第73話 「やられたら100倍返しです」最強夫婦、神聖教国へカチコミ
神聖教国による身の程知らずな夜襲が、寝起きのクライス様と木剣一本によって、文字通り手も足も出ずに『物理的に叩き潰された』翌朝。
フェルド辺境伯爵邸の広間は、妙に静かだった。
いえ。
正確には、“静かに見えて、その実、空間の至る所で致死量の怒りと殺意が底で煮え滾っている”空気で満ちていたと言うべきだろう。
広間の中央には、昨夜捕縛した黒装束の刺客たちが、床に正座でズラリと並べられている。
教国の裏仕事(汚れ役)を担う暗殺部隊。
聖騎士団の選りすぐりの精鋭たち。
そして、その最前列で猿轡を外された、指揮役と思しき大柄な男。
全員、魔力封じの枷で後ろ手に縛られている。
だが物理的に縛るまでもなく、全員がすでに『完全に心が折れて絶望している』顔だ。
無理もない。
絶対の自信を持って完璧な夜襲を仕掛けた先で、寝間着姿で不機嫌そうな辺境伯に、ただの木剣一本で遊ばれるように全員叩き伏せられたのだから。
「……で?」
私は、長椅子へ優雅に足を組んで腰かけたまま、氷の微笑で問いかけた。
「どなたの命令かしら」
正面に跪かされた隊長格の男が、屈辱にギリッと唇を引き結ぶ。
だが、そのチンピラのような口封じの沈黙に何の意味もないことは、もう本人が一番よく分かっているはずだ。
なぜなら。
「答えた方が、身体は楽だぞ」
私のすぐ横に立つクライス様が、地鳴りのように低く言ったからである。
その感情のない一言だけで、広間の空気が一段、絶対零度に冷えた。
本当に。
比喩ではなく、花瓶の水が凍る音がしたのである。
男の強張った肩が、ビクッ! と大きく震える。
他の刺客たちに至っては、見るからに恐怖で顔色が土気色になり、ガタガタと震え出している。
ああ、分かりますわよ。
昨夜の恐怖の記憶がまだ脳裏に新鮮なのでしょうね。
寝起きのパジャマ推しによる圧倒的で理不尽な制圧劇は、それはそれはトラウマになるほど強烈だったでしょうとも。
「……教皇庁の、西方支部だ」
やがて、隊長格が恐怖に抗えず、血を吐くように絞り出すように言った。
「命令は、大司祭補佐のセラフィオン様より下された」
「ほう。理由は?」
私は扇をピシャリと閉じて続ける。
「お前たちが不当に盗んだ、教国の裏帳簿の奪還」
「それだけ?」
「……」
「お話しなさい。昨日の昼間、私たちが絶対に渡さないと断った……『子どもたち』は?」
男の喉が、引きつったようにゴクリと鳴る。
ああ。
そこですわね。
そこが私にとって、一番大事なポイントなのですわ。
「……必要なら」
男は、クライス様の殺気に耐えきれず、視線を伏せたまま震える声で言う。
「異端から“御子”を保護(拉致)し、教国へ連行することも、任務に含まれていた」
「…………」
その瞬間。
私の中で、何かの太い糸がブチッと完全に切れた。
あらまあ。
駄目ですわね。
昨日の夜襲の時点でも、寝込みを襲われて相当腹は立っておりましたけれど、改めて『子どもを誘拐する気だった』と本人たちの口から言葉にされると、もう理性が駄目だ。
本当に、私の限界オタクとしての、いえ『母親』としての逆鱗のストッパーが完全に吹っ飛びますわ。
「必要なら?」
私は扇を握り潰しそうな力で握り、静かに、魔王のように問い返した。
「我が子を、親の腕から無理やり攫うことが?」
「……」
「“御子”の保護、ですって?」
私はニッコリともせず、軽蔑しきった顔で鼻で笑った。
「薄汚い誘拐犯が、神の御名を使ってふざけないでくださる?」
ビキリ、と。
私が座る長椅子の肘掛けへ置いた指先から、魔力の暴走で太い氷柱が這った。
隊長格の顔が、死を悟ってヒクッと引きつる。
隣でクライス様は何も言わない。
ただ、その『いつでも男の首を刎ねられる』という沈黙が、私の怒り以上に十分に恐ろしい。
「自分たちの横領の証拠である帳簿を奪う。ついでに目撃者の私たちを殺す」
私は一つずつ、冷酷に指を折る。
「それでも足りなければ、あんなに可愛い小さな子どもたちを攫って洗脳する」
「……」
「すべては、神という便利な大義名分を使って」
「……」
「それで、なお」
私は蔑むように目を細めた。
「まだ“そちらが神の代行者で、絶対的な正義”のつもりでいらっしゃるのかしら。生ゴミ以下の腐った思考回路ですわね」
男は何も答えられず、ただ震えていた。
当然だ。
答えられるはずがない。
