第二章 いたずらな蓄音機 ②
廊下を進み、右手の部屋に入る。廊下の突き当りはエドワードの執務室となっているので、エドワードがいない時は応接室に案内することになっている。
扉を開けば、白を基調とした部屋が広がった。広さは十畳ほどで、中央には、一枚板で作られたダークブラウンのローテーブルと、布張りの椅子が四基。壁には大きめの風景が飾られている。豪奢なつくりではないが、洗練された誂えだ。ブラウニーのセンスなのだとか。
「コーヒーと紅茶、どちらにしますか?」
「アールグレイはあるかな?」
「はい」
「では、それとミルクをもらいたいな」
「かしこまりました。少々お待ちください」
俺はぺこりと頭を下げて部屋を出ると、給湯室に向かいながら携帯を開く。電話帳に登録されているのは、ただ一人。
手早くメッセージを送る。
『ご友人のクリス・アッシュなんたらさんが来ています。至急帰られたし』
『了解、十分で戻るね』
お湯を沸かしている間に返信があり、ほっと溜息を吐く。
クリスは見たところ良い人そうだけれど、見知らぬ人と二人きりで長い時間を乗り越えられるほど、俺のコミュニケーション能力は高くない。しかも相手は品の良い英語を話す紳士だ。ブラウニーからたまに指導を受けているとはいえ、俺の英語力のレベルを考えると、どうしても気が引けてしまう。エドワードは気にしなくていいと言うけれど、そういうわけにはいかない。
棚からアールグレイを取りティーポットに二杯と少しの茶葉を入れて、お湯を注ぐ。待っている間に、一口サイズのショートブレッドとミルクポットを用意する。
イギリスには様々な種類の牛乳があるが、紅茶にはセミスキムドミルクが良いのだと、エドワードが力説していた。俺には、違いはさっぱりである。
カップに出来上がった紅茶を注げば完成。芳しい香りが部屋にふわりと広がった。
自分の分も用意してから、応接室へ戻る。
「すみません、お待たせしてしまって」
「いやいや、気にしないで。ありがとう」
俺がカップを彼の前に置けば、クリスはまたニコリと笑った。よく笑う人だ。
トレイを脇の棚に仕舞ってから、席に着く。
「エドは、もう少しで戻るとのことでした」
「そっか。……うん、美味しい。君は紅茶を淹れるのが上手いね」
「え、そうですか? ありがとうございます」
きっと良いものをたくさん飲んでいるであろうに、なんとも親切な人だ。お世辞だとしても、褒められて悪い気はしない。ブラウニーにコツを聞いておいてよかった。
カップを置いたクリスが、それで、と口を開いた。
「君は、その、エドと同じなのかな?」
「同じ、というと……?」
「あーほら、その、不思議なものが分かるみたいな」
「ああ、はい、そうですね。といっても、エドみたいな力は無いけど」
「そっか、そうなんだね。いやぁ、エドが人を雇うなんて聞いた時は驚いたけど、なるほどなぁ」
しきりに納得したように頷く彼は、どこか肩の力が抜けたようだった。
もしかしたら、クリスはエドワードを心配していたのかもしれない。それで、どんな奴が入ったのかチェックしに来たのだろうか。良い友人らしい。
それよりも、と俺は気になったことを尋ねた。
「エドは、人を雇ったことがなかったんですか?」
「うん、そのはずだよ。少なくとも二ヶ月前に来た時はいなかったし、人を雇うって話もしてなかったと思う」
「……そうですか」
ちょうどスタッフが辞めたから、うちで働かないか。エドワードは俺を誘った時、そう言っていたはずだ。だが、クリスが嘘を吐いているとは思えない。
つまり、エドワードは嘘を吐いていたということだ。でも、何のために。
彼を疑う気持ちは無い。きっと何か理由があったのだとは思う。けれど、騙されていたような気がして、あまり面白くはない。
「ユウタ、どうかした?」
「ああ、いえ、大丈夫です。俺、エドにどう言われてたのかなと思って」
「君のこと? そうだなぁ……、エドは友達甲斐のある奴だけど、自分のことはあんまり話さないんだ。でも一ヶ月前に突然、人を雇うことにしたよって連絡が来てね。相当嬉しかったんだろうな。思わず、私に連絡してくるくらいに」
「嬉しかった?」
「ああ、そうだよ。理由は言っていなかったけど、文字が躍っているようだったさ」
クリスは、思い出しながらクスクスと笑う。
それほど喜んでもらえるようなことはしていないと思う。それでも、もし俺との出会いがエドワードにとってプラスなものなら、それは俺も嬉しい。たった一ヶ月だが、俺にとってエドワードは、すでに親しい相手だったから。
クリスは穏やかな瞳で、俺を見た。アッシュブルーの瞳の奥が、優しく揺れる。
「そうか、君はエドと同じ景色が見えるんだなぁ」
少し寂しそうな響きに、俺は呟きの意味を尋ねるか迷った。俺が踏み込んで良い領域なのか、そうではないのかが、分からない。
だが、クリスはそんな俺の戸惑いを読んだように話を続けた。
「エドとはウェストミンスターにいた頃からの仲なんだ。もう二十年以上の付き合いになるな」
「ウェストミンスター?」
大きな修道院が脳に浮かぶ。エドワードに送り届けてもらったところだ。しかも、かなり詳しく案内してもらった。あそこにいた頃からとは、どういう意味だろうか。
俺が不思議そうに首を傾げたので、クリスは補足してくれた。
「修道院の方じゃなくて、パブリックスクールの方さ。隣にあるんだけど、見てない?」
「あー、すみません、学校があるのは気付きませんでした……」
「はは、いいよいいよ。観光客だと、知らない人も多いからね。あそこにスクールがあるんだ。私とエドは、そこに通っていたんだよ。私は寮にいたけど、エドは自宅から通っていたな」
「へぇ、そうだったんですね」
どうりで修道院に詳しかったわけだ。まさしく庭だったんじゃないか。それならそうと言ってくれたらよかったのに。
初対面の相手に言うことではないのかもしれないが、少しだけ不貞腐れた気持ちになる。
「学生時代のアイツも、今と変わらず気さくで良い奴だったよ。……でも、いつも一人でいたな」
「一人で?」
「そう。どこか決まった場所があったわけじゃないけど、人目を避けるような場所で、本を読んでた。たまに、一人でクスクスと笑っていたこともあるよ」
「……不気味ですね」
「周りからしたらな。だから、変わり者として距離を置かれていた」
たぶん、精霊たちが見えていたのだろう。話もしていたのかもしれない。だが、彼らは普通の人達には見えない。傍から見たら、何もないところで突然笑っている生徒だ。
俺にも覚えがあった。視ないように、意識しないように気を付けていても、その声が人ではないと気が付かずに応えてしまうことがあった。そんな様子を、周りは不気味がっていた。だから、友人と呼べる相手は数えるほどしかいない。
「どうしてクリスさんは、エドと親しく?」
「実は昔、助けてもらったんだよ。小さい頃の私は、それはもう天使のように可愛らしくてね。トイレに閉じ込められていた時に、彼が私の声に気付いて鍵を開けてくれたんだ。魔法のようにね」
「えっと……?」
いろいろと整理が追い付かない。
とりあえず、目の前のふくよかな男が、昔は天使のように華奢で可愛らしかったことは分かった。にわかには信じがたいが、顔立ちを見れば、たしかに垂れ目で整っており、面影は残っている。
それと、倉庫に閉じ込められることに何の関係があるんだ。いや、たしかに華奢な少年は舐められやすくて、虐めの対象になりやすそうだけれど。




