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帝都の英雄と、掌返しの大人たち

『……さあな。だが、ろくでもねえ邪悪な気配の元凶ってことだけは確かだろ』


昨夜、黒はそう言って低く唸り、僕の髪を優しく撫でてくれた。


『幽玄』という謎の名前。


その正体はまだ分からない。だけど、黒の言うとおり、ろくでもない相手であることだけは間違いなさそうだった。



そして、その謎を胸に残したまま、翌朝を迎えた――。


眩しい朝日が夜の闇を払い、帝都陰陽学校の広場には、教師や生徒、そして駆けつけた陰陽寮の役人たちが集まっていた。


昨夜、帝都壊滅を目論んだあやかしの大軍勢。


その襲撃を鎮圧したのが、十三歳の僕と、僕が生み出す『影猫』、紺、そして黒の圧倒的な妖力だった。


その事実は、すでに広場にいる全員の知るところとなっていた。


朝日を浴びた広場は、昨夜の激闘が嘘だったかのように静まり返っている。


けれど、人々の様子は昨日までとはまるで違っていた。


僕を蔑む視線も、嘲笑もない。


代わりに向けられているのは、恐縮しきった眼差しと、腫れ物に触れるような緊張感だった。


そんな人々をかき分け、真っ先に僕のもとへ駆け寄ってきた人物がいた。


昨日までは、僕を『無能』と呼び、門をくぐる資格すらないと言い放った、紫の衣服を着た初老の教師だ。


「お、あかり様……! 昨晩は見事な、本当に見事なご活躍でした! さすがは名門・土御門家の正統なる血を引くお方! 現代の陰陽師の救世主でございます!」


教師は額に滝のような汗を浮かべながら、何度も何度も腰を折って頭を下げた。


その姿は、昨日までの高圧的な態度とは別人のようだった。


「我が校の創立以来、あなた様ほどのお力を秘めた方はおりません!いえ、『英雄』などという言葉では生ぬるい!帝都の……いや、日本国の歴史上にも存在し得なかった、まさに異次元のお方でございます!」


息継ぎも忘れたかのように、教師はまくし立てる。


「昨日までの無礼は、どうかお赦しください!あれは、そう!あなた様の底知れぬ才能をお確かめするための、我々なりの試練だったのです!」


……試練?


昨日、あれだけ僕を見下していたのに?


あまりにも見苦しい言い訳に、僕は思わず黙り込んだ。


すると、教師は僕の沈黙を別の意味に受け取ったのか、ますます顔色を悪くして声を張り上げる。


「どうか、我が校の『首席特待生』の席をお受け取りください!そして、今後の帝都、ひいては国家の守護をお任せしたいのです!」


さらに教師は、身を乗り出してきた。


「特例として、あなた様のご実家である土御門家にも、当校から莫大な支援と未来永劫の名誉をお約束いたします! 土御門の家名を、歴史上最も輝かしいものとして再興させましょうぞ!」


