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婚約破棄の瞬間に「前世の記憶」が戻りまして。〜ヒロインの座は譲りますので、私は推しキャラの側仕えを目指します!〜  作者: 綾瀬蒼


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第125話 元・騎士団(現・社員)たちによる、熱すぎる余興の準備

 結婚式の準備というものは、もっと静かに、優雅に、気品高く進行していくものだと、私は一時期まで固く信じていた。


 具体的には、今世へ転生し、この現代日本のウェディング業界(と限界オタクの己の業)というものへ深く触れるまでは。


 そして、結婚式準備が本格化した現時点の結論を申し上げますと。


「……そんな優雅なわけ、1ミクロンもございませんでしたわね」


 私は、クライス・ホールディングス本社の、ガラス張りで中が見える広々とした会議室の扉の前で、たいへん静かな能面のような顔をして立ち尽くしていた。


 防音扉の向こうから、明確に聞こえるのだ。


 ビシッ。

 ビュンッ。

 ドスッ。


 ……スーツ姿の成人男性たちが、『木剣』を素振りして風を切る異様な音が。


 加えて。


「違う違う違う! そこは一列の陣形で、斜め前へ敵を斬るように踏み込んでからだろ!」

「いや、露木部長! 今の角度だとステージのピンスポット照明を受けた時に、木剣の軌道が美しく映えません!」

「映え、とは何だ!」

「現代のウェディングという戦場で、オタクが最も重視する最重要概念です!」

「だったらもっと腰を落とせ、腰を! 重心が浮いてるぞ!」

「ルシ……じゃない、藤咲さんに“動きが前世より鈍いですわね”って呆れられたいんですか!?」

「それは絶対に嫌だ!!」


「…………」


 私は、そっと片手で重くなった額を押さえた。頭が痛い。


 ああ、はい。

 そうでしたわね。

 あの敵対的買収の騒動以来、うっすらと前世の記憶が戻り始めた元・騎士団員(現・役員)たちが、なぜか謎の結束力を発揮し、社長の結婚式の余興で『木剣の集団演武』をやると息巻いていたのでしたわね。


 それにしても。


 それにしても、なぜ練習場所が社内の会議室なのです?


 しかも、業務終了後のオフィスで。


 しかも、廊下から丸見えのガラス張りの会議室で。


 ちょっと待ってくださいまし。

 残業を終えて帰る通りすがりの一般社員の皆様には、いったいこの光景はどう見えているのです?

「エリート幹部社員たちが全員スーツを脱いでネクタイを頭に巻き、真剣な顔で木剣を振っている大企業」など、だいぶ狂気に満ちた独特の企業文化(ヤバい会社)ではありませんこと?


「……藤咲さん」

 背後から、恐る恐る小声で呼ばれた。

 振り向けば、広報部の若手社員が、半笑いとドン引きの混ざった困惑の表情で立っていた。


「はい、何でしょう」

「これ」

「はい」

「警察とか総務とかに、止めなくていいんですか? あ、総務部長も中で木剣振ってるわ」

 私は一瞬、遠い目をして真顔になった。


 止める。


 止める、という社会人としての選択肢も、もちろんある。

 普通のコンプライアンスの通った会社なら、まず真っ先に止めるべきだろう。

 社内規定。

 安全管理。

 器物破損のリスク。

 いろいろな意味で、今すぐ止める理由は山ほどある。


 だが。


 私は、ガラス越しに会議室の中をもう一度見た。


 露木部長――もとい、ローデン隊長の生まれ変わり疑惑が完全に確定したあの人が、腕を組み、やたらと面倒見のいい暑苦しい顔で全体を熱血指揮している。

 榊COOが、無駄にきれいな剣術の構えで正面へ鋭く踏み込み、相馬CTOが信じられないほど精緻な力学の角度で木剣をピタリと止める。

 鷹宮CFOに至っては、「ここで一拍、沈黙のタメを置くと、観客の視線が完全に集まりますね」とか言いながら、ものすごく冷静な顔で舞台演出を調整している。


 何ですの、この愛すべきポンコツな方々。

 前世の記憶をうっすらと思い出した結果、仕事そっちのけで『余興のクオリティ』へ本気を出す方向へ、全ステータスを振り切っておられませんこと?