自分たちがどれほどクズで腐っているか、昨夜から嫌というほど圧倒的な武力で思い知らされているだろうに、それでもなお“神意”などと喚けるほど、この男の面の皮は厚くなかったらしい。
「ルシア」
クライス様が、静かに低く呼ぶ。
「何ですの」
「少し、魔力が漏れて怒りすぎているぞ」
「無理ですわ」
私は即答した。
「だって、この生ゴミどもは、あろうことか『うちの可愛い天使たち(推し)』を狙ったのですもの。微塵も許せません」
「……」
「やられたら100倍(致死量)返しが、我が家の方針でしょう?」
「いつ決まった」
「今、たった今、私がここで法律として決めましたわ」
クライス様は、少しだけ呆れたように小さく息を吐いた。
だが、止めはしない。
止める気も、1ミクロンもないのだろう。
多分、向こうも私と同じか、それ以上に、肚の底で同じ沸点の怒りを抱えているのだ。
◇ ◇ ◇
胸糞の悪い尋問が終わった後。
私はすぐに、子どもたちの部屋へ向かった。
エルもリリアも、もう起きて朝の着替えを済ませていた。
けれど、昨夜のことがある。
さすがに今日は、お勉強はお休みにして、少しだけ多めに甘やかしてよろしいだろう。
「おかあさま」
リリアが寝台の上から、少し不安そうに身を乗り出す。
「きのうの、よるのわるいひとたち、もういない?」
「ええ」
私は娘のやわらかい額へ、安心させるように優しく口づけして触れた。
「もう大丈夫ですわ。ママとパパが全部お掃除しましたからね」
「ほんと?」
「本当」
「ぜったい?」
「絶対ですわ」
リリアは、ホッとしたように小さく息を吐いて、それから私へ短い両手を伸ばした。
私はそのままギュッと抱き上げる。
あたたかい。
とてもやわらかい。
ああもう、本当に。
この無垢な子たちへ不純な手を出し、その心に少しでも恐怖を植え付けた連中、今さらながら万死(殲滅)に値しますわね。
エルは、少し離れた窓際に立っていた。
けれど、いつもの大人びた落ち着いた顔の奥に、少しだけ『自分が何もできなかった悔しさと緊張』が残っているのが分かる。
「エル」
「……はい」
「昨日の夜のこと」
「……」
「怖かった?」
息子は少しだけ、下を向いて黙っていた。
それから、嘘をつかずに正直に頷く。
「少しだけ」
「ええ」
「でも」
彼は力強く視線を上げた。
「父上が前に立ってくれたから、大丈夫だと思った」
「……」
「母上も、二階からずっと結界を張ってくれていたし」
私の胸の奥が、ジンと熱くなる。
私はリリアを抱いたまま、エルの前へ歩み寄った。
そして、そっとその銀灰の髪を優しく撫でる。
「ありがとう、エル」
「……」
「お父様とお母様を、信じてくれて」
「当然です」
エルは、少しだけ誇らしげな父親みたいな顔で言った。
「だって、世界で一番強くて格好いい、ぼくの父上と母上だし」
「ッ……!」
いけませんわね。
その親への真っ直ぐな100パーセントの信頼、あまりにもオタクの胸にクリティカルヒットして。
母として、大変嬉しい。
そして限界オタクとしても、息子のその凛としたクーデレな言い回し、大変によろしいですわね。
「おかあさま」
リリアが私の肩へスリスリと頬を寄せる。
「もう、こわいひとたち、こない?」
私は一瞬だけ、答える前に黙った。
ここで安易に“もう来ない”と断言するのは、親として甘い。
敵の末端を潰しても、親玉はまだのうのうと教国にいるのだ。
一度来たなら、私たちが生きている限り、二度目も三度目も、もっと卑劣な手で来る可能性は十分にある。
「……もう、ここへは来させません」
だから、そうハッキリと答えた。
「もし万が一、また来ようとしたら」
私は娘を抱きしめる腕と、エルの髪を撫でる手に力を込める。
「今度は、あちらが来る前に、こちらが先に『向こうのお家』を終わらせ(更地に)してやりますわ」
「おわらせる?」
「ええ。全部ぶっ壊します」
その時、開いたままの部屋の扉の後ろから、低い声が落ちた。
「その通りだ」
振り返れば、クライス様が頼もしく腕を組んで立っていた。
子どもたちは、パッと花が咲いたように顔を明るくする。
「おとうさま!」
「父上!」
クライス様は部屋へ入ると、私たちの前に背を屈めてしゃがみ込んだ。
「エル、リリア」
「はい!」
「お前たちを狙う愚か者は、今後もまた出るかもしれない」
「……」
「だが」
蒼い目が、一切のブレなく真っすぐ二人を見つめる。
「その前に、お前たちに害をなすゴミは、俺がすべて片づける」
「……」
「だから何も心配するな。俺たちはお前たちの親だ」
