてことはない日常だったが、今にしてみれば、かけがえのない思い出だ。
エドワードもクリスも、俺の話を楽しそうに聞いていた。
「やっぱり日本の学校教育は面白いなぁ。掃除なんて、家でもしたこと無いよ」
「それは君がだらしないだけじゃないかな、クリス。僕はこう見えて、料理も掃除もしているよ?」
「洗濯はなぜか泡を溢れさせますけどね」
俺が耳打ちするように告げれば、エドワードがむっとした顔をしながら肘で小突いてきた。もちろん、本気で怒っているわけではない。
それからも俺の平凡な日常の話を聞きながら、三人を乗せた車はクリスの家へと運ばれていった。
「クリスさん、小さいって言ってたのに……」
「悠大くんならそういう反応すると思ったよ」
「あっ、わざと黙ってましたね!」
エドワードが満足そうに微笑んだので、俺は彼を睨みつけた。
知っていたならもっと早く教えてほしい。目の前にあるのは、俺の実家が五つくらいは横に並ぶであろう屋敷だった。奥行きも考えれば、もう比較はできない。
森をぽっくり切り抜いたように建っており、周囲には一切建物が無い。来る途中に背の低い石垣のようなものがあったけれど、もしあそこからがこの屋敷の敷地ならば、かなりの広さのはず。
小さいと言うクリスの言葉には、謙遜は感じられなかった。つまり、これのさらに上がいるということだ。
気が遠くなりそうな気持ちを振り払って、先を歩くエドワードを追いかけた。
屋敷に入ると、執事服に身を包んだ青年が荷物を持ってくれた。部屋に運んでくれるという。上客としてもてなしてもらい、なんだか申し訳ない。
クリスもエドワードも慣れた様子で使用人に荷物を任せ、何やら頼んでいるようだった。あまりにも自然で、彼らがそういう立場なのだと分かる。
俺もエドワードに、もう少しかしこまった方が良いだろうか。
「悠大くんは、僕の友人なんだ。変に意識しなくていいからね」
隣から思考を読まれたような言葉が降ってきた。声の主を見上げれば、エドワードが困ったように笑っている。
綺麗な顔というのは、どのような表情でも、まるで絵画のような整い方をするものなのだなぁ。
そんな感想を抱いてから、はっと我に返る。いけない、久しぶりに至近距離で見たので、うっかり脳が思考バグを起こしてしまっていた。
変に意識しなくていいと言われても無理そうだけれど、ともかく今まで通りで良いということだ。ならば、遠慮なくそうさせてもらおう。




