第92話 魔王討伐完了。「愛する人のために、世界くらい救ってみせよう」
私の前世からの重い推し活エネルギー(愛)を全乗せした、クライス様の『光の剣』が、真っ直ぐに振り下ろされた。
その瞬間。
世界から、すべての音が消えた気がした。
「――ッ」
眩い、という言葉では到底足りない。
クライス様の手にある剣は、もはや“剣の形をした圧倒的な光の柱”そのものだった。
私の規格外のチート魔力。
クライス様の極限まで研ぎ澄まされた剣気。
そして、私たちを繋ぐ確かな愛。
それが完璧に一つに溶け合って、ただ真っ直ぐに、家族の平穏を脅かすものを断ち切るためだけに存在する『一条の希望の光』となっている。
絶望を告げる赤い空。
崩れかけた禍々しい魔王城。
大陸を吹き飛ばす終末級の自爆魔法。
その全部が、その神々しい光の前では、ただの“呆気なく斬り裂かれるべき対象”にすぎなかった。
魔王が、初めて、はっきりと死の恐怖に顔を歪める。
「な、何だ、その異常な力は――! 人間の分際でェェッ!!」
知りませんわよ。
私だって今、最推しの最高すぎるCGスチルイベントの真っ最中で、半分くらい感動で胸がいっぱいで、理屈で説明できる心境ではございませんもの。
ただ、オタクとして一つだけ言える。
――光輝くクライス様、宇宙一、格好よすぎますわね。
光の剣が、魔王の終末魔法の奔流へ届く。
赤黒くドス黒く膨れ上がった破滅の球体が、まるで自分の存在そのものを完全に否定されたみたいに、ブルリと恐怖に震えた。
次の瞬間。
ザァァァンッ!! と。
あまりにも鮮やかに。
あまりにも迷いなく。
魔王の破滅の自爆詠唱ごと。
膨れ上がった終末魔法のエネルギーごと。
そして、その中心にいた魔王の本体ごと。
まとめて、真っ二つに両断された。
「――ガ、アァァァッ!?」
一拍遅れて、爆ぜるような凄まじい衝撃と爆風が来る。
だが、私が全力で張った多重防護障壁と、クライス様の斬撃そのものが生んだ光の神聖な余波が、それを完全に相殺して外へ押し返した。
赤黒い終末の魔力が、左右へ綺麗に割れて霧散していく。
まるで、旧約聖書で海が割れるみたいに。
いえ、私が物流のために物理で海を割った時も大概でしたけれど、今のこれは、その何倍も理不尽で美しかった。
だって、世界の終末そのものが、ただの剣の一振りで斬り捨てられているのだから。
「う、わあ……!」
リリアが、私の背後で思わず目をまんまるにして歓声を上げる。
「父上……すげぇ……!」
エルの声も、純粋な憧れと感動で震えていた。
ええ。
そうでしょうとも。
分かりますとも、そのお気持ち。
今、私たちの目の前で起きているのは、もはや“戦闘”というより、伝説の神話が作られる歴史の一頁みたいな神々しい光景だ。
クライス様は、その光の中心にいた。
光の剣を振り抜いた、完璧で美しい姿勢のまま。
銀灰の髪を風に揺らし、ひび割れた赤い空の下で、ただ静かに立っている。
ああ。
本当に。
本当に、この方は。
「……だめですわね」
私は扇を落とし、小さく限界の声を呟いた。
胸を両手でギュッと押さえても、溢れる思いでまるで意味がない。
私の心臓(BPM)が、とっくにレッドゾーンを超えている。
真っ二つにされた魔王の身体が、ゆっくりと音を立てて崩れた。
上半身と下半身がズルリとずれるとか、そういうグロテスクで生々しい話ではない。
クライス様の光の剣に斬られた瞬間から、魔王はもう“この世界に存在を保てなくなっていた”のだろう。
黒い影みたいにノイズ混じりに揺らぎ、赤い火の粉みたいな光の粒子になって、足元からサラサラと静かに崩れていく。
「……馬、鹿な」
魔王の声は、もうひどく掠れて、エコーがかかったように消え入りそうだった。
「余が……この絶対の存在である魔王が……」
「ええ」
私は、静かにトドメの事実を告げる。
「あなたの完全な負け(バッドエンド)ですわ」
「……」
「しかも」
私はニッコリと、勝者の笑みで笑った。
「私の推し活エネルギーの前に、だいぶ手も足も出ずに綺麗に」
魔王の紅い目が、信じられないというように、最後にこちらを見る。
いや、正確には。
私を見たあと、その絶望の視線はすぐ、圧倒的強者であるクライス様へ移った。
「……その、男よ」
「……」
「なぜ、そこまで……何が貴様を、そこまで強くさせた……」
その問いへ答えたのは、私ではなかった。
私の愛する、クライス様だった。
光の粒子となって消えゆく剣を手にしたまま。
魔王の完全に消えかけた無様な姿を見据えて。
ひどく静かに、でも、どこまでも真っ直ぐに、揺るぎない声で。
「愛する、俺の妻と家族のために」
その低く甘い声が、崩れゆく玉座の間へ響く。
「これくらい(世界を救うくらい)、容易いことだ」
蒼い目が、ほんの少しだけ、この上なく優しく私の方へ向く。
「俺の愛の重さを、舐めるな」
「…………」
だ、だめですわね。
本当に、これはだめですわね。
いや、ちょっと待ってくださいまし。
今のは。
今の演出は、いけませんでしょう!?