短い。
けれど、強者の絶対的な盾として、十分すぎる重い言葉だった。
エルが小さく、尊敬の眼差しで力強く頷く。
リリアも、コクンと頷いて、ようやく顔から昨夜の恐怖の強張りが完全に抜ける。
ああ。
ええ。
これでよろしい。
もう、屋敷の中で盾を構えて守る(防衛戦)だけでは全く足りない。
可愛い推したちの日常を守るためには、脅威の根本そのものを、直接物理的に断つべき時なのだ。
◇ ◇ ◇
その日の午後。
私とクライス様は、執務室で重い空気の中で向かい合っていた。
机の上には、完全ハッキングした神聖教国の裏帳簿のコピー。
捕縛した暗殺部隊の自白調書。
経済封鎖に関する、商人たちからの証言リスト。
そして何より、子どもたち誘拐の指示が含まれていたという決定的な記録。
反撃の証拠は十分。
正当防衛の理由も十分。
そして、こちらの我慢(堪忍袋の緒)も、もう十分にブチ切れていた。
「ルシア」
クライス様が、静かに凄絶な殺気を纏って言う。
「お前は、どうしたい」
「決まっておりますわ」
私は即答した。
「神聖教国の本拠地(総本山)へ、直接伺います」
「……」
「たった二人で」
「……」
「正面から、堂々と」
クライス様の目が、スッと獰猛に細くなった。
「奇遇だな。俺と全く同じ意見だ」
「でしょうね」
私はニッコリともせず、冷酷に笑った。
「子どもたちを狙われて、“しばらく警戒して様子を見ましょう”などと生ぬるいことを言っていられませんもの」
「ああ」
「しかも、盗まれた裏帳簿を奪い返しに夜襲までかけてきた」
「……」
「ここまでやらかして、まだ向こうがこちらの反撃を恐れて、勝手に手を引くと思います?」
「思わん。奴らは傲慢だ」
「私もですわ。叩き潰すしかありません」
私は机の上に、大陸全土の一枚の大きな地図をバサリと広げた。
神聖教国本拠地。
教皇のいる中央大聖堂。
教皇庁。
聖騎士団の総本部。
莫大な裏金を溜め込んでいる財務神殿。
前世の乙女ゲームの知識と今回の裏帳簿から、主要な保管庫と兵の動線まで、ざっと私の頭に完璧に入っている。
「まず、絶対に狙って叩き潰すべきは三つ」
私は赤いペンで、教国の中心に指を置く。
「一つ、教国が誇る“神の加護による絶対安全”という物理的な幻想(結界)」
「……」
「二つ、教皇庁上層部が隠し持つ、汚い裏帳簿の原本と隠し資産」
「……」
「三つ、連中が都合よく振りかざす“神託”という絶対的な権威」
「すべて崩すか」
「ええ」
私は扇を広げて冷たく笑った。
「一つ残らず、まとめて更地にいたしますわ」
クライス様はしばらく、私の引いたえげつない侵攻ルートの地図を見ていた。
やがて、短く問う。
「子どもたちはどうする」
「当然、連れて行きません」
私は即答した。
「今回は、機動力重視の夫婦二人(最強の矛と盾)だけです」
「ああ」
「お子たちは、この領地でお留守番です」
「ハインツに命じて、屋敷の精鋭護衛を通常の三倍にする」
「ええ」
「お前の防護結界も、三重に張り直せ」
「念のため、致死量のトラップを仕掛けた『五重の結界』にいたしますわ」
「……いくらなんでも多いな」
「我が子の命がかかっておりますもの。当然です」
「……そうだな。俺も賛成だ」
しばし、沈黙。
でも、その沈黙は作戦に対する迷いのものではなかった。
最終確認だ。
お互いが、同じ『親としての殺意と覚悟』でいるかどうかの。
「クライス様」
「何だ」
「少し、領主夫人らしからぬ物騒なことを申し上げますわよ」
「言ってみろ」
「今の私」
私はゆっくりと、魔王の顔で言った。
「だいぶ本気で、あのふざけた教皇庁を物理的に踏み潰したい気分ですの」
「……」
「私の子どもたちの平和な日常を脅かされて」
「……」
「法に則って大人しく黙っていられるほど、私はできた大人(聖女)ではございません」
クライス様の口元が、ほんの少しだけ、この上なく恐ろしく好戦的に上がる。
「奇遇だな」
「まあ」
「俺も、奴らの首をすべて刎ねたくてウズウズしている」
ああ。
はい。
そうでしょうとも。似た者夫婦ですわね。
私はそこで、ようやく少しだけ肩の張っていた力を抜いた。
だって、もう1ミクロンも迷う理由がない。
うちの可愛い子たちを“神のもの”だと妄言を抜かし、不当に教国の管理下へ置くと命じ、領地に陰湿な経済封鎖を仕掛け、あろうことか暗殺の夜襲までかけたクズどもだ。
ここまでコケにされて、まだ受け身の防衛でいるなど、親(限界オタク)として論外でしょう?
