第五章 人喰い絵画 ②
「し、城だ……」
深い谷を渡る石橋を超えた先に現れたのは、おとぎ話に出てきそうな荘厳な建造物だった。川や険しい丘に囲まれた土地を見下ろすようにそびえ立っている。まだ距離があるというのに、存在感を惜しみなく発揮している。
言うまでもなく、その城はエドワードの実家である。
エドワードの学友であるクリスが自分の家を小さいと評していたが、その理由が嫌というほどわかった。たしかに、彼の家は小さいだろう。今目の前にある、これに比べれば。
「エドって、王子様だったんだな……」
俺の呟きに、エドワードがくすくすと笑った。
「はは、王子様か。二千年くらい前だったら、あながち間違いでもないかもね」
「え、嘘だろ……」
「我が家は、ハイランド地方から逃げて来た部族の長が始まりと伝わっているんだ。まあ、祖先はいろいろとテキトーだったみたいで、まともに残っている文献はここ数百年くらいのものだから、あくまでも伝説レベルの話だけどね」
「伝説ができるくらい古いってことか……」
由緒正しい伯爵家は、思っていた何倍も歴史ある名家だったようだ。
俺の家も辿ればそれなりの歴史はあるだろうけれど、いつの時代もごく一般家庭だったと思う。
グレンアーモンド邸の城門は高い丘の麓にあり、そこに立ついかつい警備員が、エドワードに向かって恭しく敬礼をする。涼しい顔でそれを受け流すエドワードの横で、俺はなんとなく、ぺこりと頭を下げてしまった。
城へは、つづら折りの道が続いている。箱根の峠道や日光のいろは坂ほど狭く険しい道ではないけれど、それでも急ではあったので、運転手をしてくれているダニエルの腕に感心しっぱなしだった。
ようやく辿り着いた城の表玄関の前で、車は緩やかに停車する。
ドアが開かれ、足を地面に下ろせば、新鮮で爽やかな空気が肺いっぱいに広がる。
「さ、寒いっ!」
開口一番、俺は思わず叫んでいた。
スコットランドの中腹、しかもそこそこ標高の高い丘の上。真夏といえども、身震いする寒さだったのだ。
腕をさすっていると、ふわりとストールが掛けられた。
「あ、ありがとう」
「いえいえ。中も少し寒いから、しばらく羽織っていて」
「エドは平気なんだな」
「まあ、慣れているからね。大学を卒業してからも、しばらくはここで過ごしていたし。とはいえ、帰ってくるのは五年ぶりくらいだけど」
エドワードは俺に応えながらも、心ここに在らずの様子で城を眺めていた。
いつもならば中へ入ろうと促しそうなものなのに、彼は前に進もうとしない。良い思い出のほとんど無い家なのだ。きっと、無意識に躊躇しているのだろう。
俺は、エドワードの手を引いた。
「寒いし、早く入ろう」
「……そうだね」
エドワードは俺に手を引かれながら、執事らしき人が開けてくれた扉へと歩き出した。
室内に足を踏み入れると、執事服に身を包んだ白髪の老紳士が立っていた。彼は綺麗にお辞儀をして、張りのある、しかし柔らかい声で挨拶をする。
「お帰りなさいませ、エドワード様」
「……ただいま、セバスチャン」
「ユウタ様も、ようこそいらっしゃいました」
「あ、えっと、お邪魔します……」
セバスチャンと呼ばれた白髪の老紳士は、俺を見て微笑み、日本語で挨拶をしてくれた。俺はそのことに驚いて、しどろもどろになりながらもぺこりと頭を下げる。
まさか、セバスチャンという名前の執事が本当に実在するとは。しかも日本語を話せるなんて。伯爵家の執事ともなると、何でもこなせてしまうものなのだろうか。後でこっそり話を聞いてみようかな。
そんなことを考えつつ、俺はセバスチャンを見る。彼のエドワードを見る瞳は、優しくて慈しみに満ちていた。きっと、幼少期からエドワードを見てきているのだろう。
「先に部屋に荷物を置きたいんだけど、部屋は空いているかな?」
「もちろんでございます。ユウタ様のお部屋は、エドワード様のお隣にご用意しておりますが……ご一緒の方がよろしかったですか?」
「へ? あ、いやいや、別で大丈夫です!」
「左様でございますか。それでは、お部屋までご案内いたしますね」
俺が手を顔の前でぶんぶんと左右に振ると、セバスチャンはにっこりと笑って頷いた。その表情からは、何を考えているか読み取れない。
老紳士の後ろに着いて進みながら、目に映るものすべてが物珍しく、じろじろと眺めてしまう。
エントランスはシャンデリアが釣り下がり、左右に通路、正面には大階段がある。壁はよく見ると模様が刻まれており、白地の壁を華やかにしていた。床は木組みで、学校の旧校舎を思い出して少しだけ親近感が湧く。至る所に風景画のほか、肖像画も飾られている。きっと歴代のこのお屋敷の人達なのだろう。絢爛ではないけれど華があり、ランプ一つとっても洒落たアンティークで、高価であろうことが分かる。
クリスの家はもう少し武骨な感じだったので、新鮮だった。
二階にあがり絨毯の敷かれた廊下を進んだところで、セバスチャンが足を止めた。
「ユウタ様のお部屋はこちらでございます」
セバスチャンが木製の扉を開けてくれたので、俺は中へ入る。
後ろで、静かだったエドワードが声を掛けてきた。
「僕の部屋は隣だから、支度ができたらドアを叩いて。ゆっくりして良いからね」
「分かった。エドもゆっくりして良いからな」
エドワードは俺の言葉に頷いて、姿を消した。
やはり、様子がおかしい。いつものエドワードならば、俺を置いてさっさと部屋に戻るようなことはしなかっただろう。たぶん一緒に室内に入ってきて、俺の様子を見てから、自室へ行ったはずだ。
不安げな様子が表に出ていたのだろう、セバスチャンが声を掛けてきた。
「エドワード様は、少し緊張されているようですね」
「緊張、ですか?」
「はい。エドワード様は、この家にいる時はいつも緊張しておられました。ユウタ様がいらっしゃるおかげか、いくらか緩んではおいでですが」
「セバスチャンさんは、ずっとこのお屋敷で働かれているんですか?」
「はい。私は代々グレンアーモンド家にお仕えする、執事の一族でございます。エドワード様がお生まれになる前から、この家にお仕えしております」
「なるほど」
そういえば、執事も代々受け継がれる仕事なのだと聞いたことがある。セバスチャンの家もその一つということだ。
セバスチャンが礼をして部屋を去ったので、俺はさっそくベッドにごろりと横になった。
俺にはもったいないくらい広い、天蓋付きのキングサイズベッドだ。このベッドを置いてもなお余りある部屋の広さを、俺はまるで当然のことのように受け入れている。もはや感覚が麻痺していた。
少しゴロゴロしてから、窓際に置かれた絨毯張りの一人用のソファに腰掛ける。窓からは、城下に広がる木々や川が見渡せた。一面自然である。奥に少し目を凝らせば、城下町が見える。
何のためにあるのか分からない大きな鏡が壁にかかり、中を映し出している。肉眼でも鏡越しでも、反対側にかけられた大きなタペストリーが繊細な技術により作られているのだと分かった。
「お、落ち着かない……」
俺のためにわざわざ部屋を用意してくれたのだろうから、文句を言うものではないとは分かっている。だが、ロンドンでもわざわざ狭い部屋をもらい生活をしている身としては、この広い部屋には馴染めそうもない。
まだ部屋に到着してそれほど経っていないが、俺はエドワードの部屋にお邪魔することにした。




