第二章 いたずらな蓄音機 ①
場所はピカデリーだというのに、ショーウィンドウから見える景色には人が通らない。まるで世界から切り離されてしまったような、不思議な感覚だ。
「ユウタ、暇なのー? それなら、遊ぼよ!」
店先の椅子に座ってぼうっと表通りを眺めていると、トンボ羽の少年が声を掛けてきた。短い赤髪にはとんがり帽子が乗せられ、服は麻布でできた簡素なものを着ている。容姿は人間の男の子だが、身長は二十センチほどしかない。
俺は、カウンターの上にあげた手をツンツンとつつく少年を見る。
「ピクシー、俺はこれでも仕事中なんだけど」
「いいじゃない、どうせお客さんなんて来ないよ!」
「……まあ、たしかにお客さん来たこと無いけどさ」
不思議なアンティークショップの店番を任されてから一ヶ月経ったが、誰かが来店したことは一度も無かった。エドワードが出張買い取りと売却を行っているから、品物は出たり入ったりしているけれど。
店番は週五日、九時から十六時まで。部屋は二階の一室を間借りしているから、通勤は一分だ。店から出なければ好きに過ごして良いと言われているので、わりと自由に過ごさせてもらっている。
だが、それも毎日続けば、やることは無くなってくるわけで。
つまるところ、恐ろしく暇である。
「ピクシーは、ここに来てどれくらいだっけ?」
「季節が一巡りするくらいだよ」
「一年か。お客さんは来たことある?」
「何度かね。でも、両手で数えられるくらい」
「……なるほどね」
一年で十回程度ということは、客の来ない時間の方が長い。これは本格的に暇つぶしの方法を考える必要がありそうだ。
そもそも、来客が少ないならば、なぜわざわざ俺を雇ったのだろうか。ロンドンのアルバイトとしては結構良い金額をもらっているから不満は無いけれど、少し気が引けてしまう。何もしないよりはと、一日一回掃除はしているが。
「で、遊ぶの? 遊ばないの?」
ピクシーが俺の指を引っ張りながら、急かすように聞いてきた。
掃除はすでに終わっているし、今日も客は来なさそうだし、終業まではまだ三時間以上ある。ピクシーの遊びに付き合ってあげるのも良いかもしれない。
「何をして遊ぶんだ?」
「そう来なくちゃ! へへ、あれで遊ぼうよ!」
ピクシーは、カウンター近くの棚の中段に置かれているものを指した。そこには、白と黒のチェック柄が描かれた箱が置いてある。
「チェス? 俺、ルール知らないぞ」
「教えるよ! 日本にも、同じような遊びがあるんでしょ? きっと難しくないよ」
「将棋のこと? 俺、将棋もあんまり知らないんだよな」
「えっ! 日本人なのに?」
「日本人にどんな印象持ってるんだよ……」
俺は呆れながら、棚の箱をテーブルに置く。
箱を開けば、白と黒の駒と、箱と同じ模様が描かれた盤が入っている。一緒に入っていた紙には、駒の置き方と、駒の動かし方が書いてあった。初心者にもやさしい。
将棋は幼い頃に祖父と一度やったきりだから、とりあえず王を討てば良いということくらいしか知らない。たしかチェスだと王を討つ前に、詰んだ時点でゲーム終了になるんだったか。将棋の方が少し物騒かもしれない。
俺が紙を見ながら駒を並べていると、チリンチリンとドアベルが鳴った。そちらを見やれば、少し……だいぶふくよかな男性が立っている。
「ピクシー、残念だけど遊びはまた今度な」
「えー! やだー! 遊びたいー!」
駄々を捏ねるピクシーを置いて、俺はドアへ向かう。
「いらっしゃいませ」
「おや、新しいスタッフかな?」
俺より少し背の高い彼は、上品な発音でにこりと笑った。
ジーンズにTシャツとラフな格好だが、生地が良い。今まで服の値段など見分けが付かないと思っていたけれど、なるほど、ウニクロユーザーの俺の服とは全然違う。いや、ウニクロだって値段を考えればとても上質だが。
紳士は、明るい茶色の髪に乗っていたハンチング帽を胸に沿える。
「私はクリス・アッシュフォード。エドの学生時代の友人さ」
「ユウタです。斎藤悠大。先月からここで働かせてもらっています」
「そっか。はは、こんな美人さんがいるなら、これからも何度も通おうかな」
「え?」
「いやなに、冗談さ。驚かせてごめんね」
はきはきとした英語が、耳慣れない単語を紡ぐ。意味を理解したのは、彼が謝った後だった。
美人? 誰が? 俺が?
俺は、美人でもなければイケメンでもない。男らしい顔立ちではないけれど、中性的でもない。どこにでもいる平凡な顔立ちをしていると、いっそ自信がある。
揶揄われているのかと思ったが、クリスに悪意はなさそうだった。
これ以上踏み込まない方が良いと本能的に悟った俺は、彼の冗談には触れずに、差し出された手を握った。
「よろしくお願いします」
クリスは再びニコリと笑って手を離すと、店内をくるりと見る。
「ところで、エドはいるかな」
「すみません、今出ていて。多分あと三十分くらいで帰ってくると思うんですが、待ちますか?」
「ああ、そうさせてもらおうかな」
クリスの言葉に頷いて、俺は奥の応接室へと案内する。
店先を離れる時にちらりとカウンターテーブルを見たら、ピクシーがいじけながらチェスの馬に跨っていた。さすがに可哀想なので、後でたっぷり遊んでやろうと思う。




