第七章 願いの代償 ④
「ここが、君の住んでいた町なんだね」
エドワードは駅へ降り立つと、周囲をぐるぐると見回した。日本の光景に馴染まない彼が少し面白くて、笑いそうになる。だが、その気持ちはすぐに萎えてしまう。
ヘルのもとから帰った俺達を待ち受けていたのは、すっかり秋めいた空だった。“あちら側”とこちら側では時間の進みが違うようで、三ヶ月経っていたのである。
その間白狐はひたすら俺の帰りを店で待ち続けていたらしい。再会した時は、大泣きされた。
それからすぐに支度をして、こうして今、日本へとやってきている。
東京から二時間ほどの、山に囲まれたこの町は、電車が一時間に一本あるかないかの田舎町だった。人口はそれなりにいるのでインフラもそれなりに整備されているけれど、空気の流れは、まるで昭和に取り残されてしまったかのようだ。
「……悠大くん、まだ怒っているの?」
「怒ってはいません」
「でも、全然僕の目を見てくれないよね」
「……」
見られるわけがない。俺はエドワードが視界に入るたびに、重苦しい自責の念に苛まれるのだ。
どれほど辛い決断をさせたのか、それが分からないほど、俺は無神経ではなかった。
精霊たちと楽しそうに話す姿を知っているから、なおさら。
「何度も言うけど、僕は本当に、構わないんだよ。悠大くん、君が僕を暗闇から引き上げてくれたから、この力を手放す決意ができたんだ」
「……俺がヘルさんと交渉できていれば、俺の力を持って行ってもらえたかもしれない。俺は、こんな力いらないんです。エドの代わりになれれば良かったのに」
俺が俯きながらそう言うと、エドワードは傍らのベンチに腰掛けた。
そして、手に持ったペットボトルを弄びながら、口を開く。
「僕はね、悠大くん。ずっとこの力が疎ましくて仕方がなかった。罪滅ぼしとして精霊たちを還す仕事をしていたけれど、それが無ければ、いつだってこの力を手放したいと思っていた。でも」
エドワードは手遊びをやめ、俺の腕を掴んだ。
そして自分の方へ引き寄せると、覗き込むようにして、続ける。
「君の話を聞いた時、この力があって良かったと初めて思ったよ。君が苦しんでいる時に、助けられる。交渉の材料にもできた。耳一つで解決できるなら、安いくらいだ」
「でも……」
「悠大くん、君が苦しむのは分かっていたよ。それでも、僕は自分のエゴを押し通した。そんな僕を、君は軽蔑するかな?」
自嘲気味に笑うエドワードに、俺は首を横に振る。
そんなはずがない。エドワードがいてくれなければ、俺は今ごろ、黄泉醜女に喰われていたに違いないのだ。
俺だって分かっている。こうしていつまでも引きずっていることの方が、エドワードを苦しめる要因になっていることを。それは彼の選択を責めているのと同じなのだから。
それでも俺は、どうしても罪悪感を拭い去ることができないでいた。
「あー、お兄ちゃんいた! それと……わっ、本物の方がずっとイケメンだ~」
底抜けに明るい声が聞こえて、俺達は視線をそちらへ向けた。
そこには、一つ結びに女子高生姿をした、可憐な少女が立っている。いや、可憐は贔屓目かもしれない。
「こんにちは、明依ちゃん。リアルでは、はじめましてだね」
「はじめまして、エドワードさん! わざわざ来てもらって、ありがとうございます!」
「いえいえ。しばらくの間、御厄介になります」
「いくらでもどうぞ~。何もない町ですけど、空気と食事は美味しいんで!」
明依が、上機嫌でエドワードに挨拶をしている。約一年九ヶ月ぶりに会う兄は、素通りのようだ。
仕方がない。エドワードは、道行くすべての人が振り返り見惚れてしまう美貌をしているのだ。ずっと一緒にいて麻痺しているはずの俺でさえ、時折見惚れてしまうほどだった。
「明依、久しぶり」
「お兄ちゃんも久しぶりだね~! ……なんかテンション低くない?」
「あはは、そうかも」
「なんか分かんないけど、元気出しなよ!」
背中をバシンと叩かれ、俺は思わずぐぇっと声を漏らす。
そうだった。この妹は、なかなか豪快なのだった。
