旧出雲の国と、極寒の旅路
列車に揺られること数日。
窓の外を流れる景色は、賑やかな帝都の街並みから緑豊かな山並みへ、そしていつしか、視界の果てまで白く染め上げる銀世界へと変わっていった。
線路の脇には背丈を超える雪が積もり、遠くにそびえる山々は荒々しい氷雪に覆われている。空から絶え間なく舞い落ちる雪は、まるで世界そのものを白く塗りつぶそうとしているかのようだった。
やがて列車は、目的地である『旧出雲の国』の東端に位置する駅へと到着した。
古風な木造の駅舎は、分厚い雪を屋根に載せ、厳しい寒さにじっと耐えている。
ガタン、ゴトン……。
重い車輪の音が止まり、列車が白い蒸気を吐き出した。
ぷしゅう、と扉が開いた瞬間――。
「うわっ……!」
身を切るような冷気が、まるで生き物のように車内へとなだれ込んできた。
息を吸い込むだけで肺の奥がきりきりと痛み、露出した頬を鋭い風が容赦なく刺してくる。
これが北の最果て。
帝都とは、寒さの次元からして違っていた。
「たく……この羽織も、誂えたときは少し大きめに作ったつもりだったんだがな」
雪の舞うホームに降り立つと、人間の姿になった黒が、僕の肩をぽんと叩いた。
「すっかりぴったりになっちまった。過保護な兄貴としては、手塩にかけて育てる楽しみが減って、ちょっと寂しいぜ」
そう言って、黒は愛おしそうに目を細めた。
その視線には、深すぎるほどの愛情と、僕の成長を喜ぶ誇らしさが滲んでいる。
僕が身にまとっているのは、出発前に黒が仕立ててくれた特別な羽織だ。
深い漆黒の生地には、銀色の波紋が繊細に刺繍されている。裏地には神代の古代術式が隙間なく編み込まれ、冷気や毒、並のあやかしが放つ呪詛さえも寄せつけない。
そのおかげで、凍てつく風が吹きつけるこの場所でも、僕の身体は驚くほど温かかった。
「でも、黒が作ってくれたおかげで、全然寒くないよ。ありがとう」
「おう。あかりが凍えでもしたら、俺が困るからな」
黒は当然のように言い切った。
……本当に、どこまでも過保護だ。
けれど、その温もりが嬉しくて、僕は自然と笑顔になった。
ふと周囲に目を向けると、駅を行き交う人々や地元の陰陽師たちが、ちらちらと僕たちを見ていることに気づいた。
「あの羽織……見たことのない術式だな」
「ただの防寒具じゃないぞ。とんでもない力が込められている……」
「いったい、どこの陰陽師なんだ?」
ひそひそと交わされる声が聞こえてくる。
どうやら、黒の作った羽織は、見た目だけでなく術式の面でも相当目立っているらしい。
少し気恥ずかしくなって襟元を整えていると、背中にぎゅっと何かが張りついた。
「うにゃぁぁ……!さ、寒いのぉ……!」
振り返ると、白いもこもこの防寒着に身を包んだ紺が、僕の背中にぴったりとくっついて震えていた。
狐耳はぺたんと伏せられ、二本の尾も寒さに負けたように縮こまっている。
「紺、大丈夫?ほら、僕の手を握って」
「あかり様ぁ……!」
僕が手を差し出すと、紺は両手でぎゅっと握りしめた。
「少しだけ力を分けるね」
「うにゃぁ……あかり様の手、お日様みたいに温かいの……!」
紺の頬に、ほっとしたような笑みが広がる。
その様子を見ていた黒が、ふと思い出したように声を上げた。
「あー、そういや、これも持ってきてたんだった」
黒は荷物の中をごそごそと探り、耳当てのついた白いふわふわの帽子を取り出した。
そして、紺の頭にぽすんとかぶせる。
「間に合ってよかったぜ。ほら、これなら雪も風も、だいぶマシになるだろ」
そういえば、出発の日の夜、黒が部屋でなにやら手を動かしていたのは
――これを作っていたからだったんだ。
「うにゃっ!あったかいのー!」
紺は目を輝かせ、帽子の耳当てを両手で押さえた。
ふさふさの狐耳が帽子の中にすっぽり収まり、二本の尾も嬉しそうに揺れ始める。
そのあまりの愛らしさに、先ほどまで厳しい顔をしていた地元の陰陽師まで、思わず頬を緩めていた。
「……あの子、ずいぶん可愛らしいな」
「お連れの方々も、只者ではなさそうだが……」
そんな声を背に聞きながら、僕たちは駅の出口へと向かった。
僕たち三人が、住み慣れた帝都を離れて遥か北の最果てまでやってきた理由。
それは、陰陽寮から届いた緊急の救援要請に応えるためだった。
北の極寒の地、『旧出雲の国』。