「……」

 私は、ゆっくりと長く息を吐いた。

「彼らの熱い気持ちは、痛いほど分かります」

「えっ、分かるんですか!?」

「私も、少し感動して涙腺が緩んでおりますので」

「感動するポイント、そこなんだ……」


 ええ。

 そこですとも。


 だって、あの前世の騎士団の面々が。

 前世でクライス様と共に血みどろの戦場を戦い抜き、背中を支え、時に酒場で騒ぎ、時に私に無茶を叱られ、最後には本当の家族みたいに笑い合っていたあの人たちが。

 今世では平和なスーツ姿で、しかも私たちの『結婚式の余興』という、この上なく平和で幸福な目的のために、全力を注いでくれているのである。


 感動しない方が無理でしょう。


 ……まあ、客観的に見た絵面は、面白すぎてだいぶシュールなのですけれども。


 ◇ ◇ ◇


「ルシア」


 不意に、背後から低く、心臓を直接撫でるようなよく通る声が落ちてきた。


 私は反射的に、居住まいを正して振り向く。


 ああ、はい。

 来ましたわね。

 本日の、私の最愛の最推し(新郎)が。


 クライス様――今世では九条社長が、薄暗い廊下の向こうからこちらへゆっくりと歩いてくる。

 上質な黒いスーツ。

 わずかに緩められた、色気のあるネクタイ。

 激務の仕事終わりの、少し気だるい大人のオスの空気をまとっているのに、その一歩一歩の足運びが無駄なく、芸術品のように美しい。


 しかも。


 しかも、この方。結婚式準備期間へ入ってからというもの、毎日妙に機嫌がよろしいのだ。


 もちろん、誰にでも表情があからさまに甘くデレるわけではない。

 そんな分かりやすい、安い男のタイプではない。

 だが、二人きりになった時にこちらを見る目の温度が、以前にも増して底知れず深く、溶けるようにやわらかい。

 ついでに、私へ向ける隠しきれない独占欲が、もう完全に隠す気(理性のブレーキ)を失っている。


 要するに、非常によろしくない。


 限界オタクの私の、ただでさえ弱い心臓にとって。


「お疲れ様です、社長」

 私は、周囲の目もあるため、まずは秘書として一礼する。

「何をしている」

「私たちの、結婚式の余興の進捗確認です」

「進捗確認?」

「と申しますか」

 私はガラス越しの、熱気ムンムンの会議室を指差した。

「前世の部下たちの、現場視察ですわ」

 クライス様が、訝しげに中を見た。


 一瞬、沈黙。


 その後、彼の形の良い眉が、ほんの少しだけピクリと動いた。


「……何だ、あれは。部活動か」

「あなたのための、余興の自主練習だそうです」

「なぜ、会社で木剣を持っている」

「元騎士団ゆえの、消しきれない情熱と魂の疼きかと」

「ここは剣のない現代日本だぞ」

「存じております」

「なのに、なぜ歌やダンスではなく『演武』になる」

「そこは私も少々」

 私は真顔で、きっぱりと答えた。

「オタクの理解の手前で、考えるのを諦めました」

 クライス様が、やれやれと小さく息を吐いた。


 でも、その吐息には、困惑だけではない、あたたかいものが混ざっていた。

 懐かしさ。

 呆れ。

 そして、ちょっとだけ、昔の部下たちを見るような可笑しさ。


 分かりますとも。

 前世でも、あの方々は、何かと集団で飲み会などで盛り上がると、だいたい武力行使の妙な方向へ熱くなっておりましたものね。


「……止めないのか」

 クライス様が、ガラス越しの彼らを見つめながら静かに聞く。

「止めるべきでしょうか」

 私が試すように聞き返すと、彼は数秒だけ、真剣に木剣を振る彼らを見たまま黙っていた。

 中ではちょうど、露木部長が「そこで右足の踏み込みが甘い! 死ぬ気でやれ!」と無駄に熱血指導をしている。


「……いや」

 クライス様は、少しだけ口元を緩めて、ようやく言った。

