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婚約破棄の瞬間に「前世の記憶」が戻りまして。〜ヒロインの座は譲りますので、私は推しキャラの側仕えを目指します!〜  作者: 綾瀬蒼


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第114話 休日の遊園地デート。初めての「彼女」扱いにパニック

 記念すべき、恋人になってから初めての休日の朝。


 私は、自宅の狭いクローゼットの前で、たいへん真剣な、それこそ国家の命運を分ける決断を下すかのような重い顔をしていた。


「……大問題ですわね。解が導き出せませんわ」


 ベッドの上には、一時間前から悩み抜いて厳選した『三パターンの服』が並べられている。


 一つ、無難で清楚、アナウンサーのような白のワンピース。

 一つ、動きやすさと実用性重視の、スタイリッシュなパンツスタイル。

 一つ、気合いを入れすぎていて、どう見ても“今日は私がヒロインのデートです”と全身で主張してしまっている、淡いピンクの春物候補。


 そして、本日のスケジュールは。


 ――最愛の推し(彼氏)との、遊園地デート。


「遊園地」

 私は、鏡の中の自分へ向かって、絶望したように厳かに告げた。

「推しと」

「休日のオフに」

「二人きりで、遊園地」


「……無理ですわね。キャパオーバーですわ」


 私は、ベッドの上に崩れ落ちて静かに顔を覆った。


 だって、客観的に考えてみてほしい。

 念願の恋人になってから初めての、本格的なプライベートの休日デートである。

 しかも場所は、王道中の王道『遊園地』。

 非日常の象徴。

 リア充カップルの神聖なる聖地。

 オタクにとって致死量のイベント(公式供給)が発生する、危険すぎる震源地。


 今世の現代日本、どうしてこう、イベントのフラグ設計がオタクの心臓に容赦ないのでしょうね。


 ブブッ、とスマートフォンのバイブが震えた。

 画面を見る。


 > 九条:

 > あと十分で着く。下へ降りておけ。


「ッ……!!」


 短い。

 あまりにも業務的で短い。

 だが、その無愛想なテキストだけで、オタクの心拍数(BPM)が異常な数値を叩き出すには十分だった。


 私は即座に、一番左の白のワンピースを手に取った。

 清楚。

 上品。

 だが、動きやすくて歩きやすい。

 そして何より、“張り切りすぎて空回った感(重い女)”が出にくい、最強の防具である。


「よろしいですわ。これでいきますわ」

 私は深く、戦場に向かうように深呼吸した。

「本日は、完璧な秘書ではなく『ただの恋人』」

「しかし、推しへの尊意(距離感)は失わず」

「かつ、はしゃぎすぎて不審者にならず」

「だが、供給(萌え)は一滴残らず最大限受け止める」


 完璧な事業計画ですわね。


 ◇ ◇ ◇


 私のマンションの近くの待ち合わせ場所に現れた九条社長――いいえ、今日だけは“九条さん”と呼ぶべきなのだろうか――は、あらゆる意味で、だいぶ危険だった。


 黒のキャップを深く被っている。

 シンプルな、仕立ての良さが分かる白シャツ。

 薄手のネイビーのジャケット。

 目元を隠す、知的なサングラス。

 そして、それらのアイテムが、あの恐ろしいほどの美貌と相まって、あまりにも自然に完璧に成立してしまっている『最高峰の私服姿』。


「…………」


 私は、彼を見た瞬間、数秒、呼吸を忘れて完全にフリーズして止まった。


「藤咲」

 低い、聞き慣れた声が落ちる。

「はい」

「何だ、その固まった顔は」

「失礼ですわね」

 私は、どうにかバグった脳を再起動させて口を開いた。

「休日のオフの推しの、あまりの私服の破壊力に。少々、語彙力を失っていただけですわ」

「……」

「本日も、休日の朝から顔面偏差値が高すぎます。カンストしてますわ」

「朝からそれ(顔の評価)か」

「朝だからこそです。一日を生きる活力が湧きます」

 九条が「敵わんな」と小さく息を吐く。

 でも、サングラスの奥の口元は、少しだけ嬉しそうに緩んでいた。


 ああ、はい。

 その、ちょっとだけ照れたような反応、大変よろしいですわね。


「お前も」

「……」

「その服、よく似合ってる。綺麗だ」

「ッ……!!」


 私は、反射的に胸元を強く押さえた。


 いけませんわね。

 今のは、不意打ちすぎて危険ですわね。

 そうやって息をするように何でもない顔でサラッと褒めるの、スパダリすぎてだいぶ反則ではありませんこと?


