第1章 ファル公爵の旅立ち【3】
ドアがノックされるので、ふたりは話すのをやめた。失礼いたします、と丁寧に辞儀をして入って来た侍女の手には、洗濯に出したエレンの衣類がある。侍女は静かにそれをクロゼットに、また恭しく低頭して出て行った。ジークベルトに関心がないわけではないが、詮索しないように、とでも叔父に言われているのだろう。
「私は今日、死ぬかもしれません」エレンは続けた。「この屋敷は魔法で守られていますが、外ではそうはいかないでしょう。誰かを巻き込むかもしれませんしね」
「……そのための護衛だが」
「ん、そうでしたね。ですが、私はこの屋敷から出るつもりもありません。外には用もありませんし。ですので、ジークベルトさんは自由にしていただいて構いません」
「護衛が対象から離れるわけにはいかないだろ」
「ああ、そうですね……。では、庭に散歩にでも行きましょうか。ずっとここに居ても退屈でしょう」
エレンは本をテーブルに置き、立ち上がる。叔父が、庭くらいなら出られるのではないかと言っていた。久しぶりに庭園を眺めに行くのもいいかもしれない。
部屋の外へ出るのも数日ぶりだろうか。食事は基本的に部屋に運んでもらうし、書籍に本を取りに行くのも、まとめて持って来るため数日に一度だ。叔父に任される領地経営に関する雑務も部屋で済んでしまうし、数年前からの取り組みもここで充分だ。食事を運んで来る使用人は決まっており、普段は数人の使用人としか顔を合わせない。そのためか、すれ違う使用人たちはどこか嬉しそうに挨拶をしてきた。
「……命を狙う者の中に爵位を狙う貴族がいると言っていたが」ジークベルトが言う。「爵位は誰でも継ぐことができるのか? 普通は世襲なんじゃないのか」
「そうですね、基本的には世襲です。ですので、私の命を狙っている貴族は大抵、親族です。遠い親戚もいるようです」
エレンの言葉に、ジークベルトが呆れたように顔をしかめたのがわかった。エレンは薄い笑みを浮かべて見せる。
「そうまでして爵位が欲しいのか」
「私が爵位を持っているのが気に入らないのだと思います」
「それなら、お前が爵位を手放せばいいんじゃないのか?」
「それも考えましたが、他の誰かに公爵位が渡っても、争いは終わらないと思います。それなら、正当な後継者である私が持っていたほうがいいと判断しました」
「なるほどな」
貴族のしがらみとは面倒なものだ。爵位を持つ家に生まれてしまったというだけで、その地位に縛り付けられることになる。もちろん拒否する方法はいくらでもあるが、無責任だと後ろ指を差されることになるだろう。
爵位の扱いは難しい面が存在することも確かだ。無責任な放棄は社交界に混乱を招く恐れがある。それを最小限に留めるのが、正当な後継者の継承だ。エレンが爵位を手放すことも可能だが、この現状では控えるのが最善だろう。
「それに……前公爵の罪がありますからね」
ジークベルトは訝しげに眉根を寄せる。
父は六年前、重い罪を犯し王命により処刑された。その罪も処罰も隠すことなく公表され、社交界に大きな衝撃と影響をもたらした。罪の発覚から処分までの期間は異例の早さとなったが、父の首だけでは贖罪が足りないと考える者がいる。そういった者がエレンの命を狙っている。父の罪は、ファル公爵家に付与された呪いのようなものだ。
そう話すと、ジークベルトはより怪訝な表情になる。
「それは的外れなんじゃないのか。爵位とともに罪を引き継いだと考えているなら、あまりに荒唐無稽だ」
「ただの人殺しであったなら、恨みを買うのも最小限で済んだでしょう。ですが、父の罪はあまりにも重すぎます」
「…………」
父の罪が発覚したとき、一族に動揺が広がった。あまりにも重い罪に、ファル家から公爵位を剥奪することも検討されたという。しかし重い罪を呪いとして継承する可能性に怯える、冷静さを持ち合わせた一部の親族たちが、結局のところエレンに公爵位を継がせた。父への恨みでエレンの命を狙う者は、おそらく爵位には興味がない。公爵位を狙う者は、公爵家にはもう罪がないと思っているらしい。どちらかと言えば、認識が正しいのは後者だろう。ジークベルトの言う通り、あまりに荒唐無稽な思い込みである。




