第七章 願いの代償 ⑤
黄昏時。またの名を、逢魔が時。
俺とエドワード、そして聡志は、平坂公園に足を運んでいた。白狐は稲荷神社で、九尾を通じて神々に事情を説明しに行ってくれている。
俺達が公園の入り口に差し掛かると、奥から黒い狐が走り寄って来た。
「悠大! 久しぶり、元気だった?」
「黒狐! ごめんな、俺のせいで無理させて……」
「気にしないで。それより、後ろの二人は?」
「エドワードと聡志さん。黄泉醜女を黄泉に追い返すために、力を貸してくれるんだ」
「……信用、できるの?」
「たぶんな。少なくとも、エドは信頼できる」
「ちょっと、悠大くん? 俺、これでも一族の中でも力が強い祓い屋なんだけど?」
「……らしい」
「ちょっと、不安だな」
黒狐の言葉に、俺は密かに頷いた。
聡志こと芦屋聡志は、陰陽師の一族だった。普段は聖域と呼ばれる場所に引きこもり、神の住む高天原やら黄泉やらとやりとりをしているのだという。
やっている仕事は、エドワードと同じく、こちらの世界に迷い込んだ妖をあるべき場所に返すこと。そして、エドワードにその方法を伝授した張本人でもある。
詳しいことは聞けていない。ただ、婚約者を亡くしたエドワードが日本へ飛び、三年間滞在していたことは俺も知っているし、おそらくその期間に聡志のもとにいたことも想像が付く。
そこでエドワードは“あちら側”の入り口を開く方法を学び、あのアンティークショップを始めるに至ったのだ。
気になりはする。が、今は、それよりも大事なことがあった。
「エドが来てくれて良かったよ。俺じゃ神への交渉はできないし、悠大と黄泉の縁を切ることもできないからな。せいぜい、暴れる黄泉醜女を抑えるくらいだ」
「聡志さんでも、手こずる相手ってことかな」
「黄泉醜女は穢れが強すぎるんだよ。俺ら芦屋の人間は、穢れには強くなくてね。もとは妖の調伏が専門なんだ。ジャンル違いってやつだな」
「……もしかして、静香さんにイギリスを勧めたのは、聡志さん?」
「あー、まあな。あそこは今でも、あっちの世界と近いから。何かしら、解決策が見つかるかもなって思って。まさか、お前が釣れるとは思わなかったけど」
頬を掻きながら笑う聡志に、エドワードが肩を竦めた。
たぶん、悪い人ではないのだろう。俺のことを心配して、こうして駆け付けてくれたのだ。明るく陽の気が強い彼だが、見た目よりも真剣にいろいろと考えていることは、先程の作戦会議でよく分かった。
何となく気にくわないのは、俺の心が狭いだけである。
「じゃあ、ま、始めますか」
「さっさと終わらせて、静香さんのすき焼きを食べたいしね」
聡志とエドワードが、公園に足を踏み入れる。後に続いて、俺も公園へと入った。
瞬間、ぶわりと全身に鳥肌が走る。そして、血が沸き立つような熱さと痛みが、俺を襲った。
あの時の感覚と同じである。
うずくまった俺に、エドワードが近付く。
「悠大くん、大丈夫?」
「だい、じょう、ぶ……」
「黄泉との縁から、穢れが伝わって来てるんだろうな。悠大、手首借りるぞ」
聡志が素早く胸元から紙を取り出し細く折りたたむと、俺の手首へと巻き付ける。そして印を結んで、何やら唱えた。
すると、スッと体が軽くなり、先程までの痛みが失せていくのを感じた。
紙はまるでのりで貼り付けられたかのように輪を留め、俺の手首に巻き付いている。
「楽になった?」
「はい。……ありがとうございます」
「どういたしまして。これは応急処置。黄泉醜女に近づくほど、苦しくなると思うけど……頑張れるな?」
「はい、大丈夫です」
「よし来た。じゃ、どんどん進もう」
エドワードは俺を支えながら、前を進む聡志について行く。彼の言った通り、奥へ進むたび、俺だけ重力が増えているのではないかと思うほど、体が重くなっていった。
