第六章 破邪の桃香 ①
逃げ続ける日々は、どこかで終わりにしなければいけないと思っていた。
『ルーメン・クレペルム』で働き始め、精霊が日常生活の一つになり、エドワードと穏やかな時間が続くほどに、その気持ちは逸るばかりで。
それでも何もできなかったのは、この日常を壊すことが嫌だと思えるくらい、居心地が良かったからだ。
俺は自室のベッドで、何をするでもなく天井を見上げる。この一年半で、すっかり見慣れてしまった景色だ。
視線を移す。木で造られた重くシックなシェルフの上には、エドワードと行った場所のお土産がいくつも並んでいる。
コッツウォルズのマスの置物、カーディフの赤い竜マスコット、エディンバラのタターン生地のマフラー。他にも、プライベートで巡った場所がちらほらとある。イギリス国内ばかりだが、それなりに巡ったと思う。
「戻らないとな」
俺は自分に言い聞かせるように、独り言ちた。
日本に戻らねばならない。俺が逃げてきた元凶が、ついに境界を越えたと言っていた。きっと、あの町の人達は今、辛い目に遭っている。
俺が戻ればすべて解決する。それは分かっていた。
コンコンコン。ドアを誰かが叩く音で、俺は起き上がった。
「どうぞ」
声を掛ければ、ドアがゆっくりと開く。現れたのは、エドワードだった。
手に持ったトレイには、カップとミルクピッチャー、スイーツが置いてある。
「お茶にしない?」
「……うん」
気遣うように掛けられた声に、俺は頷いてベッドから出た。
椅子に座ると、エドワードはテーブルにトレイの上のものを広げて、自分も正面に座る。
イングリッシュブレックファストの豊かな香りが、部屋中に広がる。ミルクを注げば、立派なティータイムだ。
エドワードが何も言わないので、俺も何も言わず、マデイラケーキを口に含む。ふんわりとした甘みは、ゆっくりと心を癒していく。
「聞いても、良いかな」
静寂を破ったのはエドワードだった。
俺はカップを置いて、下げていた視線をエドワードへ向ける。それが、了承の合図だ。
エドワードは優しい瞳で、言葉を続ける。
「夢の中で言っていた、君の罪。それは、あの狐と関係があるの?」
俺は、無言のまま頷く。
話したくないわけではない。いつか話さなければと思っていた。
ただ、喉が張り付いたように、声が出ない。言葉にしたら、恐怖も、後悔も、溢れ出してしまいそうな気がした。
エドワードは優しい声色で、続ける。
「無理はしなくて大丈夫。ただ……困った時は、この頼れるお兄さんに相談してって言ったろ? して欲しいことがあったら、何でもするよ」
昨日白狐から黄泉醜女の件を告げられ、一日中放心したままだった俺から、エドワードは一度も話を聞き出そうとはしなかった。ただ寄り添って、支えてくれるだけ。
今朝まで俺は軽くパニック状態だったから、その距離感が心地よかった。
だが、いつまでもこのままで良いわけがない。
俺は深く深呼吸をして、口を開いた。
「俺、黄泉醜女に狙われてるんだ」
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