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7.その杯に美味い空気を

 それから2回の小休止をはさみつつ、歩くこと1時間――大きな上部空間がある街路から、オフィスの通路のような業務区画へ入った。壁と天井が圧迫感を与えてくるが、ライトの光が反射され周りが見やすくなったから安心感も増した。


 前を歩いていた彼が、あるドアをライトで照らし立ち止まる。


「……ここですね」


 そのドアの上のプレートには「第2シミュレータ室」と書かれている。ぼくも訓練で来たことはあったが、こう真っ暗だと初めて来た場所に思えた。


「ドアは開かない……緊急開扉用ハンマーは……」


 船内図をたどった彼は、ある一点で指を止めた。


「ここ、か。少し遠い……」


 そのまましばらく思案した後、彼は船内図から顔を上げた。


「私は緊急開扉用ハンマーを取ってきます。あなたはこの辺りにある酸素吸入器をあるだけ確保してきてください」

「酸素吸入器、ですか?」


 ぼくが聞き返すと彼はうなづいて続ける。


「先ほどの騒音から考えるに、船体の気密は破れています。メインシステムの復旧に時間がかかった場合、ここも気圧が下がってくるでしょう。幸いここには我々しかいませんから、酸素吸入器は二人で独占できます。だいぶもつはずです」


 一時的な減圧にしか対応できない非常用酸素吸入器、それを独占していくつも使いながら――そんな状態でメインシステムを復旧させても、抜けてしまった空気はどうするか、気圧を元に戻せるか。


「……分かりました」


 考えるのは、やめにした。

 ぼくたち二人がどう頑張っても、空気の問題には対処できないだろう。ここは他の誰かがうまくやってくれると信じて、ぼくたちは送電再開の操作とシステムの再立ち上げをうまくやる。それ以外にできることはないんだ。


「船内図は私が持って行きます。あなたはこの通路沿いにある酸素吸入器を集めてください。角を曲がったり、他のフロアに移動したりはしないように」


 その指示は船内図を持たないぼくが道に迷わないよう配慮したものだろう。1フロアくらいなら上下に移動しても問題なさそうにも思ったが、余計なことをして失敗をしてもつまらないかと思い直し、彼の言う通りにすることにした。


・・・・・・


 ぼくは通路の壁をライトで照らして格納扉を探し、見つけ次第中身をかっさらっていった。非常用酸素吸入器はそれほど重いものではないはずだったが、こうも何度も運ぶとさすがに腕が重くなった。

 探しに出ること5回、ぼくが酸素吸入器を3つまとめて抱きかかえて戻ると、通路の先に彼のものらしいライトの光が見えた。

 戻ってきた彼は右手にライトを、左手に緊急開扉用ハンマーを持ちにくそうに持っていた。


「お待たせしました。……たくさん集まりましたね、ありがとうございます。それでは、すぐここを開けましょう」


 そう言って彼はライトを床に置き、ハンマーを両手で持つ。代わりにぼくがドアを照らした。

 ドアに書かれた目印――小さな赤いひし形のマークにハンマーが叩き込まれると、崩れるように穴が開きはじめる。やがて穴は人ひとりがもぐり込めるほどまで大きくなった。


「これくらいで……いいですかね……」


 肩で息をしている彼。途中で交代するという、気の利いたことをぼくは全く考えていなかった。

 ……だけど彼も、助力を求めずひとりでハンマーを振るい続けていた。あんまり器用な人ではないのかもしれない。


 彼が穴から中に入って、ぼくが集めた酸素吸入器を外から手渡して運び込む。最後のひとつを渡してからぼくも穴をくぐって、これで「第2シミュレータ室」に籠城する準備は整った。


・・・・・・


 室内に入ってライトであちこちを照らし、適当な席を探した。彼は制御卓に並んだ点かないモニターをひとつずつ照らしていたが、やがて横長の制御卓の隅でその光を止めた。


「ここがいいでしょう、ほら」


 そう言われそばに寄って見てみると、そこには小さなアナログの計器が取り付けられていた。

 気圧計、それから温度計や酸素濃度計――環境制御システムの制御卓だ。


「あなたは、ここのオペレーターでしょう――?」


 彼にそう言われ、ぼくは思わず背筋を伸ばした。環境制御システムはぼくの担当部署――ここはぼくの専門分野。


「……と、いうのはまあ冗談で」

「……」


 ……。


「ここに非常用の気圧計がありますから。現在の気圧くらいは分かるでしょう。もし下がりすぎるようなら酸素吸入器を使いましょう」


 まあ……システムが全部ダウンして電気も来ていない今、この制御卓からでは何もできないのだけれど。ぼくにしかできない役割とか、なにかそういうものでもあるのかと思ってちょっと……なんか、うん。


