第2話 灰のホワイトクリスマス
空の上から、ふわふわしたものが、いくつも、いくつも落ちてくる。
赤い帽子のおじさんが笑っていて、その向こうに大きな木が立っている。
木には光る飾り。足元には、きれいな包みが山になっていた。
「ねぇ、これなに? 灰じゃないよね?」
リノが指をさすと、サキが少しだけ笑った。
「雪っていうの。寒いところで降る、冷たい白い粒」
「雪……」
リノは窓の外を見た。外周通路の向こう――いつものとおり、灰がゆっくり落ちている。白じゃない。灰色で、触るとざらざらで、口に入ると苦い。
「じゃあ、この『クリスマス』っていうのも、本当にあったの?」
「うん。本当にあったし、今もやってるところはあるよ」
「ここでは?」
サキは、ほんの少しだけ言葉に詰まった。
「ここでは……今日みたいに、みんなでごはんを食べて、ちょっとだけ特別なおかずが出るくらい、かな」
「ツリーは? サンタさんは?」
子どもたちが身を乗り出す。
「サンタさんはねぇ……」
サキが困ったように笑った、そのとき。
「おーい。ちびどもー! もうすぐ夕食だ。今日はちょっとばかし、いいものが出るらしいぞ」
食堂のドアの向こうから、ガンモの声が飛んできた。
「クリスマスだからな!」
ポチが勝手に続けて、ゴーシュが眉をひそめる。
「ポチ、それ言っちゃダメなやつだろ」
「いいじゃん。どうせ気づくって。な? サンタさん」
ポチがニヤニヤしながらサキを見る。サキは、あからさまに視線をそらした。
「……とりあえず、手、洗ってきてね。特別なおかずは、きれいな手じゃないと食べられません」
「やっぱり、なにかあるんだ!」
タクトが先頭を切って走り出す。リノも絵本を抱えて、そのあとを追いかけた。
*
その日の夕方、グレイランス上部の外周通路では、ポチと整備班が古い鉄パイプとコンテナの枠で『木』を作っていた。折れたアンテナ、拾ってきた空き缶、使えなくなった導光ケーブルに小さなライトを結びつけて、即席の飾りにしていく。
「……ほんとにやるのか、こんなこと」
呆れたように言いながらも、ゴーシュは黙って手を貸していた。
「いいだろ、たまには。どうせ今夜は出撃ねぇんだし」
「その言い方やめろ。運が悪くなる」
*
夕食の時間。いつもより少しだけ豪華なシチューと、はるゑが張り切って作った大きなパンがテーブルに並ぶ。
「いただきます!」
いっせいにスプーンが動き出す。シチューは温かくて、少ししょっぱくて、いつものより具が多かった。
みんなのお腹が落ち着いてきたころ、サキが立ち上がった。
「みんな、ごちそうさまの前に……ちょっと、上の外周通路に出てみない?」
わくわくした空気が、一気に食堂に広がる。リノは急いでコートを羽織って、階段を上がった。
外周通路に出ると、灰と風の匂いがした。いつもと同じ匂いだ。だけど、通路の中央に知らない何かが立っている。
「……なに、あれ」
鉄パイプで組んだ『木』。暗いままのそれは、ただのガラクタの塊にしか見えない。
「これが、『ツリー』?」
タクトが首をかしげる。
「そう。ただのスクラップツリーだけど」
ポチが後ろから現れて、スイッチのついた箱を持ち上げた。
「灰しかない場所でできるのは、これくらいだ。――点けるぞ」
カチ、と小さな音。
次の瞬間、スクラップツリーに巻きつけられた導光ケーブルが、ぱっと光った。白帯用の誘導灯が、枝の先でぽつぽつと灯っていく。
白い光が子どもたちの頬を照らす。空き缶が光を反射し、マグカップの内側で光が揺れた。
「わぁ……」
誰かが小さく息を飲んだ。いびつな光の木が、灰の夜に立っている。
その向こうで落ちる灰が、いつもより白く見えた。
「これ、ホワイトクリスマスってやつ?」
リノがぽつりとつぶやくと、隣でユウタが笑った。
