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猿の佐吉人情噺04









     猿の佐吉人情噺

 4.通詞はつらいよ



◎


 「どこの藩の方か存じ上げませんが、お店を脅し上げてお金を出させようというのは目明かしとして見逃せませんな」

 駿河屋の店先で佐吉が強い声で言った。

 「脅し上げてとは聞き捨てならん」二人の浪人のうちの一人が刀に手をかけながら言う。「目明かし風情が、勤王の志士たる我々に向かっての今の雑言、今この非常の時、世が改まったら、お前などすぐに笠の台が飛ぶぞ」

 「どう世が改まろうと、いわれのない金を巻き上げようとする行為が善行になるようなことはあり得ないと思いますが」

 「いわれのない金?」浪人が声を荒げる。「尊皇攘夷のための軍資金を喜捨してくれとお願いしているのを、脅迫だと?」

 「へえ、脅し上げてお金を出させて、喜捨とはひどいですな」佐吉が反論する。「まだ、みかじめ料だという方がマシですな。私もこの界隈を縄張りにしていて、いろいろなお店からみかじめ料を頂いておりますが、脅して出させた事は一度もござんせんよ。それに、実際このように何かあった時にはお店を守るということもやっております」

 「ええい、今の世で尊皇攘夷のために軍資金を出してもらうという事は、ひいては世のため、人のためだぞ」

 「へえ、その集めた金で花街でどんちゃん騒ぎをするのが、世のため、人のためなんですか」佐吉が嗤う。「この前、二人の浪人が花街で芸妓さんにしなだれかかって酒を飲んでいるのを見かけましたが、それが世のためですか。それとも俺の見間違いだとおっしゃる? あの店で一晩芸者を上げて楽しむのに必要な金がどれくらいか。その額を庶民はどれくらいの日にちをかけて稼ぐかご存じですかい」

 「うぬ。長州藩士たる拙者たちを侮辱するとは許しがたい」

 浪人の一人が刀を抜いた。その途端にその男の喉元に刀が突きつけられて、男はあっとのけぞった。


 「長州藩士と聞いては捨て置けんな」刀を男に突きつけた侍が、冷たい声で言う。「長州藩士なら私が誰か知っているだろうな」

 「なに! お前は何者だ?」浪人は震えながらも強がって言う。「江戸にいる長州藩士全員を拙者が知っている訳もなかろう。お前こそ本当に長州藩士なのか」

 「待て、伊沢」もう一人が言う「相手が悪い」

 「お前はこの男を知っているのか」

 「長州藩士かどうかは知らん」もう一人の浪人はもう震え上がっている。「だが、この男は知っている。練兵館、あの斉藤道場の塾頭をやっている男だ」

 これで終わりと見た和田が刀を収めると、二人の浪人は這々の体で逃げ出した。


 「しかし、和田様は長州ではそんなに有名なのですか」駿河屋のお妙が感心したように訊く。

 「まあ、彼らを脅すために少々誇張しましたが。しかし、私は江戸にいる長州藩士をすべて知っております。あんな男たちに長州藩士を騙られては黙っておれませんのでね」

 「しかし、何も言わずに刀を突きつけるとはな」才谷が言う。「いつも冷静な男だと思っていたが、時には熱くなる事もあるんだな」

 「まあ、長州藩に対する思いはある」

 和田が、いつもの冷静さを忘れた事に少し恥ずかしさを感じながら言う。しばらく離れている愛する故郷を思い出して、少し感傷的になっているようで、才谷も故郷の土佐で皆はどうしているだろうかと少し思った。

 「しかし、本当に良いところに来て下さった」佐吉が頭を下げる。「近頃、ああいう類いの浪人が増えていましてね。かなりの店がお金を巻き上げられています。その金で遊び回っているんでさあ」

 「本当に尊皇攘夷の志を持って動き回っている方から見れば、腹立たしい事だろうな」和田が言う。「人それぞれに思いが違う事もあるだろう。勤皇か佐幕か。攘夷か開国かどちらが正しいか議論するのは良いが、自分の考えと異なる者を悪と見て暗殺するという事態にまで進んでいる。そのように治安が悪くなる中で、これから庶民は大変な事になって行くだろう」

 「しかし、佐吉のさっきの言葉に感心した」才谷が言う。「どう世が変わろうと、故なく人様のお金を巻き上げるのが悪である事は変わらないということは正しい。今、いろいろ世の中が揺れ動いている時に、自分がどのように動くか判断するのはますます難しくなってきているが、佐吉のように、いつの世にも変わる事のない理(ことわり)に基づいて判断するというのは立派だ」

 「佐吉殿の根元にあるのは、それが庶民のためになっているかどうかという一点だな」和田が言う。「忠義とか勤皇とかいった朱子学の説くところよりももっと深い理から来ているような気がする」