軽い挨拶を終えて、俺達は実家へと向かった。実家は駅から十五分ほど歩いたところにあり、実家を少し過ぎたところに、稲荷神社がある。
まだ朝も早く、何をするにも早すぎるということで、俺達は家に荷物を置きがてら、この後のことについて作戦会議をすることになっている。
ありふれた住宅街を進むと、国民的アニメの主人公が住んでいそうな一軒家が現れた。家の前には小さな門があり、低い塀で囲われ、その内側は庭と二階建ての家が建っている。
「わぁ、日本の家って感じだね!」
エドワードがはしゃいだ声で言った。
「あはは、なんですかそれ。やっぱり、イギリスとは違いますか?」
「うん、全然違うよ。いいなぁ、僕もこういう家に憧れているんだ」
「なら、いつでも来てください! もう一つの家のつもりで!」
「うん、ありがとう」
エドワードが明るいトーンのまま、明依に返す。だがその言葉は先ほどまでの楽しそうな声と違い、どこか余所行きの響きがあった。
俺は違和感を覚えて、エドワードを見る。エドワードは俺と目が合うと、ニコリとわらった。
それは、明らかに一枚の透明な壁がある笑顔だった。
エドワードが何を考えているか分からず、俺は少し不安になる。
彼のことは、それなりに分かるようになってきたと思う。だがこうしてたまに張られる壁は、未だその奥を見ることはできない。
「ただいま~。連れて来たよ」
「お邪魔します」
「……ただいま」
三人で家に入ると、奥からトタトタと音がして、母が姿を現した。
「あらまぁ、イケメンさんだこと。はじめまして、悠大の母の静香です。いつも悠大がお世話になっております」
「ご丁寧に、ありがとうございます。エドワード・グレンアーモンドです。僕の方こそ、いつも悠大くんにはお世話になっております」
母とエドワードが挨拶を交わしている景色が、なんとも面映ゆくて、俺は二人を置いて早々にリビングへと入った。
友人を母親に紹介した時、こんなにそわそわしただろうか。数年前のことだが、あまり覚えていない。彼女を紹介する時のような気恥ずかしさとも似ているかもしれない。もっとも、それも中学生の頃なので、どんなものだったかは覚えていないけれど。しかもその彼女とは、一ヶ月もしないうちに別れてしまった。原因は、妖に対峙した俺の奇行である。
「おかえり、悠大。疲れただろう?」
父が、リビングの奥にある書斎から姿を現した。眼鏡をかけている。俺が日本を経つ時には裸眼生活だったはずなので、記憶の中の父との違いに、少し戸惑う。
まさか黄泉醜女の呪いの影響だろうかと不安になりながら、おそるおそる聞いた。
「ただいま。眼鏡、かけたんだ?」
「ん? ああ、仕事の時だけな。そろそろ老眼がきつくてなぁ……」
父の答えにほっとする。老眼ならばきっと、呪いの影響ではない。
どこまで影響が出ているのか、すぐにでも確認に行きたかった。しかし、下手に動いて黄泉醜女を刺激してしまえば、入念な準備が水の泡になる。エドワードが差し出してくれたものを、無碍にするわけにはいかない。
ともかくどんなに早くても、今日の黄昏時までは待たなければならない。準備が終わらなければ、明日だ。
「あ、はじめまして、お父さん。僕はエドワード・グレンアーモンドです」
「これはどうも、悠大の父の茂雄です。どうぞゆっくりしていってください」
リビングに入って来たエドワードが、今度は父に挨拶をした。母の時とは違い、名刺交換もしている。
すでにエドワードの店で働いていることは連絡済みなので、父は特に驚いた様子もなく、そのまま名刺を名刺入れへとしまっていた。
俺は、エドワードが貴族の次男坊だということは教えていない。エドワードが嫌がるのは間違いないし、なにより、エドワードの素を見て欲しかったからだ。
貴族だとわかったところで両親の態度が変わるとは思えなかったけれど、それでも、何かしらの色眼鏡が掛かってしまうかもしれない。人というのは、思った以上に、背景でその人を見てしまうものだ。
俺達はテーブルを囲い、一服することとなった。