……結局、この人が大切なのは僕じゃない。


僕の力と、その力を利用して得られる名誉や利益なんだ。


そう思うと、何を言われても心には響かなかった。


そのときだった。


広場の入口から、重厚な足音が響いてきた。


「道を開けろ!陰陽寮だ!」


姿を現したのは、陰陽寮の制服を身にまとった一団だった。


国家陰陽師も所属する、帝都の要職――『陰陽寮』。


彼らも昨夜の戦闘をくぐり抜けてきたのだろう。


制服には煤や血がこびりつき、破れた袖口には血が滲んでいる。


荒い息を吐きながら刀を納める者。傷ついた仲間を肩で支える者。救護班へ負傷者を引き渡す者。


その姿だけで、彼らがどれほど凄惨な戦場を駆け抜けてきたのかが伝わってきた。


その一団の中に、陰陽寮の分析方を務める青年、相模澄真(さがみとうま)の姿もあった。


澄真も袖口を焦がし、頬には小さな血の跡が残っている。


手元の符や測定器のような術具を見つめながら、彼は不思議そうに首を傾げた。


「……帝都中にあふれ出たあやかしを討伐しながら、この周辺から放たれていた異様なほど禍々しい冷気と影の猫を追って駆けつけたんだが……」


澄真は周囲を見渡し、困惑したように呟いた。


「本当に、一瞬で消え去っているな……」


その隣から、一人の男性が前へ出た。


陰陽寮の討伐方統括室長、菅野雅道(すがの まさみち)だ。


「これより陰陽寮による状況確認と事情聴取、ならびに負傷者の救護を開始する! 救護班はただちに手当てへ向かえ!」


よく通る声で指示を飛ばす菅野室長。


その声に応じ、救護班が一斉に動き始めた。


やがて彼は、周囲に残された凄まじい破壊の痕跡と、その惨状を鎮圧した僕らを見比べた。


そして、ゴクリと唾を飲み込む。


「……もしや、あなたが土御門家のあかり殿か?」


驚きと畏怖の入り混じった声だった。


隣にいた澄真も、手元の術具から顔を上げ、目を見開いて僕を見つめる。


「……まさか、帝都中に漂っていたあの禍々しい冷気を消し去ったのは、君なのか?あやかしの群れを一晩で退けたという話も、本当なのかい?」


さすがは国家機関の陰陽寮。


情報が伝わるのも早い。


「冷気なら、敵を打ち払ったときの残り香みたいなものです。もう危険はありません」


僕が静かに答えると、澄真はわずかに目を細めた。


――『真実の眼』。


その眼で僕と、僕の傍らにいる黒や紺をじっと見つめる。


やがて、何かを悟ったように、ふっと口元を緩めた。


「なるほど……凄まじいあやかしを一瞬で消し飛ばしたってわけか。見事な腕前だ。僕たちが慌てて駆けつける心配すら要らなかったみたいだね……」


呆れたように肩をすくめながらも、その表情にはどこか楽しげな色があった。


一方、周囲の教師や生徒たちは、呆然と立ち尽くしていた。


国家機関である陰陽寮の役人たちまでもが、僕に一目置いている。


その事実が、彼らの目には信じられなかったのだろう。


そんな中、少し離れた場所にいた数人のエリート生徒が、僕のすぐ後ろに立つ紺に気づいた。


朝日を浴びて、ふんわりと輝く狐耳。


愛らしく揺れる、もふもふの尻尾。


昨日、僕の神代の力を込めた短剣で、常闇の会の幹部の一撃を弾き返した少女だ。


その圧倒的な可愛らしさと神秘的な雰囲気に魅了されたのか、生徒たちは途端にデレデレとした顔になり、紺のもとへ駆け寄ってきた。


「あ、あの……!君、すごく強いね!」


「ぼ、僕たちの家柄なら、君を絶対に幸せにできる! 式神としてじゃないぞ? これ以上ない贅沢に興味はないかな?」


……え?


紺への突然の申し出に、僕が反応するより早く、生徒の一人が紺の耳へ手を伸ばした。


その指先が、ふわふわの狐耳に触れようとした――その瞬間。


『フシャァァッ!!』


僕の肩の上で、黒の全身の毛が逆立った。


『誰の連れに汚ねえ手を伸ばしてやがる!! 気安く触るんじゃねえぞ、クソガキどもが!! 次にその手を動かしたら、手首から先を噛み千切って、あやかしの餌にしてやるからな!!』


