第五章 人喰い絵画 ④
「あれ? ここは建築方式が違うんだな。なんて言うんだっけ……たしか、バロック建築?」
渡り廊下を歩きながら図書室があるという建物に向かっている途中で、俺はふと気が付いてそう呟いた。
エドワードが、感心したように頷く。
「よく知っているね。うちはいろんな年代に増築したり改築したりしているから、いろんな建築が見られるんだよ。その時期の当主が趣味全開で建てちゃうからね」
「あの塔も?」
俺は窓の外を見ながら指さした。そこには、ここへやってくる時に見たあの荘厳な塔が建っている。
「そう。あのゴシック建築の塔は、イングランドから公爵家の姫が嫁いで来た時に建てたものなんだ。見た目を華やかにしたかったみたいで」
「あの武骨な感じのは?」
「あれはもっと古い時代だよ。僕も年代までは知らないけど、千年くらいは遡れるんじゃないかな。もともとここは要塞としての顔を持っていてね。外敵との戦いに備えて、城の麓からこの屋敷にかけて、何層もの砦に囲まれていたんだ。その名残だね」
「あの、ガラス張りのところは温室?」
「そう。あそこは精霊たちが集まっていたから、僕もよく足を運んでいたんだよ。……皆、今はもういないけどね」
エドワードが寂しそうに言ったので、俺は彼を見る。俺と目が合うと、切なげに眉を下げた。少し泣きそうな雰囲気だ。
昨年の冬に起こった指輪騒動の後から、エドワードは表情が一層豊かになったと思う。客の前ではしゃんとしていても、俺に見せる表情が増えたというか、ガードが少し緩んだというか。
だが今日は、今まで以上に、無防備に見えた。
俺は理由を尋ねるか少し悩んで、結局聞いてみた。たぶん、俺はそれを許されているから。
「どうして、いなくなったんだ?」
「……コンスタンス様の命令でね。あの人は精霊が見えなかったから、得体の知れないものが怖かったんだと思う」
「エドが返したの?」
「……いや、違う」
エドワードが言葉を切った。まるでそれ以上の言葉を告げたくないかのように。隠してしまいたい痛みを抱えたまま、どうしようもなくさまよっているような表情で。
俺は、エドワードがどちらを選んでも構わなかった。言いたくないのならば言わなくていい。言いたいのならば、話を聞く。
エドワードは、何度も深呼吸をした後、消えそうな声で呟いた。
「僕が、消したんだ」
「消した?」
「……そう。知っての通り、僕の力はとても強くてね。でも昔は、今みたいに返す方法なんて知らなかった。ただ、存在を消すことはできたんだ。実際、幼い頃から悪い精霊を消したことが何度もある」
「それって、精霊はどうなるんだ?」
俺が尋ねると、エドワードは何も言わず、辛そうに微笑んだ。それが答えだった。
精霊を返すならば、精霊は“あちら側”で生き続けることができる。しかし、存在ごと消すということは、文字通り抹消すると言うことだ。言葉を選ばずに言えば、殺しているようなもの。
精霊たちが集まっていたから、エドワードは温室に行ったのだという。それはきっと、彼らに癒されていたからだ。エドワードにとって精霊が友のような存在であることは、店での様子を見ていれば分かる。
その存在を、自らの手で。
「僕は、コンスタンス様には逆らえなかった。……いや、違うな。逆らえないと思い込んでいたんだ。あの人は、自分に逆らえばこの家のすべてを破壊すると息巻いていたから。おかしいよね。ずっと、こんな家どうなっても良いと思っていたのに」
「そんなこと……」
「コンスタンス様は、少し特殊な出自でね。“私が望めば、この家を王家への反逆者に仕立て上げることだってできる。この家も、城下の民も、全部壊してやる。お前のせいで、全てが壊れる”と言っていたよ。不思議と、本当にそうなる気がしたんだ。一種の洗脳だね」
「だから、逆らえなかった?」
エドワードは静かに頷いた。
想像よりもずっと酷い扱いだ。当主はほとんど家に寄りつかず、この城は事実上コンスタンスの支配下に置かれていたはず。ならばきっと、使用人たちも表立ってエドワードを助けることなどできなかっただろう。
具体的なことは話されなくたって、過去を語るエドワードがしきりに腕をさすっていたり、視線をさまよわせていたりするのを見れば、精神的にも肉体的にも辛いことを迫られたことは嫌でも分かる。
もしこの場にコンスタンスがいたならば、俺は間違いなくぶん殴っていた。できないのが残念だ。
「……ごめん、また湿っぽくなっちゃったね」
「いいんだ、気にしないで。エドが話したいことなら、俺は何だって聞くから」
「ありがとう。悠大くんがいてくれて良かった」
「そんな、大げさだよ」
「大げさじゃないよ。僕一人なら、きっとここには来られなかった」
エドワードが、真剣な眼差しで俺を見た。その瞳に、どくりと胸が跳ねる。
弱みを見せても良いと思われるくらい、信用されている。この忌まわしい家へ連れて来てくれるくらい、信頼されている。
彼の瞳はそれを如実に語っていて、俺は嬉しさとも気恥ずかしさとも、なんとも言えない気持ちで満たされた。
彼の信頼に応えたい。エドワードが困っていたら、手を差し伸べたい。弱っていたら、そっと背中を撫でてやりたい。
俺はおそらく人生で初めて、心の底から誰かの役に立ちたいと思った。
・*・*・*・