「……ありがとうございます」

 私は、どうにか真っ赤になった顔で平静を装って答える。

「ですが」

「……」

「その甘い一言で、私の本日の心拍数は、開始五分でもうだいぶ危ういです」

「まだ、遊園地に入園すらしていないぞ」

「存じております」

「先が思いやられるな。長いぞ」

「本当に、心底そう思いますわ」


 そして、電車を乗り継ぎ、巨大な遊園地のゲートが見えた瞬間。

 私は思わず、軍人のように背筋をピンと伸ばした。


 休日の圧倒的な賑わい。

 夢の国のような、カラフルな装飾。

 陽気に流れるパレードの音楽。

 はしゃぐ楽しそうな子どもたちの声。

 そして、あちこちにいる、ぴったりと寄り添い、手を繋いだ無数のリア充カップルたち。


「……」

「……」

「何だ、藤咲」

「いえ」

 私は視線を、あちこちのカップルから逸らしながら言った。

「思っていたより、だいぶ、そういう浮かれた空間ですわね」

「遊園地だからな」

「ええ。そうですね」

「お前は、ここを何だと思ってたんだ」

「もう少しこう、魔法で戦うような、ダンジョン的な」

「お前の頭の中は、ファンタジーか。だいたい合ってるだろうが」

「でも」

 私は小さくコホンと咳払いした。

「現実のカップル率が高すぎます。アウェー感が凄いです」


 九条さんが、私の挙動不審な様子に、今度ははっきり声を出して笑った。


 ああもう。

 休日に無防備に笑う推し、さらに破壊力が増しておりますわね。尊いですわ。


 ◇ ◇ ◇


 入園してすぐ、私は無意識に『有能な秘書』としての本能をフル稼働させて発揮した。


「社長、パンフレットや荷物はこちらで私がお持ちします」

「いらない。俺が持つ」

「では、効率的なアトラクションのルートと地図確認は、私にお任せください」

「いらない」

「ファストパスのチケット手配や、お食事の分刻みの時間管理も」

「いらない。全部俺がやってある」

「……では、この私は、一体何をすれば?」

 私がポカンと問うと、九条さんがピタリと足を止めた。


 そして、振り返り、サングラスの奥で真っ直ぐ私を見る。


「藤咲」

「はい」

「今日は」

「……」

「俺の『有能な秘書』としてではなく」

「……」

「俺の『恋人』として、ただ楽しんで俺の隣を歩け」


「ッ――!」


 その瞬間。


 私の限界オタクの心臓が、文字通り、ドクン! と大きく跳ねた。


 周囲の休日の喧騒も。

 楽しそうな笑い声も。

 アトラクションの動く遠い音も。

 その全部が、一瞬だけノイズキャンセルされたように遠のく。


 だって、今。

 この人は。

 人がごった返す遊園地のど真ん中で。

 あまりにも自然な、少しだけ独占欲の滲む男の顔で。

 それを、私に言ったのだ。


「……」

「……」

「おい。返事は」

「ま、待ってくださいまし」

 私は片手で、茹で上がった顔の口元を押さえた。

「今のそのセリフは」

「……」

「だいぶ、乙女ゲームの特大イベント並みに火力が高いです」

「そうか」

「そうです」

「だが、俺の素直な本音だ」

「それが、さらに危険なのです……!」


 九条さんは、私の反応に呆れたように小さく息を吐いた。

 そして、ごく自然な動作で、私の右手を、自分の大きな左手でギュッと取った。


「――ッ!!」


「行くぞ」

「……えっ」

「秘書じゃないんだ。手くらいは、恋人らしく繋がせろ」

「ッ……、はい……!」


 無理ですわね。


 本当に、初日から無理ですわね。


 だって、手。

 手ですわよ?