「灰なのに?」
「いいの。今日は灰のホワイトクリスマスなんだもん」
「サンタさんは?」
タクトが、まだ諦めきれない声で聞く。
「サンタなら、もう来てるさ」
ポチが鼻で笑う。
「ほら、そこにいるだろ。毎日、願い事を拾ってる保育士サンタと――プレゼント買うために命張ってる傭兵サンタがな」
「勝手に人をサンタ扱いしないでください」
サキが小さくため息をつく。でも、口元はほんの少しだけ笑っていた。
灰の夜の真ん中で、スクラップツリーが静かに光っている。
リノは絵本のホワイトクリスマスを思い出しながら、今夜だけは、ここが自分たちの「白い夜」だと思うことにした。
*
子どもたちが寝静まるころには、食堂もすっかり片付いていた。
使い終わった皿は洗い場に積まれ、テーブルの上にはパンくずが少し残っているだけだ。
はるゑが最後の鍋を拭きながら、「今日はよく食べたわねぇ」と満足そうに言う。
「サキちゃんも、もう休んでいいわよ」
「ありがとうございます。ちょっとだけ、外の空気、吸ってきます」
エプロンを外して、サキは食堂を出た。
階段を上がって外周通路に出ると、ひやりとした風が頬を撫でる。
細かい灰が、誘導灯の光をやわらかくぼかしていた。
昼間みんなで見上げたスクラップツリーは、まだ灯りを残したままだ。
導光ケーブルの光は少し弱くなっているが、それでも暗がりの中で形を保っている。
「……まだ、消してなかったんだ」
誰にともなくつぶやくと、すぐ近くから声が返ってきた。
「今、消そうとしてた」
側壁の陰から、アキヒトが姿を現した。
ジャケットの襟を立て、ポケットに手を突っ込んだまま、ツリーを見上げている。
「見張り、ですか?」
「ついでだな」
短くそう言って、またツリーへ視線を戻す。
鉄パイプとガラクタで組んだそれは、昼間よりずっと『木らしく』見えた。
「子どもたち、すごく喜んでました」
「……ああ」
短い返事。
その一拍のあとで、アキヒトの視線がツリーから食堂のほうへ、わずかに流れた気がした。
「この前は……ユウタを、医療都市まで連れて行ってくれて、ありがとうございました」
サキは少しだけ間を置いてから、切り出した。
「あれがなかったら、あの子……たぶん今ここにいないので」
「仕事だ」
アキヒトは、ツリーから視線を外さないまま答えた。
「それでも」
サキは、金属の床をつま先でそっと押した。
「ユウタ、帰ってきてからも何度も話してました。『外はこわかったけど、RFに乗れてすごく嬉しかった』って」
「……そうか」
「はい」
そこまで言って、サキは口を閉じる。
言いたいことはまだあるのに、喉のあたりで引っかかって、形にならない。
サキは、ツリーの灯りを見上げたまま、言葉を探すように息を吸った。
「ときどき、考えるんです」
灰の落ちる音が、間を埋める。
「いつまで、みんなでこうしていられるんだろうって」
アキヒトは何も言わない。欄干にもたれた姿勢だけが、変わらずそこにある。
「出撃の音が聞こえるたびに、嫌な感じがして。でも、耳をふさぐわけにもいかなくて」
子どもみたいな弱音だと、自分でも思う。けれど止められなかった。
「戻ってきたときは、いつも……ほっとします。傷だらけのRFを見ても、怪我だらけのみんなを見ても。帰ってきてくれたって思うから」
サキは一度、言葉を切った。胸の奥が熱いのに、外の風は冷たい。
「でも、そのたびに分かるんです。わたし、ただここにいるだけだなって」
食べさせて、寝かせて、数えて。
守られている側のまま、時間だけが積もる。
「それでも、信じて待つことぐらいは……したいなって思ってます」
言いながら、サキはツリーのてっぺんを見上げた。導光ケーブルの光は、もう少しで負けそうな色をしている。