「備品を壊して怪我だけしないなら、好きにさせろ」

「ふふ。やはり、そうおっしゃいますわよね」

「……お前も、どこか嬉しそうだぞ」

「ええ、否定はいたしません」

 私は、彼を見上げて小さく微笑んだ。

「だって」

「……」

「大好きなあなたを祝おうと、あの方々が、あんなに子供みたいに本気になってくださっているのですもの。嬉しくないはずがありませんわ」

「……」


 クライス様が、ハッとしてこちらを見た。


 ああ。

 その目。

 そのやさしい目は、少々、駄目ですわね。


 情が深くて、けれどそれを大げさな言葉で飾らず、ただ静かに、私の言葉ごとあたたかく受け取ってしまう時の目だ。


「ルシア」

「はい」

「お前は」

「……」

「そういう俺の部下の裏の苦労まで、本当に昔から、きちんと見るな」

「見るに決まっております」

 私はきっぱりと、胸を張って言った。

「あなたの愛する大切なものは、妻である私にとっても、世界で一番大切なものですから」

「ッ……」


 おや。


 珍しく、クライス様の喉がわずかに詰まったように見えた。


 何ですの。

 その、少しだけ不意を突かれて、照れたような顔は。

 普段は隙がないのに、大変よろしいですわね。眼福です。


「……ずるいな」

 低く、ひそやかに、誰にも聞こえないような甘い言葉が落ちる。

「何がですの」

「俺が喜ぶ言葉を、分かっていて言わせる気か」

「ふふ、最高の光栄です」

「認めるな」

「本心ですもの」


 クライス様は、少しだけ照れ隠しのように顔を逸らした。

 でも、その整った耳の先が、ほんのわずかに赤い。


 ああもう。

 本当に、この方は。

 結婚式前だというのに、こんな廊下の立ち話でもいちいち尊いのだから、私の心臓が持ちませんわ。


 ◇ ◇ ◇


 結局、私たちは二人揃って、会議室の中へ入ることになった。


「失礼いたしますわ」


 私が、ガチャリと扉を開けた瞬間。

 中の熱気ムンムンの面々が、木剣を振り上げたポーズのまま、ピタリと彫像のように固まった。


「「「ハッ、ルシア様!!」」」


 ものすごい勢いで、全員が踵を鳴らして直立不動の敬礼になる。


「だからそれ、現代の会社ではおやめくださいまし!」

 私は思わずツッコミを入れた。


 だが、言ってから気づく。

 いや、今さらでしたわね。


 この方々、もう私を見ると『ルシア様』と呼ぶのが、パブロフの犬のような条件反射みたいになっているのだ。

 私が少し真面目なトーンの声を出すと、前世の騎士団(部下)モードへ完全に切り替わるらしい。

 どういう魂の仕組みですの、それ。


 露木部長が、木剣を肩へ担ぎながら、ニカッと朗らかに笑う。


「いやあ、来たな、ルシア様! 」

「露木部長」

「まあまあ、堅いこと言うなよ。今日だけはそう呼ばせてくれ。演武の気分が出る」

「気分で済ませるには、その呼び方はコンプライアンス的に火力が高いです」

「いいじゃねえか。お前の、一生に一度の結婚式だぞ?」

「私“の”だけではありません」

 私はコホンと咳払いした。

「愛するクライス様――九条社長との、結婚式ですわ」

「だから、余計に気合が入るんだろ」

 露木部長は、ニヤリと嬉しそうに口角を上げた。

「俺らの社長が、ようやく、正式に大好きな嫁を迎えるんだぞ。祝わねえわけにいくかよ」

「ッ……」


 ああ。

 駄目ですわね。

 その、部下からの真っ直ぐな言い方。

 その、前世の泥臭い空気感を残したまま、今世の現実へあたたかく落としてくる感じ。

 オタクの情緒が、激しく揺さぶられます。


「社長」

 榊COOが木剣を静かに下げ、まっすぐにクライス様を見る。

「遅くまでお疲れ様です」

「お前たちこそ、何をやっている」

「我々の、ささやかな余興の演武の練習です」

