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婚約破棄の瞬間に「前世の記憶」が戻りまして。〜ヒロインの座は譲りますので、私は推しキャラの側仕えを目指します!〜  作者: 綾瀬蒼


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102/124

第102話 ウザ絡みしてくるライバル企業の社長、お前アーサー(元王太子)か!

 残業中の深夜のオフィスで、私の限界オタクの心臓がエラーを起こした『抱きとめハプニングイベント』から二日後。


 私は、たいへん落ち着いた無表情のポーカーフェイスで、秘書課の自分のデスクに座ってキーボードを叩いていた。


 もちろん、内心は少しも落ち着いてなどいない。


 だって、あの夜以来、九条CEO――今世の私の最愛のクライス様が、ほんの少しだけ、書類越しに私を見る時間(秒数)を長くなさるのだ。

 いえ、私の自意識過剰な気のせいかもしれない。

 気のせいかもしれないのだけれど。

 あの方、前世から現在に至るまで、もともと無駄な視線を他人に飛ばすタイプではないので、“少しだけ見つめられる時間が長い”というその事実の時点で、こちらの心拍数(BPM)にとっては命に関わる大事件なのである。


「藤咲さん」

 隣の先輩秘書が、周囲を窺いながら小声で言った。

「はい。何でしょう」

「最近、社長と何かあった?」

「……何か、とは」

「いや」

 先輩は、探るような微妙な顔をする。

「前より、ちょっとだけ、社長が藤咲さんを見る視線がやわらかい(甘い)気がするんだけど」

「……」

「気のせいかしら?」

 私は、タイピングの手を一切止めず、一拍置いてからニコヤカに営業スマイルで答えた。

「大変、疲労による気のせいかと」

「そう?」

「ええ。私はただの有能なモブ秘書です」

「でも」

「何でしょう」

「今、藤咲さんの耳、すっごく赤いよ?」

「……空調の問題ですわ。乾燥しておりますの」

「もうちょっと他のマシな言い訳なかった?」

 ありませんわね。オタクは推しの視線を感じるだけで毛細血管が限界を迎えるのです。


 そんな、公私混同ギリギリの少々よろしくない精神状態の中。

 本日の社長のスケジュール予定表には、ひときわ面倒そうな、視界のノイズになる文字が躍っていた。


『十三時 三社合同協議(役員会議室)』

『相手先:アーサー・テック株式会社 代表取締役社長 有栖川ありすがわ 玲央れお


 私は、その文字列を見た瞬間、ピタッ……とタイピングの手を止めた。


「……あら」


 有栖川玲央。


 名前だけなら、何のこともない。現代日本のありふれた、少し気取った名前だ。

 だが、この『アーサー・テック』という会社名。

 そして、最近やたらと新興IT企業としてメディアに露出し、うちの会社(推し)へ規模も違うのに喧嘩腰に張り合ってくるその傲慢な経営スタイル。

 さらに、業界紙で見かけた社長インタビューでの、痛々しい発言の数々。


 ――“自分のひらめき(直感)が世界を変える”

 ――“凡人は天才のスピードについてこられない。俺の会社だ”

 ――“細かい数字は、俺の情熱のずっと後からついてくる”