 今までだって、転びそうな時に助けられたり、支えられたり、泣いた時に頭を撫でられたりはあった。

 だが、“遊園地デート中の恋人として、甘い空気の中で手を繋いで歩く”というのは、また全く別次元の公式供給なのである。


 しかも、九条さんの手は、相変わらず剣ダコがあるみたいに少し大きくて、指が長くて、ひどく落ち着いていて。

 それが、私の少し震える小さな手を、当たり前みたいに熱く包んでいる。


「……むりですわ。死にますわ」

「何がだ」

「ジェットコースターへ乗る前から、心拍数がすでに限界突破しております」

「まだ何もしてないだろう」

「手を、強引に繋がれました」

「恋人なら、それくらい普通だろう」

「その『恋人なら普通』という概念で済むと、平気で思っていらっしゃるところが、もうだいぶ天然のスパダリで反則なのです」


 ◇ ◇ ◇


 行列を避けて最初に乗ったのは、メリーゴーラウンドという、比較的穏やかでメルヘンなアトラクションだった。


 私は、上下する白馬の安全バーを強く握りしめながら、隣の黒馬に乗る九条さんをチラリと盗み見る。


 横顔が、良すぎる。

 休日の私服で、いつもの冷徹な空気を消して少しラフな空気をまとっているのに、やはり造形が整いすぎている。

 しかも今日は、仕事中の険しい顔より、確実に表情がやわらかい。

 それがまた、よろしくない。


「藤咲」

「はい」

「さっきから、前の乗り物じゃなくて、横を見るな」

「失礼ですわね」

「今、ずっと穴が開くほど俺の顔を見てただろう」

「これは、乗り物酔い防止のための、美しい固定物への視線固定ですわ」

「……ずいぶん便利な言い訳だな」

「事実です」

「本当に?」

「半分くらいは、そうですわ」

「お前は、変なところで正直だな」

「嘘のつけない恋人ですので」

「……」

「何ですの、その沈黙は」

「いや」

 九条さんは、少し照れたように前を向いたまま言う。

「今の『嘘のつけない恋人』という響きは、少し、よかった」

「ッ……」


 ああもう。

 本当に。

 どうしてこの方は、ちょっとこちらが照れ隠しで勇気を出した時だけ、きっちりそういう心臓に悪い甘い返しをなさるのでしょうね。


 その後も、観覧車。

 軽い屋内ライド系。

 お祭りのような射的ゲーム。

 私は逐一、彼からの自然なエスコートの供給過多で、何度も限界(尊死)を迎えかけた。


 特に射的では、九条さんがライフルを構え、百発百中で景品をほとんど外さなかった。


「……すごいですわ、百発百中」

「普通だ。的がデカい」

「普通ではありません」

 私は、ドン引きした屋台の店員を見ながら真顔で言った。

「狙いが、スナイパー並みに良すぎます」

「そうか」

「しかも」

 私はカウンターに並んだ大量の景品を見ながら続ける。

「こういうお遊びのところで、呼吸をするように自然に圧倒的な結果を出されると、前世の無敵の騎士力(物理)を感じてしまいます」

「また、お前のその分からないファンタジー語録を言ってるな」

「分からなくて結構です。私の胸の内だけの問題ですので」

「それは、一応俺を褒めてるのか」

「全力で、五体投地で」

「……そうか」


 しかも彼は、その圧倒的エイムで取った一番大きなクマのぬいぐるみを、当然みたいにポイッと私へ渡してきた。


「これ」

「……」

「え」

「お前が欲しそうな顔をしてたからな。持ってろ」

「……ッ!」


 ああ、だめですわね。

 遊園地デートの“彼氏がゲームで取った景品を、無言でドヤ顔で恋人へ渡す”という王道イベント、この現代の現実世界にも本当に存在したのですね。

 理屈や漫画では知っていましたけれど、実際に自分が『彼女』として受ける側へ回ると、破壊力(胸キュン度)が全く違いますわね。


 私は、大きなクマのぬいぐるみを抱えながら、顔を真っ赤にしてしばらく黙るしかなかった。


「……そんなに、ただのぬいぐるみが嬉しいか」

