噂のあかり様と、南国への旅立ち(第2.5章 尾布山 後篇)
「物部流奥義――『爆炎破砕符拳』ですわぁぁぁーっ!」
ドゴォォォォォンッ!!
葵の幼い拳が、涼の極氷によって完全に氷漬けとなった巨大百足の眉間へ、一直線に突き刺さった。
次の瞬間、拳に仕込まれた符が激しく輝く。
符に込められていた極限の爆炎呪力が、一気に解放されたのだ。
紅蓮の炎が爆発的に膨れ上がり、視界を真っ白に染め上げるほどの閃光と衝撃波が、尾布山の山頂を激しく揺るがした。
『ギ、ギシャアアアアアアアアアアッ――!?』
巨大百足が断末魔の悲鳴を上げる。
しかし、それすら最後まで続かなかった。
氷に閉ざされた巨体は、内側から炸裂した爆炎によって木っ端微塵に砕け散ったのだ。
飛び散った氷の欠片と不気味な肉片は、吹き荒れる炎に呑み込まれ、一瞬にして蒸発。黒煙と灰だけを残し、巨大な怪物の姿は跡形もなく消え去った。
やがて、轟音が遠ざかっていく。
舞い上がった土煙が晴れ、再び静寂が尾布山を包み込んだ。
「ふ……ふぅ……ッ!」
葵は小さく息を吐くと、腰に両手を当てた。
「勝ったもん!物部葵の、完・全・勝・利ですわーっ!」
幼い胸を精いっぱい張り、これでもかというほど得意げな顔をしてみせる。
つい先ほどまで、巨大な怪物を相手に一歩も退かなかった少女。
その姿は、まさしく物部家の次期当主にふさわしい勇ましさだった。
……が。
ガクッ。
「ひゃうっ!?あ、あれ……?」
不意に、葵の膝から力が抜けた。
張り詰めていた緊張が、一気に途切れたのだろう。
幼い足がガクガクと震え、葵はその場にぺたんとへたり込んでしまった。
「うぅ……っ!や、やっぱり怖かったもん……!すっごく怖かったし、転んだ足だって痛いもん……っ!わああああん!」
ぽろぽろ、ぽろぽろ。
大粒の涙が、葵の頬を伝って次々とこぼれ落ちる。
つい先ほど、あれほどの怪物を一撃で粉砕した少女とは思えない。
そこにいたのは、恐怖に耐え、必死に強がっていた、まだ九歳の女の子だった。
「はいはい、よしよし!よく頑張ったねぇ、お嬢ちゃん!」
晄がすかさず駆け寄り、へたり込んだ葵の華奢な身体をひょいっと抱き上げた。
「ちっちゃいのに、あんな凄まじい爆破呪術を使えるなんて!ホントに凄かったよ!」
そう言いながら、晄は葵の頭をごしごしと力いっぱい撫で回す。
「お、おろしなさいですわ!な、撫で回さないでほしいですわ!」
葵はじたばたと手足を動かした。
「わたくしは物部家の次期当主ですのよ!こんな扱いをされるような人間では――あ、でも……その……」
そこで言葉が途切れる。
葵は真っ赤になった顔をそっと伏せ、小さな声でつぶやいた。
「……助けてくれて、ありがと……ですわ」
「ん?なんだって?」
「な、なんでもありませんわっ!」
「あははっ!はいはい、そういうことにしといてあげる!」
晄が楽しそうに笑う。
その隣では、涼もそっと歩み寄り、手にした扇子で葵へ涼やかな風を送っていた。
「ふふ。お気に召していただけたようで何よりです。私どもも、お嬢様の物部流の拳の威力には驚かされましたわ」
「お、お嬢様……?」
「ええ。これほど勇敢で、立派に戦われたのですから」
涼が穏やかに微笑む。
葵は一瞬、きょとんとした。
それから、ほんの少しだけ口元を緩める。
やがて晄に地面へ下ろされると、葵は再びぺたりと座り込んでしまった。
さすがに、まだ足に力が入らないらしい。
命がけの死闘を終えた山頂には、先ほどまでの張り詰めた空気が嘘のように消え去り、どこか温かな空気が流れ始めていた。
「あ、あの……」
葵は着物の裾を整え、二人を見上げた。