「見れば分かる」

「はい」

「なぜ、そこまで本気なんだ。ただの余興だろう」

 今度は鷹宮CFOが、妙に冷静な、けれど熱い顔で口を開いた。

「せっかくのお二人の晴れ舞台ですので」

「……」

「妥協は許されない。完成度は極限まで高い方がよろしいかと」

 相馬CTOまで、眼鏡を光らせて頷く。

「秒単位で構成も詰めています」

「……」

「前半で静かな『静』の型を見せ、後半で怒涛の『剣技の連携』を入れます。完璧なプログラミングです」

 私が、思わず口を挟む。

「一生に一度の余興ですもの。クオリティは大事ですわ」

 クライス様が、ゆっくりと呆れたようにこちらを見る。

「……お前まで、こいつらに乗るのか」

「いえ」

 私は真顔でキッパリと否定した。

「ノリで乗っているのではありません」

「……」

「歴史的瞬間を、見届けているのです」

「同じだろう」

「全く違います」

「どこがだ」

「私は、ただの演者ではなく」

「……」

「推しの伝説を記録する『観測者』です」

「またそのオタク理論が始まったな」

「後世に語り継ぐ、大事なことですわ」


 会議室の張り詰めていた空気が、少しだけやさしく緩んだ。


 ドッと、笑いが広がる。

 でも、その笑いの中には、確かにあたたかい、確固たる『絆』があった。


 前世でも、私はこの部隊の空気が大好きだった。

 命懸けの戦いの前でも、後でも、皆で集まると少しだけ騒がしくて、ポンコツで。でも、いざという時は、ちゃんとクライス様という一本の剣のもとに、同じ方向を向いていた。

 孤高だった彼の周りには、いつもこういう、あたたかい人たちがいたのだ。


 今世でも、その本質は全く変わらない。


 私は、その尊い事実が、どうしようもなく嬉しくて泣きそうだった。


 ◇ ◇ ◇


「では、一度通してやってみます!」


 露木部長が、気合を入れて声を張る。


 うわあ。

 本当に、目の前で始めますのね。


 私は会議室の端の壁際へ移動し、クライス様と肩を並べて見守る体勢を取った。


「……彼ら、本気ですわね」

「そうだな。目が昔のままだ」

「しかも、隊形が驚くほど綺麗です」

「お前、見るところがマニアックで細かいな」

「当然です」

 私は誇らしげに胸を張る。

「推しの『関係者(元騎士)』の、最大の見せ場ですもの。一秒も見逃せませんわ」

「関係者、か」

「オタクにとって、非常に大事な単位です」


 号令とともに、演武が始まる。


 最初は、静かだった。

 摺り足の足運びだけ。

 呼吸をピタリと合わせる。

 木剣を、音もなく下段に構える。

 一斉に、深く礼。


 その瞬間。

 ゾクリと、私の背筋に鳥肌が立った。


 ああ。

 そうですわね。

 前世の、あの王都の騎士団の面影が、たしかに彼らの中に重なってある。


 現代のスーツ姿で。

 無機質な会議室で。

 木剣という、だいぶ簡易な装備のはずなのに。

 一人ひとりの無駄のない重心移動や、間合いの鋭い詰め方や、敵を射抜くような目線の流れに、前世の命のやり取りをした騎士団の『癖』が、色濃く残っている。


「……」

 私は、圧倒されて思わず息を止めた。


 次の瞬間、全員が一斉に踏み込む。

 バァン! と、木剣同士が激しく打ち合わされ、空気を裂く乾いた音が響く。


 速い。

 そして、1ミクロンの無駄がない。


 榊COOの踏み込みは、重戦車のように重く鋭い。

 相馬CTOは、理詰めで最短の致命の角度を刻む。

 鷹宮CFOに至っては、一見しなやかで優雅に見えて、妙に防御の動きが正確で隙がない。

 露木部長は、全体を鷹の目で見ながら、豪快な一撃で場を完全に締める。


 何ですの、この余興。

 素人の出し物のレベルを超えて、普通にめちゃくちゃ格好いいではありませんこと!?


