第1章 ファル公爵の旅立ち【4】
庭に出るのは久しぶりだ。庭はこの屋敷の中で最も危険な場所と言える。何が飛んでくるかわからないからだ。エレンは父亡き後、ほとんど庭に出ていない。特に用もないので困ることはないのだが。
いち早く反応したのはジークベルトだった。腰に据えていた長剣を素早く振り上げると、激しい金属音が響き渡る。地面に叩き落されるのは、一本の矢だった。
エレンは思わず賞賛の拍手を贈った。
「お見事。素晴らしい動きです」
「動じないお前も大概だ。普通、少しは怯えるだろ」
「慣れてしまいしたので。それにしても、魔力を感知されましたか。なかなかの手練れを用意してきましたね」
叔父が仕掛けた魔法は目眩ませだが、熟練度の高い者の中には、対象者の魔力を感知できる技巧を持っていることがある。それは叔父の魔法を掻い潜ることも可能なのだ。
「ですが、これで気兼ねなく散歩ができますね」
ジークベルトは呆れたように肩をすくめる。エレンはすでにこれが日常の一部となりつつあるが、一般家庭はもちろんのこと、貴族の屋敷でもこういった攻撃を受けることはない。ファル公爵邸は尋常ではないのだ。
「エレン様! お久しぶりですね」
朗らかな声に振り向くと、庭師のトールが嬉しそうに歩み寄って来た。初老のトールは、エレンが幼い頃から庭の整備を任されている。その仕事ぶりは真摯に庭園と向き合っており、宮廷の庭師にも引けを取らないだろう。
「トール。お元気そうでなによりです」
「いつぶりですかな。ハハ、同じ敷地内にいると言うのに」
子どもの頃は、トールの仕事ぶりを眺めるのが好きだった。木を剪定する技術は、見ていてとても楽しくなる。それも貴族の教育を受けるようになって回数が減り、いまでは窓から見下ろすことができなくなっていた。
庭は最も危険度が高いが、トールは庭の手入れをやめようとしない。公爵家に残った十数人のために庭を整えてくれているのだ。監視者はエレンの魔力に狙いを定めてくると考えられているため、おそらく自分に危害が及ぶことはない、とトールはそう言うのである。本当にそうであったらいいのだが、とエレンは考える。
トールは穏やかな笑みを浮かべたままジークベルトを振り向いた。その瞳には信頼の色が表れている。勘の鋭いトールは、ジークベルトに何か感じるものがあるのかもしれない。
「ジークベルト殿。エレン様は我々にとって、この上なく大事なお方です。どうか守り抜いてください」
「……ああ。わかってる」
静かに頷くジークベルトに、トールは安心したように穏やかに微笑んだ。優秀な護衛がいるというのは、使用人にとっても安心感を得られることなのかもしれない。こうして庭園に出て来ることができたのも、ジークベルトの護衛あってこそだ。
「そう言えば、ジークベルトさん」エレンは言った。「私の護衛の契約はいつまでなのですか?」
「後継者が決まって爵位を継ぎ、お前の安全が確保されるまでだそうだ。長くかかりそうだな」
「そうですか。早めに片付けなければなりませんね」
それからしばらく、庭園を見て回った。久々に屋敷の外に出たが、太陽に照らされるのはとても気持ちの良いことだった。トールが手を抜かずに整えてくれた庭園も、心を穏やかにしてくれる。いつも部屋から見下ろしていただけだったが、草花の匂いを感じるのは気持ちが安らいだ。そのことで感謝を伝えると、トールはとても喜んでくれた。




