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白狐の少女と、嫉妬深い猫又

陰陽師の男たちを退治してから、数日が経った。


その日も僕は、いつものように屋敷の庭で修行に励んでいた。


木刀を振り、足運びを確かめ、黒に教わった構えを何度も繰り返す。


「よし……今のは、ちょっとよかったかも!」


そう呟いたときだった。


「にゃあ!」


可愛らしい鳴き声とともに、一匹の影猫が駆け寄ってきた。


「ん? どうしたの?」


足元にやってきた影猫が、ちょこんと顔を上げる。


その小さな口には、一枚の呪符がくわえられていた。


紙の端は少し破け、ところどころに皺が寄っている。どうやら、かなり乱暴に扱われていたらしい。


僕は木刀を置き、しゃがみ込んだ。


「これ……あのときの落とし物?」


数日前、屋敷に侵入してきた陰陽師たち。


彼らが逃げ出す際に落としていったものだろうか。


そう思いながら、僕は影猫の口から呪符を受け取った。


――その瞬間。


ぽんっ。


呪符から、小さな白い煙が立ち上った。


「う、うにゃぁ……! や、やっと抜け出せたの……っ!」


「えっ!?」


突然聞こえた声に、僕は思わず目を丸くした。


白い煙がふわふわと漂い、その中から小さな影が姿を現す。


僕と同じくらいの年齢に見える、白い着物の女の子。


けれど、頭にはふさふさの白い耳が生え、お尻からは立派な一本の尻尾が伸びていた。


人間の女の子……じゃない。


この子も、あやかしなんだ。


女の子は、ボロボロになった袖で目元を拭った。


それから、くりくりとした大きな瞳で僕を見上げる。


その瞳には、ようやく自由になれた安堵と、抑えきれない喜びがいっぱいに詰まっていた。


「あかり様……っ!」


「えっ、僕?」


女の子は何度もこくこくとうなずいた。


「そうなの!紺、あの悪い陰陽師どもに捕まって、呪符の中に閉じ込められて連れ回されていたの! あかり様が奴らをやっつけてくれなかったら…今頃、愛玩用の式神にされてたの……!」


「そ、そうだったんだ……」


僕は手の中の呪符を見つめた。


まさか、この中に誰かが閉じ込められていたなんて。


この子は、ずっとこの狭い呪符の中にいたのだろうか。


そう考えると、胸の奥がきゅっと痛くなった。


「もう大丈夫だよ。ここには、君を閉じ込める人はいないからね」


僕がそう声をかけると、女の子は一瞬きょとんとした。


そして、ぱあっと顔を輝かせた。


「……本当?」


「うん。本当だよ」


その言葉を聞いた途端、女の子は僕の前までトコトコと駆け寄ってきた。


ぽわんっ!


再び白い煙が上がる。


次の瞬間、そこには一匹の小さな白狐がいた。


白狐は僕の目の前でぺたりと平伏すると、ふさふさの尻尾をぱたぱたと揺らした。


「紺、呪符の中からあかり様の戦いを見ていたの!」


「僕の戦いを?」


「そうなの!大人の悪い陰陽師を一瞬で倒すなんて、すごすぎるの!あかり様の強さにびっくりしたの!」


白狐は勢いよく顔を上げた。


「だから、紺をお側に置いてほしいの!子分にしてほしいの!」


「ええっ!?子分!?」


思いもよらない申し出に、僕は目をぱちぱちさせた。


子分って……僕の?


こんなに可愛い子が?


「紺っていうの!偵察や化け術が得意なの!」


白狐は自分を紹介するように胸を張った。


そして、自慢の尻尾をちぎれんばかりにパタパタと振る。


「きっと、あかり様のお役に立てるの!だから、お願いなの!」


一生懸命に訴える姿が、なんだかとても健気だった。


それに、ふさふさの耳も尻尾も、思わず触りたくなるくらい可愛い。


僕はつい頬を緩めた。


「そっかぁ。紺っていうんだね。偵察も化け術もできるなんて、すごいね」


「えへへ……!そうなの!紺すごいの!」


褒められた白狐は、嬉しそうに尻尾を振った。


「可愛いなぁ。よしよし」


僕は自然と手を伸ばした。


ふわふわの子狐の頭を撫でてあげようとした、そのときだった。


「――おい、待て!」


地を這うような低い声が、庭に響き渡った。


びりっ、と空気が震えた気がした。


毛を逆立てた黒猫がこちらを睨みつけながら一歩一歩近づいてくる。


それまで和やかだった庭に、凄まじい圧が吹き荒れる。


「ひゃっ!?」


紺が小さく悲鳴を上げ、耳をぴんと立てた。


ぽんっ!