「助けていただいたお礼を、きちんと申し上げておりませんでしたわね」
そして、こほん、と小さく咳払いする。
「改めまして、わたくしは物部葵!帝都四大陰陽家の一角、武闘派・物部家の次期当主ですわ!」
まだ座ったままではあったが、背筋をぴんと伸ばし、堂々と胸を張る。
「それで……あなたたちは、なんというお名前ですの?」
「ま、まあ……さっきから、あんだけ自分で名乗ってたからねぇ」
晄は苦笑しながら、自分の胸を親指で指した。
「わたしは晄!三毛猫の猫又さ。こっちの気取ってるのが涼。白猫の猫又だよ。わたしらはこの尾布山で、まあ、テキトーに暮らしてるあやかしさ。よろしくね、葵お嬢ちゃん!」
「気取っているとは失礼ですね、晄」
涼は涼しい顔で扇子を広げると、優雅に一礼した。
「葵様、丁寧なご挨拶をありがとうございます。私は涼と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「ふふん!わかってくださったなら結構ですわ!」
葵はすっかり気分を良くしたらしい。
座ったまま両腰に手を当て、再びふんぞり返った。
「よく覚えておきなさい!わたくしは、物部家始まって以来の最高傑作なんですのよ!」
「あははっ!そりゃ頼もしいねぇ!」
「ええ。本当に将来が楽しみですわ」
二人の言葉に、葵はますます得意げになる。
……もっとも、頬にはまだ涙の跡が残っていたのだが。
「それにしても……」
葵は改めて、晄と涼の姿をじっくりと眺めた。
「お二人とも、妖気を隠してしまうと普通の人間と変わりませんのね。それに、とても可愛らしいですし……」
そこで、ぴっと人差し指を立てる。
「まぁ、わたくしのほうが何倍も可愛いですけれど!」
「はいはい、そうだねぇ」
「ふふふ」
「な、なんですの、その反応は!もっと驚きなさいませ!」
葵が頬を膨らませると、晄はとうとう堪えきれずに笑い出した。
「いやぁ、物部のお嬢ちゃんに可愛いなんて言われちゃったよ!光栄だねぇ!」
そして、再び葵の脇に手を差し入れると、ひょいっと抱き上げる。
「きゃああっ!?な、なにをしますの、いきなり!」
「だって、足が痛いんでしょ?さっき転んで、泣いてたじゃん」
「な、泣いてないもん!転んでないもん!痛くないもん!」
「はいはい」
「信じておりませんわね!?」
顔を真っ赤にして抗議する葵。
しかし、その手はいつの間にか晄の背中をしっかりと掴んでいた。
降ろしてほしいとは、もう言わなかった。
そんな二人の様子を眺めながら、涼は目を細める。
「ふふ。すっかり仲良しでいらっしゃいますね」
「な、仲良しではありませんわ!」
「おや。では、晄の背中から降りられますか?」
「そ、それは……足がまだ本調子ではありませんので、仕方なくですわ!」
「はいはい。そういうことにしておこうねぇ」
「晄までっ!」
賑やかなやり取りに、涼の笑みがいっそう深まった。
だが、ふと何かを思い出したように、彼女は扇子を閉じる。
「ところで、葵様」
「なんですの?」
「先ほどから、あちらの山を気にされているご様子でしたが……何か気になることでもおありなのですか?」
涼の視線が、尾布山の隣にそびえる巨大な霊山へと向けられた。
――神隠しの山。
その名を聞いた途端、葵の表情がわずかに変わる。
晄の背中から身を乗り出し、遠くの山をじっと見つめた。
しかし、すぐに視線を足元へと落とす。
そこには、先ほどまで死闘が繰り広げられていた惨劇の痕跡が残っていた。
葵の瞳から、ふっと幼さが消える。
「……その前に、晄。一度、あちらへ向き直ってくださらない?」
「ん?ああ、うん」
晄は不思議そうに首をかしげながらも、静かに身体の向きを変えた。