「はい」

「……」

「大変に。一生の宝物にしますわ」

「……それは大げさだが、よかった」


 ◇ ◇ ◇


 オタクにとっての最大の試練(問題)は、午後だった。


「次、あれに乗るぞ」

 九条さんが指さした上空の先を見て、私は完全に石像のように固まった。


 この遊園地の目玉である、最高層から落ちる大型ジェットコースター。


 速い。

 高い。

 垂直に落ちる。

 ぐるぐると回る。

 悲鳴を上げて叫ぶ。

 そういう類の、人間の絶叫を楽しむ遊園地の花形(拷問器具)である。


「……」

「……」

「おい、藤咲」

「はい」

「顔が引きつってるぞ。血の気がない」

「問題ありません。平常心ですわ」

「全くそうは見えない。ロボットみたいだ」

「少々、これから訪れる高低差(G)に対する、三半規管の心の準備が」

「高所恐怖症か? 怖いのか」

「絶叫マシンの恐怖より、推しと密着する隣の席で、自分の理性を保てるかの方が、やや恐怖ですわ」

「……ジェットコースター、全く関係ないな」

「だいぶあります。死活問題です」


 だが、ここで「無理です」と引くわけにはいかなかった。

 恋人としての、記念すべき初デート。

 しかも、九条さんはこの手のスリルを、完全に自然体で楽しんでいる顔をしている。

 ここで私だけが“高所が”“落差が”などとヘタレて後退したら、オタクとしてではなく、単純に彼の『恋人』として、隣に立つ資格がない惜しい気がしたのだ。


「乗ります。乗りましょう」

 私は、特攻する兵士のようにキッパリ言った。

「無理するな。大丈夫か」

「多分、生きて帰りますわ」

「だいぶ怪しいな」

「ですが」

 私は、震える胸を張る。

「推しの隣で、恥を捨てて大声で叫ぶのも、一種の吊り橋効果の供給かと」

「お前のその『供給』の定義が広すぎる。本当に大丈夫か」


 二時間近く並んでいる間、私はずっと手汗が滝のように大変だった。

 九条さんは、そんな青ざめた私を見て、少しだけ呆れたような、でもやさしい顔をしていた。


 そして、いざ、絶叫マシンの座席へ。


 ガシャンと下りる、重い安全バー。

 カタカタと音を立てて、ゆっくりと頂上へ上がるレール。

 どんどん高くなる、足がすくむような東京の景色。


「……ッ、む、無理ですわ……」

「藤咲」

「はい」

「お前のその手」

「……?」

「そこまで強く安全バーを握りしめると、自分の手に爪の跡がついて血が出るぞ」

「あ」

 私は、自分が真っ白になるほどのものすごい勢いで、安全バーにしがみついていることに気づいた。


 次の瞬間。

 九条さんが、ごく自然に、自分の大きな片手を、私の手の上へ差し出した。


「バーじゃなくて、こっち(俺)の手を握れ」


「…………」


 あらまあ。


 それはつまり。

 絶叫ジェットコースターの、落ちる頂上の直前に。

 隣の余裕顔の推しが。

 “怖いなら、遠慮せずに俺の手を強く握れ”と、そういう男前な意味でよろしいのでしょうか。


「ほら、早く」

「……ッ、は、い」


 私は、震える手で、そのあたたかい大きな手を取った。


 温かい。

 骨張っていて、しっかりしている。

 そして、これから奈落の底へ落ちる直前だというのに、彼の体温に触れただけで、不思議なくらい心細さが消えて安心する。


 その直後。

 ジェットコースターは、頂上から容赦なく垂直に落ちた。


「きゃああああああああああ!!」


 叫んだ。

 恥を捨てて、本気で悲鳴を叫んだ。

 風がすごい。息ができない。

 速い。

 落ちる。

 激しく曲がる。

 もう、重力的に無理ですわ。


 でも、その狂ったように叫んで落ちる間、ずっと。


 私の手を強く握る九条さんの手だけが、あたたかく、絶対に離れなかった。


 ◇ ◇ ◇


 フラフラになって降りた後。


 私は、近くのベンチで魂が抜けたようにしばらく動けなかった。