そこでは、神代より続く古代の封印が急激に弱まり、封じられていた神代のあやかしが目覚めかけているという。
現地へ派遣された陰陽師たちは、総力を挙げても相手を抑えきれず、壊滅寸前に追い込まれていた。
国家の存亡にも関わる、特級の極秘案件。
その現場を調査し、必要とあらば脅威を討伐すること。それが、国家守護特級陰陽師である僕に託された役目だった。
「よし、あかり、紺。まずは飯を食うぞ」
黒が、きっぱりとした声で言った。
「温かいもんでも食うか。こんなクソ寒い土地、美味い飯でも食わねえとやってられねえからな」
「賛成!」
「うにゃ!大賛成なの!」
僕と紺が即座に頷くと、黒は満足そうに八重歯を覗かせた。
ぽんっ、と軽い煙が立ち上る。
次の瞬間、黒はいつもの黒猫の姿に戻り、慣れた動作で僕の肩へと飛び乗った。
どっしりとした重みが肩に伝わり、二本の長い尾が僕の首元へ優しく巻きつく。
まるで高級なマフラーだ。
『あかり。いくら強くなったからって、油断は禁物だぜ』
黒の声が、耳元に直接響いた。
『この北の地は、帝都の生ぬるいあやかしどもとは格が違う。神話の時代から生き続けているような、規格外の荒ぶる神やあやかしが眠っている場所だからな』
その声音には、僕を案じる警戒心が込められていた。
けれど同時に、強大な相手との戦いを前にした、わずかな高揚感も感じられる。
黒は強い。
それでも、相手の力を侮ることは決してしない。
その姿勢を、僕はずっとそばで見てきた。
「うん、分かってるよ。北の陰陽師たちでも歯が立たなかった神代のあやかし……。きっと、今まで戦ってきた相手とは違うんだろうね」
僕は肩の上の黒に、そっと頬を寄せた。
「でも、どれだけ強い相手が来ても、僕は諦めないよ。だって、僕には黒も紺もいるんだから」
『……おう。いい返事だ』
黒は嬉しそうに喉を鳴らした。
その直後、僕の足元の影がゆらりと揺れた。
『あかり様!おいらたちもいるにゃ!』
『北の悪いあやかしなんて、一ひねりにしてやるにゃ!』
影の中から、影猫たちが次々と顔を出す。
その瞳はやる気に満ち、しっぽまでぴんと立っていた。
「ははっ、みんなも頼もしいね。ありがとう。でも、街に入ったら人の目があるから、必要なとき以外はあまり出てこないでね」
『はーい!』
元気な返事が重なり、影猫たちは満足そうに影の中へと戻っていった。
……本当に、頼もしい家族たちだ。
これだけ心強い仲間がそばにいてくれるのだから、僕も自分の役目を果たさなくちゃいけない。
そう考えていると、隣を歩いていた紺が、くんくんと鼻を動かし始めた。
「……あれ?」
狐耳がぴくりと立つ。
「なんだか、すっごく…すっごく良い匂いがするの!」
紺の視線の先には、雪に覆われた街並みが広がっていた。
木造の建物が軒を連ね、雪を払う人々の姿があちこちに見える。通りには赤い提灯が揺れ、店先からは白い湯気が立ち上っていた。
寒さに耐えながら働く人々の声。雪を踏みしめる足音。軒先から漂う、香ばしい匂い。
厳しい冬の中にも、人々の暮らしが息づいている。
「うにゃぁ……!温かいラーメンとか、名物のカニ鍋とか食べたいの!」
「ふふっ、いいね。まずは宿に荷物を置いてから、温かい名物料理で腹ごしらえしようか」
「おう。北の蟹に美味い飯。精をつけるには最高だな」
黒も、僕の肩の上で満足げに鼻を鳴らした。
紺はすっかり元気を取り戻し、僕の手をぎゅっと握る。
僕もその小さな手を握り返した。
こうして僕たちは、雪に包まれた『旧出雲の国』の街へと歩き出した。
目指すのは、まず温かな宿と美味しい食事。
その先には、神代から続く封印と、僕たちの助けを待つ人々がいる。
けれど、焦る必要はない。
腹ごしらえをして、現地の情報を集め、できることから一つずつ進めていこう。
白い息を吐きながら、僕たちは賑わい始めた街の通りへと足を踏み入れた。
紺が料理の匂いに目を輝かせ、黒の尻尾が僕の首元でゆったりと揺れる。
この土地でどんな出会いが待っているのか。
それを楽しみに思えるくらいには、僕の心にも余裕があった。
まずは、北の名物を思いきり味わおう。
そして明日から、この土地で何が起きているのかを確かめるんだ。
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