第一章 黄昏の骨董屋 ④
「エド、連れてきました」
「んー、ご苦労様」
部屋は広めで、ゴシック調の調度品が置いてあった。中央にはローテーブルを挟んで、椅子が向かい合わせに並べられている。正面の窓からは光が差し、中央には風景画が飾られていて、左右の壁には骨董品がいくつも並んでいる。
エドワードは目を通していた書類を脇に置き、窓際に置かれたカウチソファーから立ち上がった。
「迷わずに来れたかな?」
「一度、通り過ぎました」
「はは、分かりづらかったか」
どうぞと促されて、俺はソファに座る。赤色の絨毯みたいな布は、思ったよりも柔らかい。
ブラウニーが手早く紅茶を淹れてくれたので、俺は手に取った。甘く優しい温もりが口の中に広がる。鼻に抜ける華やかな香りは、ミルクにぴったりだ。
「美味しい」
「そうだろ。ブラウニーの淹れる紅茶に勝るものは無いよ」
俺の呟きに、エドワードが自慢げに頷く。
ブラウニーは、ありがとうございますと言って恭しく頭を下げた。その執事然とした態度から、エドワードとの関係がなんとなく見えてくる。
「さて、君はやっぱり“視える”子なんだね」
ブラウニーが退室するなり、正面に座ったエドワードがずいと身を乗り出してそう言った。
意味が分からず、首を傾げる。見えるとはなんだろうか。
俺の疑問に応えるように、彼は話を続ける。
「君、日本に住んでいた時に不思議な体験をしたり、人には見えない何かが視えていたりしなかった?」
「い、いえ、そんなことは……」
「ああ、その反応。やっぱり、昔から視えていたんだね」
俺の動揺を見透かしたように、端麗な男はクツクツと笑った。
彼の言う通り、俺は見えてはいけないモノが視える。小さい頃から、ずっと。人の形をしているモノもいれば、まるっきり異形のモノもいる。妖とか物の怪とか言われるモノたちだった。
誰にも信じてもらえず、ずっと見ないふりをしつづけてきた。妖に応えてはいけないと聞いたこともあったから、存在しないモノとして扱い続けてきた。たとえ悲しそうにされて、心が痛んでも。
俺が一念発起してイギリスにやってきたのも、ひとえに彼らから逃げるためだった。
「どうして、それを?」
「初めて会った時も、君は無意識に精霊たちを避けていたからね。もしかしてと思ったんだ。それに、君をここまで案内したブラウニー。あの子も、人じゃない」
「えっ……」
「君が視えているのか、視えていないけれど無意識で感じ取っているのか分からなかったから、試させてもらったんだ。ごめんね」
エドワードが肩を竦めながら、悪いと思っていないことがよく分かる軽い謝罪を口にする。
この人は、いつもこうなのだろうか。なんというか、試すことが当たり前になっているような。
もっとも、正面から素直に聞かれても、答えられなかったかもしれないけれど。
「僕に声を掛けたことと、何か関係があります?」
「ご名答。僕のアンティークショップは少し特殊でね。人ならざるモノたちが取り憑い……住み着いて呪われていたり、幸運をもたらしてくれたりする物を、買い取っているんだ」
ならば、誰もいないはずの店先で音が鳴っていたのはつまり、精霊たちがイタズラをしていたということか。
俺はひそかに、あの不思議な雰囲気の正体に納得する。
「買い取って、どうするんですか?」
「精霊を“あちら側”に還して、また売るんだ」
「“あちら側”?」
話の流れからすれば、精霊が住んでいる場所ということだろう。物に憑いた精霊をその場所に還して、売る。それは分かる。だが、“あちら側”に還すということは、“こちら側”があるということだ。
では、何が“こちら側”なのか。考えられるとすれば、それは俺達人間の住む場所か。つまり、人間のいる場所と、精霊のいる場所は、異なっていると言うことになる。