「……素晴らしいですわね」

 気づけば、ぽろりと純粋な感嘆の本音が漏れていた。


 隣のクライス様が、少しだけ満足そうに目を細める。

「そうか」

「ええ、圧巻です」

「お前がそうやって手放しで褒めるなら」

「……」

「あいつらも、練習した時間を無駄にはしないだろうな」

「もちろんです」

 私は即答した。

「だって、皆さん、ものすごく張り切っておられますもの」

「分かるか」

「痛いほど分かりますわ」

 私は小さく、誇らしく笑った。

「前世でも、皆さんは、絶対的な強者であるあなたに『認められたい』と願う方ばかりでしたし」

「……」

「今世では、さらにそこへ“俺たちの大好きな副団長(社長)の結婚式を、絶対に成功させたい”という愛まで乗っております」

「……」

「火力が、高次元になるに決まっておりますわ」


 演武は、怒涛の後半戦へ入る。


 二列の陣形から、一列の突撃陣形へ。

 一列から、鉄壁の円陣へ。

 最後に、全員の木剣が中央でバチィッ! と美しく交差し、ピタリと彫像のように止まる。


 完全なる静寂。


 そして、露木部長が、やたらと響くいい声で、天に向かって言った。


「――我らが敬愛する副団長と」

 一歩、重い間を置いて。

「その生涯唯一の、愛する奥方へ」

 木剣を力強く振り下ろすように、全員が魂の底から声を揃える。


「祝福を!!」


「…………」


 私は、完全に言葉を失った。


 ああ、もう。

 駄目ですわ。

 こんなの。

 こんな真っ直ぐなものを見せられたら。泣いてしまうではありませんか。


 パチパチパチ、と。涙を堪えながら、遅れて最初に拍手したのは私だった。

 次に、無言のクライス様。

 それから、見学していた広報の若手と、音を聞きつけて途中から見学に来ていた他部署の社員たち。


 会議室が、割れんばかりのあたたかな拍手で満ちる。


 露木部長が、少しだけ照れたように頭をかく。

 榊COOは真顔を崩さないが、耳だけが少し赤い。

 相馬CTOは照れ隠しに眼鏡を押し上げて視線を逸らし、鷹宮CFOはやり切ったように穏やかに息を吐く。


 皆、本気で真剣だったのだ。

 本当に。


 ただの会社の悪ノリではなく。

 ただの社内の飲み会の延長イベントでもなく。


 心から、彼らなりの不器用な表現で、私たちを祝おうとしてくれている。


「……最高に、素敵でしたわ」

 私は、少し涙で掠れた声で言った。

「ええ、とても」

 露木部長が、ニカッと白い歯を見せて笑う。

「そりゃあ、よかった!」

「ありがとうございます」

「いや」

 彼は、チラリと隣のクライス様を見た。

「俺らに礼を言うなら、こっちの不器用な社長にも言っとけよ」

「……?」

「社長が、俺らの無茶な余興を『止めなかった』からな」

 私はハッとして、クライス様を見上げる。


 彼は腕を組んだまま、照れ隠しのように淡々と答えた。


「……お前が喜ぶなら、こいつらの暴走を止める理由は俺にはない」

「ッ……」


 駄目ですわね。


 その、短い一言は。

 その一言は、どんな長台詞よりも、だいぶ私の心臓の奥深くに刺さりますわね。


 私は、泣きそうな顔で胸元を押さえた。


 クライス様は、私の反応を見て、ほんの少しだけ心配そうに眉を寄せる。


「……何だ」

「いえ」

「顔が、夕焼けみたいに赤いぞ」

「今のは」

 私は、どうにか深呼吸して息を整えた。

「少々、スパダリすぎて反則ですわ」

「何がだ」

「『お前が喜ぶなら』、などと。息をするように甘やかして」

「ただの事実だ」

「事実でも、オタクの心臓には悪いのです!」

「そうか」

「そうですわ」

「なら」

 彼は、ひどく静かに、けれど明確な『熱』と『愛』を乗せて言った。


「結婚式本番に向けて、もっと俺の言葉に慣れろ」


「ッ……!」


 ああもう。

 本当に。

 この人はこういう不意打ちの時、声にちゃんと致死量の感情を乗せてくるから困るのだ。


 低くて。

 落ち着いていて。

 でも、少しだけ独占欲とやさしさが混ざった、蕩けるような響き。


 そんなもの、どう受け止めろと? 倒れますわよ?


