捨てた家族と、北の地に迫る災厄
朝食を終え、一息ついていた僕たちのもとへ、二組の来客がやってきた。
隠れ里を守る結界を潜り抜け、屋敷へと近づいてくる気配。
一組目は、帝都の『陰陽寮』から訪れた使者たち。
そして、もう一組は――僕が使者を迎え入れるため、黒が一時的に結界を緩めたほんの一瞬の隙に便乗し、敷地内へと侵入してきた者たちだった。
かつて僕を捨てた実家、『土御門家』の一族だ。
彼らは陰陽寮の使者を押しのけるようにして庭を突っ切ると、足早に廊下を上がり込み、僕たちのいる広間の障子を勢いよく開け放った。
「おおっ……!」
畳の上に身を乗り出し、涙ぐみながら僕に手を差し伸べてきた男。
それは、僕を『無能の忌み子』と呼び、七歳のときに冷たい山へ捨て去った実の父親――土御門家の現当主だった。
「あかり……!お前、あかりなのか……!?なんという神々しい姿に……!見違えたぞ、我が土御門家の誇り高き次男よ!」
父親は、まるで長年離れ離れになっていた息子との再会を喜ぶかのように、感極まった表情を浮かべていた。
「なぜ会ってくれんのだ?こんなにもお前を必要としている家族が、わざわざ出向いておるというのに!」
その背後には、かつて僕を嘲笑っていた義母とその息子の康正も控えている。
二人とも、以前とは打って変わって、媚びるような笑みを浮かべながら僕の顔色を窺っていた。
「家族、ねぇ……」
隣にいた黒が、呆れたように低く息を吐いた。
無理もない。
十三歳で史上最年少の『国家守護特級陰陽師』となり、それから三年。
僕が帝都の英雄として知られるようになった途端、今まで見向きもしなかった連中が、急に家族面をして現れたのだ。
彼らが何を求めているのかなんて、考えるまでもなかった。
黒の張り巡らせた結界に何度も拒まれ、強引に突破しようとしては跳ね返されてきた土御門家。
そんな彼らが、陰陽寮の使者を迎え入れるために結界が緩んだ一瞬を見逃すはずもなかった。
毎回失敗していたようだが、今回はうまくすり抜けてきてしまったらしい。
「なあ、あかり。過去の行き違いは、もう水に流そうではないか!」
父親は、僕が何も言わないのを都合よく解釈したのか、さらに調子よく言葉を重ねてきた。
「お前が望むなら、いつでも土御門家の次期当主として迎え入れたいと思っているのだ。それに、あの天条家との縁談も持ち上がっている!だから、どうかお前の名で陰陽寮に口添えをしてくれまいか……!」
……なるほど。
結局、僕の力と地位が欲しいというわけか。
その瞬間、背後に控えていた義母と康正の表情が一変した。
「あなた!何を仰っているのですか!?」
義母が、思わず声を荒らげた。
「次期当主も天条家との縁談も、我が子、康正のものだと約束したではありませんか!」
「そ、そうだぞ、父上!なぜ、こんな追放された奴を当主にするなどと……!」
自分たちの取り分を奪われる。
そう考えたのだろう。二人は焦りを隠そうともせず、父親に詰め寄った。
しかし、父親は二人を一喝した。
「黙れ!」
そして、すぐさま僕へと向き直る。
その顔には、先ほどと同じ貼り付けたような笑みが浮かんでいた。
まるで、僕さえ首を縦に振れば、すべてが自分の思いどおりになると信じているかのように。
その様子を見て、黒が「ハッ」と鼻で笑った。
ポンッ。
軽い煙とともに、黒猫の姿から人間の姿へと変化する。
黒は土御門家の一族を冷ややかな瞳で見下ろした。
口元から覗く八重歯。その笑みには、隠しきれない凶暴な殺気が滲んでいる。
「おいおい……どのツラ下げて親面してんだ、クソどもが」
黒の声が、広間に低く響いた。
「七歳のあかりを冷たい雨の中に放り出して、殺しかけた奴らが、今さら『当主』だ?笑わせんじゃねえよ」
黒の瞳が、父親を射抜く。
「お前らみたいな奴らに、家族を名乗る資格なんざねえんだよ」
「な、なんだ、お前は!あやかしの分際で口を挟むな!」
父親が声を張り上げる。
しかし、その声は明らかに震えていた。
「ひっ……!く、黒猫のあやかし……!?」
義母が顔を引きつらせ、康正は一歩後ずさった。
黒は、そんな彼らを一瞥すると、短く呟いた。
「……黙れ」
その瞬間だった。
黒が、ほんのわずかに妖気を解き放った。
次の瞬間、広間の空気が一変する。
冷気が走ったのではない。
目に見えない巨大な重圧が、そこにいる全員へ一斉に叩きつけられたのだ。
「ぐっ……!?」
言葉を発しようと喉を鳴らしていた父親の身体が、突然、地面に引き寄せられたかのように崩れ落ちた。
ドンッ!