なんとなくは推測できたもののいまいち理解が及ばず、俺はエドワードの言葉をオウム返しする。
エドワードは頷いて、背もたれに寄りかかり、足を組んだ。
「そもそも、精霊は人間界とは別の世界に住んでいるんだ。だが、何かのきっかけで迷い込んだり、人間に召喚されたりして、還れなくなってしまった子たちがいてね」
「別の世界、ですか」
「そう。それは僕たち人間の世界と隣り合って存在しているんだけど、互いに干渉できないし、認識もできない。僕はこれを“あちら側”と呼んでいるんだ」
なんとなく、言いたいことは分かる。
つまりは二つの世界があって、片方が人間界、片方が“あちら側”ということだ。そして、本来は互いに干渉しない。だが、迷い込んだり召喚されたりすることで、人間界にやってくる。
「召喚は、なんとなくわかりますけど……迷い込むこともあるんですね」
「そうだね。日本でも、“あちら側”と交わる時間があるだろう?」
「交わる時間?」
「そう、“逢魔が時”と呼ばれる時間さ」
「ああ、なるほど」
逢魔が時。人の顔が暗くて分からない“誰そ彼”の時。黄昏時とも呼ばれる、日没を過ぎてから闇が世界を覆うまでの空だけが明るいあの時間のことだ。この時間帯には魔と逢うと言われており、不吉な時間とされている。
「あの時間には、“あちら側”との境界がかなり曖昧になるんだ。気を抜くと、境界を越えてしまうのさ」
「なら、日本の妖たちも?」
「そうだね、逢魔が時に迷い込んだ子たちだ」
エドワードの言葉に、俺は今まで出会ってきた妖たちを思い出した。
たしかに人間にいたずらをするような妖もいたけれど、それだけではなかった。俺が反応せずにいると肩を落として去って行った妖は、一体や二体ではない。思えば、彼らは自分のことを視える人間を探していて、“あちら側”に戻る方法を知りたかったのかもしれない。
そこでふと、俺は疑問を口にした。
「互いに干渉できないなら、どうやって還すんですか?」
「僕はちょっと特殊でね。そうだなぁ、直接見てもらうほうが早いかな」
エドワードはそう言うと立ち上がって、棚の上に置いてあった小箱を一つ取り出す。それをローテーブルに置き、開いて見せてきた。
鮮やかな赤い宝石が中央に添えられ、両脇にはダイヤのようなものがちりばめられた、宝石だ。一見すると何の変哲もないものだが、その赤い宝石の中に黒い澱みが揺れている。
「これは?」
「約二百年前のルビーのネックレスさ。君にも、この黒い澱みが視えているだろ?」
「はい、なんか、水の上で漂っているみたいに揺れています」
「これが、精霊だよ。で、これを取り出すんだけど……その前に、境界の門を開かないとね」
エドワードは立ち上がって、俺に背を向ける。そして顔だけ振り返って、にやりと笑った。
「まあ、見てて。くれぐれも近付かないように」
エドワードはそう言うと両手をパンと合わせ、何かの言葉を口にする。その音は脳に反響して、わずかな頭痛を引き起こした。音は聞こえるけれど、言葉としては認識できない。
彼の言葉に呼応するように、重なった場所から黒の光が漏れる。そのまま手を広げると、影のように揺らめくその光が横に伸び、空間がぱかりと裂けた。そして、裂け目がゆっくりと開き、円形に広がる。その奥は、全ての光を飲み込んでしまうほどの深い闇だった。
エドワードは体ごと向き直り、友人でも紹介するように手のひらでその異様な空間を指す。
「これが、“あちら側”への入り口だよ」
「何もない」
「うん、人間には視認できないんだ。だから、何もない深淵に見える。でも、“あちら側”の存在には、鮮やかな景色が視えているよ」
「エドワードさんには?」
「え?」
「エドワードさんには、どう見えてるんですか?」
