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婚約破棄の瞬間に「前世の記憶」が戻りまして。〜ヒロインの座は譲りますので、私は推しキャラの側仕えを目指します!〜  作者: 綾瀬蒼


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第81話 領地の空が真っ赤に? 乙女ゲームの「隠しイベント」強制発動

 神聖教国を物理的に解体(お掃除)して数年。

 その日の朝も、フェルド辺境伯爵領は平和そのものだった。


 青く高い、どこまでも澄んだ空。

 やわらかな春の風。

 見渡す限りの広大な畑では黄金色の小麦が揺れ、超豪華に増築された温泉街の方からは、今日も朝湯を楽しむ大勢の旅人たちの活気ある賑わいが、かすかに届いてくる。


 屋敷の広大な庭では、リリアが器用な手つきで花冠を編んでいた。

 少し離れた木陰では、エルが真剣な顔で木剣の素振りをしている。

 その息子の剣筋を見ていたクライス様が、時折、短い父親としての助言だけを落とす。


「右の肘が開いている。力が逃げるぞ」

「はいッ!」

「踏み込みは悪くない。だが腰をもっと落とせ」

「……はいッ!」

「良い顔ですわねえ……」


 少し離れた日陰の東屋で、私は最高級の紅茶のカップを両手で包みながら、うっとりと限界オタクの幸せなため息をついた。


 エルの剣筋は、年齢にしては本当に見事なものになってきた。

 まだ子どもの細い線だ。

 けれど、軸の置き方や、相手を仮想する鋭い目線の流し方に、もうハッキリとクライス様の面影(才能)がある。

 その横でクールに指導するクライス様も、相変わらず目に悪いほど三十路の色気を増して格好いい。

 しかも、娘の方は娘の方で、花冠を編みながら時々こちらを見て「おかあさま、きれいにできております?」と太陽のような笑顔で聞いてくるのだ。


 ああ。

 ええ。

 本当に。

 何ですのこの致死量の幸福空間は。


「おかあさま!」

 ちょうどそのタイミングで、リリアがパタパタとこちらへ走ってきた。

「できました! おかあさまにプレゼント!」

「まあ」

 私は立ち上がり、娘の差し出す花冠を受け取った。

 白と薄紫の小花で編まれたそれは、六歳の子どもが作ったとは思えないほど予想以上に綺麗だった。

「素晴らしいですわ」

「ほんとう?」

「ええ。配色も、編み目の整い方も、とても芸術的で良いですわ」

「やったあ!」

「リリア、父上にも見せるといいよ」

 木陰から、素振りを止めたエルがタオルで汗を拭きながら言う。

「父上、さっきからリリアが何を作ってるか、チラチラ気にしてたから」

「気にしてない。剣に集中しろ」

 クライス様が、耳を赤くして即座に否定した。


「…………」

「…………」

「…………」


 私はその東屋で、そっと胸元を押さえて膝から崩れ落ちそうになった。


「母上」

「何ですの、エル」

「今の顔、また『変な尊さの供給』を受けた時のヤバい顔です。やめてください」

「当然ですわ」

 私はプルプル震えながら真顔で答える。

「娘の花冠を気にしてチラ見していた父親推し(クーデレ)と、それを見抜いてさらりとアシストする息子推し(有能)のコンボが、同時に来ましたもの。尊死しますわ」

「やっぱり。母上はブレないね」

「何だ、エル」

 クライス様が低く問う。

「いえ、母上のオタクの愛情表現は、今日も通常運転だなと」

「あなた、最近だいぶクールに両親を分析なさいますわね」

「毎日見てたら慣れてきたから」

「これもエルの成長ですわねえ……!」


 ああもう。

 今日も朝から最高の供給過多ですわね。

 このままずっと、孫の代まで平和に推し活(領地経営)をして、推しのクライス様と一緒に穏やかな老後を過ごす完璧なライフプランが見えますわ。


 私がそう満足げに紅茶を飲もうとした、その時だった。


 風が、止まった。


 ピタリ、と。

 本当に、呼吸を忘れたように不自然なくらい唐突に。


 木々の葉がザワメキの動きを止める。

 小鳥のさえずりも消える。

 庭のあたたかい空気が、妙に重く、ドロドロとしたものに沈んだ。


「……?」

 私は顔を上げた。


 空が、おかしい。


 さっきまで、どこまでも澄み切っていた青空が。

 ジワリ、と。

 まるで透明な水へ『ドス黒い赤い絵の具』を垂らしたみたいに、端から不気味に滲み始めていた。


「おかあさま……?」

 リリアが、空の異変に怯えて小さく私の袖をつかむ。

 エルも木剣を下ろし、空を見上げたまま警戒して動かない。

 クライス様の蒼い目が、スッと剣呑に細くなる。


「ルシア」

「……ええ」

 私は無意識に、即座に娘と息子を自分の背中へ隠すように寄せていた。

「見えておりますわ」


 赤い。


 ただの夕焼けのように赤いのではない。

 もっと、不穏で、粘つくような、生き物の血の色だ。

 空そのものの奥から、ジワジわと脈打つようにドス黒い赤色が広がってくるような、そんな異常な空。


 しかも、それはフェルド領の上空だけではなかった。

 私のチート魔眼で見渡す限り、地平線の向こうの大陸全土まで、ずっと、ずっと、同じ血の色が広がっている。


「何だ、これ……」

 エルが、珍しくハッキリと動揺した声を出す。

「空が、血みたいに……」

「大丈夫ですわ」

 私は反射で、子どもたちを安心させるために答えた。

 だが、その声は、自分でも驚くほど少し硬く震えていた。


 なぜなら。


 その赤い空を見た瞬間。

 私の頭の奥の記憶の蓋が、ブチッ! と音を立てて弾けたからだ。


 カッ、と。


 脳内へ、前世の古いゲームの記憶が、強烈なフラッシュバックとして走る。


 前世。

 社畜OLだった私が、過労の徹夜明けのぼんやりした頭で、それでも推しへの愛だけで目を血走らせてコンプリートを目指して攻略していた、乙女ゲーム『ルミナス・ロマンス』。

