第五章 人喰い絵画 ⑨
意識を浮上させれば、そこは屋敷にある温室の中だった。一瞬すべてが夢だったのかと思うほどに、色鮮やかではっきりとしている。
エドワードの夢の中だということに気が付いたのは、エドワードが耳を塞いでうずくまっていたからだ。
「ごめん、ごめんなさい、ごめん……」
止めどなく流れる涙は、まるで体中の水分を奪い去ってしまうのではないかというほどで。
俺は彼を慰めたくて動こうとしたけれど、その場から動けなかった。声を掛けようとしても、音にならない。
どうにかできないかと辺りを見回していたら、ふと、エドがすくりと立ち上がった。まるで先程のことが嘘かのように、真顔で温室を見ている。
そして、その視線の先には、先程まではいなかった精霊がいた。
「エド! どうしたの!」
「今日は何をして遊ぶの?」
様々な精霊が、親しげにエドワードに近寄って来た。しかし、彼の非情なほど真顔は、崩れることは無い。
いつもと様子が違ったのだろう、精霊は口々に、不思議そうに、彼の名を呼ぶ。
だが、エドワードは何も言わないまま、一番傍にいた精霊に手を当てた。
その瞬間。
「あああああっ!」
断末魔と共に、精霊はエドワードの手の中で燃え尽きた。
パニックが起きる。精霊たちは逃げまどいながら、温室の外を目指した。
しかし、エドワードの力は大きなうねりとなり、彼らを次々に絡めとっていく。
触手のようなうねりに動きを止められた精霊たちは、エドが近付く度に、泣き叫びながら暴れる。助けてと叫ぶ声もある。しかし、それらはやがて断末魔と共に消えていく。
すべての精霊が消えると、辺りは静寂に包まれた。
その瞬間、エドワードは糸が切れたようにがくりと崩れ落ちる。そして耳を塞いで泣いた。
「もう嫌だ、殺したくない。もうやめさせて。お願いだ……」
エドワードは懇願するように、力なく呟く。けれど、夢は彼に優しくはない。
彼は再び立ち上がると、精霊を消し去った後の温室をきょろきょろと眺めていた。その表情は、痛みを耐えるものであったけれど、先程までの、泣きながら耳を塞いでいた時とは違う。
つと、空間に裂け目ができた。ぱかりと開くと、奥に“あちら側”が見える。
中から、美しい女性が降臨した。
「善き精霊をも消し去ったのは、そなただな」
「あ、貴方は……」
「そなたのような悪しき者に名乗る名は無い。その力は、我らを害するために与えられたものではないぞ」
静かな、しかし威厳のある声だった。そして、たしかな怒りを帯びている。
エドワードは手を見ながら、俯く。
「分かって、います」
「愚かなヒトの子よ。領分を侵したそなたへの罰が決まった。問答は無用だ」
「……どのような、罰でしょうか」
「我らは愛すべき子らを失った。そなたにも同じ悲しみを味わってもらう」
「でも、私には子はいません」
「ヒトの子よ。我らはそなたの全てを知っている。たった一つ、愛する者がいることもな」
「なっ! まさか!」
「すでに刑は執行された。そなたは己の犯した罪を、その絶望の中で償うがよい」
美しい精霊はそれだけ言うと、再び空間に開いた虚空に戻り、やがてその裂け目はぱったりと閉じた。
エドワードは慌てて携帯を取り、誰かに電話をかける。数コールの後、相手は電話に出たようだった。
「僕だ。今すぐエミリーの様子を確認してくれ。部屋で寝ているはず。……まさか」
顔面蒼白になったエドワードは大きく目を見開くと、携帯を切って乱暴にポケットに仕舞い、駆け足で温室を出た。
舞台は、まるでシーン切り替えでもあったかのように、どこかの一室に移る。その誂えの配置から、俺に用意された部屋と同じだと分かった。
エドワードはもぬけの殻となったその部屋へなだれ込むように入ると、ベッドを乱雑に捲った。当然だが、そこには誰もいない。
だが、つい先ほどまでそこにはいたのだろう。温もりに縋るように、エドワードがシーツを手繰り寄せる。
「エミリー、エミリー、ああ、あああ、あああああ!」
エドワードがこれほど取り乱す姿を、今まで見たことが無い。それほど深く愛していたのだと、よく知らない俺ですらわかった。
「僕のせいだ。僕がコンス様に逆らえなかったから。僕がこんな力を持っていたから。僕が産まれてしまったから。僕が、僕がいなければ、こんなことには……」
エドワードの瞳から、光が失われていく。ただ虚空を見つめ、涙を流しながら、ぶつぶつと己を呪う言葉を吐き続けている。
俺は彼を抱きしめたくてたまらないのに、動くことができない。声を出すことも。
ただ、エドワードが壊れていく様を見ることしかできないのだ。
場面は再び、温室に切り替わった。
エドワードが全てを拒むように耳を塞ぎ、ただ泣いて懇願している。
「もう、やめさせて……殺したくない、失いたくない……もう、やらせないでくれ……お願いだ……」
その声は、数分で止んだ。
エドワードがすくりと立ち上がり、何事もなかったかのように非情な真顔で、温室の先を見つめる。そこには、先程までいなかった精霊たちがいる。
俺はそこで、その夢がループしていることに気が付いた。
おそらくこの夢は、エドワードにひたすら過去を追体験させる舞台装置になっているのだ。
つまり、あの耳を塞いでうずくまるエドワードが今のエドワードであり、決められた表情を作っているのが、過去を演じさせられているエドワードということになる。
うずくまっているエドワードの様子からして、この追体験をしている間も、彼は意識があるのだろう。それは、大切なものを何度も失い続けているということを意味する。
このままでは、エドワードの心は壊れてしまう。そしてきっと、心が壊れた時、メアは彼を捨てるのだ。
メアと呼ばれていたから気が付かなかった。この精霊の正体は、ナイトメアだ。
目の前で繰り返される悲劇を見ながら、俺はどうにか彼に干渉する方法は無いか考える。
この場から動けない。声も届かない。つまり、物理的に何かをしようとしても無理である。
何か、エドワードの夢に干渉する方法は無いだろうか。
過去は幾度も繰り返される。
エドワードの悲痛な声は、どんどんと弱く虚ろになっていく。
はやく、早く何かを思いつかなければ。
焦る気持ちを落ち着かせようと深呼吸をした時、ふと、ジャックの言葉を思い出した。
ジャックはたしか、エドワードの心に、俺の心が入り込んでいると言っていた。そして、ここは夢の世界。メアの世界は境界の狭間にあり、俺もエドワードも“あちら側”による影響を強く受けやすいのならば、もしかしたら。
俺は目を閉じて、強く念じる。俺が見たい夢を。エドワードが救われる未来を。
俺の意識はゆっくりと落ちていき、やがて手放した。




