エピソード7 ショックを受ける日常
日曜日。この日出勤していた店長須藤、三崎、アルバイトの佐々木と山内は見かけは静か、けれど確実に激しく心は高揚していた。
遡ること1時間前、店に問い合わせの電話が入った。
問い合わせ内容は店内は禁煙か喫煙か。
対応した三崎はこう答えた。
「当店は禁煙となっておりますが、ビル1階に喫煙スペースがございますので喫煙されるお客様はそちらをご利用いただいております」
と。
今や禁煙が当たり前。飲食店に限らずビル全体が禁煙も珍しくない、というより今は割合として喫煙可を遥かに上回っているだろう。例に漏れず『喫茶ゆとり』も禁煙だ。だが『喫茶店』と聞くと喫煙出来ると思っている人が一定数いるのも事実、そのため須藤は電話対応を教えるときに真っ先に先ほど三崎が言った事を言うようマニュアル化している。喫煙スペースが近くにあるだけで、来店理由になることが多いからだ。
そして、その問い合わせから電話対応の流れで来店し『さっき電話したものです』と入店してきた若い男性を見ていつもの流れだなと皆が思った。
次の瞬間。
「あー、やっと休めるねー。珈琲飲めるの嬉しい!」
四人は一瞬固まってしまった。
「こんにちはー」
存在感のあるとても綺麗な女性が、若い男性に続いて入店した。
「あっ、え、奥の席へどうぞ」
「ありがと」
にこやかで気さくな笑顔に少しくだけた口調のその人は、今や知らない人がいるのかと思うほど知名度のある大女優だった。
席案内をした山内の言葉が途切れ途切れになるのも仕方ない。
(本物?!)
(マジ?!)
(うわ、凄!!)
(女優だぁぁぁぁぁ!)
須藤、三崎、佐々木、山内の興奮の原因である。サッとレジカウンターに入った佐々木がスマホを操作し何かを検索してその画面を三崎に見せた。ここから二駅離れた所にある大きなイベントホールでトークショーがあったらしい。どうやら終わった帰り道で一息入れるためにイベントホールから離れたこの店を誰かが選んでくれたらしい。これでこの女優が本物だと確信した四人は更に興奮した。
若い男性はマネージャーだろうか、女優の隣に座りさっさと『俺はアイス珈琲にしますと』決めると翌日のスケジュールについてツラツラと小声で話し始めた。二人の前に座ったのは主催側のお偉いさんだろうか、女優に非常に気を遣っていてメニュー表を開いて差し出したり『飲み物以外にもあるのでお好きなもの召し上がってください』と声をかけたりしている。
この女優はこれが素性なのか、どうりで人気があるよと四人は思った。
「疲れましたね、今日はありがとうございました! 少しゆっくりしましょうよ」
とくだけた口調でお偉いさん二人を労うし、姿勢よく仕草一つ一つが上品で、お冷やを出した三崎に対しても『頂きます』とニコッと笑顔でひと言声を掛けてくれた。
「顔ちっさ!」
「綺麗、ほんっと綺麗。同じ人間?」
佐々木と三崎はコソコソと会話する一方、須藤と山内は興奮が限界突破したのか妙に大人しい。勿論チラチラと何度も女優を見ているが。
「すみません」
「はい」
お偉いさんの一人が手を挙げたので佐々木は若干前のめりに席に向かった。女優を間近で見たかったからだ。
「たばこって1階だよね?」
「はい。エレベーターの右手の奥にガラスの扉があります。そこです」
「ありがとう」
「あ、やっぱりあそこだったんだ、珈琲来る前に一回行ってきまーす」
((((え……))))
女優はバッグから眼鏡ケースを取り出して、パカリと開けた。サングラスが入っていた。
それを掛けるとスッと席から立ち上がる。マネージャーも立ち上がる。
「ちょっと席外しますね」
「はい、お気をつけて」
「はーい。あ、バッグ置いてきます」
椅子に置いたカバンに手を入れて、取り出した。
明らかに、確実に、たばこが入っている超有名高級ブランドのシガレットケースを。
((((たばこ吸うの、貴方ですか……))))
マネージャーを伴い店を出た女優。およそ10分後戻って来た彼女から香ったのは爽やかさでも甘さでも上品さでもない。
ヤニ臭さだった。
ちなみに珈琲一杯を飲み干し、もう一度珈琲を注文するとまた女優はサングラスとポーチを手にマネージャーを引き連れて1階へ向かった。
「たばこ……」
閉店後、そう呟いた須藤は哀愁漂い辛気臭かった。
佐々木と山内はそんな店長を笑いながらイジりつつも、そこにいつもの覇気はない。
「まあ、ショックなのはわかりますけどね」
至って冷静にそう断じた三崎は上着を羽織り鞄を肩にかけた。
「お先失礼します、お疲れ様でしたー」
いつもなら直ぐに戻ってくる挨拶は一拍の間を挟んで三崎に届いた。
「「「お疲れ様でした」」」
思いの外ショックの大きかった須藤がこの後暫くこの件を引き摺ることになるが、『喫茶ゆとり』の営業には全く関係ないので主婦組が面倒くさいと思うのもまたこの店の日常と言える。




