第91話 夫婦の究極合体魔法。推し活エネルギー、臨界点突破!
クライス様の放った空間ごと斬り裂く無慈悲な剣撃が、魔王の絶対防御結界を完全に粉砕した、その直後だった。
玉座の間に満ちていた魔王の圧倒的な魔力の均衡が、ベキリ……と、ガラスが割れるような不吉な音を立てて崩れ落ちる。
「――ッ」
私は嫌な予感に反射的に動き、お子たちの前へ飛び出して強力な障壁を張った。
「《多重防壁》《衝撃緩和》《瘴気完全遮断》!」
一拍遅れて、防御を失った魔王の足元から、マグマが噴き上がるように赤黒い不気味な光柱が天を突く。
今までのただ威圧的なだけの禍々しさとは、明らかに質が違った。
重い、ではない。深い、でもない。
もっと、純粋に破滅的でヤバい。
「ルシア」
クライス様の声が、極限の警戒を帯びて低く落ちる。
「はい」
「子どもたちと下がれ。もっと後ろだ」
「ですが」
「今のは」
彼の蒼い目が、光柱の中心で不気味に沈黙する魔王を見据えたまま、剣呑に細められる。
「ただの反撃じゃない。ひどく嫌な感じがする」
「……ええ」
私はチート魔眼でその異常な魔力の流れを解析し、ギリッと唇を噛んだ。
「私も同感ですわ。最悪です」
魔王は、結界を斬り裂かれた無防備な場所に立ったまま、ゆっくりと幽鬼のように顔を上げた。
その紅い目が、先ほどまでのプライドを傷つけられた怒りとは違う、昏い色を帯びている。
怒り。
苛立ち。
私への屈辱。
そういう人間らしい分かりやすい感情ではない。
すべてを諦めた敗者が、道連れに最後に一番タチの悪い『盤面をひっくり返す手札』を切る時の、虚無の目だった。
「……余を」
魔王の声は、不気味なほどひどく静かだった。
「よくもここまで、コケにして追い詰めたな、下等生物ども」
「追い詰められている自覚は、きちんとおありなのですわね」
私は扇を広げ、冷たく言い返す。
「なら、これ以上私の老後計画のスケジュールを乱さずに、そのままおとなしく消えてくださると助かりますのに」
魔王の口元が、ゆっくりと三日月型に歪む。
「それはできぬ。余のプライドが許さん」
「……」
「余がここで滅ぶというのなら、貴様らも、この世界も、すべて道連れだ」
赤黒いドス黒い魔力が、今度は玉座の間だけではなく、城全体、いや暗黒大陸の大地そのものへと根を張るように広がっていく。
床が心臓のように脈打つ。
巨大な柱が悲鳴を上げてひび割れる。
頭上の不吉な赤い空が、まるで魔王の命に呼応するみたいにドクドクと明滅した。
その絶望的な光景を見た瞬間。
私のオタクの頭の奥で、前世の嫌な記憶のピースが完全につながった。
「……ッ! しまった!」
ファンディスクの最難関の終盤。
魔王の残りHPが一定値を切った時にだけ、確定で発動する、初見殺しの最悪の強制イベント。
『超広域・自爆魔法』。
しかも、ただの自爆ではない。
魔王城そのものと、暗黒大陸一帯の濃密な瘴気と、空を覆う赤い魔力まで全部エネルギーとして巻き込み、大陸の地形ごとパーティーを吹き飛ばして強制ゲームオーバーにする、理不尽極まりない終末級の詠唱。
「クライス様!」
私は思わず、余裕を捨てて叫んだ。
「来ますわ!」
「何だ」
「巻き添えの自爆ですわ!」
「……チッ」
「しかも、大陸の半分が吹き飛ぶ、かなり最悪で理不尽な規模のやつです!」
エルとリリアが、私の只事ではない様子に同時に息を呑む気配がした。
私は振り返らずに叫ぶ。
「お子たちは馬車の方へ! いえ、だめ、もう逃げ切れませんわ! クライス様! 私の後ろの結界へ寄せて!」
「ああ! 分かっている!」
クライス様が一瞬で動く。
片腕でリリアを抱え、もう片方でエルを引き寄せ、私の張った五重の障壁の中心の最も安全な位置へ押し込む。
その淀みない動きを見ただけで、私の胸の奥が熱くなる。