 ◇ ◇ ◇


 その後、余興チームは短い休憩に入り、なぜかそのまま、会議室でホワイトボードを使った『軽い反省会(ダメ出し)』へ突入した。


「最後のタメの部分、もう半拍だけ長い方がよくないですか」

「いや、長すぎると間延びしてクドい。観客が飽きる」

「でも、“祝福を”のセリフの前に、もう少しピリッとした緊張感が欲しい」

「ていうか露木部長、足音をわざと強くしてません? 目立ちすぎです」

「あれは俺なりの演出だ!」

「演出なんですか!?」

「お前ら、ガチの戦闘と同じロジックで考えるなよ! 余興だぞ!」

「でも、あのお二人の、一生に一度の晴れ舞台ですよ?」

「そうですわ!!」

 私が思わず口を挟んで深く頷くと、全員の視線が私へ集まった。


「ルシア様」

 露木部長が、やたらと真面目な、教えを乞うような顔で言う。

「はい。何でしょう」

「ここ、もう少し『こういう演出が欲しい』って要望、あります?」

「え?」

「何なら今、秒で反映して組み込みます」

「今ですの!?」

「今です。俺たちはプロですので」

「うーん……」

 私は、本気で腕を組んで考え込んだ。


 だって、聞かれてしまったのだ。

 しかも、“推しのお披露目会を最高のものにしたい”という、同じベクトル(観点)に理解のある有能な方々から。

 ならば、総合プロデューサーとして、全力でアイデアを出すしかあるまい。


「最後の隊列ですが」

「はい」

「クライス様(新郎)の立ち位置へ向かって、ほんの少しだけ、モーゼの十戒のように開くような導線があると」

「……」

「あなた方の祝福の剣が、ちゃんと“あの人へ届いている”感じが、エモく出るかと」

「……なるほど」

「あと」

 私は真剣に、オタクの早口で続ける。

「正面のカメラから見た時、中央の抜け感が少しだけ惜しいですわね」

「ほう」

 鷹宮CFOが、興味深そうに穏やかに目を細める。

「それは、社長のお姿が、我々の剣のその先に見えるように、と?」

「ええ、その通りです!」

「なるほど。絵になりますね」

「ただの余興でありながら、“皆が敬愛する社長を送り出す”という、エモい空気も欲しいのです」

「……」

「でも、悲壮感ではなく、未来への誇らしさで!」

「それです!!」

 相馬CTOが、我が意を得たりと即座に頷いた。

「カメラの構図が、今、明確になりました」

「そうだな」

 榊COOも、静かに、熱く口を開く。

「ただ送り出すのではなく、俺たちが祝って、社長を前へ押し出す」

「はい!!」

 私は力強く、涙目で頷いた。

「まさに、そういう最高のエモい感じですわ!」


 その瞬間。


「「「ハッ、ルシア様!! 承知いたしました!!」」」


 会議室の中で、全員が再び、ピタリと息を合わせて直立不動になった。


「だから! その呼び方はやめてくださいまし!!」

 私は、真っ赤になって思わず叫んだ。


 でも、ツッコミを入れながらも、ちょっと泣きそうに嬉しい自分もいた。

 だって、こういうバカバカしくも熱い一体感、前世でも大好きだったのだ。


 ◇ ◇ ◇


 帰り道。


 夜のオフィスを出た後、私たちは並んで、地下駐車場へのエレベーターへ向かっていた。


 会議室の熱気と笑い声が、まだ少し耳の奥に残っている。

 胸の奥も、ホカホカとあたたかい。


「ルシア」

「はい」

「今日の余興の練習、楽しかったか」

「とても」

 私は、迷わず最高の笑顔で答えた。

「たかが余興なのに、あんなに本気になってくれて」

「……」

「あなたを祝いたいと、皆があれほど真剣に汗を流してくれて」

「……」

「嬉しくないはずがございませんわ」

 クライス様は、少しだけ照れたように目を伏せた。

 その整った横顔に、静かな感情の光が差す。


「……俺も」

「……」

「嬉しかった」

「……」

「昔から、ああいう不器用な連中には、戦場でも世話になってきたからな」

「はい」

「だが」

 彼は少しだけ、言葉を選ぶように間を置く。

「お前があんなふうに、あいつらの気持ちを真っ直ぐに喜んで受け取ってくれると」

「……」

「俺の気持ちまで、余計に報われる気がする」


「ッ……」


 ああ。

 もう。

 本当に。


 この人のこういう台詞は、どうしてこんなにも真っ直ぐで、不純物がないのだろう。

 飾らなくて。

 不器用なくせに。

 だからこそ、胸の一番深いところへ、そのままスッと入ってくる。


「……クライス様」

「何だ」

「私」

「……」

「あなたのそういう、真っ直ぐなところが」

「……」

「たまらなく、宇宙一好きです」

「ッ……」


 おや。


 今度は、クライス様が少しだけ、言葉に詰まって黙った。


 そして、低く、少し掠れた色気のある声で言う。


「……お前」

「はい」

「最近、そういう直球な愛の言葉を」

「……」

「不意に、俺に言うな」

「なぜですの」

「俺の理性によく効く」

「ッ……!」


 何ですのそれ。


 何ですのそれは!!


