エピソード6 呼び方は苗字な日常
須藤が主婦三人組を面接を経て採用した際、一つ決めたことがある。
それは三人を苗字に『さん付け』で呼ぶことを徹底しようと。
昨今小学校でもあだ名呼びが禁止されていることを、子供から聞かされ知っている須藤だが、他にも『さん付け』に拘る理由があった。
かつて珈琲の知識と技術を身につけるために勤めていたとある飲食店ではホールスタッフはほぼ女性だった。
その店はスタッフ間の仲の良さを売りにして正社員やアルバイトの募集をその手のフリーペーパーに記載していたほど。
実際にそこの店長はコミュニケーション能力が高い人だな、と思ったしスタッフ同士で和気藹々と楽しく仕事をしているのを須藤自身が感じていた。
それもあってか、各自呼び方は統一されておらず、仲良しなら呼び捨てやあだ名で呼んでいた。
ところが。
須藤がそろそろ独立のため退職する日付について相談しようかと思い始めていたある日。
「須藤さん、ちょっと相談が」
ホールスタッフの一人、二十代前半の女性から突然そう声をかけられた。
ただならぬ雰囲気を察して、話を聞いて須藤は何とも複雑な気持ちになったが納得した。
「事あるごとに肩叩いたり握手しようとしたり、あれ何なんですかね?」
まず、相談とかいて愚痴と読む話はそれから始まった。
「セクハラじゃないのは分かるんですけど、私ああいうの本当にしんどくて」
愚痴はどんどん重みを増し。
「潔癖ではないと思うんですけど……とにかく、本当に『あ、ダメだな』って日があるんですよ」
そうしてトドメは。
「私……特に店長の『ちゃん呼び』ホントに無理なんです、頼み事してくる時は特に。馴れ馴れしい超えて気持ち悪い声じゃないですか」
その時、同意は求めないでくれと須藤はいいかけたのを頑張って飲み込み。
「そっかぁ、それはしんどいよなぁ」
と返した。
須藤はそこで学習したのである。
オッサンに『ちゃん付け』されるだけでも無理だと思う女性がいる、と。
もちろん、その店長がやたらと距離感がバグっており、ボディタッチが多く、コミュニケーション能力が高すぎて誰彼構わず直ぐに飲みや食事に誘うのは、女性に限らず男性でもそういうのを苦手としたり嫌う人もいる。事実そのアルバイトだけでなく『店長ウザい』と裏で言っている人を須藤は目撃したことがあるほどだ。
だとしても、『ちゃん』がダメなら何がいいんだという話になる。
そうして出た結論が、『さん付け』だった。
須藤は退職する前に、店長に遠回しにそのことを伝えたが、今となっては確かめようがないので改善されたかどうかは不明である。
「明日からアルバイトで学生の山内くんって子が入ってくるのでよろしくお願いします」
「わかりました」
「あ、因みにあだ名とかちゃん付けは一応禁止ってことでいいですか? そして苗字でお願いします」
「了解でーす。てゆーか、今小学校でもさん付けか君付けですからね、学生の子たちもその方が慣れてるからちょうどいいですよ」
かつてアルバイト山内の採用が決まった時に、そんな会話をしたのが野村。
「やっぱりそうなんですかね?」
「多いんじゃないですか? あだ名なんて特にいじめに繋がることもあるからかなり厳しく見てる学校もありますしね」
「酷いあだ名つける奴いますからね。子供がやられたらマジでぶちギレ案件ですよ」
「ですよね」
子を持つ親として、そんな真面目な話をした。
「そう言えば店長ってあだ名で呼ばれてたことありますか?」
気になって聞いてみたは話の流れでそうなっただけ。
「俺っすか? 『素うどん』って呼ばれた時期ありました」
『すどう』を捻って幼馴染が呼んだらしい。そしてそれが更に捻りを効かせて『きつねうどん』になり、そこから更に進化を遂げて最終的には『粉モン』と呼ばれた時期があったという。
その後、野村の発信で主婦組と学生組は須藤が忙しいあまり態度が荒くなったり機嫌が悪くて素っ気ない態度を取ったりして彼らをちょっとイラッとさせると、そんな彼らに『粉モン』と影で呼ばれる事があることは、本人は知らない。