こういう世界滅亡の極限の時でも、この人は自分よりまず『家族の安全な配置』を最適化するのだ。
本当に。
本当に、パパとして格好よすぎるでしょう。惚れ直しますわ。
だが、今はオタクとして見惚れている場合ではない。
魔王はすでに、両手を広げて自爆の詠唱へ入っていた。
「深淵より出でし闇よ」
低い呪いの声が、空間そのものへ黒い染みのように染み込んでいく。
「すべてを喰らい、終末へ還れ――」
「まずいですわね……!」
私は舌打ち寸前で、額に冷や汗を浮かべて呟いた。
「システムが、かなり本気で私たちを殺しに来てますわ!」
「力業で止められるか。俺が斬るか?」
クライス様が、剣を構え直して問う。
私は一瞬だけ、呼吸を止めて脳内の攻略Wikiをフル回転させた。
止める方法は、ある。
ただし、それはゲーム本編でもファンディスクでも、“好感度MAXのほぼ正解ルート”でしか見られなかった、超限定の隠し演出(救済措置)だ。
攻略対象(推し)とヒロインの絆が一定以上。
隠しフラグの全達成。
特定アイテムの所持。
しかも、この絶望的な最終局面で『互いの魔力と想いが完全に噛み合った時』にだけ奇跡的に発動する、いわば“究極の夫婦合体必殺技”。
前世の社畜だった私は、その激熱な神演出のスチルを見たくて、休日を潰して何十周も周回プレイをした。
何度もフラグを折り。
何度も理不尽な自爆でゲームオーバーになって泣き。
ようやく一回だけ見られた、あの奇跡の演出。
そして今。
その発動条件は、多分。
ゲームの中のどのルートのヒロインよりも、私たち夫婦の方が、完璧に、致死量レベルで満たされている。
「……できますわ」
私は、ゆっくりと、不敵な笑みを浮かべて答えた。
「何だ。策があるのか」
「クライス様のその愛剣を」
私は彼を見る。
美しい銀灰の髪。
私を信じ切っている蒼い目。
私が前世から人生のすべてを賭けて愛し、推してきた、世界で一番大切な人。
「私に、あなたの剣を貸してくださいまし」
クライス様の目が、わずかに驚きで見開かれる。
騎士にとって、命の次に大事な剣を他人に預けるなどあり得ないことだ。
だが、彼は問い返しすら一切しなかった。
この命懸けの状況で、愛する妻が意味もなくそんなことを言うはずがないと、魂で理解しているからだろう。
「どうする気だ」
「合体魔法ですわ」
「……」
「私たち最強夫婦の、究極版の必殺技です」
「……」
「私のありったけを、その剣に注ぎ込みますわ」
私はキッパリと、彼を見つめて言った。
「私の全魔力も」
「……」
「あなたへの重い愛も」
クライス様が、一瞬だけ沈黙した。
それから、ひどく静かで、少しだけ呆れたような声で言う。
「魔王の自爆を止めるのに、お前の愛の出力で足りるか」
「誰にものを愚問をおっしゃっておりますの」
私はフッと、自信満々に笑った。
「私の前世からの『推し活エネルギー(愛の重さ)』なら、宇宙が滅んでも無尽蔵でしてよ」
その瞬間。
クライス様の口元が、ほんの少しだけ、この上なく優しく、そして頼もしく上がった。
ああ。
だめですわね。
こんな絶体絶命の局面で、その無敵の笑顔は、オタクの心臓に本当にだめですわね。
「エル、リリア」
私は後ろを振り返る。
「これから、少しだけ目が眩しいですわよ」
「うん!」
「分かった!」
「でも」
私はニッコリと、最高の母の笑顔で笑った。
「絶対に目を逸らさずに、よく見ておきなさい」
「……?」
「これが」
私はクライス様の方へ向き直り、並び立つ。
「あなたたちのお父様とお母様の、『最強夫婦の愛の本気』ですわ」
魔王の詠唱が、さらに終盤へと進む。
床の亀裂から赤黒い業火が噴き出し、魔王城全体が自壊を始めていた。
「我が命と引き換えに、終焉をもたらす――!」
「はい、あなたの自分語り(出番)はそこまでですわ」
私はクライス様の前へ立つ。