何ですのその、乙女ゲームのトゥルーエンドでも聞いたことのない破壊力のスチル付きのキメ台詞は。
何ですのその、完璧すぎる間とタイミングは。
何ですのその、“世界救済のついでみたいな涼しい顔で、とんでもない激重の愛の告白をしてくる”感じは。
あまりにも。
あまりにも、限界オタクに対する致死量の火力が、高すぎるではありませんこと!?
「――ッ」
私は両手で、真っ赤になった口元をガシッと押さえた。
尊さで胸がはち切れそうになる。
頭がショートして熱い。
視界が感動の涙でジワッと滲む。
クライス様が、私たち家族のために世界を救った。
それだけでもう、意味が分からないくらい最高に格好いいのに。
その上で、最後の最後にそんな特大の殺し文句を、息をするように当たり前みたいな顔で投げてくるだなんて。
「おかあさま?」
リリアが、私の異変に気づいて不思議そうな声を上げる。
「どうしたの? おかお、まっかだよ?」
「母上、顔が……っていうか、足元がフラフラしてる……!」
エルも、少し焦ったように私を支えようとする。
でも、もう私の限界オタクとしてのキャパシティは、完全に臨界点を超えて駄目だった。
「……む、り」
私はフラリと、糸の切れた操り人形のようによろけた。
「え?」
「おかあさま!?」
「今のは」
私は、最後の理性を総動員して、薄れゆく意識の中で言い残す。
「さすがに、公式からの特大の供給(尊さ)が……致死量ですわ……」
そこで。
私の意識は、最高に幸せな気分のまま、きれいにプツンと真っ白に飛んだ。
◇ ◇ ◇
「ルシア!」
「おかあさまーーッ!」
「母上! しっかりして!?」
どこか遠くで、愛する家族のそんな焦った声が聞こえた気がする。
でも、意識はフワフワとあたたかいお湯の中にいるみたいで、うまく現実に戻らない。
まるで、大好きな温泉へ長く浸かりすぎた湯あたりの後みたいに、全身から完全に力が抜けていた。
そうして、次にゆっくりと重い目を開けた時。
ぼやけた視界の中で、最初に見えたのは、心配そうにこちらを覗き込むクライス様の美しい顔だった。
「……あら」
私は、ゆっくりパチパチと瞬いた。
「クライス、様」
「起きたか」
低い声。
でも、その中に、痛いほどハッキリとした安堵が混じっている。
ああ、よかった。
ちゃんと夢ではなく本物ですわね。
幻覚の冷たい裏切り推しではなく、いつもの、私に激甘で少し過保護な最推しですわ。
「ご無事で」
私は、まずそれを確かめた。
「当然だ。俺を誰だと思っている」
「……」
「お前は」
クライス様の綺麗な眉が、ほんの少しだけ不機嫌そうに寄る。
「なぜ、戦いが終わった瞬間に突然気絶する」
「……」
「魔王の呪いでも受けたのか? それとも魔力枯渇か」
「……」
「聞いている。どこか痛むのか」
私は、心配してくれる夫の顔を見て、しばし気まずく黙った。
だが、誤魔化せるはずもない。
「だって」
私は小さく息を吐き、正直に白状した。
「クライス様が」
「……」
「私のために世界を救った上に」
「……」
「最後の最後に、あんな反則的なイケメン台詞をおっしゃるから」
「……」
「萌えすぎて、心臓がもたずに尊死(気絶)しましたわ」
「……」
沈黙。
魔王戦より重い沈黙。
その横で、エルがポツリと、深くため息をついて言った。
「やっぱり、そういうしょうもない理由だった。心配して損した」
「母上らしい、通常運転の限界化だね」
「おかあさま、もうだいじょうぶ?」
リリアが心配そうに覗き込んでくる。
ああもう。
お子たちにまで、こんなオタクの発作で気を遣わせてしまいましたわね。母親失格ですわ。
私は「恥ずかしい」と身体を起こそうとした。
けれど、その瞬間、自分の頭の下にある感触でハッキリ分かる。
「あら」
「何だ」
「これ、膝枕ですのね」
「……」
「クライス様の、立派な太ももの」
「そうだ。他に寝かせる場所がなかったからな」
「……ッ」
駄目ですわ。
追撃の供給が強すぎます。
私は今、どうやら崩壊した玉座の間の少し手前、瓦礫のない安全な場所へ移されていたらしい。
私の頭は、クライス様の特等席の膝の上。
子どもたちはそのすぐ傍で私を囲んでいる。
魔王城の不気味な天井の一部は私の魔法で崩れていて、その向こうには、赤かったはずの空が、少しずつ本来の美しい青い色へ戻り始めているのが見えた。
つまり。
世界は、助かった。
魔王は、きれいに討ち取られた。