「それでは私は制御系をこちらに繋ぐ作業をしてきますので、あなたは酸素吸入器をここに持ってきておいてください。……どうかしました?」

「いえ、なんでも」


 彼は少し不思議そうな表情を浮かべたが、やがてきびすを返しライトを持って部屋の奥へ歩いていった。


・・・・・・


 ぼくはひとりで環境制御システムの制御卓に酸素吸入器を集めた。思ったより時間がかかったが、彼が戻ってくるまでにはそれ以上に長くかかった。


「すみません、お待たせして」


 戻ってきた彼の手には、軍手がはめられていた。


「それ、どうしたんです?」

「え? ……ああ、これ」


 彼は制御卓にライトを置いて、無造作に軍手を外す。


「着けっぱなしでしたね。なにしろメインシステムがダウンしてます、制御系切り替えの作業は全部手動になりますから」


 この人は見かけによらず、そんな力仕事をしていたらしい。たったひとりで。


「さあ、座って。これから先、無駄な体力消費はひかえることです」


 促されて、ぼくは制御卓にライトを置いて席に座った。もう明かりは一つだけでいいと、彼は自分が持って来たライトを消した。

 普段座り慣れているのと同じ、環境制御システムの制御卓。この真っ黒なモニターにいつもの表示が戻ってくる――それまで頑張るんだ。


・・・・・・


 ゆっくりと繰り返す揺れと、くぐもった非常ブレーキの金属音。広い第2シミュレータ室に、ぼくは手持ち式ライトひとつだけの明かりを頼みに彼と並んで座り続けた。頼りないその明かりを見ていると、昔見た映像作品に出てきた、焚き火を囲んで座っているシーンが思い浮かんだ。

 ぼくは今日まで知らない人だった彼に何を話したらいいか分からず、「無駄な体力消費はひかえることです」という彼の言葉を思い出して、ここはもう口を結んでおくことにしようと思った。


「……あの」


 そして逆に口を開いたのは、彼だった。


「すみません、なんだか気が滅入りそうで。なにしろ電気は来ないし個人用端末も持ってはいないし、本も読めず音楽も聴けず……こんな沈黙は初めてなものですから」


 この人も、そんなことを思うのか。メインシステム担当で冷静にここまで行動してきた優秀な雰囲気をまとう彼も、普段は本や音楽を楽しんだりしているのだろうか。


「……電気がないと、なにもできませんからね」

「ええ、まったく」


 会話はすぐに終わりかけ、ぼくは焦って次の言葉を探した。


「えーと……あの、焚き火……」

「――?」


 そして何の脈絡もないことを言ってしまったが、もうどうにでもなれと思ってその話を続けることにした。


「焚き火って、知ってます?」

「ええ、まあ」


 優秀そうな彼らしく、焚き火というものはその知識にあったらしい。


「今のこの光が、なんだか焚き火に似ている気がするというか、まあ……」


 ――だからどうした、と自分で思った。


「……へえ」


 遅れてきた彼の答えは、意外に明るい声色だった。


「焚き火――確かに、映像で見たものと雰囲気が似ていますね。本当に地面で火を焚いたら、こんなふうになるんでしょうか」


 この船の中で、そんな無防備に火を焚くことは許されない。だから映像の中のように、地面で火を焚いたら実際どう見えるのか知っている者は誰もいない。


「……分かりません。地球でなら、簡単にできるんでしょうけど」

「そう、そうですよ。花火もそうだし、大昔の……タバコ? というやつも。昔から言い伝えられているものは大体、みんな『地球でなら』って――」


 地球でなら――それはこの船に乗っている者はみな、人生のうちに幾度となく聞く言葉だった。

 彼は背もたれに背中を預けて、この「焚き火」の届かないシミュレータ室の暗闇を見つめた。


「――『地球』って、あると思いますか」


・・・・・・


 地球――ぼくたちの先祖が旅立った星、この船が建造された場所。そこは人類の故郷。

 ぼくたちは地球で設計されたコンピュータを、地球で作られたプログラムを使い、地球で書かれたマニュアルを見ながら動かし暮らしている。この船は地球で計画された飛行経路をたどって、長い長い恒星間飛行を続けている。