「では」
私はスッと立ち上がる。
「反撃の準備を」
「始めるか」
「ええ」
私は真顔で、深く頷いた。
「これ以上、愛する推したちの平和な日常を脅かされては、たまりませんもの」
◇ ◇ ◇
カチコミ出発前の夜。
私は寝る前に、子どもたちの寝顔を見に行った。
エルは静かに、規則正しい寝息を立てて眠っていた。
けれど、少しだけ眉間にシワが寄っている。
多分、日中は気丈に長男として振る舞っていても、まだ完全には昨夜の夜襲の緊張が解けていないのだろう。
私はそっと、そのあたたかい額を撫でた。
「大丈夫ですわ」
小さな声で、呪文のように囁く。
「あなたのお父様とお母様は、こういう敵を排除する時にこそ、本気を出しますもの」
隣の部屋では、リリアがお気に入りのうさぎのぬいぐるみを抱きしめてスヤスヤと眠っている。
無防備で、やわらかくて、本当に天使みたいだ。
私はそのピンク色の頬へそっと触れた。
「少しだけ、お留守番をお願いいたしますわね。すぐに終わらせて帰りますから」
「……ん、おかあさま……」
寝言みたいな小さな甘えた声。
それだけで、愛おしさで胸が締めつけられる。
ああ。
やっぱり。
この子たちの寝顔を曇らせた連中、絶対に許しませんわ。
振り返ると、廊下の向こうにクライス様が静かに立っていた。
暗い廊下でも、その逞しい姿勢は真っ直ぐだ。
目が合う。
それだけで、何も言わずとも全く同じ気持ち(殺意)だとハッキリ分かった。
私は静かに歩み寄る。
「準備は」
「終わった。いつでも出られる」
「子どもたちの防護結界も」
「俺が確認した。問題ない。完璧だ」
「では」
「……ああ」
クライス様が、当然みたいに私の腰をグッと引き寄せた。
その腕の強さが、今夜はいつもより少しだけ力がこもって重い。
多分、向こうも同じだ。
私と同じくらい。
いや、もしかしたら父親としてそれ以上に、静かに、深く怒っている。
「ルシア」
「はい」
「明日」
「ええ」
「俺たちの手で、すべて終わらせるぞ」
「もちろんですわ」
私はその広い胸へ軽く額を寄せた。
目を閉じる。
怒りはある。
冷たく研ぎ澄まされた怒りだ。
でも、その芯にあるのは、結局たった一つだけ。
守りたい。
このあたたかい家を。
この豊かな領地を。
この愛する人を。
そして、あの子たち(宝物)の未来を。
「やられたら」
私は小さく、胸の中で呟いた。
「100倍返しですわよね」
「……少ないな」
「まあ」
「1000倍にして、もっと絶望させて返す」
「……ッ」
私は思わず、嬉しくなって顔を上げた。
「クライス様」
「何だ」
「今のその容赦のなさ、だいぶ好きですわ」
「そうか」
「ええ。惚れ直しました」
「なら、明日その目に焼き付けて覚えておけ」
「もちろんですとも。特等席で拝見いたしますわ」
翌朝。
この国最強の『モンスターペアレント夫婦』は、神聖教国の本拠地へ向けて静かに動き出す。
これは、ただの政治的な報復ではない。
我が子を狙い、我が家の尊い日常を脅かした愚か者どもへ物理的に突きつける、親としての『絶対的な最終回答(死の宣告)』だ。
――ええ。
神の名を盾にしたところで、私たちが1ミクロンでも容赦すると思ったら大間違いでしてよ?




