支配の構造
「年次有給休暇に一個人が口出しする、しかも何「相変わらず無くならないわね、呆れるわ」
福寿は自分のデスクの上でノートパソコンを開き、ネットニュースをみていた。
「無くならないって、何がですか?」
正木がコーヒーを運んできた。
「ハラスメントよ。パワハラにセクハラ。今回はパワハラ」
そう言うと、パソコンの画面を正木に向けた。
[某省庁官僚によるパワハラ事案で、新入職員5名が退職及び休職]
「5人もですか…」
「これでも懲戒免職にならないなんてね。信じられないわ」
「5人も出る前に気づけ、って。僕はそう思いました」
正木が大きなため息をついた。
「コンプライアンスのしっかりしている民間企業なら、こうはいかないわよ」
福寿は憤っていた。
「安全衛生に基づいて、健全な職場環境を保持することは、事業場に課せられた義務なの」
「よりによって、省庁がこれでは…」
正木がやるせない表情を見せた。
「まぁ、明るみに出ただけ良いのかもしれない。これ以上に、実際には深刻な事案がある筈よ」
そう言って、福寿はパソコンを閉じた。
一週間後、福寿は、中心部にある某公的機関へ赴いていた。「若手職員の離職率を下げる為の提案」を求められたためだ。
最寄り駅から歩いて向かう。
現場に到着し、受付で担当者を呼ぶ。程なくして、「小宮」という総務課長が降りてきた。50代くらいの、小柄な男性だった。
小宮の案内で、5階にある部屋に通された。そこは、見渡す限りパソコンとデスクが並び、多くの職員が業務を行っている。
手前の方には、やや高齢に入り始めたと思われる職員が20名くらい居た。彼らの机にはパソコンはなく、趣味関係と思われる本や健康器具が置かれていた。
「おーい前原!」
高齢と思われる職員が大声を上げた。そこに駆け寄ってきたのが、まだ若い男性だった。
「お前この前さ、有休取っただろ。俺たちは若い頃、有休なんか使ったことないからな」
椅子にふんぞり返って、男性職員に指をさしている。
「はぁ?」
若い男性職員は、明らかに戸惑っていた。
「甘いんだよ考えが。迷惑がかかってるただろ周りに」
それを見た小宮は、福寿に軽く頭を下げて、その高齢職員の前に行った。
「吉川さん…有給休暇は個人の権利です。彼は業務の引き継ぎも行なっていますし、何の問題もありません。許可したのは私です」
小宮は釘を差した。
「そうやって若い者に甘くするから、つけ上がるんだよな」
吉川は相変わらず絡んでいる。
「吉川さん…あなたと彼は全くの別業務。迷惑は掛かっていないはずですが」
小宮が改めて正すと、吉川はバツが悪くなったのか、席を外した。
「福寿先生、申し訳ありません。こちらへ」
小宮がパーテーションで仕切られた応接セットの方へ、福寿を招いた。ソファに座り、小宮が姿勢を正す。
「それで相談なのですが、若手職員の…」
小宮が言うと、福寿はそれを手で遮った。
「今の場面でよく分かりました。原因は若手職員にはありませんね」
福寿は言い切った。
関係もないのに…温床的なパワハラが行われていますね。今に始まった事ではなさそうですが」
福寿が言うと、小宮は申し訳なさそうな表情になった。
「その通りです。あの人たちは60歳で定年退職の筈が、年金受給年齢の引き上げで、再雇用を認めるようになりました。その結果、長く在職しているということで、今の様な形になってしまいまして…」
福寿がタブレットに記録している。
「社労士としてはっきり申し上げます。『働かずに発言力だけある層』が、組織を壊していると言えます」
小宮は真剣な眼差しで、福寿の話をメモを取っている
「そして、それを問題として扱えていない管理体制。もっといえば、『あの様な人』に『口を出させてしまう組織』に大いに問題があります」
「仰る通りです。私のところには、頻繁に若手からメールが来ています。『現状を何とかして欲しい』と」
そう言うと、小宮は俯いた。
「ご依頼の『若手職員の離職率低下』というお話ですが、これでは前提を変えざるを得ません。どういたしますか?」
福寿が質問をした。
「ごもっともです。私としても、何とかあの連中に枷をはめたいのが本音なんです」
「小宮さんにそのお気持ちがあるならば、私としても協力します。現状は放置しておけば、悪化の一途を辿りますよ」
「その通りです。どうかよろしくお願い致します」
小宮は立ち上がって、深く頭を下げた。
「そこで小宮さん、お願いがあるのですが」
福寿は小宮に耳打ちをした。
翌日
「急遽だが、今日から当分の間、育休中の加世田さんの代わりに来てくれることになった、正木君です」
小宮が課の職員の前で、正木を紹介した。期間任用職員の枠で勤務をする…と見せかけた、実態を知るために送り込まれた、いわば潜入捜査官だった。
正木は前職で事務経験があった事から、パソコンスキルは高く、次々と業務を片付けていた。
「正木さん、仕事早いですね!」
声をかけてきたのは、昨日吉川に難癖をつけられていた前原だった。正木とは同い年だった。
「ありがとうございます。出来ることは申し付けてください」
午前11時を過ぎた頃、吉川の声が聞こえた。
「おい新人、お前だよ」
正木が振り返る。
「今日、昼どうするんだ?何なら飯に行くか」
吉川が聞いてきた。
「いや、とんでもないです。自分で何とかしますので」
「遠慮するな、仲間なんだからな」
[『仲間』『先輩後輩』という言葉に気をつけて。囲い込みの可能性があるから]
「ありがとうございます。実は、持ってきていまして」
正木は、わざとらしく申し訳なさそうな顔をして断った。
[何かを勧められても、絶対に断ってね。何かで貸しを作って、支配する構造があるはずだから]
予め福寿から念を押されていたが、その通りだった。
昼休憩が終わり、午後の仕事を準備していた正木に、吉川が「来い」と手を振った。
吉川は喫煙室に正木を呼ぶが、正木は煙草を吸わない為、断った。それを見ていた別の再雇用者が、正木を廊下に呼ぶ。正木は胸のポケットのボイスレコーダーのスイッチを入れた。