「……」

 私は静かに、死んだ魚のような目でモニターの文字を見つめた。

「どうしました? 怖い顔して」

 チーフが、私の異変に気づいて声をかけてくる。


「いえ」

 私はごく穏やかに、殺意を隠して微笑んだ。

「少々、今日のスケジュールに『最悪に嫌な予感』がしただけですわ」

「ああ、今日の相手?」

「ええ」

「アーサー・テックの有栖川社長ね?」

「ご存じで?」

「この業界にいれば有名よ」

 チーフが、ひどく嫌そうに眉をひそめる。

「良くも悪くもね。主に悪い意味で」

「でしょうね」

「若くして投資家の金で急成長したITベンチャーではあるけど、トップのワンマンぶりと、気分屋な指示のせいで、社内離職率が異常にひどいって専らの噂よ」

「……」

「何でそんなことが分かるんだろうってくらい、入社した優秀な重要ポストの人間が、社長とぶつかってすぐ辞めて定着しないらしいわ」

「まあ」

 私は口元へそっと扇を当てるように、手を当てた。


 ええ。

 もう、完全にだいぶ答えが見えてまいりましたわね。


「藤咲さん?」

「はい」

「今、何か妙に『あいつならやりかねない』って納得した顔しなかった?」

「気のせいですわ」

「最近それ多いわね。ごまかせてないわよ」

「多分、本当にチーフの気のせいですわ」


 だが、私の胸の内では、単なる警鐘というより、前世の忌まわしい記憶と結びつく『完全な確信』に近いものがガンガンと鳴り響いていた。


 他人の意見を聞かないワンマン。

 思いつきだけの薄っぺらい行動。

 無自覚なナチュラル・上から目線。

 実務能力が全く伴わないくせに、自分だけは選ばれた特別な存在(主人公)だと思っているタイプ。

 そして、周囲の優秀な人材の忠言を無視して、すり潰す無能な運営。


 あらまあ。


「お前」

 私は心の中で、キーボードを叩き割らんばかりの勢いで静かに呟いた。

「……あのポンコツ王太子の『アーサー』ですわね?」


 ◇ ◇ ◇


 十三時。

 クライス・ホールディングス、三十階の特別会議室A。


 三社合同協議とは名ばかりで、実質はIT業界の再編を見据えた、腹の探り合いに近いピリピリとした席だった。

 我が推しが率いる、業界最大手『クライス・ホールディングス』。

 有栖川社長の率いる、新興ベンチャー『アーサー・テック』。

 そして、その大型買収案件の間に入る、巨大な『外資系投資ファンド』一社。


 つまり、九条CEOにとっては、極力無駄を省きたいが、莫大な金が動くため無下には省けない類の、最もストレスの溜まる会議である。


「社長、本日の会議の資料、私の手で調整した最終版です」

 私は九条CEOのデスクへ、完璧に整えられたファイルを差し出した。

「確認済みだ。完璧だ」

「ありがとうございます」

「相手方の『有栖川社長の追加発言ログ』も入れたのか」

「ええ」

 私は有能な秘書の顔で頷く。

「過去三か月分のすべてのメディアインタビュー、IRの発表資料、そして社長個人のSNS(裏垢含む)での不用意な失言まで、すべてツールで拾って分析・リスト化しております」

