第四章 金色の宝物 ⑥
「フィリップさん、大丈夫ですかね」
「大丈夫だよ。運は強いみたいだからね」
ベッドで横たわる男を見て、エドワードは言った。
ここはロンドンにある、グレンアーモンド家の別宅。病院ではなく別宅に来ているのは、まずお抱えの医師が診察する必要があるからなのだそうだ。
医師によれば目立った外傷はなく、鞭打ちになってそうな様子は無いが、目を覚ましたら必ず精密検査を受けるようにとのことだった。
行かないと駄々を捏ねるエドワードを無理に連れて来たのが、三十分ほど前。
様子を見たら帰ると言い出すかと思ったけれど、意外にもベッドルームのソファに座っている。
書類に目を通しているが、ちらちらとフィリップを見ているから、心配ではあるのだろう。
フィリップといいエドワードといい、この二人の関係は、すんなり一口で説明できるようなものではないようだ。
俺は手持ち無沙汰なので、なんとなく携帯でネットサーフィンをしていた。
と、ノック音が室内に響く。
エドワードがどうぞと言うと、ゆっくりとドアが開いた。
そこには、店に駆け込んで来た人とは違う男が立っていた。ラフな格好をしているのは、彼が大きな怪我を負ったからだ。
運転席に座っていた彼は、事故の衝撃をもろに食らってしまったらしい。
「ダニエル、怪我はどう?」
「おかげさまで、なんとか……。エドワード様、大変申し訳ございません。私のせいで、フィリップ様が」
「事故は結構な衝撃だったらしいね。それで兄上に傷一つ付けてないんだから、君は立派に果たすべきことをしたよ。まずは怪我を直すことに専念するんだ」
「え、エドワード様……っ!」
ダニエルが感極まった声で、エドワードを見つめている。まるで神にでも出会ったかのようだ。
あの世の中の全ての人間を落としてしまいそうな顔で微笑まれて、ねぎらいの言葉をかけられたら、天国に昇るような気持ちにもなるだろう。
ダニエルにひっそりと共感していると、彼は少し言いづらそうに口を開いた。
「それで、その、事故当時のことなのですが……」
「ああ、ちょうど聞きたかったんだ。聞いた話だと、突然、信号機に突っ込んだんだって?」
「はい、そうなのです。不思議なことがありまして」
「不思議なこと?」
ダニエルの言葉に、俺とエドワードは顔を見合わせる。
不思議なことと言われたら、真っ先に精霊を思い浮かべるのは、もはや職業病だろうか。
ダニエルは頷いて、話を続ける。
「美しい歌が聞こえたのです」
「歌?」
「はい。スピーカーからではありません。まるで、車の上に誰かがいて、口ずさんでいるような。けれどあり得ないのです。二十マイルで走っている車なのですから」
スパイ映画の主人公でもなければ、動く車に乗るなど無理だろう。ましてや歌うなんて、できるはずがない。
間違いない、精霊の仕業だ。
「その歌を聴いていたら、なんだか頭がぼうっとしてきて……気が付いたら、私は道を逸れていました」
「きっと、とても恐ろしかったろうね」
「とにかくフィリップ様に怪我をさせないように、他の方を巻き込まないようにと、そればかり考えて、信号機へ……」
ダニエルが、恐怖にわなわなと身を震わせる。
今回の事故では、怪我をしたのは運転手の彼と、店に駆け込んで来た彼だけだった。どちらもフロントシートに乗っていた。車も通行人も多い中で、怪我人はこの二人だけ。ダニエルがいかに素晴らしい対応をしたのかが分かる。
「よくやった、ダニエル。君は本当に、素晴らしい腕を持っているよ。これからも安心して、兄上を任せられる。だから、一日でも早く怪我を治して」
「は、はい!」
「後のことは僕たちに任せて。今日はゆっくり休んで?」
「はい、はい、ありがとうございます……っ」
ダニエルが涙を流しながら、エドワードに何度も頭を下げる。
そして、何度目かの礼のあと、彼は退出した。少しでも早く治ると良い。
「……行ったか」
「うわっ! お、起きてたんですか……」
「うわっとはなんだ、相変わらず躾のなっていない男だ」
俺が驚いて声を上げると、フィリップが気だるげにそう言いながら体を起こす。
エドワードに驚いている様子は無いから、彼は気付いていたのだろう。
「だ、大丈夫ですか……?」
「なんだ、貴様でも心配してくれるのか」
「はぁ? 心配くらいしますよ。事故ったって聞いた時は、冷や汗ものだったんですから」
「……おい、エドワード。この男は馬鹿なのか。自分を罵って来た相手の心配なぞ」
「それが悠大くんの良さだよ。それより僕は、貴方に嫌われる自覚があることに驚いた」
「私は伯爵だぞ。それに見合った言動をすれば、敵も作る」
「敵を作るような言動をやめても、伯爵の地位は揺らがないけどね」
「わー、ストップ、ストップ!」
俺は二人を止めた。
なぜ俺の話から喧嘩が始まるんだ。この二人は、とことん相性が悪いのだろうか。それとも、男兄弟とはこういうものなのか。
いずれにせよ、喧嘩をするためにここに来たのではない。
「フィリップ卿、エドワードもこう見えて、心配してたんですよ」
「はっ、どうだか。いっそ死ねばと思ってたんじゃないか?」
「フィリップ卿!」
吐き捨てるように言った言葉に、俺はカッとなって怒鳴った。
念のため言うが、俺は気が短い方ではない。大抵のことは受け流せるタイプだ。
だが、それでも。許せないことはある。
俺の気迫に驚いて、フィリップは口をつぐんだ。
「どうして、そういうことを言うんですか。貴方が死ねば良いだなんて、そんなこと、エドが思うわけ……っ」
「悠大くん、いいよ。気にしないで。君が気に病むことじゃない」
「でも……っ」
「大丈夫だから、落ち着いて」
言葉にならない声が、喉を唸らせる。
エドワードが傍に来て、優しく背中を撫でてくれた。
何度か往復するうちに、気持ちが落ち着いて行く。
「兄上、僕は貴方が嫌いだ。でも、死んで欲しいと思ったことは一度も無い」
「……悪かった、失言だ」
フィリップが顔を歪めて俯く。まるで痛みをこらえるかのように。
たぶんそれは、角度的にエドワードには見えていない。
俺には、その痛みの理由に見当が付いていた。けれど、それだけである。
ここで俺が何かを言うのは簡単だ。でも俺は善人ではないし、兄弟の問題でもある。もしフィリップが持つその痛みをどうにかしたいなら、彼自身が動くべきだ。