煙とともに現れたのは、黒い着物をまとった黒だった。


猫耳が不機嫌そうにぴくぴくと動いている。


金色の瞳は、いつになく鋭い。


その視線が、僕と、その足元にいる白狐を捉えた。


「黒……? どうしたの?」


僕が尋ねても、黒はすぐには答えなかった。


じろり、と紺を睨みつける。


それから、低い声で言った。


「どうしたの、じゃねえよ、あかり」


黒の眉間には、深い皺が刻まれていた。


「おい、そこの白チビ。誰の許可を得て、俺の可愛い弟分に懐こうとしてんだ、あぁん?」


「ひゃぅぅっ!」


紺は飛び上がり、慌てて僕の後ろに隠れた。


白い尻尾だけが、僕の足元からちょこんとはみ出している。


「く、黒! 怖がらせちゃダメだよ!」


「怖がらせてんじゃねえ。確認してんだ、カ・ク・ニ・ン」


「どう見ても怖がらせてるよ!」


僕が抗議すると、黒は不満そうに鼻を鳴らした。


「ったく……。あかりの相棒は、この俺だけで十分だろうが!」


「えっ?」


「なんだ、そのもふもふした耳は!尻尾まで生やしやがって!」


黒は紺を指差し、なぜか本気で張り合い始めた。


「もふもふなら、俺の猫姿の方が百倍上等だ!ほら見ろ、俺の尻尾は二本あるんだぞ、二本!」


言うが早いか、黒は人型のまま、着物の後ろから二本の黒い尻尾を出した。


そして、紺に見せつけるようにブンブンと振り回す。


「ど、どうだ!」


「えええ……」


僕は思わず呆気に取られた。


あの、山のあやかしたちが恐れる最強の猫又が。


今、尻尾の本数で張り合っている。


しかも、相手は小さな白狐の女の子だ。


「こ、紺だって!りんごにだってなれるの!」


紺も負けじと声を上げた。


「こ…紺だって、すごいんだからね!」


「ほう? じゃあ、なってみろよ!りんごに!食ってやるから」


「え…!?な…ならないの…」


「黒! 紺!」


僕は慌てて二人の間に割って入った。


もう、何を張り合っているんだろう。


……でも。


いつもは落ち着いていて、誰よりも強くて、頼りになる黒が、僕のことでこんなにムキになるなんて。


そう思うと、少しだけおかしくなってしまった。


黒は、僕がほかのあやかしと仲良くしようとすると、すぐにこうなる。


まるで、僕を誰にも取られたくないと言っているみたいだ。


僕は黒の着物の袖を、きゅっと掴んだ。


「黒」


「……なんだよ」


まだ少し不機嫌そうな黒を、僕は下からじっと見つめた。


「黒は僕の一番のお兄ちゃんだよ?」


黒の猫耳が、ぴくりと動いた。


「それは絶対に変わらないよ」


「…………」


黒が固まった。


本当に、ぴたりと。


まるで時間が止まってしまったみたいだった。


「……お、おにぃ……っ」


やがて、黒の顔がみるみる赤くなった。


バッと顔を背け、片手で頬を掻く。


頭の猫耳は、嬉しさを隠しきれないように、ぴこぴこと激しく動いていた。


二本の尻尾まで、さっきよりずっと機嫌よく揺れている。


「チッ……!」


黒はわざとらしく舌打ちした。


「……そこまで言うなら、まあ、庭の掃除番くらいなら雇ってやらんこともない」


「本当!?」


僕の後ろから、紺がぱっと顔を出した。


「よかったね、紺!」


「うにゃぁ!ありがとうなの! 紺、一生ついていくの!」


白狐はぴょんっと飛び出し、嬉しそうに僕の足元へ擦り寄ってきた。


ふさふさの尻尾が、僕の足にふわりと触れる。


すると、僕の影から出ていた影猫たちが、次々と紺の周りへ集まってきた。


「にゃあ!」


「にゃあ、にゃあ!」


影猫たちは、新しい仲間を歓迎するように鳴きながら、紺の白い尻尾にじゃれつき始めた。


「あわわっ!くすぐったいの!でも、みんな可愛いの!」


紺は逃げるどころか、嬉しそうに影猫たちと戯れ始めた。


白い尻尾が揺れるたび、影猫たちがそれを追いかける。


庭の一角が、あっという間に賑やかになった。


その様子を見ていた黒は、しばらく呆れたように息を吐いていた。


「ったく……しょうがねえな」


けれど、僕が顔を向けると、黒はそっと手を伸ばして僕の頭を撫でてくれた。


大きくて、温かい手。


その優しさは、三年前から何ひとつ変わっていない。


「黒?」


「……なんでもねえよ」


ぶっきらぼうに答えながらも、黒の尻尾はゆったりと揺れていた。


僕はそんな黒を見上げて、笑った。



僕の隣には、黒がいる。


足元には、いつも一緒にいてくれる影猫たちがいる。


そして今日、新しく紺が加わった。


「紺、これからよろしくね」


「うん! よろしくなの、あかり様!」


紺は元気よく返事をすると、僕の足元にぴたりと寄り添った。


その様子に、黒がまた少しだけ不満そうに耳を動かす。


「……おい、白チビ。あかりにくっつきすぎんなよ」


「ええっ!?まだダメなの!?」


「当たり前だろうが!」


「もう、黒ったら!」


僕の声に、庭いっぱいの影猫たちが一斉に鳴いた。


その賑やかな声に包まれながら、僕は笑った。


黒がいて、影猫たちがいて、紺がいる。


かつて孤独だった僕の世界に、またひとつ、温かな居場所が増えたのだった。

第8話をお読みいただき、ありがとうございます。


ついにケモ耳ヒロイン一人目・子狐の「紺」が登場しました。


明日も夕方18:00更新予定です

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