人間には何もない深淵に見える。ならばエドワードにだって、深い闇に見えているはずだった。しかし彼は、まるで鮮やかな景色を実際に見ているかのような口ぶりで。
俺は、思わず聞いていた。
エドワードは言葉に詰まって、苦虫を噛み潰したような表情をしたあと、どこか諦めたように目を伏せた。
「……鮮やかな景色が、見えているよ。悠大くんにも見せてあげたいくらい、綺麗だ」
俺は何も言えず、ただ俯くエドワードを見た。
彼は人間ではないのか、だとすれば何者なのか、なぜ“あちら側”への入り口を開けることができるのか。聞きたいことは、たくさんある。
けれど、それは今ではない気がした。きっと彼は、その話をしたがらない。
まだ会って二日目の自分が、簡単に踏み入ってはならない領域なのだろう。俺だって、プライベートなことを何でもかんでも話したりはしない。
沈黙を破るように、俺は口を開いた。
「それで、精霊を還すにはどうするんですか?」
俺の言葉に、エドワードはハッと顔を上げる。
そして切り替えるようにフッと息を吐いて、ローテーブルに置かれたネックレスを箱ごと手に取った。
「こうやって取り出すのさ」
エドワードがルビーを右手の人差し指で二回、とんとんと叩く。すると澱みはルビーからじわじわと漏れ出て、やがて黒い塊が宙へと浮かび上がった。
その塊を、エドワードは右手で包み込んだ。目を伏せて、また何かの言葉を放つ。
わずかな痛みが再び俺の頭を襲い、思わず目を瞑る。しかしその痛みも、すぐに引いた。
「悠大くん、見てごらん」
ゆっくりと目を開けば、エドワードは手をこちらへ差し出していた。
手のひらには、怯えるように彼の手に縋りつく、人差し指ほどの大きさの存在がいる。人に似てはいるけれど、背中には蝶のような羽が生え、耳は尖り、目は白一色だ。服を着ているわけではないのだろうが、腰から下がスカートのように広がっている。
おとぎ話に出てくる妖精のイメージに近いだろう。
「この子はスプライトの一種だよ」
「スプライト、ですか?」
「そう。水や風に属する精霊で、力の強い子だとその能力を操ることができるんだ。この子は風に属する精霊だね」
「じゃあ、この子も風を操るんですか?」
「スプライトは、力の大きさが体の大きさに比例しているんだ。この大きさだと、風を変えるほどの力は無いかな」
エドワードが人差し指で、スプライトの頭を優しく撫でる。怯えていた彼女は、少し安心したように脱力した。
小さく可愛らしい姿に、口の端が緩む。
「さあ、“あちら側”へお戻り」
エドワードが深淵の中へ手を入れると、スプライトはためらいがちに周囲を見回し、やがて羽をぱたぱたとはためかせて空間の奥へと去って行った。
エドワードがぱちんと柏手を打つと、宙に裂けていた空間は口を閉じて消える。
「……とまあ、これが、僕の仕事だよ」
エドワードはソファに座り、ネックレスを片付けながら言った。
俺は、今見た光景を反芻する。
「物に住み着いた精霊を還して、また売る、ですね」
「そう。で、君には還し終わった物を整理することと、店番を頼みたいんだ」
「え、そんなことだけで良いんですか?」
「ん? どんなことをすると思ったの?」
「てっきり、精霊たちを還す時の手伝いをするのかと……」
「なるほど。うーん、そうだなぁ……」
何か考えるように顎に手を添えて左下を眺めたエドワードは、たっぷり一分ほど黙した後、やけに綺麗に微笑んだ。
「ま、そういうのはおいおい頼もうかな」
ああ、頼む気はないんだろうな。直感で、そう確信する。
人を試すことも、こうして鮮やかに自分の本心を隠してしまえることも、彼の処世術なのだろうと分かる。だが少なくとも俺は、彼の敵ではない。これから長く過ごすわけだし、そんなに気を張っていては疲れてしまわないだろうか。
俺は内心溜息を吐きながら、頑張りますとだけ応えた。




