第54話 宣戦布告。逆ギレした隣国の大軍が辺境領地に迫る
水源へ致死毒を撒こうとした隣国の工作員三名が、私のチート結界によって無様に捕縛された、その翌朝。
フェルド辺境伯爵領の屋敷の空気は、前日までとは全く別の意味で、ピリッと冷たく張り詰めていた。
屋敷の地下に新設した防音の拘束室では、夜通しの取り調べ(尋問)が行われていた。
もっとも、“夜通し”といっても、そこまで時間はかからなかったのだけれど。
「……あっさりとゲロ(自白)しましたわね」
私は地下室から上がってくるなり、呆れたように小さくため息を吐いた。
隣を歩くクライス様が、殺気を纏ったまま低く問う。
「全部か」
「全部とは申しませんけれど、言い逃れを塞ぐには十分ですわ」
私は手元の調書へ、冷たい視線を落とす。
「工作員三名、いずれもグランゼル皇国の『西方辺境警備隊』の所属経験あり」
「……正規の軍人か」
「ええ。表向きは素行不良による除隊扱いですが、実態は皇室直属の汚れ仕事(暗殺・工作)を担う潜入員です」
「命令系統は」
「あの傲慢なヴィルヘルム皇太子の側近、レオン・アルヴェルトの名がハッキリと出ました」
「……」
「あと」
私は一拍置いてから、調書の一行をペンでトントンと憎々しげに叩く。
「“香水の甘い匂いのする、金髪の女”から、我が領地の内部情報と、私の行動パターンについて事前に細かく指示を受けた、と」
「ミレーヌだな」
クライス様の声が、絶対零度を超えてひどく平坦になる。
ええ、もう1ミクロンの疑いようもございませんわね。
プロの工作員たちは、最初こそ訓練通りに口を割らなかった。
だが、“どの猛毒をどの小瓶へ分け、誰がどの時間に、どの岩陰から水へ混ぜる手筈だったか”まで、私の結界のログ解析でこちらが先にスラスラと並べてしまえば、後は早い。
しかも完璧な現行犯逮捕で、動かぬ毒物も押収済み。
彼らに言い逃れの余地など、最初から全くなかったのだ。
「目的は」
クライス様がまた問う。
「主水路の汚染による、領地機能の完全な麻痺です」
私は淡々と答える。
「飲用、製菓工房の生産ライン、温泉利用者。その全部へ同時に影響を出し、領都全体に致命的な大混乱と不信感を生む」
「……」
「その隙に乗じて、視察団を名乗る連中が“治安維持と救済”を名目に屋敷と工房を武力で押さえ、必要があれば私を『保護』という形で隣国へ連れ去って囲う、と」
「保護、だと」
クライス様が、鼻で嘲笑う。
氷の欠片みたいな、ひどく冷たく残酷な笑いだった。
「強奪と拉致の、都合のいい言い換えだな」
「ええ」
私はニッコリともせず、無表情に頷く。
「三流の悪役らしくて、大変分かりやすいですわね」
しかも、だ。
調書の最後の一行には、もっと私の神経を逆撫でする、吐き気のする文言があった。
――“あの辺境伯は妻に異常に執着しているため、女を奪って動かせば、奴は発狂して領地は簡単に崩れる”。
私はバタンと調書を閉じた。
指先から、限界オタクとしての静かでドス黒い怒りが満ちていくのが分かる。
「……ミレーヌ」
そう呟くと、胸の奥がひどく冷えた。
「あの女、本当に芯の髄まで、最後まで浅ましいですこと」
「……」
「自分が“誰か権力のある男へ媚びて寄りかかって”しか生きられない中身のない人間だから、私とクライス様の絆も全部、ただの“依存と執着”にしか見えないのですわ」
「だろうな」
クライス様の返答は短い。
だが、その短さの中に、底冷えするような凄まじい怒気があった。
私は調書を小脇に抱え直した。
「さて」
「何だ」