その顔が、畳へと叩きつけられる。
「あ、あなた……!?きゃああっ!」
義母が悲鳴を上げた。
先ほどまで当主の座や縁談を巡って醜い争いを繰り広げていた二人も、今や顔面を蒼白にして震えている。
膝には力が入らず、身体を起こすことすらできない。
土御門家の人間たちは、ただ畳に平伏するしかなかった。
つい先ほどまでの高圧的な態度は、見る影もない。
それほどまでに、黒の放つ妖気は圧倒的だった。
「……僕が会う約束をしたのは、陰陽寮の方々だけです」
僕は、静かに口を開いた。
「僕の家族は、僕を育ててくれた黒と、大切な紺だけです」
父親が、畳に顔を伏せたまま、かすかに身じろぎする。
けれど、僕はもう、彼の言葉を聞くつもりなどなかった。
「あなたたちと分かち合う過去も、未来もありません。用が済んだのなら、さっさと帰ってください」
自分でも驚くほど、淡々とした声だった。
怒りも、悲しみも、今さら湧いてはこない。
七歳のあの日、僕は確かに傷ついた。
けれど、あの日から今日まで、僕を守り、育て、愛してくれた人たちがいる。
僕には、もう帰る場所がある。
わざわざ過去に戻り、彼らの家族ごっこに付き合う必要などなかった。
黒は僕の言葉を聞くと、凶暴な八重歯を見せてニッと笑った。
そして、妖気をもう一段階強める。
「聞こえただろ。あかりのお言葉だ」
黒の声に、鋭い殺気が混じる。
「これ以上、不快な顔を見せたら、二度と敷居を跨げねえ身体にして追い出すぞ?さっさと消えろ!」
一瞬、黒の口元から八重歯が覗く。
「それとも……この場で食ってやろうか?」
「ひっ……!」
父親たちは、もはや返事すらできなかった。
誇りも、体面も、何もかも投げ捨て、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
廊下を転がるように駆け、庭を抜け、結界の外へ。
その背中に向かって、僕の着物の懐から、ひょっこりと小さな顔が現れた。
紺だ。
白い狐耳をピンと立て、二本の大きな尾を逆立てながら、逃げていく土御門家の一族を威嚇する。
「黒兄様、あんなの食べたらお腹痛くなっちゃうの!」
「ケッ。誰があんなの食うかよ」
「ふふっ……ありがとう、黒、紺」
僕が微笑むと、黒はいつもの調子で僕の頭を軽く撫でた。
「当たり前だろ。お前に近づく奴は、俺がちゃんと見ておいてやる」
「うん」
その言葉が、何よりも嬉しかった。
土御門家の一族が去っていくのを、呆れた様子で見送っていた二人の男が、こちらへと歩み寄ってきた。
陰陽寮討伐方統括室長、菅野雅道さん。
そして、分析方の相模澄真さんだ。
「やれやれ僕らを押しのけて……無断で結界内に侵入するから、止めようとはしたんだけどね」
澄真さんが困ったように頭を掻いた。
「ごめんね、あかりくん。人の話を聞く耳すら持っていなくて、止めようもなかったよ」
「まったく……。公的な使者を押しのけて、無断で他人の敷地に侵入するとは。土御門家の名も地に落ちたものだ」
菅野室長は、威厳ある顔を盛大に顰めていた。
僕たちは二人を広間へ案内し、温かいお茶を差し出した。
二人は湯呑みに手を伸ばすと、ようやく一息ついたように深く息を吐く。
三年前の帝都の事件以来、僕たちは式神を通して時折文を交わしてきた。
今では、立場を越えて気兼ねなく話せる、気心の知れた関係になっている。
「澄真さん、今朝は驚きましたよ。結界を潜り抜けて、いきなり白いウサギの式神が飛び込んできたと思ったら、緊急の文が添えられているんですから」
「あはは、驚かせてごめんね。でも、それくらい切迫した事態だったんだ」
澄真さんは苦笑した。
けれど、すぐにその表情を引き締める。
隣に座る菅野室長も、先ほどまでの憤りを押し殺すように背筋を伸ばした。
澄真さんは手元の巻物を広げ、真剣な眼差しで僕を見つめた。
「国家の存亡に関わる、未曾有の危機についての救援要請なんだ」
その言葉に、僕も自然と姿勢を正した。
澄真さんが差し出したのは、古びた羊皮紙の巻物だった。
表面には、禍々しい気配を放つ古代の呪符が貼られている。
巻物を見ただけで、ただならぬ事態が起きていることが伝わってきた。
「遥か北の最果て――かつて『出雲の国』と呼ばれた地。その地下深くに封印されていた、神代のあやかしの封印が急激に弱まりつつあるんだ」
「神代の……あやかし?」
思わず聞き返した僕に、菅野室長が重々しく頷いた。