「……おい。大丈夫か」

 九条さんが、珍しく少しだけ気遣わしげに、冷たいミネラルウォーターを頬に当てて聞いてくる。


「……ええ」

 私は、虚無の瞳で遠くの空を見る。

「命は、かろうじてございます」

「大げさだな。声は一番出ていたぞ」

「ですが」

 私は、バクバクと五月蝿い胸元を強く押さえた。

「絶叫ジェットコースターの恐怖と、社長の手のあたたかさと、恋人扱いの強烈な供給が三つ同時に来ると、オタクの脆弱な心臓には少々致死量です」

「……やっぱり、理由はそっち(俺)か」

「完全にそちらですわ。重力より重いです」

 九条さんが、肩を揺らして小さく笑う。


「何ですの、笑って」

「いや」

「はい」

「さっき」

「……」

「コースターが落ちる時、お前がバーじゃなく、ちゃんと『俺の手』を握り返して頼ってくれたから」

「……」

「……少し、嬉しかった」

「ッ……!!」


 私は、ベンチからそのまま地面に滑り落ちて崩れ落ちそうになった。


 何ですの、その時間差の不意打ちの追撃は。

 アトラクションの終わりに、そんな、少しだけ素直な甘い声で。

 あまりにも、天然で反則ではありませんこと?


「……ッ、む、りです……」

「またか。何が無理なんだ」

「今のは」

 私は、真っ赤な顔で真顔で言った。

「だいぶ、だいぶ私の心臓によろしくありません」

「よく分からん。俺は本音を言っただけだ」

「分からないでくださいまし。計算なら悪魔です」

「なら、どうしろと」

「そのまま、私を甘やかさないで」

「面倒な注文だな」

「恋ですので。面倒なものですわ」


 九条さんは、呆れながらも、また少しだけ愛おしそうに笑った。

 そのあたたかい横顔を見て、私は静かに思う。


 ああ。

 私は本当に、今、この人の“彼女”なのだと。


 ただの秘書ではなく。

 仕事で裏から側で支えるだけの人ではあるけれど、それだけではなく。

 この人の隣で、堂々と手を繋いで、休日の遊園地を歩いても許される、特別な存在なのだと。


 その事実が、今さらみたいに胸の奥へジンワリと沁みてきて。

 少しだけ、泣きそうなほど、バカみたいに嬉しかった。


 ◇ ◇ ◇


 帰り道。

 夕暮れに染まる、オレンジ色の遊園地の中で、私たちはまた、ごく自然に手を繋いで歩いた。


 朝来た時より、少しだけ自然に、指を絡めて。

 でも、まだお互いに少しだけ、初々しくぎこちなく。


「藤咲。今日は」

 九条さんが、夕陽を見ながら静かに言う。

「はい」

「俺は、ちゃんと『ただの恋人』に見えたか」

「……」

 私は、彼の横顔を見て少しだけ考えてから、心底幸せに笑った。


「ええ。世界一素敵な恋人に見えたと思います」

「……そうか」

「ええ」

「それは、よかった」

「ですが」

「何だ」

「私は、まだ」

 私は、繋いだ彼の手へ、ギュッと少しだけ力を込める。

「あなたの、有能な『秘書』でもいたいですわ」

「……」

「仕事の時は、誰より完璧にあなたを支えて」

「……」

「休日のオフには、こうして恋人として隣へいて、手を繋いで」

「……」

「そういう二つの顔を持つのが、私にとって、一番幸せなオタクライフかもしれません」

 九条さんは、私の言葉に、少しだけ呆れたように目を細めた。


「……ああ」

 低い声。

 でも、ひどくやさしく、甘く響く。


「お前がそう望むなら、それでいい」


 その、すべてを受け入れる一言で、私はまた胸が幸せでいっぱいになる。


 休日の遊園地デート。

 初めての“彼女”としての甘い扱い。

 握ってくれた、推しのあたたかい手。

 ジェットコースターの絶叫より、ずっとうるさかった私の心臓の音。


 ――ええ。

 今世の恋人としてのボーナスステージ、想像以上に甘くて、オタクには危険すぎますわね。



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