「これで、あの傲慢な隣国皇太子殿下を、のんきに客間へ放置しておく理由がなくなりましたわね」
「表へ引きずり出すか」
「ええ」
私はゆっくりと、邪悪に笑った。
「せっかく“友好的な視察団”としてお越しになったのですもの。昨夜の『素晴らしい成果』について、朝食の前にキッチリとご報告(論破)差し上げませんと」
◇ ◇ ◇
朝の客間は、妙に静かだった。
ヴィルヘルム皇太子は、昨夜までの高慢な余裕をまだ崩していないつもりらしい。
濃紺の豪奢な外套を整え、まるでこれから優雅な朝食会へでも向かうような顔で、ふんぞり返って上座の椅子へ腰かけていた。
だが、側近のレオンはその後ろで、工作員からの定時連絡が途絶えたせいか、ひどく疲れて焦った目をしている。
そして。
部屋の隅。
半ば侍女のような格好へ身をやつした女が、身分を隠すように目深にヴェールを下ろして立っていた。
「……本当に、ノコノコとついていらっしゃいましたのね」
私はその女を見て、静かに、心底軽蔑したように呟いた。
女の肩が、ピクリと不自然に揺れる。
ヴェールの奥の顔までは見えない。
だが、その場に漂うあの安っぽく甘ったるい香水で、もう十分だった。
「何のことだ。朝から不躾だな」
ヴィルヘルムが、わざとらしく顎を上げる。
「ずいぶん物々しい顔をしているな、クライス・フェルド」
「物々しいのはそちらでしょう」
クライス様の代わりに、私が一歩前に出て答えた。
「夜中にコソコソと、我が領の命である水源へ工作員を送り込んでおいて」
「……は?」
ヴィルヘルムが、わずかに目を細める。
「何の冗談だ」
「冗談ではございませんわ」
私は手元の調書を、ドン! と乱暴に客間の机へ投げ置いた。
「昨夜、水源に猛毒を撒こうとした工作員三名。私の結界により、現行犯で確保」
「証拠の毒物も、すべて押収済み」
「所属と命令系統も、早朝までに完全に自白」
「ついでに」
私は隅で震える女へ、氷の目を向けた。
「そちらの『ミレーヌ様』の姑息な関与も、調書にだいぶ綺麗に出ておりますわよ」
ヴェールの下で、ヒュッ、と息を呑む音がした。
ヴィルヘルムの目が、一瞬だけ鋭くその女へ動く。
だが、すぐに平然を装って私たちへ向き直る。
「くだらんな」
男は鼻で笑った。
「何者かが、勝手に我が国の名を騙って動いただけだろう」
「まあ」
私はコテンと首を傾げた。
「では、そちらのレオン殿の側近の名までハッキリと出たのは、偶然ですの?」
「野蛮な拷問でもして、無理やり言わせたのではないか?」
「そのような野蛮な必要は1ミクロンもございませんでしたわ」
私はニッコリと微笑んだ。
「皆様、逃げ場がないと悟った瞬間、想像以上にペラペラと口が軽かったものですから」
レオンの顔色が、また一段、死人のように悪くなる。
その時、隅の女――ミレーヌが、ついに耐えきれないように金切り声を上げた。
「そ、それは嘘ですわ!!」
「…………」
「ルシアが、ルシアが私を陥れるために嵌めたんですのよ! この女、昔からそうなんです! すぐ自分を被害者にして、人を悪者にして――」
「ミレーヌ」
私が絶対零度の声で静かに名を呼ぶと、女のヒステリックな声がピタリと止まる。
ゆっくりとヴェールを跳ね上げたその顔は、懐かしいほどに、胸の悪くなる顔だった。
手入れの行き届いていない薄い金髪。
焦りを隠すための厚塗りで甘ったるい化粧。
自分は可哀想なのだと被害者ぶった、同情を引く目。
けれど、その奥には、今の私の満ち足りた姿を見つけた瞬間から、ドス黒く剥き出しの敵意と嫉妬が燃え盛っている。
ああ、本当に。
