第80話 最強の盾と剣は、愛する家族のために
領地を挙げての大盛況の感謝祭の夜が明け、穏やかな朝が来た。
フェルド辺境伯爵邸の朝の食卓には、いつも通りのあたたかく平和な光が差していた。
窓の外では、祭りの名残の飾りを片づける使用人たちの、活気ある気配がある。
領都の広場の方角からは、まだ遠くに楽しげな笑い声も聞こえた。
昨夜のお祭り騒ぎの余韻が、領地全体へやわらかく残っているのだろう。
そして、我が家の朝の食卓もまた、たいそう平和で尊い空気に包まれていた。
「おかあさま」
リリアが、昨夜の射的でクライス様が取ってくれた『白いうさぎのぬいぐるみ』を片腕に大事に抱えたまま言う。
「これ、きょうもいっしょにごはんたべていい?」
「もちろんですわ」
私はニッコリと、世界一優しい母の顔で頷いた。
「パパが取ってくれた、大事なお友だちですものね」
「やったあ! うさぎさん、おいしいパンですよー!」
その隣では、エルが自分が希望した『黒い鳥の置物』を、自分の椅子の背へそっと立てかけていた。
本人のクールな矜持としては、あくまで“子どもっぽく食卓へ持ち込んだわけではなく、たまたま置く場所がなかったから傍に置いただけ”という体裁らしい。
ええ、分かりますわよ。
そういうお年頃のクーデレですものね。
「エル」
「何? 母上」
「その鳥の置物、あなたを護衛する『見守り席』ですの?」
「……違う。たまたまそこにあっただけ」
「でも、きちんと倒れないように、パンくずで土台の角度を調整していらっしゃいますわよ?」
「母上」
「何ですの」
「朝から、オタクの観察眼が細かすぎます。やめてください」
「愛ですもの。母の目は誤魔化せませんわよ」
「そういう問題じゃないです」
ああもう。
この“少し呆れながらも、照れ隠しで完全には否定しきらないクーデレな反応”、本当にクライス様に似てきましたわね。DNAの奇跡ですわ。
私は朝から、だいぶ満たされていた。
昨夜のお忍びデート。
ぬいぐるみを抱えて無邪気に笑う子どもたち。
射的で全弾命中させて、私に少しだけ得意げだったクライス様のドヤ顔。
それらの致死量の尊さの供給が、まだ胸の奥へたっぷり残っている。
けれど、同時に。
私はあたたかい紅茶を飲みながら、一つ、静かに噛みしめてもいた。
――神聖教国という巨大な権威の脅威は、完全に叩き潰して終わらせた。
――でも、それは一つの“終わり”であると同時に、私たち家族の“再確認”でもあったのだと。
つまり。
私たち夫婦は、この愛する家族の平和を守るためなら、神だろうが国だろうが、相手が誰であれ『どこまでも情赦なく物理的にやれる(更地にする)』のだという、強い覚悟の再確認である。
◇ ◇ ◇
「母上」
食後、エルが珍しく、自分から私の執務机のところへトコトコと来た。
「何かしら」
私は書きかけの領地の視察予定表をパタンと閉じて、愛する息子へ真っ直ぐに向き直る。
「ちょっと、聞きたいことがあるんだけど」
「まあ。何でも聞いてちょうだい」
「昨日」
エルは少しだけ、大人びた顔で言葉を選んでから続けた。
「お祭り、すごく楽しかった」
「ええ」
「すごく、幸せだった」
「それは何よりですわ」
「でも」
彼は、 எட்டு歳とは思えないほど真面目な、騎士のような顔で私を見る。
「もし、また教国みたいに、ぼくたちの平和を壊そうとする悪い人たちが来たら」
「……」
「昨日みたいな、みんなが笑ってる楽しい時間って……いつか、なくなっちゃうのかな」
私は、しばらく息子のその不安げな顔を見つめた。
ああ。
そうですわね。
この賢い子は、教国との一件を経て、もう気づいて分かっているのだ。
平和は、勝手にそこへあるものではないと。
誰かが血を流して守らなければ、いとも簡単に理不尽に奪われることもあるのだと。
だからこそ、自分の無力さに不安になる。
当然のことだ。
私はゆっくりと立ち上がり、息子の目線に合わせてドレスのまましゃがみ込む。
ちょうどその時、扉の後ろから心配そうに覗いていたリリアも、うさぎを抱えてそろそろとこちらへ寄ってきた。
「リリアも、おはなしききたい」
「ええ、一緒に聞いてくださいまし」
私は二人へ向き直り、その小さな肩を優しく包む。
「よくお聞きなさい」
「はい」
「うん」
その返事が、あまりにも素直で真っ直ぐで、私のオタクの胸が少しだけ感動で熱くなる。
「確かに」
私は静かに、真実だけを言った。
「これから先も、教国のような理不尽で面倒なことは、何度でも起こるかもしれませんわ」
「……」
「私たちが大事にしている領地の豊かさや、あなたたちのような特別な才能を、羨んだり、身勝手に奪いたがったりする人は、きっとまた現れますわ」
「……」
「でもね」
私は、世界で一番強くて優しい母の笑顔で微笑んだ。