「だから……来年も」
言った瞬間、喉がきゅっと鳴った。軽い願い事みたいに聞こえたら嫌だ、と思った。
「もし、みんながここにいられたらでいいので」
目の奥が痛い。笑いの形を作ろうとして、うまくいかない。
「また、ツリー……作ってもらえたらうれしいです」
子どもたちの声が浮かぶ。「きれい」「白い」「また見たい」。
それが来年もここで聞けたら、と考えた途端、視界が少しだけ滲んだ。
「……贅沢なお願いかもしれませんけど」
最後は笑ったつもりだった。けれど頬が熱い。まつ毛のところで、水が止まった。
アキヒトは黙ったまま、欄干に指先をかけて力を込めた。
ツリーの灯りが、弱々しくちらつく。
その明かりの下で、サキの目元に光るものが一瞬だけ見えた。
涙だ。
落ちるほどじゃない。
でも、拭う直前の水が、まつ毛のところで止まっている。
アキヒトの歯の奥が、かちりと鳴った。
息を吸うと、肺の内側がざらつく。灰が入ったわけじゃないのに、そんな感じがした。
――泣くな。
言えるはずがない。言ったら、余計に泣かせる。
それに――自分が言う資格はない。
この手が何をしてきたか。
何を守れず、何を壊してきたか。
視線を外す。
拭うものを探す癖みたいにポケットへ意識が走って、何もないと気づく。
ハンカチ1枚、持ち歩いていない。手袋も袖口も、汚れが染みついたままだ。
そのまま立っているだけで、この場が少しずつ壊れていく気がした。
冷たい風が、2人の間を抜けていく。
「……寒いですね」
サキが小さくつぶやき、両手を口元へ持ち上げた。
息を吹きかけても、指先の冷えが戻らない。
アキヒトは、そこでようやく動いた。
「凍るぞ」
そう言うと迷いなく手を伸ばし、サキの右手をつかんだ。
驚く間も与えず、そのまま自分のジャケットのポケットへ押し込む。
「えっ――」
サキの声が途中で途切れた。
ポケットの中で、指先に油と金属の匂いが混じった温度が触れる。あたたかい、というより、生きている手の熱だった。
「動くな。余計冷える」
アキヒトの声はいつもと同じ低さだ。
視線はツリーから外さない。外したら、この行動が言い訳になる気がした。
サキは、しばらく何も言えなかった。
心臓の音だけが、やけに大きい。
「……来年のことは、分からない」
沈黙のあと、アキヒトがぽつりと口を開いた。
「うちのRFが全部残ってるかどうかも、誰も保証しちゃくれない」
「……はい」
「だから、約束はしない」
一度だけ言葉を区切る。
硬いのに、嘘じゃない。
「けど、必要になったら……またガラクタぐらいはかき集める」
それが、この場で出せる限界の言葉だった。
言い直さない。飾らない。けれど、逃げもしない。
サキはゆっくり息を吐いた。
ポケットの中で握られたままの手に、じわじわと感覚が戻ってくる。
「そのときまで、ちゃんとみんなの顔、覚えておきます」
数えます、とは言わなかった。
でも、やっていることは同じだ。
「誰がいなくなっても……ちゃんと見てます」
アキヒトは返事をしない。
代わりに、ポケットの中でサキの指先を1度だけ、軽く握った。
そのとき、スクラップツリーの灯りが1度だけ強く明滅して――ふっと消えた。
通路が、さっきより少しだけ暗くなる。
「バッテリー、限界ですね」
「十分持った」
灰は相変わらず降っている。星は見えない。
だけど、足元の金属の向こう側では、《光の園》の子どもたちの寝息がそろっている。
「星のないクリスマスでも、悪くないですね」
サキがそう言うと、アキヒトは横を向いたまま、小さく「……ああ」とだけ答えた。
灯りの消えたスクラップツリーが、夜の中に静かに立っている。
そのすぐ下の階で、《光の園》の子どもたちが、それぞれの名前を抱えたまま、静かに眠っていた。