 「駿河屋さんに饗応して頂けるとは思いませんでしたな」和田が笑う。

 「いや、お世話になりましたのでお礼を」駿河屋が言う。「と言うのは名目で、本当は久しぶりに佐吉さんやお二方とゆっくりお話ししたかったという事ですがね」

 「それはうれしいですね」才谷が笑う。「ところで、お妙さんは存じ上げておりますが、その横にいらっしゃる方は?」

 「ええ、この方をご紹介したかったのですよ」駿河屋がうれしそうに言う。「こちら長崎通詞の杉並弦斎様です。黒船来航以来、世情は騒然としておりますが、たまたま知り合いになったこの弦斎様から、外つ国の事情をご教授頂いているような次第で。今日もたまたま来て頂いていたので、ぜひお二方にご紹介したいと思いまして」

 「なるほど、さすがだの」才谷が感心したように言う。「商いを志す者に一番大切なのは周りの状況を把握し、行く末を先読みする事だと思うが、駿河屋さんはそれをきっちりやっておられる」

 「長崎通詞というと蘭語の使い手という事ですな」和田が訊く。

 「いや、それが、黒船騒ぎの時に幕閣から命を受けまして、今、江戸に来て、英語を学んでいる最中でして」

 「英語?」皆の声がそろった。

 「ええ、イギリス、アメリカ両国の言葉です」

 「蘭語とは違う言葉なんですな」

 「まったく異なるとは言えませんが、かなり違います」

 「じゃあ、一から学び直しですか?」才谷がうんざりしたように訊く。

 「いえ、われわれ通詞を務める者は、世襲で言葉を学ぶこつのようなものを代々伝えてきておりまして、それが英語の場合にも通じるので、なんとかなっております。ただ、私ども蘭語は幼少の頃から時間をかけて覚えました。言葉を覚えるのに適した時期というものがありまして、元服前が望ましいのですが、まあ、命じられたらそんな事は言っておれません」

 「しかし杉並様はわずか一年である程度使えるようになり、二年経った今では外交交渉の通訳ができるまでなられた」駿河屋が言う。「すばらしい力量ですな」

 「いやいや、まだまだでござる」杉並が言う。「それと読み書きはまだなんとかなるのですが、それをどう発音するのか学ぶ見本がないのです。蘭語の場合、オランダ人と話しをする機会がありますから、発音は分かります。英語の場合は、その機会があまりございませんのでね」


 「なるほど、通訳すると言っても、日本の言葉にそもそも対応する言葉がない場合もあるということか」和田が感心したように言う。

 「まあ、あまり知られていないが、捜せば見つかるという場合もあります。例えば、アメリカをアメリカ合衆国と言います。これはアメリカという国の最も特徴的なところが、王様がいないという事で、そのような形の政(まつりごと)のやり方を表す言葉を捜していて、合衆という言葉を見つけ出し、アメリカ合衆国という名を決めたのです。その後、漢籍にある共和という言葉の方がもっと適切だという事を知りました。しかし、そんな余り知られていない言葉を探すより、新しい言葉を作った方が早いのです。幸い漢字にはそのような言葉を創り出す働きがありますから。今私どもでいろいろな言葉を創っているところです。その訳が固まるまでは、いろいろ問題が起りましょうなあ」

 杉並が嘆息する。なかなか大変な仕事らしい。

 「中国で昔やっていたように意味ではなく、漢字の発音で英語の言葉をそのまま表すというのはどうなのかな? あ、漢字でなく、仮名で良いか」才谷が訊く。

 「最後の手段として、それがあります。まあ、日本には幸い仮名というものがありますので、中国よりも楽です。ただ、意味を取って新しい言葉を作った方が分かり易いんですね。例えば論理学とか民主とか」

 「論理学とは物事を論じる時の理を探求する学問だな」和田が応じる。「民主とは、庶民を大切にする政治の事か」

 「民が自分たちを統治する者を入れ札で決めるという政治のやり方を表す言葉です」

 「それは、幕府にとっては少し具合の悪い言葉だな」和田は首をひねる。「そういう考えがあることを知られる事自体、政府にとっては問題だろう」

 「だから朱子学を国の公式の学問としたわけですよ」浪川が言う。「朱子学は、君に忠、親に孝ですから。それが裏目に出て、勤皇の志士など反幕府の輩を生み出してしまいましたが」