目の前には緑茶の入った湯呑と、羊羹が並んでいる。エドワードは心底嬉しそうに、それらを眺めていた。
以前日本に住んでいたことがあると言っていたけれど、やはり珍しいものは珍しいということだろう。
「それでその……エドワードさんも、人ではないものが視える方だと、伺いました」
母が言いづらそうに、話し出す。
エドワードは外行きの完璧な笑顔で、答えた。
「はい、そうです。なので今回、悠大くんを助けるべく、お邪魔させていただきました」
「悠大の話だと、すごく悪い鬼が狙ってるのだとか。エドワードさんは、大丈夫なんですか? ……その、ごめんなさいね、あまり詳しくなくて」
「いえいえ、お構いなく。気になったことは、何でも聞いてください。僕は少々力が強いので、危なくなることはありません。悠大くんのことも、守ります」
「私たちは何もできなくて、頼りっぱなしになってしまうけれど……どうか、悠大のこと、お願いします」
父と母が、エドワードへ頭を下げた。
エドワードは恐縮したように戸惑いながら、俺を見る。
俺も感謝の意を込めて、頭を下げた。
「あ、あの、頭を上げてください。僕が悠大くんの力になりたくて、勝手に付いてきただけなので」
「ありがとうございます。……イギリスへ行かせた時は不安だったけれど、エドワードさんのような素敵な方に出会えて、本当によかったわ。ねえ、茂雄さん」
「ああ、そうだな。悠大は昔から、人ではないものが視えてしまうせいで苦労してきたから、エドワードさんと出会えて、本当に良かった」
「僕の方こそ、悠大くんと出会えて本当に良かったです」
俺はその気恥ずかしいやりとりを横で聞きながら、お茶を一杯飲んだ。少し出し過ぎたのか、渋みが口全体に広がる。今の俺には、最適だ。
それから、ささやかな談笑、主に俺の幼少期の恥ずかし話などで盛り上がっていたところで、ピンポンと呼び鈴が鳴った。
母が立ち上がりながら、そういえばと思い出したように言う。
「もう一人、人を呼んでいるのよ。私の遠縁なんだけど、家がご近所さんだったから、昔からよく遊んでいた子でね。今でもたまにやりとりをしているんだけど、今回のことを話したら、自分も参加すると言い出して……。役に立てるとしつこいから、招待したんだったわ」
半ば説明じみた言葉のあと、母はパタパタと玄関へと向かって行った。
少しして、二人分の足音がリビングへとやって来た。
「あっれ~? なんだ、客ってお前のことだったのか」
リビングに現れた黒髪短髪の青年は、エドワードを見るなりそう口を開いた。
エドワードが、驚きで立ち上がる。
「さ、聡志さん……?」
「だいたい三年ぶりか? はは、まさかこんなところで再会するなんてなぁ」
「え、ちょっと、二人とも知り合いなの?」
母が驚きを隠せない様子で、聡志と呼ばれた青年とエドワードを交互に見た。
俺も内心で驚きながら、エドワードを見る。そして、見たことを後悔した。
エドワードが、知らない顔をしている。喜びと、おそらく気恥ずかしさで、頬を赤らめている。目はきらきらと輝き、再会を喜んでいるのは明らかだ。それに表情が少しだけ、幼い。それだけで、聡志とエドワードがどれほど仲が良かったのかを察することができる。俺には見せない表情だ。
聡志は、母の疑問に爽やかに答える。
「昔、俺の家で世話してたことがあるんだよ。静香さんの知り合いだとは思わなかったなぁ」
「悠大がイギリスで世話になっているお店のオーナーさんなの」
「そっか、なるほどな。悠大も、随分大きくなったなぁ。俺のこと、覚えてる?」
「……いえ」
「あはは、そうだよな。前に会った時は、たしかまだ五歳くらいだったもんな」
俺の記憶に無い人が、懐かしそうに俺を見てくる。それが、なんだか酷く居心地が悪かった。知らない親戚のおじさんが突然家にやってきたら、誰もが同じ反応になるだろう。
「相手がエドなら話が早いや。それじゃさっそく、作戦会議といきますか」
聡志の言葉で、俺達は黄泉醜女への対策を話し合うこととなった。