すると葵は、小さく息を吸い、胸の前でそっと印を結んだ。
「わたくしを庇い、命を散らした物部の陰陽師たち……」
その声から、いつもの勝ち気な響きが消えていた。
「あなた方の忠義と、死力を尽くした戦いぶり……わたくしは、誇りに思いますわ」
葵は、深く頭を垂れた。
「……どうか、安らかに」
幼い少女の、精いっぱいの弔いだった。
晄は笑みを消し、涼も静かに目を伏せる。
二人は葵に倣い、胸の前でそっと手を合わせた。
しばらくの間、誰も口を開かなかった。
山頂を吹き抜ける風が、三人の髪と衣を静かに揺らしていく。
やがて――。
「……よし」
葵が、顔を上げた。
その瞳には、再び強い光が宿っていた。
「あなた方の思い、決して無駄にはいたしませんわ!」
小さな拳を、ぎゅっと握りしめる。
そして今度こそ、隣にそびえる巨大な霊山をまっすぐに指差した。
「それで、話を戻しますわよ!あちらの山ですわ!」
「うん?」
「なんだか、あちらの方角からただならぬ気配がするんですの!」
葵は眉を寄せた。
「お父様からも、『神隠しの山には絶対に立ち入るな』と、きつく言われておりますわ。……お二人ほど強いあやかしなら、あちらの山についてもご存じなのではありませんの?」
晄と涼は、顔を見合わせた。
先ほどまでの気楽な空気が、ほんの少しだけ引き締まる。
「知ってはいるけどさぁ……」
晄は困ったように頭を掻いた。
「あっちの山には、規格外の結界が張られてるんだよ。わたしら二人が力を合わせたって、爪の先ほども中へ入れないんだ」
「爪の先ほども……?」
「そう。びくともしないんだよ、これが!」
晄は両手を広げ、大げさに肩をすくめた。
「……まあ、その代わり、山の中にいる大あやかしたちも外へ出られない仕組みになってるみたいだけどね。おかげで、この尾布山も麓の里も平和ってわけさ!」
そこで、晄はにやりと笑った。
「ま、たまーに人間の味を覚えたあやかしが出てくることもあるけどねぇ」
「晄。そういう物騒なことを、楽しそうにおっしゃらないでください」
「いやいや、冗談、冗談!」
涼は小さくため息をつくと、神隠しの山へ視線を戻した。
「双方を完全に遮断する大結界……。私たちの力では、手も足も出ませんわ」
扇子の先が、遠くの山を示す。
「ただ、不思議なことに、力の弱いあやかしや幼いあやかしは、すんなり出入りできることがあるのです。どういう理屈なのか、私にもわかりません」
「へぇ……」
葵は興味深そうに耳を傾ける。
「そして、あの結界を張った張本人こそ……山に鎮座される、猫又の頂点――黒曜様なのです」
「猫又の頂点……!」
「ええ。黒曜様から、時折、結界の外へ飛ばされてくるものがありまして……」
「飛ばされてくるもの?」
「文ですわ」
「……文?」
「はい。黒曜様から届く、唯一の便りなのです。私たちにとって、結界の内側の出来事を知ることのできる、貴重な手がかりなのですよ」
涼は懐かしむように目を細めた。
「数年前までは、山の内と外を行き来することもできたんだけどねぇ」
晄が、少し恨めしそうに口を尖らせる。
「ところが、あの山に『主人』ってやつが入ってから、結界の力を強めやがったのさ。おかげで、わたしらはすっかり締め出されちまったってわけ」
「文……つまり、伝説のあやかしが、お手紙を書いて届けてくださるということですの!?」
葵の目が、きらりと輝いた。
「そうそう!その文には、黒曜の新しい主人についても、自慢げに書かれてるんだよ!」
「主人……?」
葵は首をかしげる。
「主従関係の契約……式神でしょうか?その主様とやらは陰陽師なのですの?」