◎


 「今日はよく来て下さいました」

 杉並が頭を下げる。

 「いや、一度、弦斎殿の御講義を拝聴したいと思いまして」才谷と和田も頭を下げる。「しかし門人が多いですな」

 弦斎の部屋から講義室が見えるが、すでに大勢の人が集まっている。

 「いや、門人というわけではございませんで、話を聞きたいという方が多いので、時々話す内容を決めてお話しするという次第で。この前、その内の一人が英語のスピーチという言葉を訳すために演説という言葉を創ったのですが、まあ、その演説というのをするわけですな。ただ元のスピーチという言葉は政治的な事に限らないのですが、その男は演説という言葉に政治に対する自分の考えを話す事という意味を持たせているようです」

 「政治的な事を話されるのですか」和田が訊く。

 「いえ、まあ政治に関する外国の書籍の内容を紹介する事はありますが、おおむね諸国の生活事情を紹介する事が中心で、時に世界の情勢について触れる程度です」


 「た、た、大変だあ」

 弦斎の部屋から見て、講義室の反対側にある蔵から一人の男が叫びながら飛び出してきた。たった今、前から弦斎から頼まれていて、講義の際に皆に紹介するための本を蔵に取りに行ったばかりの男が這いずるようにして蔵から出てきた。

 何事だとばかり、部屋から集まっていた人たちが飛び出してきた。声も出ないような風情の男があえぎながら蔵の入り口の方を指さす。数人が蔵に入って、すぐに出てきた。

 「何事だの?」部屋の前に集まってきた人達に弦斎が訊く。

 「蔵の中で人が死んでいます」皆が口々に叫ぶ。


 弦斎と二人が入って行くと、真ん中に人が倒れている。今、殺されたばかりのようで、血もまだ固まりきっていない。誰かが何かを探していたのか、蔵の中のものが床に散乱している。捜していたのが書き物である事は、散乱しているのが本や書類の類いなど紙の類いばかりである事から容易に想像出来る。

 「まだ犯人は中にいるということか」和田が慎重に蔵の中を改める。だが、蔵の奥には誰もいなかった。

 「これはどなたかな? 知っている者はいないか?」そろそろと集まってきた人々に弦斎が訊く。

 「あ、この男は、この頃先生の講義を聴きに来始めた薩摩藩の藩士だと思います」

 集まってきた門人の一人が叫んだ。

 「額に血で何か書いてありますな」才谷が言う。「何か異国の言葉のように見えますが」

 「その通りですな」弦斎が言う。「英語でリベンジ、復讐という言葉が書いてあります」

 「復讐?」才谷がいぶかる。「誰がこの男に復讐? 復讐の理由は?」

 「分かりませんな」和田が答える。「ただの目くらましとも考えられる。何より復讐だったら、こんな場所で、こんな時間にする意味が分からない。他に都合の良い時間、場所があるだろうし」


 「しかし、不思議なのですが、死体の状況から見て、死んだのは発見のほんの少し前。その頃に下男の権蔵が蔵に入って掃除をしております」弦斎が事情をまとめようと一つ一つ確認し始めた。「その後、蔵に入った者はおりません。この部屋から蔵はよく見えますし、権蔵が掃除を終えて出てくる頃には、すでに何人か講義室で話をしておりました。まあ、蔵に注意を集中していたわけではありませんが、その後、蔵に入った者、出てきた者はいないという事はまあ確かだと思います」

 「そうすると殺された男も殺した男も蔵に入ったのはその前として、権蔵が入っていった時には二人とも荷物の陰にでも隠れていたんでしょう。殺した男はどこに消えたのかという事ですな」和田が確認する。

 

 死んだ男について、薩摩藩の藩邸に問い合わせたところ、薩摩藩士ではないという返答を得た。この回答が本当かどうかはわからない。しかし、そのことで、この件は奉行所の扱いとなった。

 立花格之進と佐吉が駆けつけたが、たまたまその途中でセンセーに出会い、一緒に来てもらった。弦斎、才谷、和田の三人が佐吉の事情聴取に立ち会った。

 「不思議に見える事があった時は単純に考えるべきだと思うね」センセーが言う。

 「単純にですか」和田がその言葉をそのまま返した。

 「下男の権蔵が蔵から出てきてから、誰も蔵に入っていない事が確かならば、自殺でない限り、殺したのは権蔵という事になる」

 「あれは自殺ではありませんね。あの死体の状況から、それはありません。しかし、権蔵は犯人ではあり得ないですよ。額の血文字の事があります」弦斎が言う。「あれは英語で、権蔵は英語は知りません。あの文字を書ける訳がないのです」

 「権蔵が英語が分からないというのは本当ですか?」才谷が訊く。「出来ない事を出来るように見せかけるのは無理ですが、出来る事を出来ないように隠す事は出来ますね」

 「いや、無理です」弦斎が言う。「この日本の国で英語が出来る者はほんの少数です。私はそのすべての人を知っております。権蔵には英語は無理です。言葉は習うためには教える人か、自習するための文献が必要です。権蔵にはそのどちらもありません」