追放されても、何一つ成長しておりませんのね。
「お久しぶりですわね」
私は、圧倒的な勝者の笑顔で言った。
「王宮からの国外追放の後、随分とたくましくお元気そうで何よりです」
「ッ!」
「今度は、隣国皇太子殿下のベッドへ潜り込んで取り入ったのですね」
「違いますわ!」
「何がですの?」
「わ、私は、行き倒れそうだったところを、お優しいヴィル様にお助けいただいただけで……!」
「そのご恩返しの結果が、水源毒殺という大量虐殺の入れ知恵?」
「そ、それは……」
「お気の毒ですこと」
私は扇を広げ、ニッコリとトドメを刺す。
「命を助けられても、その腐った人間性までは直らなかったようで」
ミレーヌの顔が、屈辱と怒りで真っ赤に染まる。
ヴィルヘルムが、そこでようやく隠しきれない苛立ちを露わにし、バン! と机を叩いた。
「もういい」
男は立ち上がる。
「証拠がどうした」
「……」
「こちらは強大なグランゼル皇国の、次期皇帝だぞ」
その目が、追い詰められた獣のような傲慢な怒りでギラつく。
「たかが辺境伯爵ごときが、我が国の人間を不当に拘束し、尋問し、さらに私へ濡れ衣の疑いを向けるなど、万死に値する不敬だ!」
「疑いではございませんわ」
私は冷たく遮った。
「紛れもない事実ですもの」
「女は黙れ!」
「黙りません。私はこの領地の当主夫人です」
「貴様……ッ!」
レオンが青ざめて一歩出る。
「で、殿下! ここは一度冷静に――」
「お前が黙れ!!」
ヴィルヘルムは完全に激昂していた。
「辺境の田舎者どもが、小賢しい魔法で少し領地が潤った程度で思い上がるな!」
「……」
「私へ恥をかかせたこと、必ず後悔させてやるぞ」
ああ。
来ましたわね。
理論と証拠で押せなくなった瞬間、身分と感情的な暴力へ逃げる。
分かりやすい。
前世のパワハラ上司そっくりで、大変分かりやすいですこと。
クライス様が、スッと一歩前へ出た。
「なら、今ここで這いつくばって謝罪しろ」
「……何だと?」
「工作員を使って領民の命を狙ったことも」
クライス様の声は、地鳴りのようにひどく低い。
「俺の妻を愚弄したことも」
「……」
「全部だ」
ヴィルヘルムは笑った。
余裕を見せて笑った、つもりだったのだろう。
だがその笑みは、クライス様の圧倒的な覇気と殺気に気圧され、無様に引きつっていた。
「断る」
「……」
「どちらが後悔するか、すぐに軍勢をもって分からせてやる」
その一言を残し、男は逃げるように踵を返す。
レオンが絶望で青ざめながら追い、ミレーヌも慌てて「ヴィル様、お待ちになって!」とその後ろへ縋りつくように追っていく。
客間の扉が、乱暴にバタン! と閉められた。
数拍。
誰も動かなかった。
やがて、私は静かに、呆れたように息を吐く。
「……完全な逆ギレですわね」
「見事にな」
クライス様の声は、もう怒りよりも『処刑人』の冷たさだった。
「ああいうプライドだけが高い男は、一度下に見ている相手に侮られると、自分の非を認めて絶対に引けない」
「ええ」
私は冷静に頷く。
「だからこそ、すぐに次(実力行使)が参りますわ」
◇ ◇ ◇
その嫌な予感は、半日もしないうちに最悪の現実になった。
正午過ぎ。
国境監視所からの伝令が、馬を乗り潰す勢いで息を切らせて屋敷へ飛び込んできたのだ。
「旦那様!!」
若い伝令兵の顔は、恐怖で真っ青だった。
「グランゼル側の国境砦、旗色が変わりました!」
「何だと」
クライス様が即座に立ち上がる。
「国境の向こうに、大軍の集結を確認!」
伝令兵はほとんど叫ぶように悲痛な声で続ける。