金色の目を吊り上げ、牙を剥き出しにする黒。


その小さな黒猫の身体から、凄まじい妖気が爆発した。


「「「ひぃっ!?」」」


生徒たちは悲鳴を上げ、腰を抜かして尻餅をついた。


周囲にいた陰陽寮の役人たちも、瞬時に表情を引き締める。


刀の柄に手をかける者。呪符を取り出そうとする者。


広場に緊張が走った。


しかし――誰一人として、それ以上動くことはできなかった。


黒から放たれる妖気が、あまりにも強大だったからだ。


肩の上に静かに佇む黒猫。


その姿は一見すると愛らしい。


けれど、ひとたび機嫌を損ねれば、こちらが一瞬で噛み殺される。


そう本能に理解させるほどの圧倒的な威圧感が、広場全体を支配していた。


『真実の眼』を持つ澄真も、菅野室長も、そして数々の修羅場をくぐり抜けてきた熟練の陰陽師たちも、すぐには動けなかった。


彼らは黒の桁外れの妖威を感じ取ると同時に、その黒が僕の肩に寄り添い、僕を守るように立っていることにも気づいたのだろう。


やがて、誰からともなく、そっと手を引いた。


「うにゃあぁっ!」


一方、黒の威嚇と、周囲の大人たちの不躾な視線に驚いた紺は、慌てて僕の背中へ回り込んだ。


そして、僕の服の裾をぎゅっと掴む。


後ろからひょっこりと顔を出した紺は、周囲の生徒や大人たちに向かって、精いっぱい胸を張った。


「紺は、あかり様とずっと一緒にいるの!誰のところにも行かないの!」


「こ、紺……!?」


思いがけない宣言に、僕の顔が一気に熱くなった。


紺は本気なんだろう。


僕の服を掴む小さな手にも、ぴんと立った狐耳にも、その気持ちが表れていた。


周囲の生徒たちは、すっかり固まってしまっている。


「ずっと一緒……!?」


「誰のところにも行かないって……」


そんな声が聞こえてくる中、黒は満足そうに鼻を鳴らした。


『ケッ。当たり前だ。あかり以外の奴に懐くわけねえだろ』


……黒まで、そんなことを言わなくても。


僕はますます顔が熱くなるのを感じた。


少し離れたところでは、蓮もその光景を見つめていた。


呆れと敬意の入り混じった眼差し。


自分の力不足を噛み締めながらも、僕たちの間にある温かな絆を前にして、誰も簡単には踏み込めないのだと悟ったように、静かに目を伏せていた。


やがて僕は、周囲の大人たちへと視線を戻した。


「学校とか、実家とか……本当は…僕はどうでもいいんです」


教師が、びくりと肩を震わせる。


「校舎もこんな状態ですし、僕は帰ります」


「えっ……あ、あかり様!? そ、そんな……っ!」


教師の顔から、みるみる血の気が引いていった。


けれど、僕の気持ちは変わらない。


ここに残っても、大人たちの見苦しい言い訳に付き合わされるだけだ。


校舎も大きな被害を受けている。授業だって、まともに行える状態ではないだろう。


だったら、もう長居する理由なんてなかった。


僕はふと、陰陽寮の二人へ目を向けた。


菅野室長と澄真は、保身のために腰を低くし続ける教師たちを冷ややかに見つめていた。


やれやれ、とでも言いたげに軽く首を振る二人。


権力や立場にしがみつく大人たちの浅ましさを、彼らも見抜いているのだろう。


そして、そんな大人たちを相手にすることなく、静かに立ち去ろうとする僕を、無理に引き留めようとはしなかった。


その眼差しには、言葉にしなくても伝わる敬意と感嘆が宿っていた。


やがて、菅野室長と澄真が、僕に向かって深く頭を下げた。


それに続くように、周囲に控えていた陰陽寮の役人たちも、一斉に姿勢を正して一礼する。


国家機関の重鎮たちが、たった一人の少年とあやかしに敬意を示している。


その光景を目の当たりにした教師や生徒たちは、誰も言葉を発することができなかった。


昨日まで僕を無能と決めつけ、嘲笑していた人たちが。


今では、僕の顔色をうかがい、失礼がないようにと必死になっている。


……ずいぶんな変わりようだ。


でも、もうどうでもよかった。


僕が欲しかったのは、こんな称賛でも、特別扱いでもない。


「行くよ、黒、紺」


「うんっ! あかり様、早く帰ってお腹いっぱいご飯食べるの!」


紺が僕の手を両手でしっかりと握り、満面の笑みを向けてくれた。


肩の上では、黒がいつものように丸くなっている。


僕は、媚びを売る大人たちを振り返ることなく、二人と一緒に歩き出した。


手のひらを返した大人たちの言葉なんて、僕にはひとつも響かない。


僕には、帰る場所がある。


僕を『忌み子』としてではなく、ただのあかりとして愛してくれる、本物の家族がいる。


だから、もう何も怖くない。


朝日が照らす道を、僕たちは並んで歩いていく。


その背中を、広場に残された人々は、ただ黙って見送ることしかできなかった。

読者の皆様、ここまで読んでくださり本当にありがとうございます!


土御門家の人たちには少し冷たく当たってしまいましたが、僕を捨てた過去があるとはいえ、かつての家族があそこまで必死になっている姿を見るのは、正直少し複雑な気持ちでもありました。

ですが、僕には今、命をかけて守りたい大切な場所と、僕をただの「あかり」として愛してくれる黒や紺がいます。だからこそ、自分の歩むべき道を迷わずに選ぶことができました。


、紺が「あかり様、あんな奴ら絶対美味しくないから食べちゃダメなの!」と何度も念を押してきて、黒が「誰が食うかよ!」と呆れ顔で返していました。我が家は今日も平和です。


次回からはいよいよ『旧出雲の国』を巡る新しい冒険が始まります!

陰陽寮の中に漂う怪しい影も気になるところですが、頼もしい仲間たちと一緒に全力を尽くしますので、見守っていただけたら嬉しいです。


面白かった、続きが気になる!と思っていただけたら、ぜひブックマークや下部からの評価(★★★★★)で応援していただけると、執筆の大きな大きな励みになります!


それでは、また次のエピソードでお会い出来たらうれしいです。

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