 私は、心臓が爆発してその場で崩れ落ちそうになった。

 だが、エレベーターの前なので、どうにか壁に手をついて踏みとどまる。


「い、今の」

「……」

「だいぶ、危険なセリフですわよ!?」

「そうか」

「そうですわ!」

「だが、事実だ」

「事実の火力が、高すぎるのです!」

「知るか」

「ひどいですわね!」

「お前も、似たようなものだ」

「否定はいたしませんわ!」


 チン、とエレベーターの扉が開く。


 乗り込む。

 扉が閉まる。


 二人きりになった密室の箱の中で、クライス様が、そっと私の小さな手を取った。


「……クライス様?」

「何だ」

「ここは、会社です」

「業務はとっくに終わった」

「そうですけれど、カメラが」

「手くらい、繋いでもいいだろう」

「……」

「嫌か」

「嫌なわけが、ございませんでしょう」


 即答だった。


 クライス様の大きく長い指が、私の指へゆっくりと絡む。(恋人繋ぎ)

 その仕草は静かなのに、妙に彼の『独占欲』という心情が乗っていて困る。

 “繋いで当然だろう”という覇者の顔をしているのに、その実、ガラス細工のようにものすごく大切に私の手を扱ってくださっているのが分かるのだ。


「ルシア」

「はい」

「結婚式が」

「……」

「本当に、楽しみになってきた」

「ッ……」


 私は、ゆっくりと顔を上げた。


 その言い方。

 そのやさしい声音。

 前世では婚礼の前に、どこかプレッシャーと照れを押し隠して、硬い顔をしていたあの人が。

 今世ではちゃんと、自分の素直な『楽しみ』という感情を、私へ言葉にして伝えてくれる。


 それが、たまらなく愛おしくて嬉しかった。


「……私もです」

 私は、泣きそうに微笑んだ。

「今日、あの方々の余興を見て」

「……」

「ますます」

「……」

「あなたが、どれほど皆に慕われ、大切にされてきた方なのか」

「……」

「改めて、思い知りましたわ」

「……」

「そして、その素晴らしいあなたの隣に、妻として立てることが」

「……」

「本当に、私の人生の誇りで、幸せです」


 クライス様は、何も言わなかった。


 でも、繋いだ手に少しだけ、ギュッと力がこもる。


 それで十分だった。

 この人の沈黙は、ちゃんとあたたかい温度を持っている。

 昔からそうだ。

 言葉よりもずっと深いところで、愛を伝えてくる人なのだ。


 ◇ ◇ ◇


 帰宅後、私はベッドの上で、服のままごろりと仰向けになった。


 今日一日を、脳内で反芻する。


 ガラス張りの会議室。

 風を切る木剣。

 真剣な顔の、スーツ姿の元・騎士団たち。

「祝福を!」という、彼らの野太い声。

 そして、クライス様の、「お前が喜ぶなら、止める理由はない」という、私を甘やかす静かな一言。


「……駄目ですわね」


 私は、幸せすぎて、枕へ顔を深く埋めた。


 結婚式準備が進めば進むほど、私は思い知るのだ。


 この人は、前世でも今世でも、たくさんの人に支えられ、愛され、深く信頼されてきたのだと。

 そして、そのあたたかい輪の中へ、今の私もちゃんと、仲間として、妻として入れてもらっているのだと。


 嬉しい。

 誇らしい。

 愛おしい。

 尊い。


 あまりにも幸せな感情が多すぎて、限界オタクの小さな処理能力では、毎回少しずつキャパオーバーする。


 でも、それでいいのかもしれない。


 だって私は。

 この人の隣の『特等席』で、この人の人生ごと、全部を愛していきたいと思っているのだから。


 結婚式の余興準備ひとつで、こんなにも胸がいっぱいで泣きそうになるなら。

 結婚式当日は、いったいどうなってしまうのだろう。


「……多分、尊さで一度死にますわね」


 私は真顔でそう論理的に結論づけてから、すぐに首を振った。


 いえ、違いますわね。

 死ぬのではない。

 幸せすぎて、何度でも処理落ちして、そのたびに彼に恋に落ちるだけだ。


 それもまた、私らしいと言えば、最高に私らしい。



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せっかくなので一般社員のドン引きというか応援というか、その辺もぜひ。 いつの間にか巻き込まれる気がするけど。 あと秘書チーフのあきれ具合も。
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