「いやいや、違う違う!」
晄は、ぶんぶんと首を振った。
「神隠しの山に住んでる、『あかり』っていう男の子さ!」
「あかり……?」
「そう!主従でも式神でもないんだってさ」
晄は、いたずらっぽく笑った。
「――相棒、なんだって」
「相棒……!?」
「弟ともも言ってたかな」
「弟!?」
葵の声が、山頂に響いた。
その言葉に、涼も扇子をぱちんと閉じ、深々と頷く。
「山のあやかしたちの間でも、その噂は持ちきりなのです。もちろん、人間に害をなさないあやかしたちの間で、という意味ですが」
涼は、ひとつひとつ言葉を選ぶように続けた。
「弱き者を助け、不条理な悪を挫く。弱冠十三歳にして『国家守護特級陰陽師』の位を賜り、神代の凄まじい力を自在に操る……まさに、規格外の存在なのだとか」
「それだけじゃないよ!」
晄も勢いよく身を乗り出した。
「人間を害さないあやかしなら、笑って受け入れてくれるんだって!しかも顔も心も男前で、強くて、優しくて……!」
晄は、まるで自分のことのように誇らしげに胸を張る。
「文を読むかぎりじゃ、あやかしたちの憧れの的さ!」
「な……なんですって……!?」
葵の瞳が、大きく見開かれた。
強くて。
格好よくて。
優しくて。
しかも、規格外に強い。
おまけに、人間だけでなく、あやかしのことまで分け隔てなく受け入れてくれるという。
それはまるで、葵がこれまで読んできた昔話や英雄譚に登場する、理想の英雄そのものではないか。
「そ、そんな……!」
葵の頬が、みるみる赤く染まっていく。
「そんな、昔話や物語の中にしかいないような完璧な人物が……本当に、この世に実在しますの!?」
「まあ、文に書いてあることが本当ならねぇ」
「本当ですわ!」
晄の言葉を、葵が食い気味に遮った。
「そんな素晴らしい方が嘘であるはずがありませんわ!」
「お、おう……?」
晄が思わず目を瞬かせる。
葵は、ゆっくりと拳を握りしめた。
その表情には、先ほどまでの恐怖も、涙も、すっかり消え去っていた。
代わりに、その瞳には、燃え上がるような決意が宿っている。
「……わたくし、決めましたわ」
「ん?何を?」
葵は晄の背中からひょいっと飛び降りると、着物の裾をひるがえし、隣の『神隠しの山』をびしっと指差した。
「わたくし、大きくなったら――」
そして。
「『あかり様』のお嫁さんになりますわっ!!」
「ぶっ!?」
「……えっ?」
晄と涼が、そろって固まった。
次の瞬間。
「ぶはははははっ!!」
晄が腹を抱えて大笑いした。
「お、お嬢ちゃん!?会ったこともないのに、気が早すぎるでしょーっ!」
「関係ありませんわっ!」
葵は、きっぱりと言い切った。
「わたくしのような物部家の最高傑作にして、完璧な美少女にふさわしい殿方は、その『あかり様』しかおりませんの!」
小さな胸を精いっぱい張り、遠くの山へ向かって叫ぶ。
「待っていてくださいませ、あかり様ーっ!わたくしが立派な大人の女性になって、必ずあなたを迎えに行って差し上げますわーっ!!」
その婚約宣言は、尾布山の山頂に、これでもかというほど大きく響き渡った。
……もちろん、肝心のあかり本人には、まったく届いていない。
「やれやれ……」
涼は扇子で口元を隠し、くすくすと笑った。
「あかり様という方も災難ですわね。お会いしたことすらないお子様に、将来の夫として勝手に内定されてしまうとは……」
「な、なんですの!わたくしとの結婚は、あかり様にとって最高の栄誉ですわよ!」
「はいはい。そういうことにしておきましょう」
「涼!絶対に信じておりませんわね!?」
晄と涼の笑い声が、山頂にこだまする。
その時だった。
シュルルルル……!