「……」

「大変、自己顕示欲の傾向(地雷)が分かりやすい、単純なお方でしたので」

 九条CEOの目が、わずかに鋭く細まる。


「何か、致命的な穴が見えたか」

「ええ」

 私はニッコリと、悪魔のように笑った。

「かなり。穴だらけのボロボロですわ」

「なら、会議の途中でサインを出したら後で言え。撃ち抜け」

「承知いたしました」


 私たちが会議室へ入ると、相手方はすでに到着して席に着いていた。


 外資系投資ファンド側は、いかにも数字に強い仕事のできるエリートの面々で揃っている。

 無駄のない上質なスーツ。

 落ち着いた姿勢。

 発言前に渡された資料の要点へ素早く目を落とす、ビジネスの基本ができているちゃんとした人たち。


 問題は、その向かいの席だった。


「やあやあ」

 気障ったらしい、耳障りな声が響く。

「九条社長。ようやくお会いできて光栄ですよ。待たせますね」


 私は、その男の顔を見た瞬間、心の中で深く「やっぱり」と納得した。


 ああ。

 はい。

 間違いありませんわ。完全な解釈一致です。


 整った、アイドルのような顔立ち。

 年齢不相応な、派手で高そうなブランド物のスーツ。

 だが、全体に漂う“自分は他人より少し上等な生き物である”という、中身の伴わない勘違い臭。

 口元はニヤニヤと笑っているようで、目だけが相手の足元を値踏みしているところまで含めて、前世のあの学園で見た王太子の記憶と実に見覚えがある。


 しかも、初対面の目上の相手に対する座り方が、微妙にふんぞり返って偉そうだ。

 肩の抜き方も、“余裕のある若き成功者”を必死に演出しているつもりなのだろうが、ただ教養と品がない。


「…………」


 私は、無意識に“道端の生ゴミを見る目”になっていたらしい。


「藤咲」

 横から、九条CEOの低い注意の声が落ちる。

「はい」

「顔が怖い。殺気が出てるぞ」

「失礼いたしました」

 私は即座に、能面の営業用の微笑みへ戻した。


 だが、内心の結論はただ一つである。


 お前、絶対にアーサー(元王太子)ですわね。

 現代日本にまでしゃしゃり出てきて、私の推しの視界のノイズになるとは、いい度胸ですわ。


 ◇ ◇ ◇


 会議は、開始五分で呆れるほど面倒な展開になった。


「我々としてはね」

 有栖川玲央社長――つまり、たぶん今世のアーサーが、事業計画書をロクに見ずにニヤニヤと言う。

「今のこの業界には、もっと圧倒的な『スピード感』が必要だと思っているんですよ」

「……」

「業界の再編において、九条社長のように石橋を叩いて渡るような慎重すぎる姿勢は、むしろ時代遅れで機会損失でしょう? もっと直感でいきましょうよ」

 九条CEOは、1ミリも挑発に乗らず、無表情のまま冷酷に答える。

「ビジネスにおいて、スピードは重要です」

「でしょう?」

「ですが」

「……」

「財務の裏づけのない、思いつきだけの規模の拡大は、ただの『大事故(倒産)』です」

「……ッ」

 有栖川社長の薄っぺらい笑みが、ほんの少しだけピキッと引きつった。


 ああ。

 そうでしょうとも。


 前世の領地経営の時でも、全く同じでしたわね。

 アーサーは、“自分の感情と勢い”で周囲を強引に押し切るのは好きでも、“冷静に数字と現実のデータ(証拠)を突きつけられて否定される”のは、プライドが傷つくから大嫌いだった。魂のレベルで成長していませんのね。


「いやいや、固いな」

 有栖川社長は、薄い笑みを無理やり張りつけ直す。

「もちろん、細かい数字やコンプライアンスなんてものは、勢いで買収したあとから、優秀な部下に整えさせれば――」

「『整えられる状態なら』、ですね。火の車になってからでは遅い」

 九条CEOが、氷の刃のような声で淡々と返す。


 その一言で、会議室の空気がマイナス十度くらいに少しだけ冷える。

 外資ファンド側の担当者たちは、間に挟まれながら内心で“厄介なことになったな”と思っている顔だ。

 ええ、分かりますわよ。

 今日のこれは、傍から見れば、だいぶ“面倒な若手社長同士のバチバチの対決”に見えておりますものね。


 だが、前世の記憶を持つ私から見れば違う。


 これは。

 有能極まりない『氷のCEO(最強の騎士)』と、頭のお花畑な『ポンコツ王太子』の、大人と子どもの再戦である。


 しかも今世では、野蛮に剣や魔法で殺し合うのではなく、現代社会のルールである『数字と企業価値とコンプライアンス』で殴り合っているだけだ。

 平和ですわね。

 いえ、一歩間違えば会社が飛ぶので、平和と言ってよいのかは少し怪しいですけれど。


「九条社長は」

 有栖川社長が、論破された悔しさから、やや上から目線のまま嫌味に続ける。

「業界最大手だからといって、少し守りに入って慎重すぎるきらいがある」

「……」

「もっと若手らしく、大胆に僕のように動いてもいいのでは? 失敗を恐れていては――」

「それで?」

 九条CEOの地を這うような声は低い。

「その思いつきで動いて、事業が失敗した時の『数千億の負債の責任』は」

「……」

「誰が取るんだ」

「それは、もちろんCEOである僕が」

「“もちろん”と、その薄っぺらい口先だけで済ませる気なら」

 九条CEOは、虫ケラを見るような目で冷たく言い捨てた。

「その時点で、経営者として話にならない。帰れ」


「ッ……!!」


 ああもう。

 ええ。

 知っておりますとも。

 その、相手の無能さを1秒で切り捨てる容赦のなさ。

 大変、前世のクライス様みが強くて、オタクとして最高によろしいですわね。拍手喝采ですわ。


 私は内心でスタンディングオベーションを送りつつ、表面上は秘書として完璧に無表情を保った。


 すると、その時だった。


 有栖川社長の視線が、九条CEOに言い負かされた苛立ちから、ふっと、後ろに控えるこちら(私)へ流れた。

 ほんの一瞬。

 だが、その目には、格下を見下すような嫌な光があった。


「しかし」

 彼が、劣勢を誤魔化すように急に話題を変える。

「九条社長の後ろに控えているところの秘書は、ずいぶん若い女性の方なんですね」

「……」

「仕事は有能だとは噂で聞いていますよ。顔も悪くない」

「……」

「でも」

 そのニヤついた目が、私へ向く。

「この手の何千億が動く重い交渉の場は、もっと年季の入った、経験豊富な『男の役員』を連れてきた方が、向いているんじゃないですか? 飾りのお飾り秘書じゃ、話についてこれないでしょう」