 その本編を完全クリアした後に、おまけとして解放された『ファンディスク(続編)』。

 おまけシナリオ扱いのくせに、本編よりよほど救いのない、鬼畜難易度の『隠し最終ルート』。


 ――大陸全土の空が、不吉に赤く染まる絶望の演出。

 ――各地で強力な魔物が同時多発的に暴走する前兆。

 ――そして、画面中央へ血文字でデカデカと出る、あの禍々しい文字列。


『隠しイベント:魔王復活』


「……ッ」


 私は思わず、息を呑んだ。


 嫌な冷や汗が、背中を伝う。


 嘘でしょう。

 待ってくださいまし。

 だって、そんなもの、本編では「昔、勇者が倒しました」というただの歴史の背景設定で、ファンディスクをやり込んだ廃人だけが到達できる『後日談用の最悪のバッドエンド分岐』ではありませんの。

 攻略対象全員の好感度条件や隠しフラグを、意図的に妙な順番で踏んだ時だけ理不尽に発生する、あの絶望イベント。

 しかも、突入するルートによっては、まともな攻略の対処法すら示されず、大陸が滅亡してゲームオーバーになる『運営の悪意みたいな高難度シナリオ』。


「ルシア」

 クライス様の声が、ひどく近くに聞こえた。

「顔色が悪いぞ。魔力酔いか」

「……」

「あの異常な空の正体を、何か知っているのか」

 私は赤い空を見上げたまま、ギリッと強く唇を噛んだ。


 知っている。

 知ってしまった。

 この、ふざけた赤い空のフラグの意味を。


(うそでしょう……)


 だって私は、もうゲームの面倒な本編も、バカ王太子へのざまぁも、結婚イベントも、教国崩壊の家族ルートみたいなものまで、前世の知識とチートで全部完璧にクリアして乗り越えたつもりでいたのだ。

 ようやく、愛する推しと可愛い子どもたちに囲まれた、一生遊んで暮らせる平和な日常エンディングへたどり着いたのだ。

 それなのに、数年経った今さら。


 今さら、こんな“隠し最終シナリオ(魔王復活)”みたいなものが、強制発動するなんて。


「おかあさま」

 リリアが不安そうに見上げてくる。

「どうしたの? おかおがこわいよ?」

「……」

 私はしゃがみ込み、娘と息子を力強く抱き寄せた。

 その小さなあたたかい命のぬくもりへ触れた瞬間、逆に「絶対に奪わせない」という強い現実感が増す。


 いけない。

 動揺している場合ではない。

 今、この子たちを怖がらせてはいけないのだ。


「大丈夫ですわ」

 私はできるだけ穏やかに、母の笑顔を作って言った。

「少し、昔の嫌なこと(徹夜ゲー)を思い出しただけです」

「嫌なこと?」

 エルが問う。

 その蒼い目は、もう父親と同じ鋭い色で、空の異変を睨みつけてこちらを見ていた。


 私はゆっくりと立ち上がる。

 クライス様も、愛剣の柄に手を置き、黙って私の隣へ並んだ。


 赤い空が、さらにドス黒く濃くなる。

 遠くの森で、鳥の群れが一斉に悲鳴を上げて飛び立つのが見えた。

 領都の方角からも、ただ事ではない人々のパニックのざわめきが風に乗って届いてくる。


 始まっている。

 何かが、確実に。世界の終わり(ゲームオーバー)に向けて。


 私は喉の奥の乾きを飲み込み、絞り出すように言った。


「……これ」

「……」

「ファンディスクの隠しルート」

「……ファンディスク?」

 クライス様が、聞き慣れないオタク用語に眉を寄せる。

 私は、理不尽な空を睨みつけたまま、ハッキリと絶望的な事実を告げた。


「あの赤い空、『魔王復活』の最悪のバッドエンドフラグじゃん……!!」


「…………」


 そのオタクの言葉の意味は、子どもたちには全く分からないだろう。

 でも、長年私と連れ添ったクライス様には、その深刻なニュアンスだけで十分だった。


 彼の目が、鋭く、極寒の殺気を帯びて空を見上げる。

 それから、ごく短く問う。


「魔王、か。神話のおとぎ話ではなく、実在するのか」

「ええ。物理的に」

 私は頷いた。

「しかも、たぶん」

「……」

「世界を滅ぼす、隠し最終シナリオ(ラスボス)ですわ」


 風のない静まり返った庭で。

 血のように不吉に赤い空の下で。

 私たち家族の、せっかく手に入れた束の間の平和は、音もなく新たな絶望の局面へ引きずり込まれようとしていた。


 ああもう、本当に。


 せっかく。

 せっかく推しと子どもたちとの、完璧で穏やかな家族時間を満喫して、老後までのライフプラン(年表付き)まで完璧に立てていたのに。

 今さら「世界の危機です!」だなんて、オタクの空気を読んでいただきたいにもほどがあるでしょう?


 私はゆっくりと、怒りで震える拳を握る。


 胸の奥に湧いたのは、魔王に対する恐怖よりも先に、明確な『限界オタクとしてのブチギレの苛立ち』だった。


 ――私たちの平和な日常(推し活)を邪魔する気ですのね、魔王様。

 いい度胸ですわ。そのフラグごと、物理的に更地にしてやりますわよ。



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