エドワードはそんな俺をついには抱きかかえ、さらに奥へと進んでいく。
「やっこさん、発見」
聡志の言葉に、俺は前方を見る。そこには、醜い女が杭を打たれ、もがいていた。
その傍らには、神楽舞を踊る猫がいる。彼もまた、穢れを祓うことのできる妖なのだろう。
「聡志さん」
「ああ、分かってる」
聡志は紙を何枚か空に投げると、素早く印を組んだ。そして何かを唱えながら、手を組み替える。赤字で何かが書かれている白い紙は、意志を持ったように黄泉醜女を取り囲むと、やがて大きな籠目が檻のように黄泉醜女を覆った。
「猫さん、ありがとう。もう舞わなくて大丈夫だよ」
聡志は印を結んだまま、踊り続ける猫に声を掛けた。猫は頷いて、踊りをやめる。
祓われていた穢れは黄泉醜女に戻っていき、やがて、力を取り戻した黄泉醜女は己をうがっていた杭を弾き飛ばした。
「おのれ、おのれええええ」
苛立たし気に立ち上がった女は、俺達に向かって来ようとする。だが、その行く手は籠目の檻に阻まれる。
がんがんと檻を叩き壊そうとするたびに、聡志さんが呻いた。きっと、何かの影響が聡志に入っているのだ。
「エド、早く。あんまり持ちそうもない!」
「任せて」
エドワードは俺を地面にそっと座らせると、手早く俺の腕を捲った。
「悠大くん、良いかな?」
「ああ、大丈夫。やってくれ」
俺の言葉にエドワードは頷き、持ってきた小刀で、腕に軽く傷をつける。
鋭い痛みが一瞬走る。そして、血が少しだけ流れ出た。
エドワードはその血に舌を這わせる。遡るように傷口に口づけると、ちゅうと吸った。
ピリッとした痛みが、少しの間続く。
やがて、ゆっくりと唇は離れていく。
量はそれほど多くない。けれど、黄泉醜女に干渉するだけならば、それで十分だった。
エドワードは傷口に綺麗なハンカチを乗せ、抑えておくように俺に言った。そしてその足で、黄泉醜女の傍に駆け寄る。
「悠大くんを苦しめた罪、黄泉でたっぷり償ってもらうよ」
エドワードは、パンッと大きく柏手を打つ。そして、言葉にならないあの音を紡ぐ。
不思議と、以前のような痛みは感じなかった。一度“あちら側”に触れたからだろうか。
聡志には影響があったようで、痛みに顔を歪ませていた。しかし、気絶することは無い。彼もやはり、特別なのだろう。
エドワードはそのまま地面に手を付く。黒い光が地面に吸い込まれ、いつもは宙に現れる裂け目が、地面に出た。それも丁度、黄泉醜女のいる位置だ。
裂け目はゆっくりと開いていき、逃げまどう黄泉醜女は、最終的に地の奥底へと落ちていった。
エドワードがパシンと柏手を打つと、虚空が閉じていく。
静けさが一帯を包む。
様子を見ていた猫たちが、わぁっと歓びに踊る。
黒狐は俺に駆け寄ると、全力で抱きしめてきた。
「良かった、全部終わった。これで悠大、もう大丈夫」
「うん、そうだな、うん。あの、ちょっときついから、緩めて欲しいな」
「悠大~! 無事だ!」
「わっ! 白狐まで……」
二匹の狐にぎゅうぎゅうと抱きしめられ、俺はギブアップを知らせるように腕をぱしぱしと叩く。放っておいたら骨を折られかねないほどの強さに、それだけ心配をかけたのだと申し訳なくなり、同じくらい、喜んでくれている彼らの優しさに嬉しくなった。
俺は狐にもまれつつ、視線だけでエドワードと聡志を見る。
聡志は力尽きてへたりこんでいた。猫が心配そうに彼を起こしている。
エドワードはといえば、黄泉醜女のいたところを見つめたままだった。
その背中が不自然で、俺は嫌な予感がして、エドワードに声を掛ける。
「エド……もしかして、聞こえないのか?」
エドワードがびくりと肩を揺らし、振り返る。そして完璧な笑顔で答えた。
「さすが神様。仕事が早いね」
太陽は、いつの間にか地面の下へと隠れていた。