そして私は、その直後に、推しのあまりの格好よさで尊死して気絶した。
……我ながら、たいへん見事な『平常運転』のオチですわね。
「母上」
エルが、やや呆れた顔で言う。
「父上、本当にすごかったよ」
「ええ」
私は即答した。
「間違いなく、世界一でしたわ」
「うん」
「でも」
「……」
「母上も、ある意味ちょっとすごいと思う」
「何がですの」
「その魔王討伐っていう人類の偉業の直後に、ただの『萌え』で倒れるところ」
「最大の褒め言葉として受け取りますわ」
「褒めてるかはかなり微妙」
リリアが、パタパタと手を振って話題を変えた。
「でも、おとうさま、ほんとうにほんとうに、かっこよかった!」
「ええ」
私は寝転がったまま、全力で頷く。
「本当に、涙が出るくらい最高でしたわね」
「すごかった! パパのけんが、ぴかーってひかって、ばーんってして、まおうがしゅわーってきえたの!」
「ええ」
「それで、おかあさまが『とうとい!』って言って、ぽてってなった!」
「……」
「大変、状況が分かりやすい的確な実況ですわね」
「うん!」
「おにいさまも、パパのかっこよさにびっくりしてたよ!」
「……びっくりしたけど」
エルが、少し赤くなりながら言う。
「でも、父上の最後の『愛する人のために世界を救う』って言葉、ぼくもすごく格好いいと思った」
「……ッ」
私は、もう一度、膝枕の上で胸元を押さえた。
だめですわ。
我が子による純粋なリフレインの追撃まで、心臓に尊い。
「クライス様」
「何だ」
私は、膝枕からそろそろと彼を見上げた。
「先ほどのあの殺し文句の台詞ですが」
「……」
「録音し損ねたので、もう一度、私に向かってお願いしてもよろしくて?」
「断る。二度と言わん」
「即答ですのね。ケチですわ」
「お前がまた発作を起こして倒れるからだ。重いんだぞ」
「その可能性は」
「高いだろう」
「否定できませんわね……」
クライス様は、やれやれと小さく息を吐いた。
でも、その大きな手は、私の銀の髪をそっと慈しむように梳いて撫でてくれる。
やさしい。
ひどくあたたかい。
その指先の愛だけで、さっきの台詞をもう一回聞いたのと同じくらい、だいぶ心臓に悪くて幸せなのですけれど。
「ルシア」
「はい」
「もう終わった」
「……」
「不吉な赤い空も、じきに完全に消える。瘴気も浄化されている」
「ええ」
「だから」
彼の声が、少しだけホッとしたようにやわらいだ。
「もう、何も心配いらない。安心しろ」
私は、そこでようやく、憑き物が落ちたようにちゃんと息を吐いた。
そうだ。
終わったのだ。
長かった。
本当に面倒だった。
魔王復活だの、四天王だの、精神攻撃だの、自爆魔法だの、本当に制作陣の悪意に満ちた、ろくでもない隠し最終シナリオ(サビ残)だった。
でも、その全部の最後に。
クライス様が、私たち家族の日常を守るために、ついでに世界を救ってしまった。
それだけで、もう私の心は満腹だ。
「クライス様」
「何だ」
「大好きですわ。宇宙で一番」
「……」
「今さらですけれど」
「知っている」
「ええ」
私は少し幸せに笑った。
「でも、言葉にして言わずにはいられませんでしたの」
「……そうか」
「そうです」
クライス様の蒼い目が、ほんの少しだけ、照れたように細まる。
「……俺もだ」
「ッ……」
やめてくださいまし。
今のHP1のコンディションで、その不意打ちのデレは駄目ですわ。
また気絶してしまいます。
私は本気で、真っ赤になった顔を両手で覆って身悶えした。
リリアが、そんな私を見てキャッキャと笑う。
エルは、少しだけ「またやってる」と困った顔をしながらも、どこか家族の平和な空気にホッとして嬉しそうだった。
崩れた玉座の間。
消えゆく赤い空。
静かに終わっていく魔王の絶望の気配。
その中心で、世界を救った最強夫婦は、どうしようもなくいつも通りの『平常運転のイチャイチャ』だった。
魔王討伐、完全クリア。
そして、世界を救った最強の氷の騎士は、最後の最後に極上のキメ台詞を置いていった。
――ええ。
それはもう、愛が重すぎる限界オタク妻が、尊さのあまり気絶するのも、全く無理はございませんわよね。
「さあ、クライス様、お子たち」
私は膝枕から起き上がり、パンッとスカートの埃を払って笑顔で言った。
「お掃除(討伐)も終わりましたし、予定通り、予約していた最高級の『家族温泉旅行』へ出発いたしますわよ!」
「……本当に、ブレないな、お前は」