「…………」


 あらまあ。


 出ましたわね。

 “自分より優秀な男に勝てないから、その隣の女を軽く扱うことで、自分が精神的に優位に立った気になるタイプの、底辺の雑な牽制”。


 前世でも全く同じことがございましたわね、こういうの。私を公爵家から追放した時のように。

 アーサー、あなた本当に、魂のクズの癖が変わりませんのね。哀れですわ。


 私がコンプライアンスの刃で反撃の口を開くより先に、九条CEOが絶対零度の声で冷たく言った。


「有栖川社長」

「はい?」

「うちの優秀な人事と、俺の選んだ『最高の秘書』へ、部外者が口を出す立場ですか」

「いや、そういう意味じゃなくて、ただの親切心で――」

「なら」

「……」

「無駄口を叩くな。話を戻してください」


 外資ファンド側の担当が、冷え切った空気に気まずそうに咳払いした。

 有栖川社長は笑みを保とうとしていたが、その目元は完全にプライドを折られてだいぶ苛立っている。


 ああ。

 本当に。

 見れば見るほど、間違いありませんわね。

 あの頃と同じ、ただの無能ですわ。


 ◇ ◇ ◇


 会議終盤。

 投資ファンド側が提案した三社共同プロジェクト案について、有栖川社長が、いかにも自分だけが思いついた天才のアイデアかのように、得意げに新しい買収スキームを語り始めた。