「それで、昨日みたいな楽しい時間がなくなることは、絶対にありませんわ」
エルの蒼い目が、私の言葉の真意を探るように、真っすぐこちらを見る。
リリアも、息を止めるみたいに私の言葉を待っていた。
「なぜなら」
私は二人の小さな手を、それぞれ私の両手でそっと、力強く握る。
「お父様とお母様が、あなたたちの盾と剣になって、絶対にすべてから守るからです」
「……」
「このあたたかいお家も」
「……」
「この豊かな領地も」
「……」
「あなたたちの可愛い笑顔も」
「……」
「お祭りの楽しい時間も、美味しいおやつも、そのぬいぐるみも、全部ですわ」
リリアが、パッとヒマワリのように顔を明るくした。
「ぜんぶ!?」
「ええ、全部」
「あまいわたあめも?」
「当然ですわ。1ミクロンも奪わせません」
「やったー!」
ああ、可愛い。
本当に、少しでも安心するとすぐ顔へ出るのですから、たまりませんわね。
エルは妹のように、そこまで分かりやすく喜ばなかった。
けれど、小さくホッとしたように息を吐いて、それから、父と同じ深い決意の目で頷く。
「……そっか。父上と母上がいれば、絶対だね」
「ええ」
「じゃあ」
彼は、少しだけ照れくさそうに、でもハッキリと視線を上げて言った。
「ぼくも、早く守れる側になりたい」
「ッ……」
だめですわね。
その言葉、あまりにもオタクの胸に刺さって尊いではありませんか。
私は思わず、限界を迎えてエルの小さな肩を力強く抱き寄せた。
リリアも「リリアもー!」とそのまま巻き込まれて、気づけば三人でギュウギュウにくっついて団子になっている。
「おかあさま、苦しいです! ぎゅうぎゅうです!」
「ママの愛ですわ」
「また、おたくのほっさ?」
「またです。毎日です」
エルが、もう「母上には敵わない」と諦めたみたいな声で言った。
でも、ちゃんと抵抗はせずに私の腕の中に収まっている。
ええ。
そのクーデレな辺りも含めて、やはり最高に良い子ですわね。
◇ ◇ ◇
その日の午後、私たちは家族四人で、屋敷の裏手の小高い丘へ上がった。
特別なモニュメントがある場所というわけではない。
けれど、広大なフェルド領地の端まで一望できる、私の大好きな場所だ。
黄金に揺れる豊かな畑。
澄んだ水の流れる川。
活気ある温泉街の湯気。
遠くに見える、フル稼働しているお菓子工房の屋根。
新航路へ向けて街道を行き交う無数の荷馬車。
そして、秋へ向かう高く澄んだ空の広さ。
「きれい」
リリアが、風に銀髪を揺らしながらポツリと言う。
「ええ」
私は満足げに頷いた。
「とても。私たちの宝物ですわね」
エルは少し離れた位置から、領都の方角を真剣な目で見ていた。
その「いつか自分がここを治める」という責任感を持った横顔が、また少しだけ大人びて見える。
ああ、子どもの成長というのは本当に早いですわね。
このままでは、うっかりしている間に身長まで抜かれてしまいそうですわ。
「ルシア」
私の隣へ並んで立ったクライス様が、低く甘い声で呼ぶ。
「何ですの、クライス様」
「さっきから、黙って考え込んでいるな」
「少しだけ」
「何を」
私は、心地よい風の吹く方へ目を向けたまま、静かに答えた。
「この景色を」
「……」
「私たち、本当によく守り抜いたものだな、と」
クライス様は、何も言わない。
でも、その無言の沈黙は否定ではない。確かな肯定だ。
「最初は」
私は少しだけ、懐かしむように笑う。
「王都でバカ王子に婚約破棄されて、辺境へ下って『推しの側仕え(メイド)になれればオタクとして万々歳だ』と思っていたのですけれど」
「……」
「気づけば、その推しが私の夫になって」
「……」
「こんなに可愛い、チート遺伝子の子どもが二人いて」
「……」
「貧しかった領地まで、こんなに豊かで賑やかになって」
私はフッと、幸せなため息を吐いた。
「人生、本当に何が起きるか分からないものですわね」
「そうだな」
クライス様の声は低く、でもどこまでもやわらかかった。
その時、リリアが綺麗な花を摘もうとして足元を滑らせて転びそうになり、エルがすぐにサッと手を引いて助けた。
二人で顔を見合わせて、「あぶなかったね」とクスクス笑う。
ああ。
それですわ。
そういう、平和で何でもないありふれた瞬間が。
私にとって、何より尊いのだ。
「クライス様」
「何だ」
「私」
私はそっと、愛する夫の方を真っ直ぐに向いた。
「やっぱり、これだけは何があっても、誰にも譲れませんわ」
「……」
「この美しい景色」
「……」
「我が家の、尊い平和」
「……」
「あなたと」
私は、少しだけ視線を落として二人の子どもを見る。
「愛する、お子たち」
クライス様の目が、ゆっくりと獰猛に、そして優しく細まる。