「現地へ派遣した選抜隊は全滅。現在は武闘派として知られる物部家の当主自らが足止めをしているが、それも限界に近い」
澄真さんが、悔しそうに唇を噛んだ。
「僕たちも手を尽くしたよ。でも、まるでこちらの術が通用しないんだ。何人がかりで挑んでも、傷一つつけられない……」
広間に沈黙が落ちた。
選抜隊が全滅。
物部家の当主でさえ、足止めするのが精一杯。
それほどの相手が、北の地の地下深くに封印されていたというのか。
僕は巻物へ視線を落とした。
貼られた呪符から伝わってくる気配は、確かに尋常ではなかった。
これほどの存在が封印されていたのなら、封印が破れたときに何が起こるのか、想像するだけでも恐ろしい。
けれど、澄真さんの話には、まだ続きがあった。
「……それにね、あかりくん。実を言うと、僕たちがここへ来た理由は、それだけじゃないんだ」
「それだけじゃない……?」
僕が首を傾げると、澄真さんは苦々しい顔で声を潜めた。
「封印が弱まり始めたタイミングが、あまりにも不自然なんだよ」
「不自然、ですか?」
「ああ。それに呼応するように、陰陽寮の上層部や一部の人間にも、不可解な動きが見え隠れしている」
澄真さんは、周囲に聞かれないようにするかのように声を落とした。
「まるで、この混乱が起きることを、あらかじめ知っていたかのようなんだ。偶然にしては、できすぎている」
その言葉に、僕は眉を寄せた。
「つまり……陰陽寮の内部に、何か不吉な企みを抱いている人間がいる可能性がある、ということですか?」
「確証はない。今の段階で、誰かを疑うわけにはいかないからね」
澄真さんは静かに首を振った。
「だけど、今の陰陽寮には、手放しで頼れる人間ばかりじゃない。それは確かだよ」
菅野室長が、ゆっくりと口を開いた。
「だからこそ、我々が心から信頼できる者に助力を求める必要があった」
その視線が、まっすぐに僕へ向けられる。
「このまま封印が破れれば、日本国の半分が氷の呪いに包まれるおそれがある」
「日本の……半分が?」
僕は思わず息を呑んだ。
たった一つの封印が破れるだけで、そこまでの災厄が起こるというのか。
「頼れるのは……あかり殿、君たちだけだ」
菅野室長は、深々と頭を下げた。
「どうか、力を貸してくれないだろうか」
その言葉には、国家を守る立場にある者としての責任と、僕たちへの全幅の信頼が込められていた。
式神を通して絆を深めてきた二人が、ここまで切実に助けを求めている。
それだけで、事態の深刻さは十分に伝わってきた。
僕は隣に座る黒へと視線を向けた。
黒は不敵にニッと八重歯を見せて笑い、僕の肩を力強く叩いた。
「面白いじゃねえか」
その声には、恐れも迷いもない。
「帝都のヘボ陰陽師どもじゃ歯が立たねえ神代のあやかしか……。あかり、日頃の特訓の成果をぶつけるには、最高の相手だぜ」
「おいおい、黒くん。ヘボは余計だよ」
澄真さんが呆れたように苦笑した。
「……まあ、否定はできないけどね」
「相模、お前まで何を言っている」
菅野室長が思わず眉間を押さえた。
そのやり取りに、広間の空気がほんの少しだけ和らいだ。
僕も自然と笑みを浮かべる。
けれど、心の中ではすでに決めていた。
困っている人たちがいる。
この国を揺るがしかねない災厄が迫っている。
そして、信頼する二人が、僕たちを頼ってくれた。
ならば、答えは一つだ。
「立ち話もなんです。ひとまず、お屋敷の奥へお上がりください。詳しい状況を聞かせてください」
僕がそう告げると、菅野室長と澄真さんは、心底安堵したように息を吐いた。
「助かるよ、あかりくん。……それじゃあ、甘えさせてもらおうかな」
澄真さんが、いつもの柔らかな笑顔を浮かべる。
こうして僕たちは、お屋敷の奥の間へと移動し、北の地で起きている異変と、今後の対策について詳しく話し合うことになった。
けれど、僕はまだ知らなかった。
この事件が、単なる封印の弱体化などではないことを。
そして、北の地で待ち受ける神代のあやかしが、僕たちの想像をはるかに超える存在であることも――。
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次回は奥の間で明かされる出雲の危機の全貌と、大切な家族と交わす決意の盃を描く挿入エピソードをお届けします!
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