 「なるほどな」才谷が言う。「蘭学の塾はそれなりにあるけれど、英学の研究はまだ始まったばかりだからな。塾もここ以外にない」


 「一つ大事な事を忘れていますよ」センセーがあっけらかんとして言う。「殺した男とあの文字を書いた男が同じ人物である必要は全くないという事です」

 皆、虚を突かれた形で唖然としている。

 「人一人を殺すためには、それなりに争いがあるでしょうから、短い時間では出来ません。しかし、額に血で字を書くのは、ほんの短い時間で充分でしょう。最初に蔵に入ったお侍さんが、出てくるのがすぐであったとしても、額に血文字を書く事は出来るはずですな」センセーが説明する。「多分、その侍と権蔵は知り合いでしょう。薩摩侍を殺した後、門の外で待っていて、その男に相談する。その男は蔵に入る用事を作って、中に入り、額に血文字を書く。そしてその後、周章てたふりをして蔵から出てくる。腰が抜けたように這いずって出てきたのは、血文字を書いた指を砂で拭くためでしょうな」

 「そうか」弦斎は手を打った。「いや、あの男にしては周章て方が無様だなとは思ったのだ。ちょっと違和感を感じたのだが、そのように演技していたのだとすれば納得がゆくな。いや、それに間違いないだろう」


 「掃除のために蔵に入ったら、あの男がその辺の本や書類を手当たり次第に取り上げては何か調べていたんですが、私に見つかったと思った男が刀を抜いてかかってきたので、やむなく戦ったのです。まあ、あまり強くなかったもので、刀を取り上げて斬り捨てるのは、それほど難しくはありませんでした」

 権蔵と死体発見者の侍が呼ばれて、皆から話を聞かれた。

 「なぜ、その時に事情を話さず、小細工をしたのかね?」センセーが訊く。「それと血文字を書いた侍との関係は?」

 「実は、私はそのお侍の家で下男をしていたのですが、弦斎先生がこちらに来られた時に、その方の紹介でここに下男として入ったのです」

 「何か曰くがありそうだの」センセーが頷く。

 「実は、幕閣のかなり上の方で、弦斎先生を護衛する必要があるという話が出まして、外国奉行の命を受けたのが奉行所勤務の私の上司です。それで、その上司の推薦で私がこの家に下男として入ったのです。出来れば、このことは内緒にしておきたくて、それでこうなった次第です。私も上司も弦斎先生をお守りするために動いていたのですが、それを気づかれないようにせよという命を受けておりましたもので」

 「実は、あの薩摩侍が、なぜ蔵を探っていたのかというと、昨日、先生が長州のお侍と話をしておられたのを見ていたのですね」外国奉行所配下の旗本が話し始める。「その後、先生は長州侍から紙を受け取りましたでしょう。それを密書と勘違いしたのですね。先生が長州藩と何か密約をしていると思ったあの男が、それを調べるために蔵に入り込んだのですよ」

 「なんとまあ」弦斎がため息をつく。「あれは、彼らが翻訳に困っている部分をどう解釈したら良いかという相談のために渡してきた質問書だ。誤解も良いところだ」

 「まあ、弦斎先生」和田が言う。「今は激動の時代です。情勢は刻々変わっております。我が藩にしても、今回の薩摩藩と同じく、あちこちに密偵を放って、情勢をつかもうとしております。そのような事態の中での誤解から生まれた悲劇ですが、弦斎先生のせいではまったくありませんので、まあこの件はお忘れ下さい。お二人についても、これまでと同じように接するようにされたらそれでいいのでは? どうも弦斎先生には護衛が必要なようですし」

 「やれやれ、めんどうくさいことになったなあ」弦斎がぼやく。「しかし、これからも英語を学びたいという者が来れば、それがどこの藩という事と関係なく受け入れるつもりだ。英語の学習に、勤皇も佐幕もありはせん」

 「攘夷も開国もありませんか?」才谷が混ぜっ返す。

 「もちろんじゃ」弦斎が笑う。「開国して他国と交易する事が必要だという人と、攘夷を貫くためには英語を学んで他国の情報を知らねばならないという人とで、違う英語があるわけがなかろう」

 「それはその通りですな」尾上が大笑いしながらうなずいた。「しかし必要な単語は少々違うかも知れません」

 皆が大笑いする中、弦斎は皆に食事をして行くように勧めた。弦斎が手をたたくと、下女たちがお膳を運んでくる。それから、宴が始まり、皆が弦斎と諸外国事情について話が盛り上がった。宴がお開きになったのは二刻以上も立ってからで、皆、帰り道が心配なぐらい酒が回っていた。さすが、佐吉だけは酒を控えていたのであろう。皆を護衛するかのように後ろを歩いていた。


(完)


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