「……ない、ような気がします」


 しかしぼくはそう答えた。知識としては知っていても、どこか信じることができないでいるように思えた。


「あなたも、そう思いますか」


 そう言って、彼はため息をついた。


「ぶ厚い大気の層を持ち、多少の隕石がぶつかっても壊れない地殻があり、恒星の光が熱いほど降り注ぐ天体――だなんて、信じられませんよね」

「ええ。酸素の供給や二酸化炭素の除去、温度の調整、その他一切のメンテナンス不要。そんな都合のいいものは……誰かが想像ででっち上げただけ、と言われても疑いませんよ、実際のところ」


 ぼくもそう言ってため息をつく。ぼくたちが毎日神経質に管理しているものの全てが制御なしで自然に維持されている――それはあまりにも、人間にとって都合が良すぎやしないか。

 人類がそこで生きるようにできているからそうなのだ、ということは分かってはいるけれども。


「そのような天体が実在するのだとしたら――」


 彼は暗い天井を仰ぐ。


「我々の祖先はどうして、そこを出てきてしまったのでしょう。『恒星間移住計画』だなんて、やらなくてもよかった。住みよい天体が、すぐ足元にあったのに。……実は地球なんてなくて、我々は初めからこうして宇宙に住んでいるのではないですかね」


 そう言って彼は、ぼくに向かって少し笑ってみせた。

 きっと冗談で言ったのだろうけど、彼の声色も雰囲気も、話の内容もあまり冗談に聞こえなくて……彼はどうも冗談が下手らしい、ということだけは分かった。


「……なら、この船は誰が作ったんです? 船体もそうだし、動いているシステムも、動力炉も、何もかも。少なくとも今ここでは、作れそうにありませんよ」

「うーん……」


 うなる彼を見て少し笑ったら、彼はきまりが悪そうな顔をして前を向いた。


「……もし本当に『地球』があるのなら、そこにはきっと、今も我々と同じ人類が住んでいるのでしょうね」

「ええ」

「我々を送り出した後、我々のような苦労をせず過ごし続けているんでしょうね」

「……ええ」


 彼はもう一度、ため息をついた。


「どうせ生まれるのなら、その『地球』の方に生まれたかった。この船ではなくて」


 それは――それはたぶん、この船の誰もが頭のどこかで思っていることなんだろう。望んでこの船に乗ったわけじゃないのに、と。


 返事が思いつけなくて、ぼくも彼もそれきり黙り込んだ。


・・・・・・


「そろそろ、酸素を吸いましょうか」


 彼が気圧計を指さしてそう言った。

 船内気圧が、こんなに下がってしまった。復旧までに、どれだけの苦労と困難があるだろう。これからぼくたちは、気の遠くなるような道のりを歩まねばならない。


 酸素吸入器をそばに寄せ、黄色いマスクを取り出す。まだ発電機が動いた様子はなく、誰とも連絡もとれない。動力炉を扱う者はまだいるだろうか、各システムの立ち上げを行ってくれる者はまだ待っているだろうか。船体の補修は、いま誰かやっているだろうか。


「もし、全部うまくいったら――」


 ぼくがそう言うと、彼はマスクを付けようとしていた手を止めた。


「うまくいったら、関係者みんな集めてどこかで乾杯でもしたいですね」


 喜びと、苦労話にさぞ花が咲くだろうなと。

 どうせなら、彼とももっと話してみたい。ちゃんとした明かりの下で。


 彼は少し肩をすくめた。


「私は、お酒は飲めませんが――」


 そう言って、手元の酸素マスクを掲げてみせる。


「美味い空気を、グラスに一杯」


 彼はちょっと得意げな笑みを浮かべ、それから酸素マスクをつけた。

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