澄み渡る空の彼方から、一羽の折り鶴が舞い降りてきた。
白い紙で折られたその鶴は、風に乗ってひらひらと宙を舞い、やがて葵の差し出した手のひらへ、音もなく着地する。
陰陽寮および物部本家からの伝書式神――。
葵の表情が、すっと引き締まった。
「あら?実家からの式神ですわね……?」
折り鶴に符をかざし、霊力を込める。
すると、紙の翼がふわりと広がり、折り鶴の姿がゆっくりと解けていった。
次の瞬間。
『葵よ。大事ないか?』
厳格で重厚な父親の声が、葵の脳内へ直接響き渡った。
『尾布山での討伐、見事であった。……だが、休む暇はない』
その声を聞いた途端、葵の背筋がぴんと伸びる。
『ただちに日本国南国地方へ向かえ。かの地にて、大規模な固有種あやかしの暴走が発生した。物部一族の武を示し、これを鎮圧するのだ』
「南国地方……!」
『父は、まだ北の地を離れることができぬ。選抜隊として、翠と陰陽師三十人をそちらへ向かわせている。合流し、任務に当たれ』
そこで、父親の声は途切れた。
折り鶴は、最後の一片までほどけ、風にさらわれていく。
葵はしばらく空を見つめていたが、やがて、ふんっと鼻を鳴らした。
「さすがお父様ですわ!情報がお早いこと!」
そして、くるりと南の方角を向く。
「南国地方……!九州や沖縄の方角ですわね!」
ところが、次の瞬間。
「……翠を?」
葵の眉が、ぴくりと動いた。
「な、なんて頼りない……!」
弟の顔を思い浮かべたのか、葵は額を押さえた。
「まったく、あの子ったら……!わたくしがしっかりしなくては、何をしでかすかわかりませんわ!」
そして、森の方へ向かって声を張り上げた。
「あなたたち!聞いておりますわね!?すぐに出発しますわよ!」
すると――。
ざっ。
ざざっ。
木々の陰や草むらから、黒い術衣に身を包んだ陰陽師たちが次々と姿を現した。
その数、十名ほど。
彼らは一糸乱れぬ動きで葵の前に進み出ると、片膝と片手を地面につき、深々と頭を下げた。
「はっ!承知いたしました!」
「……へぇ」
晄が感心したように目を丸くする。
「気づいてたのかい、お嬢ちゃん」
「当然ですわ!」
葵はふんっと胸を張った。
「……と、言いたいところですが、気配を隠すのがお上手ですのね。わたくしも、さすがに全員の居場所まではわかりませんでしたわ」
少しだけ悔しそうに唇を尖らせる。
晄と涼は、すでに彼らの存在に気づいていた。
選抜隊の五人とは比べものにならないほど、気配の消し方が巧みな陰陽師たち。
物部家が、葵を決して一人で危険な場所へ送り出していたわけではないことが、これではっきりした。
もっとも、先ほどの戦いでは、その護衛の存在さえも届かないほどの危機に陥っていたのだが。
葵は、ぐっと小さな拳を握りしめた。
そして、晄と涼へ向き直ると、にっと自信満々に笑う。
「お二人とも!」
「ん?」
「なんですの?」
「これほどの腕をお持ちなのに、こんな山で燻っているなんて、あまりにも勿体ないですわ!」
葵はびしっと二人を指差した。
「わたくしの専属護衛……いえ!」
そこで、わざとらしく一拍置く。
「わたくしの相棒として、同行させて差し上げますわ!一緒に南の国へ来て、わたくしの手伝いをなさい!」
「えぇ~?南国ぅ?」
晄は一瞬、面倒くさそうに頬を掻いた。
だが、すぐにぱっと顔を輝かせる。
「南国って、あったかくて美味しい果物がいっぱいありそうだねぇ!」
「……そこですか?」