「重装歩兵、騎兵、後方補給車、合わせて数千規模! 今もまだ続々と増えております!」
「…………」
執務室の空気が、一瞬で凍りついた。
私は反射で、広げた地図へ手を伸ばした。
国境砦。主要街道。こちらの現在の兵数。領内防衛線。
(……速い)
いくらなんでも、速すぎる。
あの客間での感情任せの脅しだけではない。
最初から、ある程度の『軍の動員準備』を裏で進めていたのだ。
視察団が来た時点で、国境の向こうではもういつでも進軍できる状態にあった。
つまり、こちらの反応次第(私を大人しく差し出さなければ)、最初から武力で国境を越えて牙を剥くつもりだったのだろう。
「公式な宣戦布告の文書は」
クライス様が鋭く問う。
「たった今、別便の使者から叩きつけられました!」
伝令兵が震える手で差し出した封筒には、グランゼル皇国の紋章。
封蝋は急ぎゆえか、酷く雑だ。
クライス様がそれをペーパーナイフで開き、ザッと目を通す。
眉間が、怒りで一段深くなる。
「……何と?」
私が問うと、クライス様は無言で紙をそのままこちらへ差し出した。
そこには、実に身勝手で横暴な文言が並んでいた。
――フェルド辺境伯爵領による、我が皇国特命使節への度重なる無礼、ならびに皇国関係者の不当な拘束に対し、我が国はこれを国境の安全保障上、看過できぬ重大な敵対行為と判断する。
――よって、グランゼル皇国は辺境地域の“平和的な秩序回復”のため、ただちに必要な軍事行動(制圧)を取る。
「まあ」
私は紙をバタンと閉じた。
「一方的な宣戦布告ですわね」
「ああ」
クライス様の声が重く低く響く。
「侵略のための、名目だけ整えたな」
つまり、こうだ。
工作(毒殺)が失敗した。
私を愛妾として奪えなかった。
領地の金脈も崩せなかった。
その上、こちらへ決定的な証拠を押さえられ、論破されて恥をかいた。
だから逆ギレして、大軍を出す。
本当に。
あの皇太子と元ヒロインは、どこまで救いようがなく愚かなのかしら。
「旦那様」
ハインツさんが、戦場を知る固い顔で問う。
「王都の陛下と第一騎士団へ、急報の援軍要請を?」
「当然だ」
クライス様は即答した。
「早馬の騎兵を最速で出せ。魔法の通信網も使え」
「はッ」
「領内の非戦闘員の避難準備、および防衛物資の確保も並行しろ」
「承知いたしました」
皆が迅速に動き始める。
平和だった執務室が、一気に『防衛戦の最前線本部』の顔へ変わる。
私はその中心で、静かに、深く呼吸を整えた。
ついに来た。
小細工が失敗したから、今度は暴力(軍勢)。
雑で、短絡的で、しかし数だけは厄介な物理的なやり方。
窓の外を見れば、すでに領兵たちが武装して走り始めている。
市場の活気あるざわめきは不安へ変わり、屋敷の中も慌ただしい。
けれど。
私の中には、不思議と恐怖より先に、ハッキリとした『冷徹な怒り』があった。
「クライス様」
「何だ」
私は彼を見上げた。
「どうやら」
胸の奥で、限界オタクとしての青白い炎が静かに燃え上がる。
「私の尊い新婚生活と、愛する推しの平和な日常を、あの方々は本気で壊しに来たようですわね」
クライス様の目が、鋭く細まる。
「ああ」
「でしたら」
私は笑った。
その笑みが、我ながら少し危険な(魔王のような)温度を含んでいるのが分かった。
「こちらも、1ミクロンの遠慮も手加減も不要ですわ」
遠く。
国境の向こうで。
隣国の大軍が、豊かな辺境領地を蹂躙しようと迫っている。
愛する夫と、平和な日々を守るための戦いが。
いよいよ、始まろうとしていた。