「ここで一気に、我々の子会社を噛ませて資本回収の導線を作れば」

「……」

「短期的な我が社の評価額は跳ねる。ウィンウィンだ」

「……」

「市場へのインパクトも十分です。やりましょう」

 私は、九条CEOの後ろで、黙ってその提案資料のパワポを見ていた。


 数字。

 スキームの図。

 右肩上がりのグラフ。


 一見すると、派手で投資家受けする魅力的なプレゼンに見える。

 だが、前世で領地経営のドロドロの裏帳簿を暴いてきた私の目から見れば、中身は致命的な穴だらけだ。


「あら」

 私は、思わず小さく、呆れたように呟いた。


「何か?」

 外資ファンド側の担当者が、私の呟きに振り向く。

 九条CEOの視線も、こちらへ向いた。


 私は一拍置いた。

 本来、ここはただの秘書が口を出す場ではない。

 だが、九条CEOは、私が致命的な『何か(地雷)』に気づいたと目で分かると、短くゴーサインを出した。


「言え、藤咲」

「……承知いたしました」


 私はタブレットを操作し、メインモニターの資料の一頁を拡大して開く。


「有栖川社長、この資本回収導線の計画ですが」

「はい? 何かな、秘書クン」

 有栖川社長が、女に口出しされたことに露骨に不愉快そうな顔をする。

「法人税と国際税務の想定が、少々、いや致命的に甘いです」

「何だと?」

「こちらの子会社経由での利益の再配分」

 私はレーザーポインターで、図の矛盾点を示した。

「この強引なスキームだと、国際課税のルール上、『二重計上リスク』が極めて高く、最悪の場合、後から莫大な追徴課税を受けます」

「そんなはずはない! うちの優秀なCFOが作った資料だ!」

「ございます」

 私はニコヤカに、真顔で答える。

「加えて、御社が前四半期で行った、プレスリリース前の同種の不自然な資産移動」

「……ッ」

「先週発表されたIRの開示資料の数字と、この提案書の前提数字が、まったく『整合しておりません』が。粉飾ですか?」

 会議室が、水を打ったように静まり返る。


 有栖川社長の顔色が、ほんの少しだけサッと青ざめて変わった。

 ああ。

 踏みましたわね。

 完全なる図星(ブラックな処理)ですわね。


「藤、藤咲さん、でしたか」

 彼が、引きつった顔で薄く笑う。

「ただの秘書の立場で、随分と他社の経営の数字に踏み込むね」

「提出された資料の矛盾と数字の確認は、有能な秘書の仕事ですので」

「……」

「それに」

 私は静かに、首を傾げて冷酷に続けた。

「経営判断の前提となる数字が最初から崩れて(嘘をついて)おりますと、私の社長の貴重なお時間が無駄になりますので」

 九条CEOの横で、外資ファンド側の担当者が、明らかに顔色を変えて手元の資料の数字を血眼で見直し始めた。


「ちょっと待ってください、有栖川社長」

 ファンドの責任者が、険しい顔で言う。

「この再配分の数字のズレ、たしかに藤咲さんの言う通り、致命的な説明不足と矛盾がある」

「でしょう?」

 私は穏やかに、トドメを刺すように頷いた。

「しかも」

 私は手元の端末から、事前に調べておいた次の決定的なデータを開いた。

「御社、直近の三ヶ月で、このスキームを立案したはずの関連会社のCFO含む、財務の重要ポストの人材流出(退職)が連続して続いておりますわね?」

「……ッ!」

「内部の統制がボロボロに甘いこの時期に、こんなリスクの高い自転車操業のスキームに乗ることは、我が社にとって危険すぎます」

「君……!」

 有栖川社長の声が、一気に怒りで冷えた。

「一介の秘書が、うちの内情を……どこまで調べた」

 あら。


 はい。

 その、プライドを傷つけられた時の小物な問い方。

 前世でも、自分が不利になると“誰がそんな情報を漏らした!”とヒステリックにキレ気味に聞いてくるところ、本当に魂が1ミクロンも変わっていませんわね。


「すべて、誰でも見られる『公開情報の範囲』です」

 私はニッコリと、完璧な秘書の笑顔で笑った。

「十分に調べれば、誰でも分かることですわ」

「……」

「社長」

 私は九条CEOの方を向いた。

「本件、現時点での前向きな検討は、我が社にとってリスクが高すぎます。お断りするべきかと」

「完全に同意する」

 九条CEOは、1秒の迷いもなく即答した。


 その絶対的な一言で、数千億の会議の流れは完全に決まった。


 有栖川社長は、もう余裕の笑みを保てなくなっていた。

 それでも必死に取り繕おうとしているあたり、ある意味では前世の傍若無人な王太子時代より、少しだけ現代の社会性を覚えているのかもしれない。

 でも、根っこの腐った部分は同じだ。


 見栄。

 傲慢。

 そして、自分の無能さに対する圧倒的な無自覚。


 会議終了後、ファンドの人間が呆れて席を立ち始める中。

 有栖川社長は、すれ違いざまに私へ向かって、捨て台詞のように低く言った。


「……君、女のくせに生意気で、本当に感じが悪いね」


 私は、一瞬だけ足を止め、彼を見た。


 そして。

 多分、前世であの性悪ヒロインのミレーヌへ向けた時と全く同じくらい、絶対零度の冷たい目になっていたと思う。


「最高の光栄です」

 私は静かに、蔑むように答えた。

「私の嫌いな無能なタイプには、常にそう思われがちですので」


「……ッ!!」


 有栖川社長の表情が、屈辱で醜くひきつる。


 ああ。

 はい。

 確定ですわね。


 お前、やっぱり中身はあのポンコツのアーサーですわ。


 ◇ ◇ ◇


 会議後、勝利を収めて執務室へ戻る途中。


 九条CEOが、ふと廊下で足を止めた。

「藤咲」

「はい、社長」

「今日の相手の有栖川」

「ええ」

「俺はおろか、ただの秘書である君に対してまで、妙に個人的な『敵意』が強かったな」

「……」

「何か、個人的な心当たりがあるのか」

 私は、少しだけ歩きながら考えた。


 ここで「前世で私を婚約破棄した因縁の王太子の転生体です」などとオカルトな真実を言うわけにはいかない。

 だが、完全にごまかして嘘をつくのも違う気がした。


「ああいう『タイプ』として」

 私は言葉を選んで、静かに答える。

「昔から、生理的に苦手な類なのです」

「……」

「自分の実務能力が全く伴わないのに、他人を見下して、自分が特別な人間で一番上だと思っている傲慢な方は」

「そうか」

「ええ」

 九条CEOは、それ以上は野暮な詮索は聞かなかった。

 ただ、「俺も同感だ」というように小さく頷くだけ。


 その信頼の滲む横顔を見て、私は少しだけホッと息を吐く。


 今世のアーサーも、やはり経営者として致命的に面倒そうだ。

 しかも、巨大な敵対企業の社長という形で私の前に再登場するとは。

 現代日本、妙なところで前世の因縁フラグを律儀に回収してきますわね。


 でも。

 別に、構わない。


 だって今の私は、ただの虐げられるだけの令嬢でも、ただの弱い秘書でもない。


 前世で過酷な領地を救い、腐敗した教国を物理で崩し、魔王すらワンパンで討った最強の女である。

 そして何より。


 今世でも、私は世界一格好いい推しの会社(日常)を、一番近くで守る側にいる。


 私は小さく、でも確かな決意を胸に抱いた。


 ――よろしいですわ、アーサー。

 ――今世では、前世のような魔法や暴力ではなく、現代の『合法と実務とコンプライアンスの刃』で、社会的にきっちり息の根を止めて(倒産させて)差し上げますわ。

 覚悟なさい。



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― 新着の感想 ―
アーサー、一応、最後に(ちょっとだけ)株上げてたのになぁ・・・
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