「いいよ、いいよ!行こうじゃないの!葵お嬢ちゃんの仲間になってあげる!」
晄は豪快に笑い、葵の華奢な肩をぽんっと叩いた。
「ちょっ、ちょっと!肩を叩くなら、もっと優しくなさいませ!」
「あははっ!悪い悪い!」
「ふふ。私も異論はありませんわ」
涼も穏やかに微笑み、手にした扇子をぱちんと閉じた。
「ちょうど、お山での暮らしにも退屈していたところです。葵様のお誘い、喜んでお受けいたします」
「ふふん!そうでしょう、そうでしょう!」
葵は満足そうに頷いた。
「あなたたちほどの実力者が加われば、南国の任務も百人力ですわ!」
「いや、百人分は働かないからね?」
「そこは働きなさいませ!」
「はいはい、ほどほどにねぇ!」
「……本当に、賑やかな方々ですわね」
涼が呆れたように笑った。
こうして、尾布山での出会いは、思いがけない旅立ちへとつながっていく。
葵はくるりと南の方角へ向き直り、遠くを見据えた。
「さあ、すぐに出発ですわ!」
小さな拳を高く掲げる。
「南国のあやかしを一蹴して、もっともっと強くなって……!」
そして、あの山の向こうにいるという少年の姿を思い浮かべた。
強くて、優しくて、誰もが憧れるという、規格外の陰陽師。
「いつか、あかり様に会いに行きますわよーっ!」
「おーっ!わたしらに任せな!」
「葵様、あまり無茶はなさらないでくださいね」
「無茶ではありませんわ!これは立派な将来への投資ですの!」
「……それ、どういう意味?」
「秘密ですわ!」
晄が笑い、涼がため息をつき、葵が胸を張る。
三人の賑やかな声を引き連れて、一行は次なる戦地――南国地方へ向けて、尾布山を後にした。
その背中には、失われた命への悲しみと、まだ見ぬ未来への希望が、それぞれ静かに宿っていた。
そして――。
遠く離れた、隣り合うもうひとつの霊山。
人知れず強固な結界に包まれた『神隠しの山』からは、どこまでも澄み切った、凄まじい神代の霊気が漂っていた。
その霊気を感じ取りながら、晄がふと山を振り返る。
「……いつか、会ってみたいねぇ」
「誰にですの?」
「決まってるじゃないか。あの『あかり』って主様にさ」
晄は、いつもの人懐っこい笑顔を浮かべた。
「黒曜がそこまで気に入った人間なんて、いったいどんな奴なんだろうねぇ?」
涼もまた、神隠しの山を静かに見つめる。
「ええ……。きっと、いつか私どもの道が交わる時が来るでしょう」
風が吹いた。
木々がざわめき、山の稜線を白い雲がゆっくりと流れていく。
その時、誰も知る由はなかった。
この小さな出会いが、やがて南国の地を揺るがす大事件へとつながり――。
そして、まだ見ぬ少年との運命を、大きく動かしていくことになるなど。
物部葵、九歳。
未来の英雄に一目惚れした少女の、あまりにも騒がしく、あまりにも無謀な第一歩が、今ここから始まったのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
尾布山編・後篇でした。
戦いを通じて無事に誤解も解け、物部葵・晄・涼の賑やかなトリオが誕生いたしました!
会ったこともないあかりに勝手に夫内定を出してしまう葵ですが、果たして二人が出会う日は来るのか……?
「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ページ下部の【ポイント評価(★★★★★)】やブクマで応援していただけると、更新の大きな励みになります!