彼が、一切の躊躇もなく、私へ向けてスッと愛剣を差し出した。
両手で受け取る。
重い。
でも、ひどくあたたかくて、心地いい重さだった。
この人の手の中で、何度も理不尽な敵を斬り伏せてきた剣。
家族を守り、領地を守り、私をずっと守り抜いてきた、この世界で一番尊い剣。
そこへ、私は全幅の信頼を込めて両手を添えた。
「《魔力接続》!」
チート級の銀の光が、剣身へバチバチと走る。
「《魂魄共鳴》!」
私の膨大な魔力と、クライス様の極寒の剣気が、音もなく完璧に噛み合う。
「《愛情出力制限解除》!!」
「おい、待てルシア」
クライス様が、真顔で低くツッコんだ。
「何ですの」
「最後の術式の名前が、明らかにおかしい。ふざけているのか」
「私のありったけの重い本音(愛)ですもの」
「今この緊迫した状況で言うな」
「今だからこそ、推しへの愛を叫ぶのです!」
だが、その死地での自由すぎる夫婦漫才のやり取りさえ、もう震えるほど愛おしい。
私は手にした剣へ、私の存在のすべて(全力)で魔力を流し込んだ。
青白い、星のような純粋な光が、一気に太陽のように膨れ上がる。
剣が、歓喜するようにキィィンッ! と高く鳴る。
いいえ、剣だけではない。
私の中の魔力も、クライス様の中の剣気も、二人の間にある見えない絆そのものが、完全に一つになって共鳴していた。
「クライス様!」
「何だ」
「私の重い愛、落とさずに受け止めてくださいまし!」
「当たり前だ。俺の妻の愛だぞ」
その男らしい一言で、私の中の『限界』が消し飛んだ。
私は、ありったけの想いを注ぐ。
前世から画面越しに恋い焦がれた想い。
悪役令嬢に転生してから、必死に積み重ねた日々。
理不尽な婚約破棄。
推しの側仕えになった喜び。
奇跡の結婚。
貧乏領地の改革。
世界一可愛い子どもたちの誕生。
神聖教国へのカチコミ。
家族四人でのお忍びデート。
夜の野営地での怪談大会。
全部。
全部。
全部。
私がクライス様を「好きだ」と、愛していると思った、その総量(重さ)ごと、すべてを光に変えて剣へ叩き込む。
「いっけえぇぇ!!《光臨剣・顕現》!!」
次の瞬間。
クライス様の剣は、圧倒的な『光の柱』になった。
まばゆい。
でも、ただ暴力的で優しいだけの光ではない。
神々しく、鋭く、真っ直ぐで、見る者すべてへ“これは悪意を斬り裂くための、絶対の光だ”と魂で分からせる、究極の輝き。
勝利を確信していた魔王の顔色が、その規格外の光を前にして、初めてハッキリと絶望に変わった。
「何……!? なんだ、その異常な光は!?」
「クライス様!」
私は、光り輝く剣を夫へ託して叫ぶ。
「それで、私たちの老後計画ごと斬り開いて!」
「ああ! 任せろ!」
クライス様が、その強大な光の剣を、片手で軽々と握り直す。
その神々しい姿は、もはや人間の領域を完全に踏み越えていた。
赤い終末の空を背負い、崩れかけた魔王城の中心で、希望の光だけをその手に収めて立っている。
あまりにも綺麗で。
あまりにも強くて。
あまりにも――私の大好きな『最推し』だった。
「……ッ」
だめですわ。
今、その最高のスチルに、心臓が別の意味で尊死してもちません。
でも、しっかり見届けなくては。
だって、これは。
私たち夫婦二人でしか作れない、愛の結晶たる『究極の一撃』なのだから。
魔王の自爆詠唱が、ほぼ完成しかける。
赤黒い終末魔法のエネルギーが、空ごと落ちてくるみたいに絶望的に膨れ上がる。
その寸前。
クライス様が、無音で踏み込んだ。
絶対的な光の剣が、魔王の終末ごと、世界を真っ二つに裂くように振り下ろされる。
――最強夫婦の究極合体魔法。
推し活エネルギー(愛の重さ)、臨界点突破。
その一撃が、今まさに、魔王の存在ごと、私たちの平和な日常への脅威を完全に断ち切ろうとしていた。