その蒼い色の中に、氷の奥で燃えるような静かな熱が灯る。
「俺もだ」
「……」
「世界中を敵に回しても」
「……」
「お前たちだけは、俺の命に代えても守り抜く」
その一言は、短い。
でも、あまりにも重くて。
真っすぐで。
限界オタクの胸の奥へ、そのまま深く、深く落ちてきた。
私は、嬉しさで少しだけ目元をハンカチで押さえた。
「……ズルいですわね」
「何がだ」
「そういう反則的な台詞を、サラッと言うところが」
「俺の魂からの本音だ」
「ええ」
私は涙混じりに笑ってしまった。
「そこが一番、最高にズルいのです」
クライス様の大きな手が、そっと私の肩を抱く。
ごく自然に。
夫婦として当然みたいに。
その分厚い胸の腕の中で、私はもう一度、領地を見渡した。
広い空。
豊かな畑。
子どもたちの笑い声。
あたたかい帰るべき家。
そして、私を愛してくれる大事な人たち。
全部。
全部、絶対に守り抜く。
それは母として当然で。
妻として当然で。
そして、この世界で一番幸せな『限界オタク』としても当然の使命なのだ。
「おかあさま!」
リリアがパタパタと走ってくる。
「これ、きれいです! おかあさまにプレゼント!」
差し出されたのは、小さな白い野花だった。
「まあ、ありがとう」
私はしゃがみ込んで、それを受け取る。
すると、エルも少し遅れて歩いてきて、ポツリと、確かな決意で言った。
「母上」
「何かしら、エル」
「ぼくも」
「ええ」
「守るよ」
「……」
「父上みたいに、誰より強くなって」
「……」
「リリアも、この領地も、母上も」
ああ、もう。
私はとうとう、オタクの涙腺が崩壊してその場でしゃがみ込み、二人をまとめて力いっぱい抱きしめた。
本当に。
どうしてこう、この親子の遺伝子は、尊い言葉ばかり真っすぐ私の心臓に投げてくるのでしょうね。
「おかあさま、またないてるの?」
「またですわ。涙が止まりませんわ」
「へんなのー!」
「ええ、でも」
私は涙混じりに、満面の笑みで笑う。
「ママは今、世界で一番嬉しいのですもの」
クライス様が、その様子を呆れたように見下ろしていた。
静かな目で。
でも、どこまでも深く、やさしい目で。
私は子どもたちを抱えたまま、立ち上がって夫を見上げる。
「クライス様」
「何だ」
「改めて、夫婦の誓いを立ててもよろしくて?」
「……」
「ええ」
子どもたちも、その親の真剣な空気を感じたのか、自然と私たちの間へ並んで手を繋いだ。
「私は」
あたたかい風の中で、ゆっくりと宣言する。
「何があっても、神が相手でも、この幸せな景色を守り抜きますわ」
「……」
「あなたと」
「……」
「この子たちと」
「……」
「フェルド領の皆様と」
「……」
「この、最高に尊い日常を」
クライス様もまた、静かに、深く頷いた。
「俺も誓う」
「……」
「俺がこの国で最強の盾であり」
「……」
「誰より鋭い最強の剣である理由は、ただ一つだ」
「……」
「お前たち、愛する家族を守るためだ」
丘の上を、秋の心地よい風が吹き抜けた。
その風の中で、リリアはキャッキャと無邪気に笑い。
エルは少しだけ照れた顔で、それでも真っすぐ、未来を見据えてこちらを見ていた。
私は胸の奥へそっと手を当てる。
波乱万丈の最後に残ったのは、やっぱり極めてシンプルなオタクの答えだった。
私たち夫婦は、強い。
でも、それは世界を支配したいからでも、権力者として偉くなりたいからでもない。
ただ、自分たちの手の届く範囲の『大切なもの(推し)』を守りたいから、強いのだ。
そして、守りたいものは、今や私一人ではない。
世界で一番愛する、最推しである夫がいて。
推しの奇跡の遺伝子を受け継いだ、最高に尊い子どもたちがいて。
帰るべきあたたかい家があって。
守るべき豊かな領地と民がいる。
でしたら。
「……もう、誰が相手でも、負ける気が1ミクロンもしませんわね」
私はポツリと、無敵の笑みで呟いた。
クライス様が、小さくフッと笑う気配がした。
「今さらだな。俺たちは最初から最強だ」
「ええ」
私は深く頷く。
「今さらでしたわ」
子どもたちが、両側から私とクライス様の手をギュッと握る。
その小さな、けれど確かな命のぬくもりに、私は幸せに目を細めた。
最強の盾と剣は、ただ愛する家族を守るためにある。
そしてその家族の強い絆は、神聖教国の崩壊という脅威を経て、さらに強く、さらに深く、絶対にほどけないように結ばれた。
――ええ。
限界オタクの幸せ度MAX、これ以上なく上々(ハッピーエンド)ではありませんこと?
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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